二つの世界の冒険譚

アラビアータ

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序章

第二話

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 殆ど徒手空拳、追い出されるようにして始まった旅である。行く当ての見当は付かず、路銀にも事欠いているのが今のクラウス達の境遇である。
 しかも言葉の通じない、何処から来たのかさえ解らぬ身元不明の少女、ワン・ランレイまで連れているので、とにかく今後の展望が思いやられるというのがクラウスの本音であった。
 クラウスは、ソフィアに、

「おい、旅に出るのは良いけど何処か行く当てでもあるのかよ。目的も無く旅は出来ないだろ」
「うーん解らないっ。それより忘れ物は無い? 」
「何にもねぇよ。それにしても、随分身支度が早いんだな。まるで準備してたみたいに」
「うんっ。だって、いつか旅に出たいなぁって思ってたんだもん」
「それで妄想に耽ってたら現実にか…行き先は無計画だけど」

 クラウスがそう言い掛けると、ソフィアは思いきり彼の頭に拳を落とした。クラウスは悶絶して何か言い掛けたが、ソフィアは、もうランレイを連れて歩き出している。
 クラウスは溜息を付いて、後から追い掛けて行った。

 春先のそよ風は草原を撫で、道行くソフィア達の心を穏やかにする。流れゆく雲も青空も彼らを見下ろして微笑んでいるかのようである。麗らかな太陽は暖かな陽差しを地に注ぎ、歩いていく者の活力となる。
 しかしクラウスの心は楽しまない。住み慣れた村での平穏無事な暮らしから一転、明日をも知れぬ旅人の身となったのだ。どうにか落ち着ける場所はと考えを廻らしていると、やがてと何かを思いだして声を挙げた。
 ソフィアとランレイは、急に声を出した彼に驚き、振り返った。クラウスは笑顔で二人に近付いて曰く、

「俺、良いこと思いだしたよ。確か此処から山を越えて、北に何日か行くと、有名な占い師がいるって云うヘルネの街があるんだ。そこに行けばランレイの言葉が解るかもしれないぜ」
「本当っ? じゃあその占い師さんに見せて、ランレイの故郷を教えて貰おう、行こう行こうっ」
「――――? 」
「ランレイ、あなたのお家を、見つけてあげる。付いて来て」

 と、ソフィアはランレイの手を掴んで歩き出していった。クラウスは内心で、(上手くいったな)と思いつつ後を追っていった。

 しばらく歩いて、山間の峠道に着くと、何ぞ測らん、そこは数日前に起こった地震で崖崩れに遭い、すっかり塞がれてしまっていた。近隣の村の装丁達が、兵士達と一緒になって半裸で汗もに瓦礫や大木を撤去している。
 えいえいっ、おうおうっ、という野太い声がそこかしこに響いているのを見て、クラウスは、残念そうに呻いて、

「こりゃ駄目だ。何処か違う道から迂回しようぜ。これじゃあいつ通れるか解らない」
「何言ってるの。一日でも早く、ランレイの故郷を見つけないと。あたしが先に行ってみるっ」
「お、おいソフィアッ。危ないぞ」

 ソフィアはクラウス達を尻目に、泥土の山に近付いていった。するとその時、天地を揺らすような轟音が響いたかと思うと、地軸を揺らす地震が始まった。
 崖際にいた人夫達が数名揺れに煽られて、悲痛な叫びを上げながら崖下に吸い込まれていく。落ちてきた岩に潰されて血漿の粉となる者もいる。
 クラウスはランレイを押さえて身を伏せたが、彼の眼に、大岩がソフィア目掛けて落ちていく光景が飛び込んで来た。
 ソフィアッ、と彼は弾かれたように動き出し、彼女を身体で隠すようにして砂礫や小石から守り、ランレイは、と岩壁を蹴って大岩の横に跳び込み、渾力を込めた一蹴でそれを粉微塵に砕いてしまった。

「ソフィア、怪我は無いか? 大丈夫か? 」
「ソフィア、――――? 」
「あはは、ごめんね。でも…もう通れない…よね」
「当たり前だっ。行くぞっ」

 クラウス達は是非無く迂回路を探すことにした。峠は新たな瓦礫が積もり、組まれていた足場、飯場まで木っ端微塵に崩落してしまった。
 ここ最近、ヴァークリヒラントでは地震や雷、大嵐等の天変地異が多発している。原因が不明なので人心も不安定となり、王国が沈黙を貫いているので、噂好きの陰謀論者共に恰好の噂の種とされている。
 やれ世界崩壊が近いだの、もう一つの世界からの攻撃だの、災いの神子が目覚めただの、人心が不安定の時、根拠の無い噂が跋扈するというのは何処の世界でも共通らしい。

 閑話休題それはさておき、思わぬ迂回を強いられたクラウス一行は、河沿いを歩いていた。河は急流で、かつ橋も崩落しているか所々穴が空いていて危険なので、彼らは何処か浅瀬を探していた。
 小一時間ほど歩いていると、ソフィアが、

「あ、見てあれっ。水車小屋の隣に筏があるよ」
「お、確かに。多分渡し守だな。行ってみようぜ」

 一行が水車小屋に着くと、桟橋の杭にともづなで繋がれた筏が大波に揺られて、木の葉のように舞っていた。
 クラウスが木戸を叩くと、中から、誰だい、と男が出て来た。もう河渡しの仕事も無いと思って酒でも飲んでいたのか、若干赤み掛かった面で酒杯を持っている。

「どうした兄ちゃん達、もう河渡しは終わりだぞ」
「うっ…酒臭い…」

 鼻を押さえて顰め面のクラウスを押し退けて、代わりにソフィアが口上を述べる。

「あたし達、この女の子の故郷を探したいんですが、言葉が解らなくて。それで高名な占い師の先生に会いにヘルネまで行きたいんです。どうか筏を貸してくれませんか? 」
「うーむだがな。もう夕方だぞ。俺も酒を飲んでしまっているし」
「今すぐに行きたいんです。筏を貸して貰えれば良いですから。お願いします」

 ソフィアは腰を折って頭を下げ、クラウスも会釈気味に頭を下げる。渡し守は、頭を掻いていたが、ランレイを不憫に思ったらしく、付いて来い、と桟橋に向かっていった。
 渡し守が桟橋の先に立って、荒れ狂う河に向かって大手を広げ、

「――――――――! 」

 と、気狂いのような大声を出した。すると須臾にして河は鳴りを潜め、穏やかな凪となった。クラウスとソフィアは唖然として何も言えなかったが、ランレイは大喜びで、渡し守の手を掴んで、

「――――! ――――! 」
「お、おいお嬢さん。何だよ、俺は大昔から伝わってるお呪いで神様に祈っただけだぞ」
「す、すみません。ほらランレイ、行くよ。有難うございます」
「ああ、筏は向こう岸にいる仲間に渡してくれれば良いからな。気を付けて行けよ」

 一行は筏の纜を解き、クラウスとソフィアが櫂を取って漕ぎ出し始めた。先程の荒波が嘘のように穏やかな河の上、夕陽に燃える水面は、いと鮮やかであった。
 赤い螺鈿細工、錦繍の紅織物のような河は彼方の地平線に沈んでいく夕陽の斜陽を受けて、ますます燃え盛って煌めきを増す。
 クラウス達は、対岸の水車小屋の渡し守の筏を渡して、その日は近くで野営した。

 翌朝、クラウスが一番に起きて、女二人を起こした。彼が鳥獣の肉を串刺しに焼いていると、ソフィアが、

「ねぇクラウス。あたし達、本当に冒険に出たんだね。昨日眠った時は夢なんじゃないかって思ってたけど、今こうして起きたら外の世界にいるんだもん。ふふふ、何だかこれから楽しみ」
「楽しみぃ? 村から追い出されて、この後どうするんだよ。その占い師に会わせて、この女の子の故郷を探したら、俺達、ただの浮浪者だぜ」
「さあ? 今は後の事なんて考えて無いですよー」
「ちょっと、おいおいおい。俺は浮浪者なんてごめんだぜ」
「ふ、ふ、ふろうしゃっ。ふろうしゃ! 」
「こら、ランレイ。変な言葉覚えないの…ってクラウス、燃えてるじゃない! 」

 うわっ、とクラウスは松明のようになった串を振り回して、何とか肉に付いた火を消したが、その日の朝食は、炭の固まりになってしまった。

 数日後、ヘルネの街に至った一行は、占い師の家を探した。ランレイは、初めて見る街並みに眼を輝かせて彼方此方動き回るので、クラウスが彼女を押さえ、ソフィアが占い師の家を聞き込みした。
 やがて一行は、街の一角にある豪奢な屋敷に入った。そこは、占い師でもあり学者でもあるアクィナスが、功績を称えられて王国から下賜された屋敷である。
 木戸を叩くと、中から男の下人が一人出て来て用向きを尋ねた。ソフィアが答えて言う。

「あたし達、言葉が解らない女の子の故郷を探したくて、此処にいる先生ならもしかして解るかもしれないと思って来たんです」
「少々お待ちください。さ、中へどうぞ」
「有難うございます。ほら二人も」

 三人は、慣れない応接間に通され、殊にクラウスは居心地が悪そうである。ソフィアも中々自若としているが、どうにも慣れない雰囲気は隠しきれない。ランレイは部屋にある調度品や家具を興味深そうに眺め、長椅子に寝そべったりしている。
 すると戸が開いて、歳七十ほどの老翁が現れた。眼鏡を掛けて白髪を戴いているが、彼が漂わせる知識人の雰囲気は、争えぬ学識を感じさせる。
 アクィナスは、眼鏡を上げて、

「その女の子の言葉が解らないそうだね。君、話してごらん」
「ランレイ、解る? お、は、な、し」
「…? ――――? 」
「うん? もう一度話してみなさい」
「――――! 」

 アクィナスは、眼を白黒させてクラウス達を、自分の書斎に案内した。そして分厚い本を一冊取り出して、一枚一枚めくりつつ、懸命に語りかけた。

「――――、――、ランレイ? 」
「――――――――――――――――! ――――――! 」
「――――、――――? 」
「――――――――――! 」
「うーむ。駄目だ解らん。早口だし、一々調べなくてはいけない。それに変な訛りもある」

 アクィナスは匙を投げてしまった様子で溜息を付いた。そして、クラウス達に、持っていた言語辞典を見せて曰く、

「ランレイが話しているのは古代語だ。それも数千年前のものだ。私が今使っていた辞典も、伝承や口伝を私がまとめたものだから正確では無い。だが古代語を話すなんて、一体何者なのだ? 」
「あたし達も解らなくて…どうしよう」
「ソフィア、――――? 」
 
 項垂れて悄然としてしまったソフィアを見て、クラウスはアクィナスに、誰か他に解る人はいないのかと尋ねた。アクィナスは、しばし考えていたが、手を打ってまた棚から巻紙を取り出して、机の上で開き、

「此処が今我々がいるヘルネだ。此処からずっと東に行くと、レンツ山がある。そこの山頂に私の師が住んでいるのだ。私の師は優秀な呪い師でな。もしかすると君達の力になってくださるかもしれない」
「そうですか。だいぶ遠いな…」
「――――! 」

 ランレイは二人の間に割って入り、机の上に膝を付いて、地図の裏にある世界と表にある世界を交互に指して、大声を何度も上げている。
 すぐにソフィアが引き剥がしたが、ランレイは何度も大声を出している。曰く、

「――、――! ――、――! どーん! 」
「と、とにかくだ。力になれなくて済まないが。レンツ山に行きなさい。私の師はリーシャン先生と言う方だ。山頂の庵に、お一人で暮らしておられる。この地図を持って行きなさい」
「有難うございます。ほら、行こうぜ」
「う、うん。本当にすみませんでした。ほらランレイ、行こう」
「――――…」

 三人は逃げるようにアクィナス邸から出ると、その日は宿屋に入った。
 ソフィアは地図を見てレンツ山の位置を確認すると、喜んでランレイに、

「ランレイ見てっ。此処に行けばあなたの故郷が解るかもしれないんだって」
「――――――! ――」
「うんうん。きっと嬉しいよね。うんうん」
「へいへいご苦労なこった。ま、二人とも明日から頑張れよ」

 ソフィアは、驚いてクラウスに詰め寄って、どういうことか質した。クラウスは当然顔して、この街ならのんびり暮らせそうだからな、と欠伸をして牀に横たわったが、ソフィアの大声で跳ね落ちた。
 何だとクラウスが立ち上がってみると、彼女は瞋恚の眼差しを彼に向け、

「ちゃんと最後まで責任を持たなくちゃ駄目っ。こんな言葉も解らない、歳下の子を見捨てる気? ランレイを故郷に送るまで付いて来てよ」
「そ、そんなに怒るなよ…解ったから、な、な」
「よろしい。さ、もう寝ましょ」
「…鬼女」

 その夜半、三人が静かに寝息を立てていると、不意にランレイが呻きだした。悪夢でも見ているのか、満顔に冷や汗をかいている。

「――――…――、――…! 」

 ランレイはと起き上がって、荒い息に肩を上下させながら、眼に涙を浮かべて周りを見た。ひどく怯えた様子で、牀の上で膝を抱えていたが、やがてソフィアの牀に潜り込んで、その夜は眠れぬ夜を彼女に抱きつきながら震えて過ごしていた。
 翌朝、クラウスが起き出すと、彼はランレイを見つけた。人知れず泣いていた昨夜とは違い、朝陽に照らされ、笑顔を浮かべてこそいるが、何処か悲しげな影がある。

「どうした? やけに早起きだな」
「クラウス・・・――――」
「あれ? 二人ともどうしたの? クラウスはともかく、ランレイが早起きなんて珍しい」
「ソフィア・・・――――」
「そんな悲しそうな顔しないの。すぐにあなたの故郷を見つけてあげるから。さ、行こう行こうっ」

 ソフィアはランレイの手を引いて、もうレンツ山を指して歩き始めた。ランレイも笑顔で付いては行くのだが、彼女の本心は何処にあるのだろうか。
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