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43.夏休み 別荘(Ⅷ)※一章完結
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星々の瞬く夜空を、クラリスは別荘の中庭でぼんやり眺めていた。あたりでは気の早い秋の虫達が鈴の音を鳴らしている。残念ながら蛍はもう飛んでいないようだが、秋を先取りしたこの空気もなかなか悪くない。クラリスはガーデンチェアに背を預けると、そのままゆっくりと目を閉じた。
今日は一日、とても楽しかった。
あの後、牧場ではカミラや双子達と合流し、色々なものを見て回った。アダムおすすめのアイスは絶品だったし、普段なかなかお目にかかれない動物達はとても愛らしかった。
ふれあいコーナーでの出来事は忘れられない。ハワードが動物達から異様に懐かれ過ぎて、危うく帰れなくなるところだった。飼育されているウサギや羊までだったら笑って見ていられたが、どこから来たのか珍しい野鳥や野生のリス、しまいには鹿まで集まってきた時は、みんな唖然として言葉が出てこなかった。
ハワードは少し恥ずかしそうに「昔からこうなんだ」と言っていたが、某ネズミ王国のプリンセスに匹敵する素質だ。あとは歌って踊れればといったところか。
思い出したら、唇からクスリと笑みがこぼれた。
「なんだか楽しそうね。いい事でもあった?」
隣に座るカミラが笑いながら問いかける。
「別に。ただ今日のふれあい広場のことを思い出してしまっただけですわ。」
「ああ、ハワードの……本当にすごかったわね。彼のこと、人たらしだとは思ってたけど、まさか動物まで守備範囲とは驚きだわ。」
「ディ◯ニープリンセスも顔負けよね。」
「ディズ……なんですって?」
「なんでもない、こちらの話ですわ。あらやだ、ハワードったらまた人をたらし込んで。アダムくんとリュカくんにもう懐かれてるじゃない。」
年下には特に強いから。そう加えると、クラリスは彼らの方に視線を投げた。先程までカミラにべったりだったアダムとリュカが、今はハワードにくっついている。星座でも教えてもらっているのだろうか、ハワードが空を指差しながら何かを喋り、双子が興味深そうにそれを聞いていた。芝生の上に座り込み和気あいあいと話す彼らは、はたから見るとまるで兄弟だ。微笑ましい光景に口元をゆるめた、その時。
「あっ!始まった!」
急にアダムが空を指差して声を上げた。釣られて見上げると、星屑のひとつが一筋の軌跡を描いて彼方に消えていった。
「まあ、流れ星…」
昨日ハワードが言っていた流星群だ。皆、これを目当てにわざわざ中庭に出てきていたのだ。
クラリスは思わず立ち上がった。正直、さほど興味はなかったのだが、いざ本物を見てしまうと、もっと見たいと欲が出てしまう。よりよく眺められる場所へと、それまでいた庭の隅のテラス席から中庭の真ん中までそそくさと移動する。
先程の星を皮切りに、それまで燻っていた星々が弾かれたように夜空を駆け出す。互いに競い合うように宙を滑る彼らは、数多の流星痕をクラリス達の頭上に残し、晩夏の夜空を煌びやかに彩っていた。
「すごく、綺麗…」
月並みだが的確な賛辞が口からこぼれる。
クラリスは星降りやまぬ夜空に見とれ、首や足が疲れるのも忘れてその場に立ち尽くした。
カサリと芝を踏む足音に視線を向ければ、いつのまにかカミラが隣に来ていたらしい。どうやら彼女も星空に釘付けのようで、こんなにそばにいるというのに言葉ひとつ交わさないまま、静かに空を見上ていた。
綺羅星が映り込んだ彼女の瞳はまさにアメジストそのものだ。クラリスが頭上に広がる濃紺の宇宙から、すぐ隣にある紫の小銀河に視線を移した。
「ヘレンから何か言われたかしら?」
「ふぇ?」
不意にカミラから問いかけられ、思わず変な声が出た。
「昼間のことよ。私とハワードが乗馬している間、貴女のところにヘレンが来たでしょう?」
「ああ……ええ、まあそうですわね。」
「彼女のことだから、おおかたこれからもわたくしと仲良くしてやってくれとでも頼まれたのではなくて?」
的確な推理に目を丸くする。驚いて声が出ない様子を肯定と受け取ったらしい。カミラは少し苦い顔をして笑った。
「……やっぱりね。ヘレンったら、本当にお節介なんだから。……あいにくわたくし、貴女なんかに面倒を見ていただくほど落ちぶれていなくってよ。」
最近はなりを潜めつつあったお得意の嫌味がここに来てひょこりと顔を出す。クラリスは顔を顰めると、面倒臭そうに返事をした。
「はいはい、分かってますわよ。ほーんと、可愛くないですわ!」
「お分かりでしたらよろしいわ。……でも」
急に口籠るカミラを、クラリスは怪訝な顔で見つめる。
「……でも、貴女に感謝しているのも事実ね。不本意ですけど。」
カミラが少し悔しそうな顔で言い捨てる。思いがけない言葉に、クラリスは再び目を丸くした。カミラの顔はより苦々しくなったが、それでもそのまま喋り続けた。
「まあ、きっかけは最低でしたわよ?貴女ったら喧嘩を売ってくるわ脅しをかけてくるわで、わたくし本当に頭が痛かったんですから。」
食堂事件と遠足の誘いの時か。確かにあの時はカミラを随分困らせたものだろう。
「でも、不思議ね。不本意ながら貴女に関わったはずなのに、蓋を開けてみたら意外と苦じゃなかったのよね。遠足から始まってテスト勉強も夏休みも、去年のとは全く違って…貴女とハワードと何気なく集まって、たわいない話をして……わたくしはそんなこと今まで誰ともしたことがなかったから正直戸惑うこともあったけど、でも嫌じゃなかったの。むしろこの目まぐるしい毎日が楽しくさえあったわ。……ええ、そうね。毎日楽しかった。夜には明日が待ち遠しくなるほど。」
いつのまにか険しい顔は消えていた。
カミラは空を見上げながら、ただ淡々と話し続けた。その様子はどこか自分に言い聞かせているようだった。
不意にカミラがこちらを見た。銀河の残光で二つのアメジストがきらりと瞬く。吸い込まれそうな視線に瞬きを返していると、カミラはふっと笑った。
一瞬、時が止まったかと思った。
それが彼女らしくない言葉だったからだ。でも、だからこそ、たった一言でもクラリスの心に響いたのだろう。
「あなたのおかげで、私は少し変われた気がするわ。……ありがとう、クラリス。」
遠くでアダム達のはしゃぐ声が聞こえる。空の彼方で流れ星がこれでもかというほど落ちていく。きっと、今が今夜の最高潮なのだろう。満天の星空は、もはやランタンの光を必要としないほど眩しく輝いていた。
皆が天上に釘付けになる中で、クラリスとカミラの二人だけは空を見上げず互いの目を見つめあっていた。
クラリスはしばしの間呆然としていたが、やがてふふっと笑うと、少し意地悪そうに口元に弧を描いた。
「まさかあなたにお礼を言われるなんで…明日は月でも降るのかしら?」
「なっ…!!あなたねえ…人がせっかく…」
「嘘でしてよ。……こちらこそ私と一緒にいてくれてありがとう、カミラ。これからもよしくね。」
視線を空へ戻し、なんでもないことのように伝える。カミラはしばしの間むっとしたようにこちらを見つめていたが、やがて肩をすくめて星空の方に向き直った。
「まったく、貴女だって大概可愛くないわ。」
「あらやだ、カミラに似てきちゃったのかしら。」
「…そういうところですわよ。」
憎まれ口を叩きながらも、その顔には笑顔が浮かんでいる。
なんでもない日常のはずなのにこれ以上なく輝いて見えるのは、きっと馬鹿みたいに降り注ぐ流れ星のせいだろう。
肌寒い夜風はもう秋のそのものだ。クラリスはきらめく星々を見上げながら、人知れず静かに微笑んだ。最高潮から少し数を落とした流星群は、それでもなおクラリスの頭上を明るく照らし出していた。 それは夏の終わり締め括るにはこれ以上ない美しさだった。
星々の瞬く夜空を、クラリスは別荘の中庭でぼんやり眺めていた。あたりでは気の早い秋の虫達が鈴の音を鳴らしている。残念ながら蛍はもう飛んでいないようだが、秋を先取りしたこの空気もなかなか悪くない。クラリスはガーデンチェアに背を預けると、そのままゆっくりと目を閉じた。
今日は一日、とても楽しかった。
あの後、牧場ではカミラや双子達と合流し、色々なものを見て回った。アダムおすすめのアイスは絶品だったし、普段なかなかお目にかかれない動物達はとても愛らしかった。
ふれあいコーナーでの出来事は忘れられない。ハワードが動物達から異様に懐かれ過ぎて、危うく帰れなくなるところだった。飼育されているウサギや羊までだったら笑って見ていられたが、どこから来たのか珍しい野鳥や野生のリス、しまいには鹿まで集まってきた時は、みんな唖然として言葉が出てこなかった。
ハワードは少し恥ずかしそうに「昔からこうなんだ」と言っていたが、某ネズミ王国のプリンセスに匹敵する素質だ。あとは歌って踊れればといったところか。
思い出したら、唇からクスリと笑みがこぼれた。
「なんだか楽しそうね。いい事でもあった?」
隣に座るカミラが笑いながら問いかける。
「別に。ただ今日のふれあい広場のことを思い出してしまっただけですわ。」
「ああ、ハワードの……本当にすごかったわね。彼のこと、人たらしだとは思ってたけど、まさか動物まで守備範囲とは驚きだわ。」
「ディ◯ニープリンセスも顔負けよね。」
「ディズ……なんですって?」
「なんでもない、こちらの話ですわ。あらやだ、ハワードったらまた人をたらし込んで。アダムくんとリュカくんにもう懐かれてるじゃない。」
年下には特に強いから。そう加えると、クラリスは彼らの方に視線を投げた。先程までカミラにべったりだったアダムとリュカが、今はハワードにくっついている。星座でも教えてもらっているのだろうか、ハワードが空を指差しながら何かを喋り、双子が興味深そうにそれを聞いていた。芝生の上に座り込み和気あいあいと話す彼らは、はたから見るとまるで兄弟だ。微笑ましい光景に口元をゆるめた、その時。
「あっ!始まった!」
急にアダムが空を指差して声を上げた。釣られて見上げると、星屑のひとつが一筋の軌跡を描いて彼方に消えていった。
「まあ、流れ星…」
昨日ハワードが言っていた流星群だ。皆、これを目当てにわざわざ中庭に出てきていたのだ。
クラリスは思わず立ち上がった。正直、さほど興味はなかったのだが、いざ本物を見てしまうと、もっと見たいと欲が出てしまう。よりよく眺められる場所へと、それまでいた庭の隅のテラス席から中庭の真ん中までそそくさと移動する。
先程の星を皮切りに、それまで燻っていた星々が弾かれたように夜空を駆け出す。互いに競い合うように宙を滑る彼らは、数多の流星痕をクラリス達の頭上に残し、晩夏の夜空を煌びやかに彩っていた。
「すごく、綺麗…」
月並みだが的確な賛辞が口からこぼれる。
クラリスは星降りやまぬ夜空に見とれ、首や足が疲れるのも忘れてその場に立ち尽くした。
カサリと芝を踏む足音に視線を向ければ、いつのまにかカミラが隣に来ていたらしい。どうやら彼女も星空に釘付けのようで、こんなにそばにいるというのに言葉ひとつ交わさないまま、静かに空を見上ていた。
綺羅星が映り込んだ彼女の瞳はまさにアメジストそのものだ。クラリスが頭上に広がる濃紺の宇宙から、すぐ隣にある紫の小銀河に視線を移した。
「ヘレンから何か言われたかしら?」
「ふぇ?」
不意にカミラから問いかけられ、思わず変な声が出た。
「昼間のことよ。私とハワードが乗馬している間、貴女のところにヘレンが来たでしょう?」
「ああ……ええ、まあそうですわね。」
「彼女のことだから、おおかたこれからもわたくしと仲良くしてやってくれとでも頼まれたのではなくて?」
的確な推理に目を丸くする。驚いて声が出ない様子を肯定と受け取ったらしい。カミラは少し苦い顔をして笑った。
「……やっぱりね。ヘレンったら、本当にお節介なんだから。……あいにくわたくし、貴女なんかに面倒を見ていただくほど落ちぶれていなくってよ。」
最近はなりを潜めつつあったお得意の嫌味がここに来てひょこりと顔を出す。クラリスは顔を顰めると、面倒臭そうに返事をした。
「はいはい、分かってますわよ。ほーんと、可愛くないですわ!」
「お分かりでしたらよろしいわ。……でも」
急に口籠るカミラを、クラリスは怪訝な顔で見つめる。
「……でも、貴女に感謝しているのも事実ね。不本意ですけど。」
カミラが少し悔しそうな顔で言い捨てる。思いがけない言葉に、クラリスは再び目を丸くした。カミラの顔はより苦々しくなったが、それでもそのまま喋り続けた。
「まあ、きっかけは最低でしたわよ?貴女ったら喧嘩を売ってくるわ脅しをかけてくるわで、わたくし本当に頭が痛かったんですから。」
食堂事件と遠足の誘いの時か。確かにあの時はカミラを随分困らせたものだろう。
「でも、不思議ね。不本意ながら貴女に関わったはずなのに、蓋を開けてみたら意外と苦じゃなかったのよね。遠足から始まってテスト勉強も夏休みも、去年のとは全く違って…貴女とハワードと何気なく集まって、たわいない話をして……わたくしはそんなこと今まで誰ともしたことがなかったから正直戸惑うこともあったけど、でも嫌じゃなかったの。むしろこの目まぐるしい毎日が楽しくさえあったわ。……ええ、そうね。毎日楽しかった。夜には明日が待ち遠しくなるほど。」
いつのまにか険しい顔は消えていた。
カミラは空を見上げながら、ただ淡々と話し続けた。その様子はどこか自分に言い聞かせているようだった。
不意にカミラがこちらを見た。銀河の残光で二つのアメジストがきらりと瞬く。吸い込まれそうな視線に瞬きを返していると、カミラはふっと笑った。
一瞬、時が止まったかと思った。
それが彼女らしくない言葉だったからだ。でも、だからこそ、たった一言でもクラリスの心に響いたのだろう。
「あなたのおかげで、私は少し変われた気がするわ。……ありがとう、クラリス。」
遠くでアダム達のはしゃぐ声が聞こえる。空の彼方で流れ星がこれでもかというほど落ちていく。きっと、今が今夜の最高潮なのだろう。満天の星空は、もはやランタンの光を必要としないほど眩しく輝いていた。
皆が天上に釘付けになる中で、クラリスとカミラの二人だけは空を見上げず互いの目を見つめあっていた。
クラリスはしばしの間呆然としていたが、やがてふふっと笑うと、少し意地悪そうに口元に弧を描いた。
「まさかあなたにお礼を言われるなんで…明日は月でも降るのかしら?」
「なっ…!!あなたねえ…人がせっかく…」
「嘘でしてよ。……こちらこそ私と一緒にいてくれてありがとう、カミラ。これからもよしくね。」
視線を空へ戻し、なんでもないことのように伝える。カミラはしばしの間むっとしたようにこちらを見つめていたが、やがて肩をすくめて星空の方に向き直った。
「まったく、貴女だって大概可愛くないわ。」
「あらやだ、カミラに似てきちゃったのかしら。」
「…そういうところですわよ。」
憎まれ口を叩きながらも、その顔には笑顔が浮かんでいる。
なんでもない日常のはずなのにこれ以上なく輝いて見えるのは、きっと馬鹿みたいに降り注ぐ流れ星のせいだろう。
肌寒い夜風はもう秋のそのものだ。クラリスはきらめく星々を見上げながら、人知れず静かに微笑んだ。最高潮から少し数を落とした流星群は、それでもなおクラリスの頭上を明るく照らし出していた。 それは夏の終わり締め括るにはこれ以上ない美しさだった。
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