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最終章 新しい「疲れたら此処へ来て」
#66
しおりを挟む「ごめんなさい。スピーチ用の手紙をどこかに無くしてしまったので、いま頭の中に思っていることを、みんなに伝えさせていただきます」
ゆっくりと頭を下げると、客席の方から穏やかな笑い声と拍手が聞こえてきて僕の心が落ち着いた。そして僕の背中を押してくれるように、雫さんの手が物理的に僕を支えてくれた。
「僕は、みんなが思ってくれているほど優しい人間ではなくて、みんなが思っているほど素敵な人間ではありません。誰かにムカついたりすることもあるし、誰かに嫉妬する時だってある。僕なんかより優れた人はこの世界にゴロゴロいる。そんな風に思ったことは一度や二度ではありません」
BGMが無くなり、この空間には誰もいなくなったのかと思うほどの静寂が訪れる。それでも怖いと思わないのは、雫さんが僕を隣で支えてくれているからだ。僕は自分の中を曝け出すように再び口を開いた。
「それでも、こうして今日来てくださった素敵な人たちのおかげで、師匠やハルカ先生のおかげで、そして隣にいてくれる妻のおかげで僕は僕の大切な人たちと、こうして今日とても素敵な結婚式を挙げることができました。本当にありがとうございます」
再び頭を下げると、さっきとは比べものにならないほどの大きさの拍手が僕を包み込んでくれるように響いた。その音の偉大さ、ありがたさを噛み締めながら僕は熱くなる感情を抑える。
「普段はヘラヘラとした口調で喋ってしまう僕を受け入れてくれる皆さんの寛大な心に感謝をしながら、僕も人生で一番嬉しい瞬間を今、実感しながら過ごさせていただいています。そして、僕のことを隣で支えてくれる妻に最大限の愛情と感謝を伝えさせていただいています。雫ちゃん、僕と一緒に、この素敵な結婚式を挙げてくれてありがとう。順番は違うけど、生涯、君を愛することをここに誓います。牧師さん、ごめんなさい。先に誓ってしまいました」
式場の中央に立つ黒い肌の牧師さんは僕と目が合うと、ニコッと笑顔になりながら右手をゆっくりと振って応えてくれた。少しの笑い声が耳に届きながら僕は雫さんの方を向いた。彼女は本当に、天使のような笑顔で僕に笑いかけてくれる。
「大切な家族を幼い頃に失った僕ですが、今はこうして世界で一番素敵な妻と、僕のかけがえのない繋がりを持つみんなと、こうして同じ時間を過ごすことができて本当に幸せです。ありがとうございます。新郎代表の麻倉斗和でした」
温かい拍手を再び感じながら僕はゆっくりと頭を下げた。雫さんの手が僕の右手に触れ、そこは彼女の優しさがそのまま感じられるような温かさがあった。僕はその温もりに心が温められるような気持ちになりながら顔を上げた。気がつくとライトは照らされ、そこに座っていた人たち全員の顔が見えた。みんな僕たちを見て笑ってくれている。鳴り止まない拍手を全身で受け止めながら僕は溢れ出す感情が止められずにいた。
『斗和様、素敵なスピーチをありがとうございました。それではここで、新婦、雫様から新郎、斗和様には内緒でしてほしいというお言付けを頂戴しておりました、贈り物を贈呈させていただきます。それでは雫様、よろしくお願いいたします』
「はい。分かりました」
何だ? 贈り物? 指名された彼女がゆっくりと立ち上がると、女性スタッフの人から、真っ白な封筒のようなものを受け取ると、それを大事そうに抱きしめるように両手で持ちながら僕の前に立った。予定には無い展開。僕の落ち着いていた心臓が再び大きく動き始めた。
『斗和様、よろしければご起立くださいませ』
「は、はいっ!」
女の人の声に促されるまま、僕は椅子を派手に鳴らしながら立ち上がった。その様子を微笑みながら彼女は笑って見つめる。すると、僕と彼女の間にスタンドマイクが置かれた。彼女の口元にスタッフがマイクの場所を調整しながら彼女は封筒の中身を開けていく。その封筒の中からは1枚の紙が出てきた。彼女はそれを取り出し、準備ができたと合図をするように進行役の女の人を見て一度首を縦に振った。
『それでは今から新婦、雫様から新郎斗和様への感謝の言葉、そしてこれからの2人に宛てた手紙をお読みいただきます。雫様、よろしくお願いいたします』
ざわつき始める式場内。雫さんは僕に大きく頭を下げてから大きく深呼吸をして口を開いた。
「私の人生は2人の人に救われました。1人は私の人生の師匠でもあるハルカさんです。1人になってしまった私の人生の底であった時期に手を差し伸べてくれた、そしてそこから引き上げてくれた大切な人です。そして、もう1人は斗和さん、あなたです。大袈裟に聞こえるかもしれませんが、あなたは私の人生です。あなたがいなければ、今の私はありません。あなたの側にいさせてくれてありがとう。そして、私を選んでくれて本当にありがとう。あなたは自分のことを幸せ者だと言うけれど、私はそれ以上に幸せ者です」
聞こえてくる言葉、ひとつひとつ。彼女の揺らぐ感情に乗りながら僕の耳に届くそれは、僕を、ハルカ先生を、そして式場にいる誰もが目元を押さえ、鼻を啜らせた。そう思えるほど、彼女から伝えられる言葉に僕の目からは大粒の涙が流れる。それを見た彼女も、僕と同じように涙を流しながら、自分を落ち着かせるように笑った。
「ごめんなさい……。伝えたいことはまだまだ山ほどありますが、これ以上言うと、1時間ぐらいかかっちゃうし、愛情過多のヤバい女だと思われてしまいそうなので、あと一言だけ伝えさせていただきます。斗和さん、私もあなたを愛しています。これからも末永く、よろしくお願いいたします」
頭をゆっくりと下げた雫さんに呼応するように、ピアノの優しい音色が奏で始めた。このリズムは彼女が好きなバラードのイントロだ。僕も彼女と同じぐらい、いや、それ以上に頭を下げて「よろしくお願いします!」と言い放った。涙涙の結婚式、みんな、同じ気持ちで涙を流してくれているその空間が優しくて、そして嬉しくて、僕はこの素敵な時間がいつまでも終わるなと心の中で思いながら、天使のような姿の彼女を優しく抱きしめた。
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