【R18】恋に落ちたとき

櫻屋かんな

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第一章 彼女からみた彼の話

その3

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 たまたま目の前を歩く男性に目がいってそのまま観察しながら会社までいくって、人に胸張って言えることじゃないよね。少し冷静になったほうがいい。
 良い機会だと自分の行動を反省したはずなのに、それでも彼から視線を外すことが出来なかった。
 今までうつむき加減の顔が上がり、肩から上がまた見える。
 女性は急いでいたようで、すっと彼の横を通りぬけ去っていった。またあらわになる全身像。

 傘、持っていない……?

 てっきり傘をさすのだと思っていたのに、彼の手にはそれはなかった。右手でカバンを持っているだけ。相変わらずのゆったりとした歩き方。
 なにをしていたのかな? と疑問に思うけれど、もちろん答えが出るわけも無い。私は気が付けばさっきよりも真剣に、彼の後姿を見つめていた。冷静になろうって、数秒前に決めたはずなのに。
 でも冷静でなくなっているのは、多分焦りがあるせい。私の勤務先まで、あともう少しと近づいていた。
 ───そして彼とはそこで別れてしまう。

 二カ所目の信号を渡ったのをきっかけに、視線を斜め左に向ける。あと数十メートルしたら、私はあそこにそびえるビルの一つに入ってゆく。

 うん。まあでもね。
 カバンの謎は残したままだったけれど、彼のおかげで憂鬱な出勤が充実したものに変わっていった。

 またいつか会えるといいなと思い、最後にもう一度凝視する。まるでそれに応えるように、彼がふと横を向いた。

 ふわふわの髪の毛、茶色い縁の眼鏡。そして口からはみ出ている、あれは白い、棒?
 なんだか良く分からなくて、目を大きく見開いて見つめてしまった。タバコなんかよりももっと細い、あれは、……棒付きキャンディーだ!

 雨が降ってきたのを知って、思い出したようにカバンをあさって、そして取り出したのは棒付きキャンディー。

「雨と飴。って、こと?」

 無意識のうちにつぶやいて、すぐにはっとして恥ずかしさからうつむいた。

 雨が降ってきたから傘をさす。ではなくて、雨で飴がカバンにあったことを思い出し、食べてしまう。
 確かにそのほうが、あのマイペースな歩き方をする彼にはよっぽどふさわしい。

 いやでもそもそもなんで、カバンにそんなものあるの?
 いい年した社会人男性が朝から棒付きキャンディー舐めて出勤って、果たしてどうなの? 

 いっぱい突っ込みたいことがあって、思わず笑いそうになって、……でも笑うことが出来なかった。
 ダメだ。このセンス、別の意味でツボすぎる。
 心臓がどきどきと早くなっていた。それどころか、彼の姿に心臓がきゅっと縮むような衝動が起こっている。

 どうしよう。私、あの人のこと好きになってしまった。

 まだ後姿と横顔しか見ていないのに、声も聞いていないのに、どんな人だかなにも分かっていないのに、この瞬間、恋におちてしまった。

 これが私の運命のとき。
 人はこんなにも簡単にたやすく恋におちてしまうものなんだって、身をもって知った朝。
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