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魔軍上陸編
過去の禍難 1
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我は何をしているのだろう、と脳裏を何度過ぎった事か。
エントロピーを迎えにきた筈だった。しかし気づけば名前も顔も知らぬ少年と戯れている。
拳と拳、肉体と肉体、青と紅。対極たる色彩と交えている。
最初は身の程も弁える事すらできぬただの愚かな若輩と思っていた。
しかし``凍域``を相殺してからというもの、少年の攻防には鬼気迫る何かがある。
攻撃、防御、敏捷。その全てが、形態変化を為す以前を大きく凌駕しているのだ。
一撃は、より重く、より速く、より的確に。
火属性系魔法と剣を組み合わせ、より隙の無い、相手を抉るような剣戟をコンスタンスに入れてくる。
その動態は、的確で濃密な訓練がなされているだけではない。全ての攻撃に殺意が込められているのだ。
相手を一瞬で抉り殺すという殺意が。
じわじわと追い詰め、己に楯突いた事を後悔させてやるという歪んだ敵意が。
先程までの若輩な雰囲気など皆無。既に此奴は一人の戦士。
言葉など無く、ただ前に立ちはだかる者を一殺する劇的な意志のみを刃に載せて、武を揮う者。
その証拠に、風貌もまた人間のそれでは既に無く、身体の至る所に赤黒い鱗のようなものが見え隠れしていた。
まるで荒れ狂う獣の如く。
だがヒトらしい激情に駆られているが如く。
対極の色彩をぶつけ合い、相殺し合う中でも、少年の眼は激情に燃え盛ってこそいたが、どこか虚ろで、相手を見ていないように思えた。
相手の感情を察するのには自信が無い。
何なのか明確に分からないが、思いつきの推測で語るのならば、少年はただ単に無念を晴らしたいだけなのかもしれぬ。
何故かは問う気は無いし興味も無い。齢二十に満たぬ者を熾烈に突き動かせる何かもまた分からぬ。
我を中心に吹き叫ぶ寒波を業火で焼き尽くしていくように、少年は少年自身と戦っているのかもしれぬ。
嘗ては何か大義を背負っていたのだろうか。その大義を果たせなかった報いを熱く、厚く刻んでいるようにも思える。
エントロピーを捕えて狭き牢に閉じ込めた怒りと、半身でありながら側にいてやれなかったやるせなさを埋め合わせる。
ただそれだけの為に、この地一帯を氷雪で封じ込めた我が今、そうであるように。
攻め護り、護り攻める。双方一切譲る事無く無際限に繰り返す中で、我はふと、ある記憶を呼び覚ました。
もう永らく間近で見ていなかったが、此奴の姿はあまりに懐かしく、そして忌々しい。
間違いなくあれは``竜人``。現代において、大陸南部に生息する種族``人間``と同じ姿で基本的に生活を営むが、怒りや悲しみ、興奮等。
感情の起伏等の理由で身体中に爬虫類の如き鱗を纏い、肉体性能が通常の数百倍以上になる能力``竜人化``を持つ者ども。
そして``人間``という種族の原型、少年を含めた全ての先祖に当る。
正式にはヴァルヴァリオン人と呼ばれ、此処より遥か北方、北ヘルリオン山脈を越えた先で、嘗ては宗教国家を営んでいた。
遥か昔は、この大陸において最初に栄えた大国であり、最古の文明発祥地と名高い。
彼ら竜人族がいなければ、文明社会は現在ほど発展などしなかったであろう。魔法や魔術の概念も、元を質せば、彼らが始原。
しかし、我はあの国が大嫌いだ。
確かに一時期はヒューマノリア大陸全土を支配できてもおかしくない強大な力を有していた。
だがいつからか、宗教理念で国民同士が醜く対立するようになった。その期間、およそ一千万年。
あらゆる悪虐非道を以って、我等や先人等が築き上げてきたもの全てを、尽く破壊していったのだ。
ヴァルヴァリオンが大陸史上、最も栄えある種族と呼ばれたのは、今や遠い遠い昔の話。
かくいう我もエヴェラスタの支配者となる前は、そのヴァルヴァリオン人であったが。
ヴァルヴァリオン文明が潰えて約三億。
今でこそ時間という名の特効薬によって振り返る事のできる記憶だが、今でも忌々しく、我の中に過去最大の汚泥として刻まれている。
竜人である事を辞して尚、未だ消す事叶わぬ程深く。よりによってあの場面が想起されてしまうとは―――。
―――世界が覆うは戦の業火。
我が一個人として生れ落ちた頃、ヴァルヴァリオンの世界には、醜悪な生殺与奪が跋扈する混沌の世が横たわっていた。
既にヴァルヴァリオンの全盛期は過ぎ去り、本国近辺は戦の炎に包まれ、人々の殺意が火花の如く散っている。
我は当時、血生臭い戦場と化した本国から少し離れた草木根深い山岳地帯、エヴェラスタに隠れ住む少数民族の集落の者であった。
成熟するまで暫し平和を嗜めたが、所詮は長く続かぬが運命である。
あるとき、遂に狂信者の巣窟と化した本国の魔の手は、エヴェラスタにまで及んだ。
本国は我が長年過ごしてきた集落を``我らが神に仇為す異端者が住まいし穢れた地``とのたまった。
我等使徒の救済を受けよ、全ては我等が祖、エラドールを祝す為に在ると叫びながら。
本国で戦争していた者とただの村人どもでは、当然ながら相手にならない。抵抗も虚しく、村々は焼き払われた。
そのとき、我は何をしていたか。
生物と草木が焼け死ぬ匂いが横たわりしその場所で、息を潜め死神の鎌から全力で逃れようともがいていた。
当時の我は貧弱であった。目の前で業火を操る灼眼の少年にも下する存在であっただろう。
躊躇無く蹂躙される故郷の中で、ただただ気配を殺し、畏怖で涙しながら事の終息を待ち侘びる以外に、生存本能を全うする術など無い。
だがそのとき、たった一匹の小動物を戦火から護る為、戦場に飛び込んだ一人の淑女がいた。
彼女は一匹の小動物と引き換えに、自らの命を戦火に投げ打ってしまう。
我は空かさず駆け寄った。しかし、数少ない勇気を振り絞って駆け寄った頃には、彼女の命の火など、既に空前の灯火であった。
『ケルヴィン、ケルヴィン……! 死んでは駄目だ、お前はまだ導くべき弱き者達が……!』
『……ふふ……やっと……話せ……たね』
『そんな事はいい……! 血を……! 血を止めねば……!』
『いいの……遅かれ……早かれ……こう……なる……運命……だった……のよ』
『何を……!?』
『お願い……私の……代わりに……この子を……そして……私の……分まで……』
―――――――``生きて``――――――――
―――あの言葉から、三億の時が経った。
一千万年続いた忌々しいヴァルヴァリオン竜教大戦時代、初めて強くなろうと決意した日の出来事。
それをバネに師の下で五万年、修行を重ねた。
故郷エヴェラスタを護る為。ケルヴィンもとい、エントロピーの遺志を継ぎ、現在の強さを獲得する為に。
我らが故郷エヴェラスタが、永久氷山と呼ばれて幾星霜。
全ては己の大義の為に成した、忌々しい大戦への猛烈な反抗心。エントロピーを一度とはいえ死なせてしまった事への無念。
それが、あの氷山の本当の姿。
三億の時が経とうとも、永久氷山の支配者と呼ばれ世界の最果てに伝わる英雄譚に載ろうとも、晴れる事の無い白銀の世こそが、己への戒めなのだ―――。
``羅刹凍皇``ヴァザーク・リ・ゼロ・エスパーダ。永久氷山エヴェラスタの支配者。
その名を名乗り始めたその時から、我という存在は始まった。
かつては遍く緑と生物が彩る自然の宝庫であった故郷エヴェラスタが、無残にも焼け野原と化し、かつての如き輝きを失って後。
もはやあのような惨い出来事を二度と繰り返してはならないと、永遠に融ける事のない永久なる凍土に封じた日が、昨日のように思える。
今や氷属性系の魔生物が主な生態系と化した魔の世界となっているが、彼女にとってあの白銀の世は退屈であったのだろうか。
確かに嘗ての自然は見る影も無い。だがヴァルヴァリオンの遺跡に未だ住み着く往時の末裔が滅ばぬ限り、緑の復興などありえぬ。
限界集落に残っている存在も所詮は本国の生き残りの末裔。今も新設大教会などとつまらんものを建て、崇め奉っている始末。
三億の時が経とうと、狂信者の血筋は争えぬ状況だ。復興しようにも奴等が生きている限り、同じ悲劇を繰り返すのみである。
しかし、エントロピーがいない今、もはやそれ以前の問題。
エヴェラスタも大事だ。故郷を案じるのなら、今すぐにでも帰り、エヴェラスタを見守るべきであろう。
だがそれ以上に、人一人すら守れぬ者に、故郷を護れようか。
護愛する者を護れぬ者に、故郷を護る資格があろうか―――答えは述べるべくもない。
「……茶番はここまでだ、小僧」
紅の業火を自在に操る少年を足踏み一つで吹き飛ばす。衝撃波で身体の各所を凍らせた。
どうせどこから湧き出てくるのか皆目見当がつかない無尽蔵の霊力で融かしてしまうのだろうが、ならば融かせぬようにすれば良いだけの事。
もはや相手がどうあれ、後に引けぬ。少年を退け、力づくであろうが、縦令何人が阻もうが、我はエントロピーを連れ帰る。
こうなってしまった以上、この意地、この無念、突き通す以外に道は無いのだ。
我は遂に切り札を盤上に叩きつける。
「``零絶蔽域``、展開」
本来ヒト相手に使うものでは断じてない代物だが、相手はヒトでありながらの異形であり、自身を阻む最大の壁。
ならば真なる永久凍土に沈めてやるまでだ。
零絶蔽域。
全熱機関が決して辿り着く事のできないエントロピーの零点極限を現わした究極の極低温領域。
範囲は極めて狭いが、代わりに零絶蔽域れいぜつへいいきに入った存在は、体内の全エネルギーを消失し、二度と融解する事のない極低温の世界に轟沈する。
まさに真なる永久凍結。絶対にして零度による躊躇無き虐殺。
少年が尚も我が天敵である火炎を以って阻むというならば、融かす事も封殺する事も相殺する事も叶わぬ絶対零度で息の根を止めてくれる。
大気中の霊力が凝縮すると同時、蔽域内の温度は指数関数的に下がっていく。
霊力は大気中に普遍的に存在しているエネルギー。
本来なら大気中において濃度は均一であるが、霊力を我が体内に凝縮していく事で、大気中のエネルギーはみるみるうちに減っていくのだ。
エネルギーが減れば当然物体の運動も弱くなるのが摂理だが、それは運動エネルギーのみが減った場合のみ。
霊的なエネルギーは全ての現象に作用する。完全に零になった時、全物質の運動は文字通り停止するのである。
ヒトは知らずに霊力を扱い、触れているが、霊力とは現象の根本流動を司る概念。
零になれば、物の理など無意味となる。
さあもう終わりだ少年。人間に、絶対零度を耐え抜く力など無い。永久なる凍土に、その身を深く、深く沈めてしまうがいい――――――――。
エントロピーを迎えにきた筈だった。しかし気づけば名前も顔も知らぬ少年と戯れている。
拳と拳、肉体と肉体、青と紅。対極たる色彩と交えている。
最初は身の程も弁える事すらできぬただの愚かな若輩と思っていた。
しかし``凍域``を相殺してからというもの、少年の攻防には鬼気迫る何かがある。
攻撃、防御、敏捷。その全てが、形態変化を為す以前を大きく凌駕しているのだ。
一撃は、より重く、より速く、より的確に。
火属性系魔法と剣を組み合わせ、より隙の無い、相手を抉るような剣戟をコンスタンスに入れてくる。
その動態は、的確で濃密な訓練がなされているだけではない。全ての攻撃に殺意が込められているのだ。
相手を一瞬で抉り殺すという殺意が。
じわじわと追い詰め、己に楯突いた事を後悔させてやるという歪んだ敵意が。
先程までの若輩な雰囲気など皆無。既に此奴は一人の戦士。
言葉など無く、ただ前に立ちはだかる者を一殺する劇的な意志のみを刃に載せて、武を揮う者。
その証拠に、風貌もまた人間のそれでは既に無く、身体の至る所に赤黒い鱗のようなものが見え隠れしていた。
まるで荒れ狂う獣の如く。
だがヒトらしい激情に駆られているが如く。
対極の色彩をぶつけ合い、相殺し合う中でも、少年の眼は激情に燃え盛ってこそいたが、どこか虚ろで、相手を見ていないように思えた。
相手の感情を察するのには自信が無い。
何なのか明確に分からないが、思いつきの推測で語るのならば、少年はただ単に無念を晴らしたいだけなのかもしれぬ。
何故かは問う気は無いし興味も無い。齢二十に満たぬ者を熾烈に突き動かせる何かもまた分からぬ。
我を中心に吹き叫ぶ寒波を業火で焼き尽くしていくように、少年は少年自身と戦っているのかもしれぬ。
嘗ては何か大義を背負っていたのだろうか。その大義を果たせなかった報いを熱く、厚く刻んでいるようにも思える。
エントロピーを捕えて狭き牢に閉じ込めた怒りと、半身でありながら側にいてやれなかったやるせなさを埋め合わせる。
ただそれだけの為に、この地一帯を氷雪で封じ込めた我が今、そうであるように。
攻め護り、護り攻める。双方一切譲る事無く無際限に繰り返す中で、我はふと、ある記憶を呼び覚ました。
もう永らく間近で見ていなかったが、此奴の姿はあまりに懐かしく、そして忌々しい。
間違いなくあれは``竜人``。現代において、大陸南部に生息する種族``人間``と同じ姿で基本的に生活を営むが、怒りや悲しみ、興奮等。
感情の起伏等の理由で身体中に爬虫類の如き鱗を纏い、肉体性能が通常の数百倍以上になる能力``竜人化``を持つ者ども。
そして``人間``という種族の原型、少年を含めた全ての先祖に当る。
正式にはヴァルヴァリオン人と呼ばれ、此処より遥か北方、北ヘルリオン山脈を越えた先で、嘗ては宗教国家を営んでいた。
遥か昔は、この大陸において最初に栄えた大国であり、最古の文明発祥地と名高い。
彼ら竜人族がいなければ、文明社会は現在ほど発展などしなかったであろう。魔法や魔術の概念も、元を質せば、彼らが始原。
しかし、我はあの国が大嫌いだ。
確かに一時期はヒューマノリア大陸全土を支配できてもおかしくない強大な力を有していた。
だがいつからか、宗教理念で国民同士が醜く対立するようになった。その期間、およそ一千万年。
あらゆる悪虐非道を以って、我等や先人等が築き上げてきたもの全てを、尽く破壊していったのだ。
ヴァルヴァリオンが大陸史上、最も栄えある種族と呼ばれたのは、今や遠い遠い昔の話。
かくいう我もエヴェラスタの支配者となる前は、そのヴァルヴァリオン人であったが。
ヴァルヴァリオン文明が潰えて約三億。
今でこそ時間という名の特効薬によって振り返る事のできる記憶だが、今でも忌々しく、我の中に過去最大の汚泥として刻まれている。
竜人である事を辞して尚、未だ消す事叶わぬ程深く。よりによってあの場面が想起されてしまうとは―――。
―――世界が覆うは戦の業火。
我が一個人として生れ落ちた頃、ヴァルヴァリオンの世界には、醜悪な生殺与奪が跋扈する混沌の世が横たわっていた。
既にヴァルヴァリオンの全盛期は過ぎ去り、本国近辺は戦の炎に包まれ、人々の殺意が火花の如く散っている。
我は当時、血生臭い戦場と化した本国から少し離れた草木根深い山岳地帯、エヴェラスタに隠れ住む少数民族の集落の者であった。
成熟するまで暫し平和を嗜めたが、所詮は長く続かぬが運命である。
あるとき、遂に狂信者の巣窟と化した本国の魔の手は、エヴェラスタにまで及んだ。
本国は我が長年過ごしてきた集落を``我らが神に仇為す異端者が住まいし穢れた地``とのたまった。
我等使徒の救済を受けよ、全ては我等が祖、エラドールを祝す為に在ると叫びながら。
本国で戦争していた者とただの村人どもでは、当然ながら相手にならない。抵抗も虚しく、村々は焼き払われた。
そのとき、我は何をしていたか。
生物と草木が焼け死ぬ匂いが横たわりしその場所で、息を潜め死神の鎌から全力で逃れようともがいていた。
当時の我は貧弱であった。目の前で業火を操る灼眼の少年にも下する存在であっただろう。
躊躇無く蹂躙される故郷の中で、ただただ気配を殺し、畏怖で涙しながら事の終息を待ち侘びる以外に、生存本能を全うする術など無い。
だがそのとき、たった一匹の小動物を戦火から護る為、戦場に飛び込んだ一人の淑女がいた。
彼女は一匹の小動物と引き換えに、自らの命を戦火に投げ打ってしまう。
我は空かさず駆け寄った。しかし、数少ない勇気を振り絞って駆け寄った頃には、彼女の命の火など、既に空前の灯火であった。
『ケルヴィン、ケルヴィン……! 死んでは駄目だ、お前はまだ導くべき弱き者達が……!』
『……ふふ……やっと……話せ……たね』
『そんな事はいい……! 血を……! 血を止めねば……!』
『いいの……遅かれ……早かれ……こう……なる……運命……だった……のよ』
『何を……!?』
『お願い……私の……代わりに……この子を……そして……私の……分まで……』
―――――――``生きて``――――――――
―――あの言葉から、三億の時が経った。
一千万年続いた忌々しいヴァルヴァリオン竜教大戦時代、初めて強くなろうと決意した日の出来事。
それをバネに師の下で五万年、修行を重ねた。
故郷エヴェラスタを護る為。ケルヴィンもとい、エントロピーの遺志を継ぎ、現在の強さを獲得する為に。
我らが故郷エヴェラスタが、永久氷山と呼ばれて幾星霜。
全ては己の大義の為に成した、忌々しい大戦への猛烈な反抗心。エントロピーを一度とはいえ死なせてしまった事への無念。
それが、あの氷山の本当の姿。
三億の時が経とうとも、永久氷山の支配者と呼ばれ世界の最果てに伝わる英雄譚に載ろうとも、晴れる事の無い白銀の世こそが、己への戒めなのだ―――。
``羅刹凍皇``ヴァザーク・リ・ゼロ・エスパーダ。永久氷山エヴェラスタの支配者。
その名を名乗り始めたその時から、我という存在は始まった。
かつては遍く緑と生物が彩る自然の宝庫であった故郷エヴェラスタが、無残にも焼け野原と化し、かつての如き輝きを失って後。
もはやあのような惨い出来事を二度と繰り返してはならないと、永遠に融ける事のない永久なる凍土に封じた日が、昨日のように思える。
今や氷属性系の魔生物が主な生態系と化した魔の世界となっているが、彼女にとってあの白銀の世は退屈であったのだろうか。
確かに嘗ての自然は見る影も無い。だがヴァルヴァリオンの遺跡に未だ住み着く往時の末裔が滅ばぬ限り、緑の復興などありえぬ。
限界集落に残っている存在も所詮は本国の生き残りの末裔。今も新設大教会などとつまらんものを建て、崇め奉っている始末。
三億の時が経とうと、狂信者の血筋は争えぬ状況だ。復興しようにも奴等が生きている限り、同じ悲劇を繰り返すのみである。
しかし、エントロピーがいない今、もはやそれ以前の問題。
エヴェラスタも大事だ。故郷を案じるのなら、今すぐにでも帰り、エヴェラスタを見守るべきであろう。
だがそれ以上に、人一人すら守れぬ者に、故郷を護れようか。
護愛する者を護れぬ者に、故郷を護る資格があろうか―――答えは述べるべくもない。
「……茶番はここまでだ、小僧」
紅の業火を自在に操る少年を足踏み一つで吹き飛ばす。衝撃波で身体の各所を凍らせた。
どうせどこから湧き出てくるのか皆目見当がつかない無尽蔵の霊力で融かしてしまうのだろうが、ならば融かせぬようにすれば良いだけの事。
もはや相手がどうあれ、後に引けぬ。少年を退け、力づくであろうが、縦令何人が阻もうが、我はエントロピーを連れ帰る。
こうなってしまった以上、この意地、この無念、突き通す以外に道は無いのだ。
我は遂に切り札を盤上に叩きつける。
「``零絶蔽域``、展開」
本来ヒト相手に使うものでは断じてない代物だが、相手はヒトでありながらの異形であり、自身を阻む最大の壁。
ならば真なる永久凍土に沈めてやるまでだ。
零絶蔽域。
全熱機関が決して辿り着く事のできないエントロピーの零点極限を現わした究極の極低温領域。
範囲は極めて狭いが、代わりに零絶蔽域れいぜつへいいきに入った存在は、体内の全エネルギーを消失し、二度と融解する事のない極低温の世界に轟沈する。
まさに真なる永久凍結。絶対にして零度による躊躇無き虐殺。
少年が尚も我が天敵である火炎を以って阻むというならば、融かす事も封殺する事も相殺する事も叶わぬ絶対零度で息の根を止めてくれる。
大気中の霊力が凝縮すると同時、蔽域内の温度は指数関数的に下がっていく。
霊力は大気中に普遍的に存在しているエネルギー。
本来なら大気中において濃度は均一であるが、霊力を我が体内に凝縮していく事で、大気中のエネルギーはみるみるうちに減っていくのだ。
エネルギーが減れば当然物体の運動も弱くなるのが摂理だが、それは運動エネルギーのみが減った場合のみ。
霊的なエネルギーは全ての現象に作用する。完全に零になった時、全物質の運動は文字通り停止するのである。
ヒトは知らずに霊力を扱い、触れているが、霊力とは現象の根本流動を司る概念。
零になれば、物の理など無意味となる。
さあもう終わりだ少年。人間に、絶対零度を耐え抜く力など無い。永久なる凍土に、その身を深く、深く沈めてしまうがいい――――――――。
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