秘密のビーフシチュー

やまとゆう

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第2章 人が嫌いだった

#16

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 「しゃいませ」

漫画喫茶に入ると、あからさまに態度の悪い10代後半か私と同じ歳ぐらいの金髪の男の店員が私を睨みつけるように見つめ、軽く頷くぐらいに頭を下げた。私はこの店員に負けないくらい低い声を出してみた。

 「鍵付きの個室をお願いしたいんですけど空いてますか?」
 「こちらの部屋でよろしいっすか?」

店員は私の声に反応することなく、タッチパネルに表示された部屋を提案した。1時間300円。二畳の部屋に冷暖房完備。WiFiも繋がっていてパソコン、テレビが設置されている。私だけが泊まるには十分すぎる設備だ。

 「そこでお願いします」
 「234号室です。ドリンクバーがあっちで、トイレがそっちの通路の突き当たりにあります。ごゆっくりどうぞー」
 「ありがとうございます」

その店員から鍵を受け取り軽く頭を下げると、そのままその人は受付の奥の方へ消えていった。時間は22時半を過ぎていて、シフトで言えば遅番か夜勤の人が働いている時間だ。この店の採用基準は分からないし、さっきの店員だけが態度が良くないかもしれない。私が店員だとしたら客にあんなに機嫌の悪い態度を取ることは絶対に出来ない。腹が立っていないといえば嘘になるけれど、散々な1日を終えようとしている私にはちょうどいい出迎えだったのかもしれない。と、少し自分を自虐しながら読みたいマンガと小説を何冊か選んで部屋に入った。

 「お邪魔しまーす」

誰もいない部屋にも一応礼儀として小さく挨拶をした。部屋は丁寧に清掃されているようで、前回入室していた人の使っていた形跡は特に見当たらない。タバコなんかのにおいもしないし、テーブルの上も綺麗に片付けられている。ひとまず羽織っていたコートをハンガーにかけてから足元にある茶色のソファの感触を確かめた。あの喫茶店のソファよりは硬そうだけれど、寝転ぶには十分だと判断した私は飛び込むように勢いよくそこへダイブした。

 「あー、今日は疲れましたなぁ」

目を閉じるとそのまま眠ってしまいそうだった私は、スマホの画面を開いてSNSをチェックする。一通り見終わる頃には瞼はさらに重くなっていて、一層睡魔が私を襲う。せっかく本を選んできたのに読む間もなく瞼が閉じてしまいそうになる。それを振り払うように体を起こして料理メニューに目を通す。この時間帯にラーメンなんか絶対に食べないけれど、今日の私の体はすごくそれを欲しているように思えて、開き直るように味噌チャーシュー麺とジンジャエールを注文した。ラーメンが届くまでに3回ほどお腹が鳴った私の体は、よっぽどそれが食べたかったらしい。5分ほどでラーメンが部屋に届き、それを目の当たりにした私は涎が溢れそうなほど口の中が湿った。スープをひと口すすると、それは涙が出そうなほど美味しかった。

 「最後の晩餐、絶対一品これになるな。現段階では。うますぎ」

手が止まらないままラーメンを食べ続け、私はスープまで飲み干してその全てを体の中に入れた。幸せとはこういう気持ちでいることなのかもしれない。その幸福感で満たされながらジンジャーエールを喉を鳴らしながら飲んでいく。スマホの画面をつけると、SNSから通知が届いていた。

 『SNS、はじめました』

気になってそのボタンをタップすると、待っていましたと言わんばかりに画面がすぐに切り替わりその人のアカウントのページへ飛んだ。プロフィール欄には、

 『早乙女達月』

と書かれていた。私は食い入るようにそのページをスクロールしていく。本当に始めたばかりのようで、さっきの一文以外は何も書かれていなかった。ただ、プロフィール欄には自己紹介の文として

 『夜が好きな月の人たちと繋がりたい人です。どうぞ、お手柔らかに』

いかにも彼らしい一文が添えられていて、私は自分の考えがまとまる前に彼をフォローするボタンを押して通知登録も済ませた。すでにフォロワーが4桁以上の数がいて、改めて彼のすごさを感じた。そのフォロワーの中には、私もフォローしているタレントたちも数人いた。

 「やばいなぁ。さすが早乙女達月だ」

今日SNSを始めた彼のフォロワーは間違いなくこれからも増えていくだろう。今よりも有名になっていくのはもちろん嬉しいけれど、複雑な感情があるのも事実だ。お気に入りのインディーズバンドが、ある曲をきっかけに多くの人に知られていく時の感情と似たものがある。

 「まぁ売れっ子はしょうがないか。作品、映画化とかしたらもう雲の上の存在みたいになっちゃうかもなぁ」

ぼやくように独り言を言っていると、ちょうど今この瞬間に早乙女達月のページに動きがあり通知が届いた。私は興奮した気持ちを抑えながらほぼ条件反射でボタンをタップした。

 『こんなにたくさんの月の人たちがいることに驚いています。改めまして。早乙女達月です。眩しすぎる昼間の時間を過ごした皆さま、今日もお疲れ様でした。月が優しく光る夜のこの時間。思いっきり自分を労いましょう』

100字くらいで綴られた彼の初めての呟きは、みるみる「いいね」の数が増えていく。私が更新ボタンを押すたびにその数が増えている。時刻は1時を少し過ぎた頃。こんな時間なのに。私は他の人たちのリアクションに驚き、「いいね」のボタンを押すことが出来なかった。

 「すごいなぁ、早乙女さん……」

すでに住む世界が違うように思えて私は少しへこんだ。その気持ちのまま、私は自分のアカウントのページへ飛んだ。今日は音楽とは関係のない、私が好きな公園の、夜の景色を撮った写真を選択して今の気持ちを綴った。

 『好きな作家さんがSNSを始めた。彼の反響がすごくて「いいね」を押すことが出来なかった。それだけみんなに慕われているのは嬉しく思ったけれど、それと同時に少し寂しい気持ちになった。まるで、秘密基地にしていた夜の公園がメディアに取り上げられて人気のデートスポットになったみたい』

なんだこの文章。文章を完成させてから見返すと、それは間違いなくポエムだった。これを見て嘲笑う人が絶対にいるだろう。早乙女さんのファンに攻撃的なことを言われるかもしれない。ネガティブなことばかりが頭の中に浮かんだけれど、もういっかと半分開き直って呟く準備を整えていく。最後に、彼のSNS開設を祝うように彼のアカウントをタグ付けして呟いた。ため息みたいな息を吐いてから、今座っているソファがベッドのような形に変えられることを知った私はその形に変えてから改めて寝転がった。さっきよりも体がリラックスできていて、意識が少しずつ遠くなっていった。
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