異世界オメガ

さこ

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21 名誉アルファ

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 来客に一瞬面倒そうな顔をした館長だが、相手を確認すると満面の笑顔を作った。

「惠崎女史じゃないですか。どしたんです? 秘書課さんはウチよか忙しいでしょ」
 いかにもサーファーっぽい頼もしげで快活な笑顔。
 館長、外面は良いのだ。

「はい、多忙ですね」 惠崎もニコリと笑った。「ですがそれはお互い様です。今回は皆様も、お疲れ様でした」 室内の職員に向かい丁寧なお辞儀をしてから再び館長に向き直る。「取り急ぎ、見逃せない案件が発生しましたので寄らせて頂きました」

 終業時間も過ぎてるのに珍しい来客だ。
 指が痛いな……ふ、と目を向けると手が無意識に白衣の袖を握りしめていて、隼百は半笑いになる。

 なんだろ。オレはひとりで心細かったらしい。別に味方が現れたわけじゃないのに今ちょっと安心してる。
 そんで、これを被って隠れてればぜんぶ終わる──って服なんぞにすがってた自分がおかしい。

「丁度良かった。うちからもご相談があるんですよ。損害が出た場合の補填についてお伺いしたい」
 館長の台詞に惠崎さんは気球のネイルを頬に当て、小首を傾げる。
「水族館の運営は水族館の管轄ですから役所からの援助は得られませんが」
「それがですね、異世界人のミスで水槽が全滅したんですよ。高価な魚もいたんですがねえ」
「まあ……お気の毒に」 惠崎は項垂れる学芸員を痛ましげな眼差しで労ってから館長に向き直る。「ご報告は頂けましたか?」
「これからです。忙しくて報告どころでは有りませんでしたからな。まあ予定外の仕事が入ったお陰なんですが」
「御流れになった式典の件ですね。その節は申し訳ございませんでした。あの人の気紛れにも困ったものですわ。……こうなる事がわかり切っていたのに」
「あの人?」 館長の鼻に皺が寄る。「失礼ですが、役場の秘書さんが天上の存在であるアルファを身内のように話すのはどうかと……」
「あら。地方の役員ごときが失礼でしたわね。散々振り回されましたので、つい口が滑りましたわ。ふふ」
「ああ。お察ししますよ、女史の気持ちは。アルファとはとかく自分勝手なものですからなあ。私の家系からはアルファが多く輩出されてるんですがね。いやはやいずれも豪傑ばかりで周囲は大変だったようで。逸話は数多く残っております」
「まあ、面白そう」

 ふたりで顔を見合わせて笑い合っているが、あまり和やかに見えない。

「私はアルファ家系の出ですから彼らの気性についてはよくわかっております。アルファを制御しようなど、どだい無理な話なんですわ。人知が及ばない事象ですからわば天災と言える。ですがね、水族館の損害は人災です。新しい魚を購入する資金を工面するよう、女史から上に提案して頂けませんかね?」
「……私から、ですか?」
「ええ。こう言っちゃなんですが、この異世界人は上層部が扱いに困ってうちに無理にねじ込んできた厄介者です。きっと予算も通ると思いますよ。地元の有力者には恩を売っとくもんですしな」
「あら。藤崎さんは館長さん自身が請われたのだと伺いましたが」
 惠崎の指摘に館長は我が意を得たとばかりに大袈裟に頭を振る。
「騙されたんですよ。誰が想像すると思います? 異世界人なのにまさかアルファじゃないだなんて。アルファを誘惑してくれるオメガでもない。彼は政府の意向で行われた召喚事業の失敗の結果です。うちは上が扱いに困った人材を預かって尻拭いをしている。彼の失敗の補填を行政が行うのは当然でしょう。ただでさえ、市が思いつきで発案した水族館を任された私は気苦労が絶えませんのでね」
「望んで今の仕事に就かれたんじゃないのですか? 館長さんはお魚好きではありませんの?」
「いえいえ、そちらでも私は騙されたようなもんでしてね。もっと華やかなもんを期待していたんですが……こんなパッとしない施設だとはね」

 ──困った。さっきから、館長が言葉を繋ぐ度に表情が険しくなっていく人がいる。隼百は傍らの人物に囁く。
「志知さん、落ち着こう」

「高価な魚なんて、元々うちにはりません」
 けど逆に依怙地にさせてしまった。じいさんはちょっと、猪突猛進というか、まっすぐ過ぎじゃないかな。今度は親の敵みたいに館長を睨んでる。

「……はあ?」
「余計な予算なんて、いりませんです。全部うちの館長に使い込まれるだけですんで。この事務所見りゃわかるでしょ」
「てめえ何寝言ほざいてやがる」
「了解しました」
 と惠崎が頷く。
「……? 何を了解したって」

「実は先程から聞かせて頂いておりましたが、本人に言う気が無いようなので僭越ながら私からご報告をさせて頂きます」 惠崎さんは姿勢を正す。……先程っていつから。「異世界人の彼の責任って主張はいくら何でも無茶ですよ。午前中に藤崎さんを誘い出し、鍵を掛けて閉じ込めた者がいます。彼の一日の不在はその為ですから」

「……ああ?」 館長の顔つきが変わる。「じゃあ何か? そこの男は鍵かけられて降りられなかったから仕事が出来ませんでした、って言い訳の為にアンタを連れてきたのか? ……なるほど、やっぱり異世界人ってのは優遇されてんな。ちょっとした弁護に権力を使いやがる」

「いいえ」 館長の豹変に惠崎は動じない。「これは弁護ではなく追及です。彼は日陰の少ない別館の屋上、炎天下の下で長時間放置された。下手すれば藤崎さんは死んでいたかもしれないんです。故意ならば刑事事件に相当します」

 息をのむ音。

「大袈裟な」 館長は忌々しげに言う。「ピンピンしてるじゃねえか。鈍くせえ。こいつは半日もサボって楽してたってだけの話だろ」
「……あんなとこじゃ水も飲めないだろがよ」 志知が顔を青くしている。「そんな大変だったのにおらぁ、お前を責めて」
「えっと、いや水はありましたよ」 土下座しかねない気配に慌てる隼百。「洗濯機ですけど」
「はっ!? 洗濯機の水を飲んだのか? はっはは、すげえ、卑しすぎるだろ! はっ、はひはっ!」
 引きつけを起こしたように笑う館長に追従して笑う者はひとりもいない。
「はははっ、おいハズレ、洗濯機も壊したんじゃないか? 何にも出来ないけどぶち壊すのだけは上手いもんな……」 と、不自然に言葉を止める。ようやく周囲から送られる視線の種類に気がついた。もごもごと言葉を濁す。「急用を思い出した」

「え?」
 帰ろうとする気配に惠崎が咄嗟に出口を塞ぐ。
 すると館長は逆側の扉を開けて出て行った。

 ぽかんと見つめてしまう。そちら側は水族館の中に繋がっていて、出口ではない。

「ちょっとやだ、館内突っ切って逃げるの?」 最初に我に返った惠崎が追いかける。……隼百も一緒に。腕を捕まれ引っぱられたからだ。「待って。待ちなさい!」
 待たないよな。
 閉館して証明の落とされた水族館の中、立ち止まらず足早に歩く後ろ姿。
「俺は忙しいんだ。暇人が羨ましいな」
 最後に目が合った隼百をぎろりと睨んでから、意外な素早さで遠ざかって行く。

「もー……」 諦めて立ち止まる惠崎。「入り口ってシャッター閉まってるよね。どうせ行き止まりじゃん」
「いいや。内側から開けられるし非常口もあるしマスターキー持ってっから」
 はーと溜息ついたのは背後から。志知もついてきてた。
「詰めが甘かったかな……」 惠崎は爪を噛んで悔しそう。どこまで追い詰める気だったんだ。隼百としてはもう充分だ。「まあ、逃がしてやったんだからこれに懲りて大人しくしてくれれば……って無理か、あの坊ちゃんじゃ」
「惠崎さんは館長の事をよく知ってるんですね」
「知り合いじゃ無いわ。けど有名なのよあの坊ちゃん。過去数々の悪行を揉み消してきた元アルファだから」
「元アルファ……?」

 ふっと暗闇に明かりが灯った。志知が電灯を点けたらしい。空っぽの水槽に目が吸い寄せられる。

「その辺は藤崎さんは知らないか。坊ちゃん、昔はアルファ様って呼ばれて散々持て囃されてたんだよね。敵が居ないから非道くてさ。地元じゃ泣かされた子が多かったから間接的に知ってる。そいつが今や水族館の館長とかお洒落狙ってて笑うわ。捻くれた大人って直らないから厄介よねえ? って……藤崎さん?」
「あっ。はい、え? アルファからベータに変わる事ってあるんですね?」
「まっさか」 惠崎は軽く笑って肩を竦める。「人の性別は一生変わんないよ」
「……じゃ、どういう?」
 館長はアルファじゃない。
 この世界には詳しくないけど、それは確信を持って言える。
 ライキ君や、室長、アルファの仲嶋さん。隼百が出逢ったのはたかだか数人のアルファだけれど、彼らはそれぞれ個性はあれど、本質の部分は同じだった。
 ──って表現もちょっと違うか。
 表に出てる貌の下……心臓の内側とでも言うか。そういう個性以前、人格の奥底に流れてるモノが彼らは共通してる。
 あれがアルファなら館長は別物だ。

 館長がアルファと言い張っても速攻バレるんじゃ……?
 わけがわからなくて眉を下げて戸惑う様子をじっと見ていた惠崎がスッと手を伸ばしてその頭を撫でる。
「!?」

「肩書きだけアルファって意味だよ。本物のアルファじゃないのは周囲も承知してるけど暗黙の了解で指摘しない、っていう、今考えると変なルールが昔はあったの。名誉アルファとも呼ぶね」 解説をしてくれつつ、ちょっとしまったって顔しながら手を引っ込める惠崎。「召喚事業が始まる前はアルファもオメガも絶滅しかけてたって話は知ってるよね? 昔は──ほんの最近までは、世界中からアルファがいなくなっちゃって、ベータがトップを張るしかなかった。だからリーダー達は自分はアルファだって言い張ってた。人々を纏め上げるのはアルファじゃなきゃなんないって概念があったから」

 この世界はそういう思考が存在するのか。

「要はあの坊ちゃんはサメじゃなく、サメのおこぼれを貰うコバンザメってこった」 と志知が捕捉する。「いやピラニアに擬態するコロソマっつった方がいいか? ……そこまで可愛かねえやな」
「魚に喩えられてもさっぱりです」 と隼百。「惠崎さん、なんでオレの頭撫でたんです?」
「んー。知り合いに似てる?」
「疑問形?」
「やせ我慢ばっかしてないでもうちょっと頼りなさい。人に頼れる人間の方が強いんだよ?」
 説教に苦笑。
「頼りにしてますよ」
「どうだか。……気が付いた? 私、藤崎さんが置き去りにされた現場が屋上だって教えてないのにあの坊ちゃん、降りられなかった・・・・・・・・って言ったのよ。犯人確定だよ」
「……」
「証拠があるなら捕まえられんのか?」
 そう志知が聞いて、
「それだけじゃ弱いと思う。だから追及しようとしたら逃げられたし」
 惠崎が答えると館内に重苦しい沈黙が落ちる。

「どうして」 零れた隼百の声は思ってたよりも大きく響いた。「……あの人に目の敵にされる覚えはないんだけどな」
「や、異世界人の君は存在するだけで標的になるよ」
「?」
「坊ちゃんは世が世ならこんな田舎のしょっぼい水族館で館長して辛うじて名目保つんじゃなく、首都でお大臣してたかもしれない人なの。でも彼は『本物』の台頭で家ごと落ちぶれた」
「……異世界召喚のせいですか?」
「うん。でも勘違いしないでね。アルファ不在の間、政界や社会を支えてきたのは紛れもなくアルファを名乗ってたベータ達だし、名誉アルファなんて呼ばれても強かな人たちはまだ前線で生き残ってる。潰れるのはその程度だったって事」
「……」
「本物のアルファがいなかった頃は自分はアルファの家系だからアルファだって言い張っていられた。それだけの無能は落ちぶれて当然よ。やんちゃしてた過去が帳消しになるわけでも無いんだし」
「……人の事は言えんだろが元ヤンが」
 ぽろっと突っ込んだ志知さんににこりと笑う惠崎。
「おじいさん、オメガ狩りしてたアレとは一緒にしないで」
「すまんかった」
「だから藤崎さん、気をつけなさいね。あの家も未だに地元じゃ勢力強いし、ここじゃ何があっても揉み消される」
「気をつける、ですか?」
「ぽかんとしない。田舎で燻ってるところに来た異世界人の君は良いサンドバッグなのよ。もしかしたら藤崎さんがベータと知ってて雇い入れたのかもしれない」
「え? でも館長はいっつもアルファが欲しかったって言ってますよ?」
「坊ちゃん如きにアルファが御せるわけないじゃない。オメガは虐めればアルファの報復が怖いし。だから異世界でベータの君なのよ。いたぶる為だけに手元に呼んだのかもって思うの。彼が危ないのはわかるでしょ。人を殺しかねない」
「だいじょうぶですよ」
 笑い飛ばしてから思い出す。

 すでに一度殺されかけてるんだったな。

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