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裏ノ鏡編
分家派当主の日課
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弥平は追憶の渦から目を覚ました。
流川分家邸の一室、つい二ヶ月以上前まで私室として使用していた元私室で、机一杯に広げた情報の束を枕代わりに、頭を上げる。
懐かしい記憶。今からおよそ一年前の出来事を不意に思い出していたのか。
ここ数ヶ月間は敵組織の情報探査に忙殺され、真面な休息をとれていないせいだろう。
あくのだいまおう達の一件から一ヶ月半。既に五月に入り、季節は晩春。
気温も高くなり、舞い散る桜の風情を味わう花見の宴を開くなら今月がピークだと思われるが、我等流川に祝宴を開く余裕は無い。
一ヶ月半に集まった情報束から、有益なものを抽出して澄男に持って行かなければならないのだ。
我等が当主流川澄男は、情報提供者であるあくのだいまおうの助言を受け、本家邸から遥か北方へ直々に赴く事を決定した。
彼がエスパーダ戦において使用した身業``竜位魔法``の伝説は、ヴァルヴァリオン法国と言われる竜人族の国にある。
澄男が、どうして伝説級の身業を行使できたのかという要因を調べるには、その地に赴かなければならないのだった。
当然あくのだいまおうから全てを聞き出した方が安全で合理的だと思っていた。
しかし竜人族の国など、誰一人として人間が立ち入った事など無い。そもそも``竜人族``を垣間見た人間すらいないのだ。
竜人族と呼ばれる種族が存在する、という根も葉もない噂が、暴閥界で一人歩きしているにすぎないもので、大半の者は御伽噺であろうと思っている。
実在するか否かさえ不明な種族の、実在するか否かさえ不明な国に主人を赴かせる。
それがどれだけ危険な行為か、想像に難くない。
あくのだいまおうが悪戯に虚言を吐いているとは思えないが、あまりに物的証拠の無さすぎるため、不安は拭えないものであった。
取引上では、澄男が現地に赴き、彼を満足させ得る情報を手にできたなら、まずあくのだいまおうは信用するという体裁になっている。
従って現段階では、あくのだいまおうの助言を鵜呑みにする事はできない。側近として、より一層の情報精査を行わなければならないのだ。
現在要求されている情報は、ヒューマノリア大陸北方の地理。
ヒューマノリア大陸北方、厳密には北ヘルリオン山脈以北の地帯は人類未踏であり、どのような存在が生息しているのか、全く不明である。
隔絶された異世界と言っても過言ではないほどに。
流川分家邸は、敵組織襲来以前から北方地理の探索を独自に続けていたが、北ヘルリオン山脈を含め、北方地域には分厚い暗雲が常に覆っている。
従って、人工霊子衛星による上空からの撮影が行えず、地理探査はソナー等の地上調査のみで行わなければならない致命的な弊害があった。
そのような縛りの中でも、根気強く地理探査を繰り返してきた結果。
火山や氷河、深く生い茂った森林、砂漠等。様々な気候や地形がドッキングしている事実が分かってきた。
様々な自然環境が組み合わさっている以上、多くの専用装備やアイテムが必要になるだろう。
弥平は顎に手を当て、うーん、と唸る。
現状明確になっている地理として、永久氷山エヴェラスタと呼ばれる永久凍土の山脈がある事である。
三月下旬、澄男が交戦したヴァザーク・リ・ゼロ・エスパーダは、エヴェラスタの支配者だと揶揄されていた。
もし彼らとの会話が未だ望めるなら、登山ルートの通過地点としてエヴェラスタを選ぶという策もある。
エスパーダ達に頼めばエヴェラスタの地理情報を教えてくれるだろうし、上手く交渉すれば、彼の安全を確保してくれるかもしれない。
リスクは必要十分追わなければならないにせよ、少ないに越した事はないのだから。
しかし、問題はエヴェラスタがどこにあるか、である。凍土、氷河等があるのは分かっているが、詳しい位置は未だ判然としていない。
本家邸地下二階に拘束している彼等から聞き出すのが妥当だが、信用度の関係上、個人で調べた方が後々の問題は少なく、当分は根気の勝負である。
当主様はすぐにでも赴きたい御意志のようだが、もうしばらく待っていただこう。
霊子ボードに表示された情報の海から、指を滑らせ唸り、唸りながら指を滑らせる。
思索の湖は絶え間なく波打ち、少々肌寒く感じる強風が脳内を吹き荒らす中、私室の襖が静かに二回、優しく叩かれた。
「弥平様。お時間、よろしいでしょうか」
問題ありませんよ、と答えると、失礼致します、と襖が静かに開けられる。
現れたるは、迷彩服を着こなす灰色の髪の少女であった。
年齢は弥平と同程度。弥平から見て右側から伸びるサイドテールが静かに揺れ、エメラルドを彷彿とさせる黄緑色の瞳が光る。
腰を四十五度、深深と折り曲げて一礼。少女らしからぬ大人びた雰囲気そのままに、エメラルドカラーの瞳を、おもむろに此方へ向ける。
「弥平様の母君、白鳥迅風様より、ご通達です。お納め下さい」
少女から手渡されたのは一枚の霊子ボード。
最高機密を扱う為に``超暗号化``と呼ばれる魔法がかけられた特別製である。
``超暗号化``とは、流川家が行使できる最高位の魔法の一種。
極めて強力な暗号化魔法で、復号化せずに無理矢理に魔法を解除できる存在は、指で数えられるぐらいしかいない。
つまり、他所に漏れると一大事になる情報が入っている事を意味している。
「``復号``」
霊子ボードに手を翳し、紫色の魔法陣が顕現する。
この系統の魔法は、``復号``という魔法を用い、術者が自作したアルゴリズムを解読しなければ解除できない。
アルゴリズムの強度は術者の練度、知能に依存する。
分かりやすく言うと、複雑な迷路をどれだけ工夫して作り相手を迷わせるか、と似たような理屈の話である。
一つ一つ、まるで空中でパズルをしているように文字列が組み合わさっていく。
最後に一形態としての姿を現わして潰え、霊子ボードが息を吹き返した。
表示されたのは三月十六日に回収した、十寺じてらの部下と思われる者が装備していた甲型霊学迷彩と、分家邸印の分析結果であった。
真顔で黙読していた弥平みつひらだったが、読み進めていくや否や、彼の表情に苦悶が滲んでいく。
霊子ボードを机に置き、前髪を掻き揚げた。
「……これは。参りましたねぇ」
霊子ボードの画面を消し、先程手渡した少女に霊子ボードを返す。渡した物を再び手に取る少女に、疲れきった表情で指示を投げた。
「``超暗号化``の再詠唱を依頼し、母上に返納しなさい。以後、門外不出とします」
御意、とサイドテールの少女は跪きながら軽く一礼する。素早く部屋の外へ下がり、襖を静かに閉めて私室を後にした。
また深く溜息を吐くと、私室の脇に置いてあった魔道携帯鞄を掠め取り、技能球を取り出す。
使う魔法は``顕現``。目的地は流川るせん本家邸新館地上一階の居間。
現在時刻朝の九時。澄男達は起きているだろう。時間的にも丁度良い。
掻き揚げた前髪を整え、やつれた執事服を叩いて皺を伸ばし、頬を叩いて気合を入れる。
気合を入れたのも束の間、表情を若干翳らせ流川るせん本家邸へ転移した。
―――彼でさえ顔を曇らせた新情報とは、ただ一つ。
流川家関係者に実は内通者がいた、という前代未聞の事実であった。
流川分家邸の一室、つい二ヶ月以上前まで私室として使用していた元私室で、机一杯に広げた情報の束を枕代わりに、頭を上げる。
懐かしい記憶。今からおよそ一年前の出来事を不意に思い出していたのか。
ここ数ヶ月間は敵組織の情報探査に忙殺され、真面な休息をとれていないせいだろう。
あくのだいまおう達の一件から一ヶ月半。既に五月に入り、季節は晩春。
気温も高くなり、舞い散る桜の風情を味わう花見の宴を開くなら今月がピークだと思われるが、我等流川に祝宴を開く余裕は無い。
一ヶ月半に集まった情報束から、有益なものを抽出して澄男に持って行かなければならないのだ。
我等が当主流川澄男は、情報提供者であるあくのだいまおうの助言を受け、本家邸から遥か北方へ直々に赴く事を決定した。
彼がエスパーダ戦において使用した身業``竜位魔法``の伝説は、ヴァルヴァリオン法国と言われる竜人族の国にある。
澄男が、どうして伝説級の身業を行使できたのかという要因を調べるには、その地に赴かなければならないのだった。
当然あくのだいまおうから全てを聞き出した方が安全で合理的だと思っていた。
しかし竜人族の国など、誰一人として人間が立ち入った事など無い。そもそも``竜人族``を垣間見た人間すらいないのだ。
竜人族と呼ばれる種族が存在する、という根も葉もない噂が、暴閥界で一人歩きしているにすぎないもので、大半の者は御伽噺であろうと思っている。
実在するか否かさえ不明な種族の、実在するか否かさえ不明な国に主人を赴かせる。
それがどれだけ危険な行為か、想像に難くない。
あくのだいまおうが悪戯に虚言を吐いているとは思えないが、あまりに物的証拠の無さすぎるため、不安は拭えないものであった。
取引上では、澄男が現地に赴き、彼を満足させ得る情報を手にできたなら、まずあくのだいまおうは信用するという体裁になっている。
従って現段階では、あくのだいまおうの助言を鵜呑みにする事はできない。側近として、より一層の情報精査を行わなければならないのだ。
現在要求されている情報は、ヒューマノリア大陸北方の地理。
ヒューマノリア大陸北方、厳密には北ヘルリオン山脈以北の地帯は人類未踏であり、どのような存在が生息しているのか、全く不明である。
隔絶された異世界と言っても過言ではないほどに。
流川分家邸は、敵組織襲来以前から北方地理の探索を独自に続けていたが、北ヘルリオン山脈を含め、北方地域には分厚い暗雲が常に覆っている。
従って、人工霊子衛星による上空からの撮影が行えず、地理探査はソナー等の地上調査のみで行わなければならない致命的な弊害があった。
そのような縛りの中でも、根気強く地理探査を繰り返してきた結果。
火山や氷河、深く生い茂った森林、砂漠等。様々な気候や地形がドッキングしている事実が分かってきた。
様々な自然環境が組み合わさっている以上、多くの専用装備やアイテムが必要になるだろう。
弥平は顎に手を当て、うーん、と唸る。
現状明確になっている地理として、永久氷山エヴェラスタと呼ばれる永久凍土の山脈がある事である。
三月下旬、澄男が交戦したヴァザーク・リ・ゼロ・エスパーダは、エヴェラスタの支配者だと揶揄されていた。
もし彼らとの会話が未だ望めるなら、登山ルートの通過地点としてエヴェラスタを選ぶという策もある。
エスパーダ達に頼めばエヴェラスタの地理情報を教えてくれるだろうし、上手く交渉すれば、彼の安全を確保してくれるかもしれない。
リスクは必要十分追わなければならないにせよ、少ないに越した事はないのだから。
しかし、問題はエヴェラスタがどこにあるか、である。凍土、氷河等があるのは分かっているが、詳しい位置は未だ判然としていない。
本家邸地下二階に拘束している彼等から聞き出すのが妥当だが、信用度の関係上、個人で調べた方が後々の問題は少なく、当分は根気の勝負である。
当主様はすぐにでも赴きたい御意志のようだが、もうしばらく待っていただこう。
霊子ボードに表示された情報の海から、指を滑らせ唸り、唸りながら指を滑らせる。
思索の湖は絶え間なく波打ち、少々肌寒く感じる強風が脳内を吹き荒らす中、私室の襖が静かに二回、優しく叩かれた。
「弥平様。お時間、よろしいでしょうか」
問題ありませんよ、と答えると、失礼致します、と襖が静かに開けられる。
現れたるは、迷彩服を着こなす灰色の髪の少女であった。
年齢は弥平と同程度。弥平から見て右側から伸びるサイドテールが静かに揺れ、エメラルドを彷彿とさせる黄緑色の瞳が光る。
腰を四十五度、深深と折り曲げて一礼。少女らしからぬ大人びた雰囲気そのままに、エメラルドカラーの瞳を、おもむろに此方へ向ける。
「弥平様の母君、白鳥迅風様より、ご通達です。お納め下さい」
少女から手渡されたのは一枚の霊子ボード。
最高機密を扱う為に``超暗号化``と呼ばれる魔法がかけられた特別製である。
``超暗号化``とは、流川家が行使できる最高位の魔法の一種。
極めて強力な暗号化魔法で、復号化せずに無理矢理に魔法を解除できる存在は、指で数えられるぐらいしかいない。
つまり、他所に漏れると一大事になる情報が入っている事を意味している。
「``復号``」
霊子ボードに手を翳し、紫色の魔法陣が顕現する。
この系統の魔法は、``復号``という魔法を用い、術者が自作したアルゴリズムを解読しなければ解除できない。
アルゴリズムの強度は術者の練度、知能に依存する。
分かりやすく言うと、複雑な迷路をどれだけ工夫して作り相手を迷わせるか、と似たような理屈の話である。
一つ一つ、まるで空中でパズルをしているように文字列が組み合わさっていく。
最後に一形態としての姿を現わして潰え、霊子ボードが息を吹き返した。
表示されたのは三月十六日に回収した、十寺じてらの部下と思われる者が装備していた甲型霊学迷彩と、分家邸印の分析結果であった。
真顔で黙読していた弥平みつひらだったが、読み進めていくや否や、彼の表情に苦悶が滲んでいく。
霊子ボードを机に置き、前髪を掻き揚げた。
「……これは。参りましたねぇ」
霊子ボードの画面を消し、先程手渡した少女に霊子ボードを返す。渡した物を再び手に取る少女に、疲れきった表情で指示を投げた。
「``超暗号化``の再詠唱を依頼し、母上に返納しなさい。以後、門外不出とします」
御意、とサイドテールの少女は跪きながら軽く一礼する。素早く部屋の外へ下がり、襖を静かに閉めて私室を後にした。
また深く溜息を吐くと、私室の脇に置いてあった魔道携帯鞄を掠め取り、技能球を取り出す。
使う魔法は``顕現``。目的地は流川るせん本家邸新館地上一階の居間。
現在時刻朝の九時。澄男達は起きているだろう。時間的にも丁度良い。
掻き揚げた前髪を整え、やつれた執事服を叩いて皺を伸ばし、頬を叩いて気合を入れる。
気合を入れたのも束の間、表情を若干翳らせ流川るせん本家邸へ転移した。
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