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3本目の赤マル

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「苦労をかけて悪かった」
「水くせえな。おれたちの仲じゃないか・・・・・・とはならないな」
「世知辛ぇ」


 大貴は一向にこっちを見ようとせず,手元はただひたすら忙しそうにホーム画面をスクロールしている。


「大貴,さっきから何してんだ?」
「何で分からへんねん。やから清介はモテへんねん」
「お前のその気持ち悪い行動を理解できるやつは,恋人どころか友達を作れないだろうな」
「清介は人間ってものを分かってへん。せやから,人間関係もうまくいかへん,ええ感じの女の子を逃す,唯一の親友にも愛想をつかされる,挙句の果てには・・・・・・」
「ほんとどうでもいいな。手も無沙汰でやることないんだろ。周りを散々引っ掻き回しておいて」
「モテへん男がやる典型的なアピールやな」
「あー,うっせえうっせえうっせえなあ!」


 急に大貴が話題の音楽に乗せて急に大きな声を出した。


「そうやねん! おれってしょうもないねん。女子と連絡とってるやつらが羨ましくて,同じように忙しいふりをしてスマホのホーム画面をひたすら触り続ける人生やねん。どうや? 非の打ち所がないというところが唯一の欠点と思われていた田淵大貴様にも,こんな情けない一面があるんや。人間らしいとは思わへんか? 愛着が湧いてこーへんか? あまりにも神々しいと,おだやかに手を振るぐらいしかできひんかもやけど,アエルアドル的なポジションを取ったことで今度は親近感が湧いてきたやろ」
「ほら吹きがまた調子のいいこと言ってるぐらいにしか思わねえよ」
「なんてこと言うねん! もうええ! わし,帰る!」


 そう言うと,大貴はつんけんしながら病室へと戻っていった。
 ずっと抱きかかえらえていたシーマンは,急にソファに置き去りにされて間抜けな顔で泡をこぼしている。



「困ったやつだろ? 小さいころから難しいところがあったが,ありゃ相当だ。大学生という人生の貴重な夏休みを,おれならあんなやつと過ごすことはしないが,お前たちは相当物好きの変わり者だな」


 大貴の父親は言いながらシーマンをちらと見やり,胸ポケットから赤マルを取りだした。そのままなにおい腕もなく,ゆっくりと歩く。その背中は,初めて見た時よりもずいぶんと小さく,頼りなかった。


「シーマン,ちょっと待っててくれ。おれもそろそろニコチン入れとかないと」
「おい,どこに行くつもりじゃ。わしは動けんのんど。それぐらい知っとるじゃろ。おい,待て! せめてわしも連れてけーー!」


 「待てーー!」という悲痛な叫び声がどこまでもこだまする。
 口の利ける奇妙な魚を置いていくのも気味が悪いが,余計なことは考えずに喫煙所を目指して小走りで向かった。


「おう,坊主も愛煙家か。しかもその銘柄,若いのに分かってるねえ」
「ワンピースのサンジも,ルパンの次元も,紅の豚も,かっこいいやつはみんなたばこ吸ってるでしょ? そんなもんですよ。ガキが煙草を覚えた理由なんて」
「男はあほだからな。みんなそんなもんさ。それより,大貴にやつは煙草を嫌ってるが,特に・・・・・・君が赤マルを吸っているのが余計に気に食わないだろうな」

 改めて名前を言うと,大貴の父親は「すまない,清介くんと呼ばせてもらうよ」と丁寧に言った。

 いえいえ,と言いながらもほっと胸をなでおろす。もっと大貴の話が聞きたかったところで,どうやって切り出そうと考えていたところだ。父親の方から名前を出してくれたので,変に気を遣わなくて済む。


「大貴は・・・・・・大貴くんはお父様のことを大変,その,なんといいましょうか・・・・・・距離を置かれてますね」
「いいよそんな固くならなくて」


 敬語もめちゃくちゃだぞ,と笑う大貴の父親に言われ,顔が赤くなる。お言葉に甘え,少し砕けた物言いで話させてもらうことにした。


「あいつはな,母ちゃんっ子でな。母ちゃんがおれのことを目の敵にしていたもんだから,刷り込みが抜けないんだろうな。それこそ,あの手この手でおれのことを悪者に仕立て上げて,学校からも児童相談所からも白い目で見られて困り果てたよ。ああいうことには頭が切れるやつだからな」
「こんなこと言うのもあれなんですけど,お母さんと一緒に生活するっていうのもありっだったんじゃないですか?」


 大貴の父親が遠くの目を見ながら話す姿に,孤独さを感じて同情した。それでも,聞かず人はいられなかった。口にした後で,ひどいことを言ったと思った。


「おれが許さなかったんだ」
「許さなかった・・・・・・?」


 声がかすれた。
 大貴の父親が吐いた煙が,細長く空に勢いをつけて伸び,空気を切り裂いたかと思うといつの間にか消えていく。


「母ちゃんはな,不安定だったんだ。無理矢理にでも病院に連れて行ったらよかったんだろうけど,頑固な人でね。気持ちが不安定で,子どもに手を挙げるんだ。だから,絶対に預けることはできなかった」


 せがれだからな,と乾いた笑いを浮かべる大貴の父親の人生を思う。
 愛している我が子に拒否される親の心境は計り知れない。男で一つで育てるのに相当な苦労があったはずだ。
 仕事に融通をきかせ,大学まで通わせた。それだけで親の務めを立派に果たしている。今度は無性に大貴に腹が立ってきた。

 三本目の赤丸を口にくわえた時,通路の方からどたどたと騒がしい音がした。


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