【本編完結】セカンド彼女になりがちアラサー、悪役令嬢に転生する

にしのムラサキ

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分岐・山ノ内瑛

そのひとのこと(side瑛父)上

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 その女性ひとには2回会ったことがある。1度目は未亡人になったばかり、そして2度目に会った時は、彼女はもうこの世の人ではなかった。
 1度目に会った時、喪服の彼女は凛として前を向いて正座していた。膝には黒いワンピースの、4歳くらいの女の子。

「この度は」

 俺が声をかけると、彼女はぺこりと頭を下げた。膝の女の子は不思議そうに母親を見上げてきょとんとした。まだ何が起きたか分かっていないのだろうと思った。

「京都地検の山ノ内です」
「ああ、お世話に」
「いえ、担当だからというわけでは」

 俺は少し目を伏せた。

「設楽巡査部長とは、何度か仕事で」

 そう言ってから、彼の階級が警部になっていることを思い出した。
 殉職による、二階級特進。

「そうでしたか」

 彼女は少し頬をゆるめて、膝の上の女の子に「華、ご挨拶なさい」と言った。女の子は俺を見て、不思議そうに頭を下げた。
 可愛らしい子猫のような瞳。
 
(顔立ちは設楽さんに似ている)

 そう思いながら、黒い額縁の中の、警官の制服を着た設楽さんの写真を見る。生真面目そうな目。実際、正義感にあふれた、いい警察官だった。

 設楽巡査部長はちょっとした有名人だった。彼の母君はロシア人で、ハーフ(今はダブル、というのだろうか)の警察官は全国的に非常に珍しく、その上顔立ちも整っていたため、テレビの取材などもよく受けていたのだ。もちろん、府警の広報を通してだけれど、「交番のイケメンおまわりさん」としてファンなんかもいたらしい。俺は何度か仕事の関係で話したことがあり、その誠実な人柄にも好感を覚えていた。
 高校生の頃に、相手方の飲酒が原因で起きた事故で両親を亡くし、交通課勤務を希望して警察官になったという。愛妻家で、自分そっくりの娘を溺愛している、良き家庭人でもあったそうだ。

 そしてーーその事件のことは、今も鮮明に覚えている。春真っ盛りで、桜が満開の、そんな時期だった。
 その時俺は京都地検の特刑部に勤務しており、昼休みに総務課の文書係を訪ねていた。事務官はお昼で外に出ていて、しかし少々急ぐ取り寄せの記録があったのだ。

「長野からの記録、届いてない?」
「まだですねぇ。昨日発送みたいですからお昼過ぎには」

 文書係はもぐもぐとおにぎりを食べながら言った。

「郵便局に問い合わせますか?」
「いや、いいよ、届いたら内線頼むね」
「分かりました」

 ちょうどその時、隣のデスクの島、庶務係の電話が鳴る。内線の音だ。

「はい、庶務……え、テレビ? はい」

 昼休み、公営放送が入っているテレビを電話を取った彼は民放に切り替える。

『見えますでしょうか、刃物、これは、日本刀でしょうか、日本刀を持った男が』

 アナウンサーの緊迫した声。

 あとで知ったことだが、元々は満開の桜とお花見の様子を撮りに来た民放のお昼の番組だったらしい。京都の桜の生中継、その予定がとんだ惨劇の放送に切り替わったわけだ。

「なんやこれ」

 次々にデスクから立ち上がり、テレビの前に集まる。だが、すぐに画面はスタジオに切り替わった。音声だけで中継は続く。

「なんでやねん」
「や、放送できんでしょ」

 職員たちは音声だけで伝えられる惨劇に、焦燥を明らかにしながら、ただ祈るようにざわついていた。
 隣の部屋の部署からも騒めきが聞こえる。
 少し離れた府警本部から、次々に赤色灯をつけたパトカーが出て行くのが窓越しに見えた。
 その男は日本刀で次々に人を切りつけていったらしいーー実のところ、被害者に男性はほとんどいなかった。男は日本刀という凶器を持ってさえ、自分より弱い人間を狙った。
 死者重軽傷者13名中、成人男性の被害者で死亡したのはたった1人。それが設楽さんだった。非番で家族と花見に訪れていたらしい。
 設楽さんは男が狙った親子連れ、切りつけられながらも我が子を庇う赤の他人の女性を守るために立ちはだかり、左肩から腰までを袈裟懸けにされた。それでも男に組みついて、男を取り押さえたとのことだ。
 そのわずか1分後、駆けつけた警官隊が設楽さんと入れ替わりに男を取り抑えた時に、安心したように笑って意識を失ったらしい。すぐに搬送されたが、死亡が確認されただけだった。
 設楽さんが庇った女性も、その後死亡が確認された。だが、設楽さんと母親に守られて、その3歳の男の子は怪我ひとつなかったらしい。

 別に会う必要はなかった。
 ただ、設楽さんが命がけで守った男の子が、どんな子なのか、少し気になっただけだった。だから事務官も連れず、一人でその施設を訪れた。

「検事さんがわざわざ来はるとは思いませんでした」

 児童養護施設で、俺を案内してくれた女性の職員はそう言った。

「そうですか?」
「はぁ……あ、でも、何も証言とかできひんと思いますよ」
「いや、それは大丈夫です」

 俺がそういうと、彼女は不思議そうに俺を見た。それからぽつり、と口を開いた。

「せやけど、不憫ですわ。まだ3歳やのに、いきなり、あんな……離婚した父親のほうにも連絡取れたんですけど、引き取るつもりはないそうで」

 その子の母親はシングルマザーだった。離婚した夫はホストで、彼女は昼間は子供の世話、夜は子供を夜間保育に預けてキャバクラで働いていたらしい。

「いいお母さんやったらしいですわ。自分は学がないから夜の仕事しか出来ひんけど、でも子供に寂しい思いさせたくない言うて、睡眠時間削って昼間はずうっと相手してあげて、寝てる間に働いて……」

 彼女少し涙声になった。

「もう何週間も経つのに、まだ泣き止まんのです。起きてる間はずうっとママ、ママ、言うて探さはるんです。もう、職員もどないしたらいいか分からんで」
「……そうですか」
「あ、あの子です」

 言われた方を見ると、小さな男の子はじっと窓に張り付くようにして外を見ていた。

「ああやって、母親が迎えに来るのを待ってはるんです……アキラくん、ちょっとええ?」

 アキラと呼ばれた男の子は、泣きはらした目でこちらを見て、またすぐに窓の外を見た。

「少しだけいいかな」

 俺も声をかけた。

「いやや」

 はっきりとその子は言った。

「ママ来たらすぐでてったらな、ボクに会えへんでさみしがってはるもんママ」
「……、せやな」

 結局、俺はその子が窓から必死で母親を探しているのを、後ろから眺めるだけで施設を辞した。
 なにもできなかった。

(俺がどれだけ頑張っても、世界は変わらないのかもしれない)

 諦観のような、重い何かが澱のように胸に沈んでいく。
 庁舎に戻り、残りの仕事を済ませ、当時住んでいた桂にある官舎に帰宅すると、妻はまだ起きていた。

「大丈夫?」

 よほどひどい顔でもしていたのだろうか、開口一番に彼女はそう言った。
 あまり俺は仕事のことは話さない。だが、一人で抱えるには辛すぎて、ぽつりぽつりとあの子のことについて話した。

「そう」

 妻は目を伏せて言った。

「そうやったんや」
「なんもでけへん自分がもどかしいわ」

 ネクタイをゆるめ、スーツのまま俺は食卓に座って呟いた。

「……どやった、今日、こどもらは」

 当時、長女の光希は高校生、次女の伊希は中学生、三女の皐が小学5年生、長男の優希はまだ2歳だった。

「皆元気でしたよ」

 妻はぽつりと簡潔に言って、それから「あたしその子に会いたい」と呟いた。

「は?」
「その、アキラくん?」
「なんでや」
「なんとなく、オンナの勘」
「なんやそれ」

 俺は呆れた。

「そんなもんで関係者に会わせられへん」
「ええやん」
「ダメや」

 俺はたしかにそう言ったのに、妻はどこをどう探したものか、勝手にあの子に会いに行ったらしい。そして驚くことを言い出した。

「ウチに来てもらお」
「は!?」
「4人も5人も変わらんわ」
「は!? や、変わるて。やない、何言うとんのか自分で分かっとるんか」
「分かってるで」

 そう言う妻の目は、決して譲らへんぞという決意で満ち満ちていた。

「大人の手が足りんわ」

 そういう妻の希望で、俺たちは俺の実家がある神戸に越すことになった。光希は大阪の高校に通っていたので通学時間も変わらなかったし、伊希も皐もうちに来たばかりの瑛のことを心配していたので、転校すらも即答で了承した。我が娘ながら、なんというか、かっこいいと思った。俺の娘じゃないみたいだった。妻に似たんだと思う。
 しばらく京都で一人暮らしした俺もその後異動が認められ、神戸へ引っ越した。最初の数年は大阪で、そのあと神戸で勤務して今に至る。
 かくして山ノ内瑛となったその男の子は、少しずつ、少しずつ、家族に馴染んでいった。

 妻は苦労したと思う。イヤイヤ期盛りの優希を抱えて、瑛は全然懐かない。三姉妹は思春期だ。
 俺もさすがに仕事を控えて、できるだけ早く帰宅するようにしていた。もう瑛は覚えてもいないだろうが、当時は夜、一緒に眠っていた。泣きながら起きる瑛を、抱っこして(重かった!)寝かしつけたのは俺だ。
 当初、瑛は昼間、相変わらず窓の外を見ていた。"ママ"の迎えを待っていた。
 それがゆっくりと、喋るようになり、笑うようになり、窓の外を見なくなった。
 笑いながら家中を駆け回り、家中どころか近所中を駆け回り、近所中どころかどこへ行ったかも分からない所まで駆け回り、すっかり生来の明るさを取り戻した頃に、特別養子縁組が成立した。瑛は法的に実子として扱われ、戸籍から養子の二文字が消えた。
 その頃には家族の誰からも瑛と血の繋がりがないことなどすっかり頭から消え、俺の母親なんかは「アンタの小さい頃にそっくりやホンマ、ゴンタで困る」とぶつぶつとグチを言うくらいだった。

(いつかは本当の母親のことを伝えなくてはいけない)

 そう思いながらも、日々は過ぎ去っていった。
 そんなゴンタな瑛は、小学校にはいってすぐ、運命的なものに出会う。バスケットボールだ。
 近所の子に誘われて、ミニバスのチームを見に行ったらしい。そこですっかりハマって、そこから瑛の生活はバスケットボール一色になった。
 それから瑛は、ひどく女の子にモテた。実の両親から受け継いだのだろう綺麗な顔立ちは、長じるにつれ年々端正さを増して、小学校三年生くらいの時にはファンクラブまで作られていた。
 ただ、本人はひどく嫌がり、半ば女性不信のようになっていた。姉3人による「女の子には優しくしなさい教育」もあり、冷たくできない瑛はますますモテた。

「ホンマ嫌」

 瑛は事あるごとに言った。

「オンナってあんなやつらばっか」
「そんなことないやろ」

 小学校三年生くらいだと思う、珍しく観に行けた瑛の試合の帰り道、瑛はイライラしながらそう言った。あまり調子も良くなかったし、なのに観客席からはキャアキャア騒がれて、本気で嫌気がさしていたのだろう。

「お前をあんな風に扱わない女の子、きっといるよ」
「ほんまに? 最初はそうかなとか思ってても、すーぐ顔赤なるで、腹立つ」
「なにが腹立つん、ぽーっとされて。父さんイケメンやないから羨ましいけど」
「見てるん顔だけやん、俺は中身見て欲しいんや」
「ほーん」

 小3やのに苦労してんなぁ、そう思いながら頭を撫でると、「なんやきっしょいな」と言葉と裏腹に笑うので、ああ、ほんまコイツ天邪鬼やな、俺の小さい頃とソックリやな、と俺も思ったのだった。
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