少年剣士、剣豪になる。

アラビアータ

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第二十話

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 茫然と亡者の如く立ち尽くすルークは、今までのナタリーとの思い出が一気に頭を駆け巡り、様々な感情が堰を切り、泣くでも騒ぐでも無く、静かに膝から崩れ落ちた。
 目の前の肉塊は物を言わない。赤黒い血溜まりから小川のように血の線が流れる。辺りは鬼哭啾々きこくしゅうしゅうとし、夜闇は真っ黒な葬式の幔幕のようである。
 不意に、ルークの後ろから、

「姐さーん。姐さーん」

 と言う声が聞こえる。彼方から人影がこちらに向かって近付いて来るが、ルークにはそれを見る元気も無かった。ただ魂の抜けた人の如く、茫然と死骸を見下ろしている。
 やがて声の主である少女は、彼の元へと来た。そして、死骸を見るや否、

「姐さん、姐さんっ。どうしてっ」

 と、慟哭して血に汚れるのも厭わず、それに縋り付いた。
 姉さん、という言葉にルークが訝しんでいると、少女は、あなたがやったのね、と懐剣を抜いてルークに突いて掛かった。
 ルークは、慌てて身を躱し、

「ち、違うよ。僕は旅人で、今通り掛かったんだよ。僕は君の友達を殺してなんていないよ」
「嘘だっ。何か証拠でもあるのっ」
「証拠になるかは解らないけど…」

 と、ルークはおもむろに佩剣を抜いて見せた。夜の晦冥の中でも、閃々と眩い光を放つ彼の剣は、一点の血の跡も脂の曇りも無い。
 純粋無垢の心の如く輝きを放つ剣を見、またルークの衣服に血の跡が無いのを見た少女は、ようやく疑いを解いた様子。だがその代わりに、夜の静寂を破る哀号を響かせた。
 ナタリーのものより色の薄い紅髪を戴く少女は、姐さん姐さん、という言葉だけを繰り返し、滂沱に滂沱を加えたような涙に、自分の周りの土を濡らしている。

「ねえ君…その人はナタリーじゃないんだよね? 」
「ナタリーって誰? この人はあたしの姉みたいな人だよっ。この首飾りはあたしが作ったんだからっ」
「そうなんだ…ごめんね。僕がもう少し早く此処に着いていたら…」

 と、ルークはまるで自分の身内の事のように悄然としている。彼も義父のような主人を亡くしているので、姉を理不尽に亡くした少女の悲哀に同情しているのだ。
 少女は、肩を震わせながらこうべを振り、あなたの所為じゃない、と言って先の狼藉を詫びた。
 ルークは、ふと少女の姉を殺めた男を思い返した。背丈体格と云い、声と云い、紛れも無く彼の脳裏に焼き付くハーラ・グーロであった。

「ごめんっ。きっと君の姉貴分は、僕の知り合いだと間違われたんだ。此処に待ち伏せしていた奴が、紅髪だから人違いしたんだ」
「あなたが謝る事じゃない。それに…もう姉さんは帰ってこないんだから…」

 と、少女はまたさめざめと泣き始めた。ルークは小一時間ばかり、傍らで何も言わず立ち尽くしていた。

 やがて落ち着いたらしい少女は、泣き腫らした面で

「ごめんね…足を止めさせちゃって。あたしはルイーゼって言うの。あなたは? 」
「僕はルーク。ルーク・ブランシュ」

 二人は互いに名乗り合った後、憐れなルイーゼの姉の肉片を拾い集め、教会の中庭で埋葬した。
 事の行きがかり上、ルークはルイーゼに力を添えていたので、ナタリーの後を追うことは一時諦めねばならなかった。

 ――窓の外から痛烈な氷雨が吹き込み、木剣が火をほとばしらせる冬が来た。凛烈肌を破る寒気こそは、嫌が応にも生物の本能を呼び覚ます。無論、人間も例外ではなく、冬の剣術道場は、五体から焔も立つばかりな覇気横溢の剣士達が、氷のように冷たい床の上で凄絶な雄叫びを上げている。
 此処はシェジーの街にある一道場。そして三百とも称される門弟の最下層に、数ヶ月前からルークもいた。ルイーゼに伴われて、此処の師範に入門を願い出た彼は、どういうわけかは解しないが、二つ返事で承諾された。
 ルークは、初めて名師に教えを請える、と喜んでいたのだが、待っていたのは下働き。彼のような末輩、いや彼のみは、木剣を振るう、偶に試合の陪観を許されるの他、教えを願い出る事も許されなかった。

 それのみならまだしも、入門してからというものの、石畳の拭き掃除、訪問客の取り次ぎ接待、食事の準備、荷担にないでの水汲みに至るまで、道場の雑用に使用人の如くこき使われるのだ。

「冷たいなぁ…冷たい…」

 氷柱のように冷え切った縄釣瓶なわつるべを掴み、井戸から水を汲んでいたルークは、未だ慣れぬわざの為、あかぎれの目立つ両手に息を吹きかけていた。
 おいっ、と言う怒鳴り声が聞こえる。ルークは、はっとして、

「あ、師範が起きたんだ。早くしないとっ」

 と、水桶を持って危うげな足取りで向かっていった。これがその昔、すぐに涙を浮かべてナタリーに慰められ、望んで外に出ることが殆ど無かったルークかと思えば涙ぐましくもある。
 やっと師範の元まで向かうと、頭の上から、

「この横着者の小僧っ。何故水を切らしておくのだっ」

 と、寝起きの不機嫌に任せた師範の怒鳴りが聞こえた。しおらしい態度で謝りつつ、ルークが盆に水をと注いで、師範の前に差し出すと、何ぞ測らん、彼は盆を蹴りつけた。
 ルークは、あっと言っただけで、次の一瞬には頭の上から冷水を全身に浴びせられていた。
 烈寒の空気、浴びせられた氷の衣。ルークは、思わず身を震わせた。師範は、さも愉快そうに、

「寒いか、莫迦者っ。剣士たる者が、かような油断とは片腹痛い。早く汲み直して来いっ」
「わ、解りました」

 と、ルークが急ぎ足に汲み変えた水を持って行くと、今度は師範の木剣が、唸りを上げて彼の頬を打ち据えた。うわっ、とルークは凍った石畳の上に叩きつけられた。
 師範は、ルークの醜態を指差して嘲笑い、罵詈雑言を吐き散らして奥へ入ってしまった。こんな事が此処に来て以来絶えないのである。その上、理由は解しないが師範はルークを眼の仇にしていらしく、事ある毎に苛むのである。
 ルークも流石に、悲痛の唇を噛んでいたが、雄敵コジロウ・ミヤモトの姿を脳裏に描いて、これも修行だ、と苛烈な仕打ちにも耐えているのである。
 
 そんなある日、一人の剣客がこの道場を訪ねて来た。
 滅多に他流試合の申し出を受け付けないこの道場で、珍しくその剣客と師範とが手合わせする事になった。余りに異例の沙汰に門弟達は驚き、後学の為に、と犇めき合った。

「一体誰なのだ。先生御自身が手合わせなさるとは」
「今、奥の部屋で先生と話しているらしいぞ」
「誰であっても、試合になれば解るさ、行こう」

 様々な噂をしながら、門弟達は普段は稽古をする石畳の広場に集まった。ルークも、人垣の外から木に登って様子を見ている。
 木剣の用意もすっかり整い、後は剣客を待つばかりである。やがて、師範と並んでやって来て、一同に立派な会釈をした一人の剣客。
 ルークは彼の顔を見て、思わず木から滑り落ちそうになった。意外や意外。少なくともルークに取って、これ以上の意外は無い。

 一同に会釈をした後、静かに床へ正座した者こそ、かのコジロウであったのだ。
 黒漆の長髪に涼やかな眼元、痩身長躯の美丈夫。ルークの血相は物凄い緊張に沸き立ち、身体は岩の如く硬くなり、双眸だけ動かしてコジロウの姿を追っている。
 叫ばずとも、狂わずとも、ルークの様子は尋常では無い。寂寞とした門弟達の中で、ルークは一人、恐るべき激情の炎に燃えているのだ。

 勝負は進んで、高弟二、三人が鮮やかに打ち込まれ、道場の錚々たる面々を率いる師範までもが、さまで時を掛けずして、コジロウの精妙に敗れてしまった。
 師範は、数ヶ月前のギョーム男爵領での真剣勝負の噂をかねてより聞いていたので、

「ああ、流石はコジロウ・ミヤモト。絶妙極まる神剣には恐れ入りました。どうでしょう、此処に残って我々に剣技を教えて下さらぬか」
「お言葉は有難く頂戴致します。しかし、拙者は流浪の身の上、未だに剣術未熟。どうして人に教えなど出来ましょうか。それに、今は一カ所に留まる気にはなりませぬ」
「それならば是非も無いが…ご出立の際には、また訪ねられよ」
「忝のうございます。ではご一同、失礼致す」

 と、コジロウは平伏した後、静かに出て行こうとした。その時、諸人の耳を劈く一声が響いた。
 待てっ、と言う大声に、一同は眼を見合わせて誰か誰かと狼狽え合う。ただと互いに息を飲んでいた、すると再び、

「コジロウさんっ。待って下さいっ」

 と叫んで、夢中で躍り出して来た少年を、新人のルークであると知った一同は、この痴れ者、恥を知れ、と蝟集して彼を取り押さえ、さながら刃傷松の廊下の如くである。
 ルークは、必死の形相で剣をしっかと握り、一勝負だけでも、と叫んで止まない。
 つかつかと歩み寄ったコジロウは、彼をじっと見、

「彼をお離し下され。拙者と勝負がしたいと、かようなまでの形相。断るのも忍びないです」

 と言った。

 白皙蒲柳はくせきほりゅうのルークを睨み付け、再び広場に立ったコジロウ・ミヤモト、峻烈な声を上げて曰く、

「ルーク・ブランシュ! 準備は良いであろうな! 」
「勿論っ。いつでもっ」

 ルークも、肺腑を刺すような相手の声に負けじと大声を上げた。一念迸る所、自ずから凜々たる気概があって、恐怖心を覆い隠している。
 しかしコジロウは、焦心するルークの出足を挫いて、

「違う! 身支度では無い、形の支度では無いっ。心の用意、即ち剣術修行は確かにしてきたのかと申しているっ」
「当たり前だっ。あなたの剣の所為で殺されたフロリアン様の恨み、僕の仇討ちの念が、この木剣にこもっているんだ」
「良し! その言葉忘れるなっ。仮借はせぬぞ、いざ! 」

 双方は床を蹴って左右に分かれた。
 コジロウは刀を中段に構え、おやゆびで地面を噛む。ルークは、拝領の剣を片手に構え、じりじりと精魂を柄に絞って、乾坤一擲、必死以上の形相で詰め寄る。
 鍛錬千磨の末に得た自得の構え、これはただ一念一心に燃える炎の剣とも言って良い。ルークの最念力がコジロウを破るか、コジロウの錬妙の剣技が彼を破るか、心ある者が見れば、この試合こそ、またとない大試合である。
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