異世界オメガ

さこ

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29 狂信者

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 元館長の顔は怒りで真っ赤だ。やはり隼百の下手な反撃のせいで逆上させてしまったのだ。

 と思ったが、その視線は隼百を向いていなかった。
 さっきから、彼がひたすら熱っぽく見つめているのはトルマリンなのだ。アルファのトルマリン。

 だけど見られている当の本人は元館長に背を向けたまま隼百に話し掛ける。
「君は俺に敬語を使わない方が良いね」
「あ?」
 突然何を言い出すのか。ぽかんとする隼百にトルマリンは麗しく笑いかける。

 あれだけ絶叫した元館長を、ガン無視。

「隼百君だってタメ口の方が楽なんじゃないかな。随分と言葉遣いが揺らいでいるようだし?」
「遠慮します。敬語は敬ってるんじゃなくて心の距離です」
「なら距離が縮まっているようで嬉しいよ」
「……」
 隼百はじとりと目を細める。なに寝言をほざいてんだか。露骨すぎるんだけど。
 いちいちこの場にいるもうひとりに見せつけるようなこの態度。見れば元館長の顔は怒りを通り越して蒼白だ。

 思い返せばトルマリンは最初から徹底して館長を視界に入れていない。これ、オレに対処しろって意味だよな。まあ……軽く溜息。館長、面倒くさいもんな。わかるよ。
 客観的には面倒くさいというレベルではないのだが、隼百は特に気負わず元館長に向き直る。

 けど不意に目の前に腕が降りて視線の先を塞がれた。

「トルマリン?」
「聞こえてるかな。今の隼百君はより危険な状態だ。どういうわけかこの子は不測の事態に陥りやすい」 と、皮肉な笑み。「知ってるだろう? 俺は本来、守るのは得意じゃない」
「? ……聞こえてますけど」
 加勢してくれる気があるのか無いのか、味方なのか敵なのかよくわからないアルファは薄く笑ったまま。
「折角お膳立てしてやっているのに中々出てこない。いい加減、利用され続けるのも業腹でね。潔く引き取りに来いって言ってるんだ」

 ここでようやく隼百は理解した。──トルマリンはオレに話しかけてるんじゃない。

「……あんた誰と会話してるんですか」
 どうやら誰かが来るのを待っている。
 脈絡も無く終わった会話を思い出した。ヒーローはトルマリンじゃない? なら誰だよ。ぞわぞわする。
「気になるかい?」
「ならない」
「うん?」
「気にならない。オレには関係ない」
 隼百の強い口調にトルマリンが眉を上げる。
「珍しいね。君が感情的になるのも、拒絶するのも」
「……珍しくはないですよ」
「だって君、いつも何かにつけて達観してるじゃないか」
「気のせいです。迷ってばかりなんで」
「あはは。迷ってる? 普通、異世界に来てそんな簡単に一般人に溶け込まないものなんだけど」
「それだけオレが平凡なんです」
「でもないよね。少なくとも余命幾何かっていう特殊な事情を抱えているじゃないか。君は異質なのに埋没してる。周囲に合わせるのが上手いのかな」
 隼百は会話に集中できない。わかんない。さっきからどうしてこう、気が散るんだろう。ぞわぞわ、ぞくぞく、そわそわする。
「なあ、それよりここから離れたいんだけど」
「……うん。どうしてかな?」
「どうもこうも、地下駐車場とか落ち着かないんで」 地下は嫌だ。逃げ場が無い。トルマリンは興味深げな顔で黙ったまま何も言わなくなってしまったので隼百は必死に言葉を重ねる。「あんた此処が敵地だって言ったよな。じゃまず他のところに行きましょうよ。オレ、もう、かえ……」
 咳き込む。咳き込んで、情けない台詞が零れそうになったのを誤魔化した。

 ──帰りたい。

 この世界に来て初めてそれを口に出しそうになって、涙が零れそうになって隼百は密かに焦る。ほんと、嫌だ情緒不安定だ。

「……成る程ね」 トルマリンは納得したように呟く。「お互いが避けているんじゃ、いくら運命でも出逢わないよな」
「は?」
 台詞の意味を問おうとした時、裏返った声が響いた。

「こっちを見ろおお!」

「あ、館長」
「聞けよ! 無視するなってんだろ!?」
「すごくビクッとしたけどもしかして隼百君、また忘れてたのかな?」
「忘れてないです。ちょっと意識から外れてただけで」
「……や、それを忘れてたって言うんだけどね。君は本当、豪胆なんだか注意力足りてないんだか」
「つ、強い人が側にいるからつい安心して気が緩んだんです」
「よく言うよねえ。君、俺の助力なんて露ほども期待してないだろう?」
「それはそうでしょ」
「ちょっと待って否定して。少しは他人を頼ろうよ。俺、一応君を助けてるからね? さっきそいつに殴られた時も痛みは無かったでしょ」
「記憶にないです」
「あのね流石に目の前で危害加えさせないって。あれ目眩ましだから。体調悪いのは元々の君の病気のせい」
「あー?」

「ハズレごときがアルファと親しげに喋んじゃねえ!」
 絶叫にびくっとした。でも、向けられた悪意のおかげで隼百はちょっと落ち着く。うん、こっちの問題のが先だ。

「って館長、怒るポイントそこですか?」
「うるせえ! 館長館長もう館長じゃねえ! 全部全部全部ハズレのせいだろが!」
「はあ。オレ、何かやらかしましたか」
「しらばっくれんな! てめえがあること無いこと吹き込んだんだろが! ちょっと召喚のコネで上に繋がりがあるからって卑怯者が……ああくっそ妙な幻覚見せやがって」
 子供の駄々かな。
 どうも元館長の頭の中では隼百は悪辣な人間になっているらしい。けど勿論告げ口した覚えはない。
 不思議だ。
 ぼんやりと考える。この人は自らの間違いを認められない。全てを隼百のせいにして自尊心を守っている。その、頑なさが不思議だ。自分は完璧じゃなきゃいけないって思い込んでいる。まるで呪縛のような思い。人間は間違えるのが当たり前だって教わらなかったのか?
 そこまで考えて気がつく。ああ……教わらなかったのか。名誉アルファという単語を思い出す。この世界の歪み。
 なら──彼は歪みの結果だ。ほんの少しだけ彼の生い立ちに思いを馳せる。
「幻覚ってどんなのです?」
 共感は出来ないけれど。
 殺されかけておいて尚、隼百の態度は普段と変わらない。飄々としたそれが余計に相手の怒りを増幅させてる自覚はあるのだけれど、仕方ない。隼百には負のエネルギーに付き合う体力が無いのだ。
 元館長が叫ぶ。
「ハズレのベータがアルファにちやほやされるなんて幻覚でしかないだろ!」

 はい?

「ちやほやされた覚えはないですよ」
「してるってば」
 と、隼百を後ろから引き寄せて腰を抱く腕がある。
「うん? ごめん、オレよろけました?」
「いいや。でもここは支えないと」
 くすり、と笑うトルマリン。
「老人扱いかよ」
「お姫さま扱いだって」
「あ?」
 疑問符飛ばしてる隼百と、それを視界に入れたくないと首を振る男。
「あああありえねえ! ありえない! アルファはベータを見下してないと駄目なんだ! アルファは民に君臨し、孤高の存在でなきゃいけない! アルファにとってベータなんて虫だ」
「虫って」
「は、お前何も知らないんだなアルファは神だ。神だからベータを個別認識なんかしないんだよ。じゃなきゃ俺が無視され続けた理由がなくなるだろが母様……ああ絶対あっちゃいけねぇんだ。わかった……アルファはここには居ない。アレは偽物だ、ねえ、ひっ、ひい」 元館長はトルマリンと目が合っただけなのに小さく悲鳴を上げる。「おおおかしいじゃないか……ああ、最初から間違ってんだ……俺、俺は本当はアルファなんだ俺は」
 トルマリンからの視線を避けるように俯いて、それでも言い足りないのかブツブツ独り言を呟きはじめる。

「……馬鹿が」

 低い声はトルマリンで、軽蔑しきった眼差しを元館長に向けている。
 隼百は溜息ついて、ぺしぺしと腰を抱く腕を叩いた。腕の主は煩そうに隼百を見る。
「何?」 
「ちょっと落ち着こうか」
「俺は落ち着いてるけど?」
「いや館長の口車に乗って虫けら見る目してるじゃん。大丈夫だよ。あんたは神じゃなくて、ただの人」
 隼百の台詞にトルマリンは毒気を抜かれた顔。すぐにプッ、と噴き出したからイラッとする。
 そもそもなんで腰を抱かれてるのか。笑い上戸が笑ってる内に腕をほどいて急いで離れる。手の届かない位置まで逃げた隼百に、
「見当違いのフォローありがとうね」
 とトルマリン。
「うん?」
 意外に優しい声で言うから顔を見た。
「俺が怒ったのは、そいつがベータを軽く見るからだよ」 アルファがそんな台詞を吐く。「……ベータってだけで見下したらうちの子まで見下すことになるでしょ」
「ああ」
「ピンときてない顔してるね」
「わからないですよ。俺にはアルファとかベータ自体が謎なんで」
 トルマリンが目を細める。
「……ああ、君はそういう風になりたかったからバースのない異世界に転生したんだね」
「へ?」
「こっちの話。にしても隼百君はやばい人に執着される性質でも持ってるのかな?」
「自己紹介でもしてます?」
「悪いけど俺は君に執着してない」
 隼百はトルマリンを見る。
 確かに。
「そうだな。トルマリンっていつもオレを通り越して誰かを見てるもんな」
「……何?」
「あんたの執着はその人に対してかなあと」

 それは誰だ?

 聞こうとして、止めた。聞きたくない。隼百の台詞にトルマリンはもの凄く嫌な顔をする。
「眼が良いのも大概だよ人聞きの悪い。俺が奴に持ってる感情は執着じゃない。私怨だから。仕返しの機会を狙ってるだけ」
「私怨」
「まァ結局、真逆な事をさせられてるんだけどね」
「さっきから一体何の話を」

「ぎう」
 蛙の断末魔のような声がした。
「……え?」

 まず隼百の頭に浮かんだのは何で時間が戻った? って疑問だった。

 それからちょっと冷静になって周りを見る。時間は戻ってない。
 けど元館長が昏倒してる。
 位置は車のトランクの前。瞬間移動したように見える。
 地べたに胎児の姿勢でひくひくと痙攣してる姿はついさっき見たのと同じ光景だ。隼百はもうトランクの中に居ないから別の角度から見ているけれど。
 あの時と同じ体勢。同じ呻き──まるきり再現を見せられてるよう。
 館長だけが巻き戻った?

 目眩がする。
 記憶と現在、重ねられた光景にくらくらして、夢を見てるのかと錯覚させられる。ひとつだけ、間違い探しみたいに元館長の傍にはさっきは存在しなかった物が落ちている。

 静かな声がかけられる。
「君はもう少し学習した方が良いね」
 トルマリンが元館長の傍まで歩いていく。彼と向き合うかと思えば素通りして彼の側に落ちたさっきは無かった物──刃物を拾って戻ってきた。
「それ、は」
 包丁より刀身が長く、殺傷力の高そうな銀色に固まる隼百の目を見つめ薄く笑う。

「殺意が高い人間ってのはよく口が回って五月蠅い時の方が安全なんだよね。本当に獲物を仕留める時は予告なんてしないし、無言だ。狩りの鉄則を知ってるからね」

「……狩りって」
「次からは注意しようか」
 どうやら隼百は元館長の不意打ちで刺されるところだったらしい。
「……助けてくれて、ありがとう、ございます」

 礼を言いながらも釈然としない隼百だ。まだ子供扱いされてるし。
 けど学習能力を指摘されたら反論の余地が無くて、猛烈に恥ずかしくなってきた。同じ人物から二度も騙し討ちに遭うなんて。
 それにしたってトルマリンは容赦無い。またその急所を狙うのは流石に可哀想じゃないか? とつい考えてしまう。男として。

「礼には及ばないよ。反撃したのは俺じゃない。隼百君自身だからね」

「は?」



──────────────────
次回は「巻き戻り」

12/30冬コミ参加します(東ナ45a)。新刊は仲嶋君のこどもたち+αです。オメガとアルファとベータの兄弟がわちゃわちゃする話です。冬コミ行かれる方はお立ち寄りくださると有り難く誰か来てええええ
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