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第二章 竜騎兵団の見習い
第六話 怒り狂った紫竜
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「お前は本当に悪い奴だな」
騎兵団長ウラノスは、正式にレネがこの竜騎兵団の魔術の教師を勤めるという返事を受け取った。
団長室にその返事を携えてやってきたレネは、非常に不機嫌そうだった。
それはそうだろう。
彼にはそんなつもりはなかったのに、結局そうせざるを得ない状況に追いやったのだ。
レネの雇い主であるマルグリッド妃にも早々に遣いを出してレネを雇うことの許可を取りつけ、そしてレネに教師を引き受けて欲しいと頭を下げた時にはすでに、レネが魔術の教師の仕事を引き受けた旨の噂を竜騎兵団内にバラまいていた。
全部、目の前の副騎兵団長エイベルがやったことだった。
副騎兵団長エイベルは、レネと結ばれた雇用契約書に見落としがないか細かくチェックしながら答える。
「魔術の教師がいなくなると、我々が非常に困るのは確かでしょう。レネ先生がいらして下さって本当に良かったです。ニムルス先生は本当に、彼が来てくれたから安心してお倒れになられたのだと思いますよ」
「……………」
ウラノスは鼻先でその言葉を笑った。
「だが、レネ先生は随分とお怒りの様子だ」
「仕方ないですね。お給金はだいぶ弾んで差し上げたつもりです」
「王宮魔術師の給金の方がいいぞ」
「アレは別格です。ウチにはそこまでの余裕はありません」
そう副騎兵団長エイベルは、花のような微笑みを浮かべて言った。
「とりあえず二年間の契約だと言い張っていたな」
「はい。それは仕方ありません。マルグリッド妃殿下ともそのような契約のようですから。それに契約更新は可能です」
副騎兵団長エイベルは契約書に不備がないことを確認した後、契約書を封筒に入れ、さらにその封筒を金庫の中に仕舞った。
「とりあえずは二年間、先生を確保したということでよしとしましょう」
アルバート王子がこの竜騎兵団の拠点にやって来た翌日の昼、王子はいよいよ見習い竜騎兵達と合流することになった。
今年春に孵化した竜の卵は三つ。アルバート王子を入れると四人の見習い竜騎兵と、四頭の子竜達がいることになる。
昨年春には五つの卵が孵化している(昨年にアルバート王子の紫竜の卵は孵化している)。
その当時九歳であった王子は、それから一年間王宮で紫竜を養育し、その翌年である今年の春、再び竜騎兵団へやって来たのだ。
そしていよいよ同期となる見習い達と対面したのだ。見習い達のいる部屋に入った途端、アルバート王子と護衛のバンナムは立ち尽くしていた。
部屋の中で、子竜達は生まれたてホヤホヤの状態で、ピーピーと鳴いている。アルバート王子とそう年齢の変わらない竜騎兵の少年達が大慌てで生肉をその口にひっきりなしに突っ込んでいた。
そう、突っ込んでいるのである。
子竜はその生肉を噛むこともなく、ゴクリとそのまま飲み込むとまたピーピーと鳴き叫ぶ。
餌をくれ、餌をくれ、餌をくれと頭が痛くなるほど鳴き続けている。
それにまた、少年達は血の滴るような生肉の切れ端を、グイグイと口に突っ込むのだ。
まるでどこか戦場のような有様だった。
あまりの状況に、アルバート王子もその胸に斜めに掛けられた布の中にいる紫竜ルーシェも呆然とそれを眺めていた。
三人の見習い達は、王子が来たことにも気づかず、必死にピーピーと翼を揺らして、籠の中で喚き散らす子竜の口に餌をどんどん入れていた。
それに、教師役を務める竜騎兵のインサが、驚いて立ち尽くしているアルバート王子に言った。
「毎年孵化したばかりの竜の世話は、こんな感じです。殿下のところは特別でしたね」
インサは、アルバート王子が王宮で紫竜ルーシェを育てている時、様子を見に来た竜騎兵の若者だった。
インサは、子竜の世話で慌ただしい見習い竜騎兵達を一人ずつ紹介してくれた。
「左からご紹介します。見習いはパルス、子竜はスー。こちら見習いはゼン、子竜はドリアン。そして見習いグリー、子竜はテルミンです。お三方、餌やりで忙しいと思いますが、こちらに注目して下さい。皆さんの同期となるアルバート王子殿下と子竜のルーシェです」
それに、見習いの三人の少年達はグルリとこちらを向いて、一斉に頭を下げた。
「「「宜しくお願いします、殿下」」」
そしてすぐにまた鳴き喚く子竜の口に、肉を突っ込んでいる。
インサは苦笑いしていた。
「朝も食べて、寝て、そして昼に目が覚めて今の状況です。しばらくすればお腹いっぱいになってまた子竜達は寝てしまうでしょう」
「…………大変だな」
「ええ、大変です。一か月もすれば落ち着きますがね。騎兵団長からご説明を受けていると思いますが、殿下は一応このクラスに在籍してもらいますが、殿下が改めて授業で受ける必要がないものも多くあるでしょう」
そう、アルバートが王宮ですでに受けた礼儀作法などの授業は今後改めて受ける必要はない。同様に一部の歴史の授業についても、すでに学んでいるために必要ないだろう。
「その際は、二年組の授業をご参観頂ければと思います」
「わかった」
「それでは早速、二年組の授業にお連れします」
部屋を離れる際も、一年組の三人の見習い竜騎兵の少年達は、餌を小さな竜の口に詰め込むのに懸命で、部屋を退出する王子を見送ることも出来なかった。
(これは落ち着くまでの一カ月間、二年組の授業の参観にほとんどなりそうだ)
そして案内された二年組の見習い竜騎兵達は、まだ寒さも厳しい外の訓練場にいた。
昨年春の孵化から一年が経った子竜達は皆、背中に鞍を載せ、おのおのの主である少年の竜騎兵を乗せられるほどに大きく成長していた。
子竜達は竜騎兵を乗せて飛び立つ訓練をしている。
すでに何度もその訓練はされているのだろう。皆、スムーズに飛び立ち、大きく空を旋回してから地上へと降り立っていた。
昨年春の孵化をした子竜は、ルーシェと同じ年齢のはずであった。
魔法で成竜の姿をとったルーシェよりも若干小さく見える。
まだまだ成長過程にある若い竜なのだろう。
飛び立つ子竜達を見守って監督していた竜騎兵の青年が、インサと王子達を見つけて片手を振った。
「見学ですか」
「ええ」
インサと青年はしばらく話していたが、監督していた青年がジロリと王子を見つめ、その肩から斜めに掛けられている布の中にいるであろうルーシェに向かって言った。
「殿下の竜と同年の子竜達です。宜しければ、殿下もルーシェの背中に乗って飛んでみますか?」
それは、本当に魔法で大きく成長できるのなら、目の前でやって見せてみろという言葉であった。
王子は胸元の布袋の中で、ぬくぬくと丸くなっていた小さな竜に言った。
「ルーシェ、いいかい」
「ピルルル」
分かったというように、ルーシェは布袋から頭を出した後、布袋から飛び出した。
そして飛び出すと同時に、地面にその足を付ける前にグンと大きく成長したのだった。
一瞬で、その身はしなやかな成竜の姿になっていた。
それには、インサと、監督していた青年の竜騎兵も目を瞠っていた。
「……すごいな」
そして、他の竜とは明らかに違う、優美なその竜の姿に目を奪われる。
ガッシリとした肉付きの良い小山のような巨体の青竜や緑竜、赤褐色竜などとは様子が違う。
スラリとした身体付きは、鳥のようでもあり、黒曜石のような黒々とした大きな瞳に、紫色の鱗はその一枚一枚が宝石のような輝きを放っていた。
美しいとは聞いていたが、想像以上に美しい竜であった。
そして紫竜の成長した姿を見て、驚愕していたのは人間達だけではなかった。
その場にいたルーシェと同年である子竜達も呆然と立ち尽くしていたが、それから口々に、歌うように鳴きながら、まっしぐらに紫竜の元へと参じたのだった。
ルーシェを、四頭の竜達は取り囲んで、ピュルルピルルと声を上げて鳴いている。
そして首を動かす。
その様子を見て、ハッとしたようにインサともう一人の竜騎兵は顔を竜達に向けた。
「マズイぞ」
すぐさま見習い達に声をかける。
「早く引き上げさせろ!!」
戸惑いながらも見習い達が慌てて自分の子竜に声をかけるが、子竜達はピュルルピルルと鳴いて言うことを聞かない。
ルーシェの傍らに立つアルバート王子もその場の異様な雰囲気を感じて、ルーシェの首に手を回し、自分の方に引き寄せようとする。
その時、一頭の一番大きな子竜が、やにわに翼を広げたかと思うと、ルーシェの背中にのしかかろうとしたのだ。
それには、ルーシェはカッと目を見開き、「ピルルルルルルル!!!!!」と叫んで激怒した。
彼は飛び上がると、背中にのしかかる子竜を地面に落とし、それから激しく足で何度も何度も執拗に蹴り倒した。
子竜が鳴いて、伏せて許しを得るまで何度も何度も蹴り倒すその様子に、それまでピュルルピルルと甘く鳴いていた他の子竜達もドン引きしていた。
監督を務めていた竜騎兵から、報告を受けた竜騎兵団長ウラノスは声を上げて笑った。
「蹴り倒したか」
「はい」
紫竜によって激しく蹴り倒された子竜に怪我はなかった。だいたい竜の体は頑丈なのである。
ふざけて仲間同士蹴り合うこともよくあることであった。子竜が地面に伏せるのは相手に対する降参を意味する。
それをするまで蹴るとは、よほど腹に据えかねたのだろう。
紫竜は、自分に軽く発情したであろう子竜達に対して怒り狂ったわけである。
春になると、竜達は発情シーズンに入り、雄であれ雌であれ、皆、やたらと求め合う。
主に対しても発情して、人化して主と共に蜜月を過ごす者も多いが、主が相手をしない竜は、竜同士で性交する。
野生の竜の元まで飛んでいく竜もいる。とにかく春はいろいろと乱れる様子が竜の間ではよく見られるのだ。
だが、誕生して一年が経った子竜が発情シーズンに入るには早い。三年目くらいから、発情するものだった。
それが、まだ幼いはずの子竜といえども、美しい紫竜の色香の惑わされたということか。
「成長した紫竜はそれほど魅力的だったのか?」
ウラノスが問いかけると、監督を務めていた竜騎兵は頷いた。
「ええ、あれは本当に特別な竜ですね。子竜達が背中に乗りたがるのも分かります」
竜達の性交は通常、「背中に乗る」形で行われる。雌を下にして、その上に雄がのしかかるのだ。
竜騎兵達が言う「背中に乗りたがっている」という言葉は、竜の発情を意味する。
そして強い竜は、自分よりも弱い竜の背中に乗ることを許されている。
雌であれ、雄であれ、力こそが全てで、ねじ伏せるのだ。
それを考えると、紫竜が自分の背中に乗ろうとした子竜を蹴り飛ばしたことは正しい。
自分が認めたもの以外、背中に乗せることを容易く許してはならない。
そうでなければ、ずっと竜達の間で格下であるとみなされる。
「三年目以上の竜達の前に、紫竜が成竜の姿で現すことはしばらくの間、禁止する。殿下にもそうお伝えしてくれ」
竜騎兵団長ウラノスは言った。
年長の竜達が、紫竜の色香に迷って、争いを始めそうな予感があった。
監督を務めていた竜騎兵も頷き、そして副騎兵団長エイベルは片眉を上げた。
そんな副騎兵団長を見て、ウラノスは言った。
「お前と同じだ、エイベル。色香に迷って、争う雄どもが現れる。そうならないように注意しなくてはならない」
騎兵団長ウラノスは、正式にレネがこの竜騎兵団の魔術の教師を勤めるという返事を受け取った。
団長室にその返事を携えてやってきたレネは、非常に不機嫌そうだった。
それはそうだろう。
彼にはそんなつもりはなかったのに、結局そうせざるを得ない状況に追いやったのだ。
レネの雇い主であるマルグリッド妃にも早々に遣いを出してレネを雇うことの許可を取りつけ、そしてレネに教師を引き受けて欲しいと頭を下げた時にはすでに、レネが魔術の教師の仕事を引き受けた旨の噂を竜騎兵団内にバラまいていた。
全部、目の前の副騎兵団長エイベルがやったことだった。
副騎兵団長エイベルは、レネと結ばれた雇用契約書に見落としがないか細かくチェックしながら答える。
「魔術の教師がいなくなると、我々が非常に困るのは確かでしょう。レネ先生がいらして下さって本当に良かったです。ニムルス先生は本当に、彼が来てくれたから安心してお倒れになられたのだと思いますよ」
「……………」
ウラノスは鼻先でその言葉を笑った。
「だが、レネ先生は随分とお怒りの様子だ」
「仕方ないですね。お給金はだいぶ弾んで差し上げたつもりです」
「王宮魔術師の給金の方がいいぞ」
「アレは別格です。ウチにはそこまでの余裕はありません」
そう副騎兵団長エイベルは、花のような微笑みを浮かべて言った。
「とりあえず二年間の契約だと言い張っていたな」
「はい。それは仕方ありません。マルグリッド妃殿下ともそのような契約のようですから。それに契約更新は可能です」
副騎兵団長エイベルは契約書に不備がないことを確認した後、契約書を封筒に入れ、さらにその封筒を金庫の中に仕舞った。
「とりあえずは二年間、先生を確保したということでよしとしましょう」
アルバート王子がこの竜騎兵団の拠点にやって来た翌日の昼、王子はいよいよ見習い竜騎兵達と合流することになった。
今年春に孵化した竜の卵は三つ。アルバート王子を入れると四人の見習い竜騎兵と、四頭の子竜達がいることになる。
昨年春には五つの卵が孵化している(昨年にアルバート王子の紫竜の卵は孵化している)。
その当時九歳であった王子は、それから一年間王宮で紫竜を養育し、その翌年である今年の春、再び竜騎兵団へやって来たのだ。
そしていよいよ同期となる見習い達と対面したのだ。見習い達のいる部屋に入った途端、アルバート王子と護衛のバンナムは立ち尽くしていた。
部屋の中で、子竜達は生まれたてホヤホヤの状態で、ピーピーと鳴いている。アルバート王子とそう年齢の変わらない竜騎兵の少年達が大慌てで生肉をその口にひっきりなしに突っ込んでいた。
そう、突っ込んでいるのである。
子竜はその生肉を噛むこともなく、ゴクリとそのまま飲み込むとまたピーピーと鳴き叫ぶ。
餌をくれ、餌をくれ、餌をくれと頭が痛くなるほど鳴き続けている。
それにまた、少年達は血の滴るような生肉の切れ端を、グイグイと口に突っ込むのだ。
まるでどこか戦場のような有様だった。
あまりの状況に、アルバート王子もその胸に斜めに掛けられた布の中にいる紫竜ルーシェも呆然とそれを眺めていた。
三人の見習い達は、王子が来たことにも気づかず、必死にピーピーと翼を揺らして、籠の中で喚き散らす子竜の口に餌をどんどん入れていた。
それに、教師役を務める竜騎兵のインサが、驚いて立ち尽くしているアルバート王子に言った。
「毎年孵化したばかりの竜の世話は、こんな感じです。殿下のところは特別でしたね」
インサは、アルバート王子が王宮で紫竜ルーシェを育てている時、様子を見に来た竜騎兵の若者だった。
インサは、子竜の世話で慌ただしい見習い竜騎兵達を一人ずつ紹介してくれた。
「左からご紹介します。見習いはパルス、子竜はスー。こちら見習いはゼン、子竜はドリアン。そして見習いグリー、子竜はテルミンです。お三方、餌やりで忙しいと思いますが、こちらに注目して下さい。皆さんの同期となるアルバート王子殿下と子竜のルーシェです」
それに、見習いの三人の少年達はグルリとこちらを向いて、一斉に頭を下げた。
「「「宜しくお願いします、殿下」」」
そしてすぐにまた鳴き喚く子竜の口に、肉を突っ込んでいる。
インサは苦笑いしていた。
「朝も食べて、寝て、そして昼に目が覚めて今の状況です。しばらくすればお腹いっぱいになってまた子竜達は寝てしまうでしょう」
「…………大変だな」
「ええ、大変です。一か月もすれば落ち着きますがね。騎兵団長からご説明を受けていると思いますが、殿下は一応このクラスに在籍してもらいますが、殿下が改めて授業で受ける必要がないものも多くあるでしょう」
そう、アルバートが王宮ですでに受けた礼儀作法などの授業は今後改めて受ける必要はない。同様に一部の歴史の授業についても、すでに学んでいるために必要ないだろう。
「その際は、二年組の授業をご参観頂ければと思います」
「わかった」
「それでは早速、二年組の授業にお連れします」
部屋を離れる際も、一年組の三人の見習い竜騎兵の少年達は、餌を小さな竜の口に詰め込むのに懸命で、部屋を退出する王子を見送ることも出来なかった。
(これは落ち着くまでの一カ月間、二年組の授業の参観にほとんどなりそうだ)
そして案内された二年組の見習い竜騎兵達は、まだ寒さも厳しい外の訓練場にいた。
昨年春の孵化から一年が経った子竜達は皆、背中に鞍を載せ、おのおのの主である少年の竜騎兵を乗せられるほどに大きく成長していた。
子竜達は竜騎兵を乗せて飛び立つ訓練をしている。
すでに何度もその訓練はされているのだろう。皆、スムーズに飛び立ち、大きく空を旋回してから地上へと降り立っていた。
昨年春の孵化をした子竜は、ルーシェと同じ年齢のはずであった。
魔法で成竜の姿をとったルーシェよりも若干小さく見える。
まだまだ成長過程にある若い竜なのだろう。
飛び立つ子竜達を見守って監督していた竜騎兵の青年が、インサと王子達を見つけて片手を振った。
「見学ですか」
「ええ」
インサと青年はしばらく話していたが、監督していた青年がジロリと王子を見つめ、その肩から斜めに掛けられている布の中にいるであろうルーシェに向かって言った。
「殿下の竜と同年の子竜達です。宜しければ、殿下もルーシェの背中に乗って飛んでみますか?」
それは、本当に魔法で大きく成長できるのなら、目の前でやって見せてみろという言葉であった。
王子は胸元の布袋の中で、ぬくぬくと丸くなっていた小さな竜に言った。
「ルーシェ、いいかい」
「ピルルル」
分かったというように、ルーシェは布袋から頭を出した後、布袋から飛び出した。
そして飛び出すと同時に、地面にその足を付ける前にグンと大きく成長したのだった。
一瞬で、その身はしなやかな成竜の姿になっていた。
それには、インサと、監督していた青年の竜騎兵も目を瞠っていた。
「……すごいな」
そして、他の竜とは明らかに違う、優美なその竜の姿に目を奪われる。
ガッシリとした肉付きの良い小山のような巨体の青竜や緑竜、赤褐色竜などとは様子が違う。
スラリとした身体付きは、鳥のようでもあり、黒曜石のような黒々とした大きな瞳に、紫色の鱗はその一枚一枚が宝石のような輝きを放っていた。
美しいとは聞いていたが、想像以上に美しい竜であった。
そして紫竜の成長した姿を見て、驚愕していたのは人間達だけではなかった。
その場にいたルーシェと同年である子竜達も呆然と立ち尽くしていたが、それから口々に、歌うように鳴きながら、まっしぐらに紫竜の元へと参じたのだった。
ルーシェを、四頭の竜達は取り囲んで、ピュルルピルルと声を上げて鳴いている。
そして首を動かす。
その様子を見て、ハッとしたようにインサともう一人の竜騎兵は顔を竜達に向けた。
「マズイぞ」
すぐさま見習い達に声をかける。
「早く引き上げさせろ!!」
戸惑いながらも見習い達が慌てて自分の子竜に声をかけるが、子竜達はピュルルピルルと鳴いて言うことを聞かない。
ルーシェの傍らに立つアルバート王子もその場の異様な雰囲気を感じて、ルーシェの首に手を回し、自分の方に引き寄せようとする。
その時、一頭の一番大きな子竜が、やにわに翼を広げたかと思うと、ルーシェの背中にのしかかろうとしたのだ。
それには、ルーシェはカッと目を見開き、「ピルルルルルルル!!!!!」と叫んで激怒した。
彼は飛び上がると、背中にのしかかる子竜を地面に落とし、それから激しく足で何度も何度も執拗に蹴り倒した。
子竜が鳴いて、伏せて許しを得るまで何度も何度も蹴り倒すその様子に、それまでピュルルピルルと甘く鳴いていた他の子竜達もドン引きしていた。
監督を務めていた竜騎兵から、報告を受けた竜騎兵団長ウラノスは声を上げて笑った。
「蹴り倒したか」
「はい」
紫竜によって激しく蹴り倒された子竜に怪我はなかった。だいたい竜の体は頑丈なのである。
ふざけて仲間同士蹴り合うこともよくあることであった。子竜が地面に伏せるのは相手に対する降参を意味する。
それをするまで蹴るとは、よほど腹に据えかねたのだろう。
紫竜は、自分に軽く発情したであろう子竜達に対して怒り狂ったわけである。
春になると、竜達は発情シーズンに入り、雄であれ雌であれ、皆、やたらと求め合う。
主に対しても発情して、人化して主と共に蜜月を過ごす者も多いが、主が相手をしない竜は、竜同士で性交する。
野生の竜の元まで飛んでいく竜もいる。とにかく春はいろいろと乱れる様子が竜の間ではよく見られるのだ。
だが、誕生して一年が経った子竜が発情シーズンに入るには早い。三年目くらいから、発情するものだった。
それが、まだ幼いはずの子竜といえども、美しい紫竜の色香の惑わされたということか。
「成長した紫竜はそれほど魅力的だったのか?」
ウラノスが問いかけると、監督を務めていた竜騎兵は頷いた。
「ええ、あれは本当に特別な竜ですね。子竜達が背中に乗りたがるのも分かります」
竜達の性交は通常、「背中に乗る」形で行われる。雌を下にして、その上に雄がのしかかるのだ。
竜騎兵達が言う「背中に乗りたがっている」という言葉は、竜の発情を意味する。
そして強い竜は、自分よりも弱い竜の背中に乗ることを許されている。
雌であれ、雄であれ、力こそが全てで、ねじ伏せるのだ。
それを考えると、紫竜が自分の背中に乗ろうとした子竜を蹴り飛ばしたことは正しい。
自分が認めたもの以外、背中に乗せることを容易く許してはならない。
そうでなければ、ずっと竜達の間で格下であるとみなされる。
「三年目以上の竜達の前に、紫竜が成竜の姿で現すことはしばらくの間、禁止する。殿下にもそうお伝えしてくれ」
竜騎兵団長ウラノスは言った。
年長の竜達が、紫竜の色香に迷って、争いを始めそうな予感があった。
監督を務めていた竜騎兵も頷き、そして副騎兵団長エイベルは片眉を上げた。
そんな副騎兵団長を見て、ウラノスは言った。
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