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第1章 好きな色は黒。
#12
しおりを挟む「僕と……食事に行ってくれませんか?」
屈託のないきらきらとした目と言葉が私を捉える。軽い気持ちで言っているわけではない真剣な表情。私は自然と背筋が伸びた。隣に誰もいなくてよかった。
「そ、それって2人でってことですよね?」
「はい。もちろん」
声の低いこの人の声が、より一層低くなったような気がした。
「お互い名前も知らないし、どんな人なのかもほとんど分からない。そんな状況からこんなナンパみたいな言い方されたら困ってしまいますよね。ごめんなさい」
「い、いえ……」
「でも、僕は前回の接客していただいた時と、今日のあなたの笑顔を見て確信しました。一目惚れってこういうことなんだと。26歳にもなって初めてこの人のことを知りたいって思う人に出会えました。それがあなたです」
何故か今は店内が不自然なくらいに静かで落ち着いている。そういうタイミングをこの人が見計らったのかもしれないし、はたまた偶然なのかもしれない。もしかしたら体の大きいこの人が、ここにいるから他の客が怖がって近づいてこないのかもしれない。いや、その判断はさすがにこの人に失礼だ。この人も配慮してくれているのか、誰にも聞かれないくらいの声量で気持ちを伝えてくれている。生まれて初めてこんなに真剣な言葉を受け取ったけれど、私は戸惑うどころか、この人とある程度の距離感を取ろうと考えてしまっている。
「ありがとうございます。嬉しいです。ただ、今は勤務中ですのでそのご質問の返答は控えさせていただきます」
私は丁寧に言葉を選び、再びゆっくりと頭を下げると、彼は口を大きく開けてハハと笑った。
「すっごい丁寧に断られちゃいましたね! 一周回って清々しい気持ちになってます。分かりました。でも、僕は見ての通り諦めが悪いのでこれからもあなたに気持ちを伝え続けます」
この人は、私が思っている以上にやばい人なのかもしれない。私はこの人に気づかれないタイミングで胸元についているネームプレートを裏返した。返答に困っている私を見て、白い歯を見せつけるように笑った。
「今日はこれにて失礼します。また近いうちに顔を出しますね」
「は、はぁ……」
「では、ありがとうございました」
「あ、ありがとうございましたぁ……」
嵐のようにその人が去っていくと、私の心の中を抉られたように息が詰まった。カウンターの方へ戻ってきた佐久間くんに、水分補給へ行くように伝えてから私は急いで事務所に戻って水を飲んだ。そして、体の中の空気を入れ替えるように深呼吸をしてから店内に戻ると、佐久間くんが慌てた様子で私の顔を見ていた。
「桜井さん、大丈夫っすか? 顔、めっちゃ青いっすよ……」
「ごめんごめん……。ちょっとさっき頑張りすぎちゃったかな」
「無理しないで。今、お客さんも少ないし午後からのスタッフたちも来る頃だし休憩室で休んでていいっすよ」
「ありがとう。本当にやばそうだったらそうさせてもらうね。けど、水飲んでスッキリしたから今のところ大丈夫!」
今出来る精一杯の笑顔を佐久間くんに向けると、彼は頭を掻きながら私を見つめている。何かを言いたそうな表情にも見えるけれど、こういう時彼はそれ以上は踏み込んでこないことを知っている。私は彼のそういうところが気に入っている。
「了解っす。あと半分以上あるだろうから、ホントに無茶しない方がいいっすよ」
「ありがとう。肝に銘じておくね! あ、いらっしゃいませ!」
「しゃいませー」
佐久間くんの落ち着いた声で私の気持ちはいくらか和らいだ。そうだ。まだ5時間はここにいないといけないんだ。頑張らないと。人に迷惑をかけるのだけは嫌だ。迷惑をかけられることには慣れているけれど、自分が誰かにそうさせてしまうのは絶対に嫌だ。私は自分の体に鞭を打つように明るい声を出して客を招き入れた。
「お疲れ様でした!」
「お疲れ様っす。さすが桜井さんすね。最後までやりきるなんて」
「せっかく出勤しているんだしね! 少しでも貢献出来たなら良かったと思ってるよ!」
「さすがバイトリーダーっす。俺には絶対出来ないし、しんどかったら帰っちゃいますね」
「だからバイトリーダーじゃないって! 佐久間くんも毎日頑張ってるじゃん! みんな少しずつでも出来ることをしていったらいいんだよ! じゃあ帰るね! お疲れ様でした!」
「お疲れ様っした」
「店長、お疲れ様でした! お先に失礼します!」
「あ、はいはい。お疲れー。今日もありがとうね。疲れてそうだから帰ってゆっくり休んでね」
「あ、ありがとうございます……! 失礼します!」
足早に店を出て駅へと向かい、自分の顔を確認するようにトイレの鏡の前に立った。そんなに疲れてる顔してるかな? 精一杯、表向きの顔をしていたつもりなのに。電車が来るまで時間に余裕のある私は、体に入っていた力を全部出し切るようにため息を吐きながらトイレの便座に座り込んでトイレのドアを閉めた。
誰にも見られていない昼間の裏の顔。我慢の限界だったのかもしれない。無意識に荒くなっている呼吸を必死に整えながら深呼吸をした。あんなに真っ直ぐ人から好意を受け取ったことのない私は、どんな反応をすればいいのか本当に分からなかった。嫌いではない。拒絶も多分していない。あの人の顔だって佳苗が気になるぐらいだからイケメンの部類なんだと思っている。
なのに、まともに体を動かすことが出来ていない。出来ない。一体、何なんだ。この状況は。私は気絶するように意識が遠のいていった。次に目を開ける頃には電車が4本過ぎて行った後だった。1時間もここで眠っていた自分に驚きながら、軋むように痛い体を起こして服装を整えてからトイレのドアを開けた。
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