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春祈祭
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(どういうつもりで、浩然は私を連れて逃げてくれると言ったのかな)
ちくちくと布に針を通しながら、私はぼんやりとそう考えていた。
北国の苒に、まだ雪が残るとはいえ、やっと春の息吹が届こうとし始めていた、そんな頃。
前世の記憶が戻ってから、冬から春へと、季節がひとつ巡りつつあった。
その間に、じわじわと私は「前世」の記憶を受け入れていった。
漫画のことだけじゃなくて、色んなことを思い出して、そうして、乾いた大地に水が染み込むように、記憶がゆっくりと私のものになった。
そんな風に、ゆっくりと私は「前世」を受け入れて、だからこそハッキリと思う。
(前世で見た「漫画の嫦娥」と、私は別の人間だ)
ここは漫画の世界じゃない。
……嫌になるくらいに、現実だ。
そして「前世の私」と「今の私」も、また別人、なんだと思う。
(映画の内容を知ってる、みたいな感じかなぁ)
前世の私についての記憶がある、みたいな感覚だろうか。あくまで、別人。
それでもおそらく、このまま流されていけば私は本当に後宮に入ることになるのだろう、とは思う。
(それは……嫌だ)
皇帝陛下ーーまだ年若いはずの皇上は「かなりの女好き」と噂だった。
なんでも後宮に召し上げては、数回相手をして、子ができる前にすぐに他の人間に妻として下賜されるらしい。
……それってさあ、新しいもの好きってこと?
(おんなを何だと思ってんのかな)
そんなところに、行きたくなんかない。
皇上の寵愛なんかほしくないし、そもそも皇后なんかになりたくない。
(私は、浩然と一緒に南へ逃げるんだ)
あったかい国で、のんびり平和に、平穏に暮らしていく。
と、ちくりと針が指をさして、意識を手元に戻す。
私がいま作っているのは、5日後に執り行われる春祈祭で使う飾りの布。
(本来はその家の「婦」たるーーまぁウチでいうならばお義母様が作るものなのだろうけれど)
当然のように、私に丸投げされていた。
(ま、裁縫は嫌いではないから)
気持ちを切り替える。少なくとも、これをおとなしく縫っている間は鞭で打たれることはない。
春祈祭とは、字の通りに春を祈るお祭りで、その年の豊作を祈って執り行われる。
(本来なら、易……占いで日取りを決めるのだけれど。お父様が亡くなってから、お義母様が勝手に決めちゃうんだよなぁ)
私だって、占いはそう信じている方ではないけれど……なんだか、お父様のやり方を否定されてるみたいで、すこし嫌な気持ちにはなる。
(小さい頃、このお祭り、好きだったなぁ)
田んぼに見立てた雪の空間に、苗に見立てた松葉を刺して、春が来て水が緩み、無事苗植えできるよう祈るお祭り。
(お父様と、浩然と、一緒に松葉をさしてまわって)
はしゃいでこけて、怒られたりもして。
「嫦娥、そんなことでは仙女というより兎じゃないか」
お父様はそう言って笑った。私の名前は、月の仙女様と同じ名前だったから。
「わたしの白兎」
幼い私を、時折父はそう呼んだ。
秦家は大地主でもあるから、結構盛大なお祭りだった……本当に楽しかった。
今年も盛大に行われるのだろう。
親戚縁者、使用人、それから雇っている小作人さんや、とにかく大勢を招いて行われる。
料理やお酒を振る舞うだけではなくて、耳という祀をとりおこなう。
それは、礼物……つまり、生贄を捧げるということ。そうして、安寧を祈るのだ。
「春祈祭の騒ぎに乗じて逃げよう」
浩然はそう言った。
「その頃には、鵲山もなんとか通れるようになっているはずだから」
私たちが住む皇都、蘇京は四方を山に囲まれている。南の港へ向かうには、南にある鵲山を超えなければなない。
南とはいえ雪国の苒のこと、相当に雪深いのだけれど、春祈祭の頃になると雪も減って人の手が入るようになり、なんとか通行できるようになる。
(漫画の嫦娥は)
ふ、と思う。
逃げなかったのだろうか?
浩然といっしょに……と、意識がまた彼を思う。
一緒に逃げようと言われた日から、なぜだか気がつけば浩然のことを考えている。
(なんでだろ)
あの綺麗な切れ長の瞳で、私を見る目を思い出すと、すこし不思議な気持ちになる。
(お兄様みたいな存在なのに)
浩然も、私を妹のように思ってくれているからこそ、ここから連れ出してくれると言ってくれたんだろうにーー。
ちくちくと布に針を通しながら、私はぼんやりとそう考えていた。
北国の苒に、まだ雪が残るとはいえ、やっと春の息吹が届こうとし始めていた、そんな頃。
前世の記憶が戻ってから、冬から春へと、季節がひとつ巡りつつあった。
その間に、じわじわと私は「前世」の記憶を受け入れていった。
漫画のことだけじゃなくて、色んなことを思い出して、そうして、乾いた大地に水が染み込むように、記憶がゆっくりと私のものになった。
そんな風に、ゆっくりと私は「前世」を受け入れて、だからこそハッキリと思う。
(前世で見た「漫画の嫦娥」と、私は別の人間だ)
ここは漫画の世界じゃない。
……嫌になるくらいに、現実だ。
そして「前世の私」と「今の私」も、また別人、なんだと思う。
(映画の内容を知ってる、みたいな感じかなぁ)
前世の私についての記憶がある、みたいな感覚だろうか。あくまで、別人。
それでもおそらく、このまま流されていけば私は本当に後宮に入ることになるのだろう、とは思う。
(それは……嫌だ)
皇帝陛下ーーまだ年若いはずの皇上は「かなりの女好き」と噂だった。
なんでも後宮に召し上げては、数回相手をして、子ができる前にすぐに他の人間に妻として下賜されるらしい。
……それってさあ、新しいもの好きってこと?
(おんなを何だと思ってんのかな)
そんなところに、行きたくなんかない。
皇上の寵愛なんかほしくないし、そもそも皇后なんかになりたくない。
(私は、浩然と一緒に南へ逃げるんだ)
あったかい国で、のんびり平和に、平穏に暮らしていく。
と、ちくりと針が指をさして、意識を手元に戻す。
私がいま作っているのは、5日後に執り行われる春祈祭で使う飾りの布。
(本来はその家の「婦」たるーーまぁウチでいうならばお義母様が作るものなのだろうけれど)
当然のように、私に丸投げされていた。
(ま、裁縫は嫌いではないから)
気持ちを切り替える。少なくとも、これをおとなしく縫っている間は鞭で打たれることはない。
春祈祭とは、字の通りに春を祈るお祭りで、その年の豊作を祈って執り行われる。
(本来なら、易……占いで日取りを決めるのだけれど。お父様が亡くなってから、お義母様が勝手に決めちゃうんだよなぁ)
私だって、占いはそう信じている方ではないけれど……なんだか、お父様のやり方を否定されてるみたいで、すこし嫌な気持ちにはなる。
(小さい頃、このお祭り、好きだったなぁ)
田んぼに見立てた雪の空間に、苗に見立てた松葉を刺して、春が来て水が緩み、無事苗植えできるよう祈るお祭り。
(お父様と、浩然と、一緒に松葉をさしてまわって)
はしゃいでこけて、怒られたりもして。
「嫦娥、そんなことでは仙女というより兎じゃないか」
お父様はそう言って笑った。私の名前は、月の仙女様と同じ名前だったから。
「わたしの白兎」
幼い私を、時折父はそう呼んだ。
秦家は大地主でもあるから、結構盛大なお祭りだった……本当に楽しかった。
今年も盛大に行われるのだろう。
親戚縁者、使用人、それから雇っている小作人さんや、とにかく大勢を招いて行われる。
料理やお酒を振る舞うだけではなくて、耳という祀をとりおこなう。
それは、礼物……つまり、生贄を捧げるということ。そうして、安寧を祈るのだ。
「春祈祭の騒ぎに乗じて逃げよう」
浩然はそう言った。
「その頃には、鵲山もなんとか通れるようになっているはずだから」
私たちが住む皇都、蘇京は四方を山に囲まれている。南の港へ向かうには、南にある鵲山を超えなければなない。
南とはいえ雪国の苒のこと、相当に雪深いのだけれど、春祈祭の頃になると雪も減って人の手が入るようになり、なんとか通行できるようになる。
(漫画の嫦娥は)
ふ、と思う。
逃げなかったのだろうか?
浩然といっしょに……と、意識がまた彼を思う。
一緒に逃げようと言われた日から、なぜだか気がつけば浩然のことを考えている。
(なんでだろ)
あの綺麗な切れ長の瞳で、私を見る目を思い出すと、すこし不思議な気持ちになる。
(お兄様みたいな存在なのに)
浩然も、私を妹のように思ってくれているからこそ、ここから連れ出してくれると言ってくれたんだろうにーー。
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