【本編完結】セカンド彼女になりがちアラサー、悪役令嬢に転生する

にしのムラサキ

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大人たちは悪役令嬢を心配する

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 「……いいお嬢さんですね」

 広い部屋だ。マホガニーの机、医学書が詰まった重厚な本棚、椅子には白衣が乱雑に掛けられていた。
 マホガニーの机の前、来客用と思しきガラステーブルにはオリエンタルな蔦柄の、二客のティーカップ。
 その部屋の主である壮年の男は、目を細め、関西訛りの口調でそう言ってから、ひとくち、紅茶を口に含んだ。

「そうでしょう」

 男の向かいに座るうつくしい女は、そう言われて嬉しそうに微笑んだ。
 年の頃は分からない。一見すると40代にも見えるが、その落ち着いた所作は、還暦をこえているようにも感じられた。

「……しかし、"おばあちゃんの従姉妹"とは」

 男は不思議そうに笑った。

「なぜそんな嘘を?」

 女はそっと目を伏せた。

「……後悔しているんです」
「結婚を許さなかったことを?」
「ええ」

 女は紅茶を口に含み、それからまた口を開いた。部屋に、カチャリというティーカップとソーサーがぶつかる音が響いて、男は少し目を瞠った。そんな音を立てることを自分自身に赦すひとでは、なかったから。

「……わたしくしが、あの娘たちの結婚を許していれば。あの人が亡くなった時、あの娘はきっと、わたくしを頼ってくれました。そうすれば」

 女は震えていた。唇を噛み締めて。

「そうすれば、あの娘は、エミは、殺されることはありませんでした」
「常盤さん」

 男は気遣わしげに声をかけた。

「彼女の、エミさんの死は、貴女のせいでは」
「分かっています、分かっています、でも、ああしていれば、こうしていれば、ばかりが頭に浮かんで消えないのです」

 女は声を震わせ、眉根を強く寄せた。

「……なぜ結婚を許してやらなかったのです」
「わたくしの意思ではありません。常盤の家が許さなかったのです」

 女は弱々しく言った。

「本家は……兄は、あの子を、華を引き取ることさえ猛反対を……でももう、後悔をしたくなかったから」

 目線を上げ、女は強く言った。

「あの子を倖せにするために、わたくしは何でもしようと思うのです」

 男は頷き、口を開いた。

「……しかし、大きくなりましたね。産まれた時は3000グラムもなかったのに、もうあんなに走って、笑って」

 そして微笑む。

「秘密にしていたのですが、あの子が産まれた時、取り上げたのは僕だったんですよ」
「え」
「もちろん、貴女と僕の関係なんて、エミさんは知らなかったと思いますーー偶然、ですよ。彼女が当時僕がいた産婦人科を選んだのは」
「そう、でしたか」

 少し呆然と、女は相槌を打った。

「そう、でしたか……」
「一目で分かりました、貴女そっくりでしたから」

 それを聞いて、女は微笑んだ。

「華は、父親にそっくり」
「ああ、そうかもしれません」
「ええ。……あの人は、エミの夫は、正義感溢れる素晴らしい人でした」
「華ちゃんにも、そういうところがありそうですね」
「そう、ですね……その正義感が、華自身を傷つけないといいのですが」
「……これから、どうなさるんです?」
「とりあえず鎌倉へ連れて帰って、……折を見て鹿王院さんのお孫さんと婚約させようと思います」
「ロクオウイン、というと」

 男は笑った。

「静子さんのお孫さんですか」
「ええ。本家の人間も、鹿王院家の人間の婚約者を無碍にすることはないでしょうから」
「なるほど……、しかし、エミさんの二の舞になりませんか。第三者でしかない僕が、こういうことを言うのは、酷かもしれませんが」
「華が誰かを連れてきた時は連れてきた時、ですわ。早急に、華には庇護がいるのです。万が一、わたくしが早々にエミの所へ行こうと、あの子を守ってくれる誰かが」
「そう、ですか……」

 男は何か言いたげにしたが、すぐに気を取り直すように、ことさらに明るい声を出した。

「しかし、静子さんか。懐かしい。お元気ですか」
「ええ」
「鎌倉も懐かしく思います」
「……そうですか」
「美しい街でした」
「また、来られてみては? 観光で、そう……奥様と」

 男は一瞬黙ったのち、破顔した。

「僕は独身ですよ」
「え」

 男は少し目を伏せた。

「僕の心はあの時のままです」

 男の目は、何かを懐かしむように細められた。

「あの鎌倉の夏を、僕は生涯忘れないでしょう」
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