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教会決戦編
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「ここが最上階……」
弥平とパオングは、澄男が開けた穴を辿り、何もない一本道の廊下が続くフロアに着地する。
「佳霖と澄男殿は、この廊下の先にある拓けた部屋にいるようだ。注意せよ」
パオングが周囲に眼を光らせる。本当にここまで何事もなく敵兵に遭遇することもなく辿り着けた。だが逆に言えば、順調すぎるとも言えた。
まだ戦いは終わっていない。敵首魁である流川佳霖を討たない限り、澄男側に勝利はないのだ。
彼はどんな手を使ってくるか分からない。そう考えると注意してもしすぎることはなかった。
弥平が前に出て、その後ろをパオングが歩く。
本来なら格段に索敵能力が高いパオングが前に出るべきだが、ここは既に敵地の中枢。
魔法など使えば、自分達の居場所を佳霖に教えるようなものであるし、そもそも佳霖の位置は把握できている。下手に魔法を行使し、彼を刺激するのはデメリットしかない。
そこで大変アナロジーで確実性には欠けるが、弥平の五感による察知能力で索敵しつつ、パオングが敵を迎撃するという作戦でいくことをあらかじめ決めておいた。
それで敵兵を察知できれば重畳。仮に魔法で隠れていた敵兵などに不意打ちをかけられても、パオングならば確実にしとめることができる。潜伏兵が余程飛び抜けた実力者でもない限り、パオングが遅れをとることなどないからだ。
佳霖たちがいる部屋を目指し、ただひたすらに続く廊下を歩く。すると弥平がパオングに止まれと手で合図し、立ち止まった。パオングはふむ、と廊下の床をじっと見つめる。
なにやら、下の階から何者かが近づいてくる気配がする。それもかなり大きな気配だ。
澄男と同じように天井を破壊して迫ってくるような感覚。二人は潜伏兵の可能性を示唆する。
すばやく迎撃準備。あらゆる意思疎通をアイコンタクトや些細な四肢の動きで汲み取り、流れるように動いていく。
その間、僅か数十秒。床を破壊してくる地点を気配の場所から大まかに予測、そこからある程度離れた場所で待機する。
手筈としては、まずパオングが魔法で先制攻撃し一瞬で討伐。その間、第二波を予想して索敵に徹し、強襲してくるであろう敵兵の気配を伺う。
パオングが討伐し第二波がくるまでに、それでも不意打ちされる可能性は極めて低いが、最悪の場合は最終手段として弥平が我が身を犠牲にし、パオングが第二波を討つ。その後にあらかじめ渡されていたパオング特製の魔法薬で回復する。
霊力は若干無駄遣いしてしまうことになるが、もしも霊力の消耗が激しい場合はパオングに``自動修復``をかけてもらい、霊力の継続回復を促進してもらえばいい。
気配が如実に近づいてくる。床を揺さぶる力と音が少しずつ増していき、もはや無視できない状態にまで達したとき―――。
「あべれあ!!」
ついに床が抜かれた。パオングの右手からは夥しい冷気と雷撃が迸り、床を抜いてきたそれに容赦なく命中させる。
その間、おそらく二秒にも満たない。
砂埃と冷気が引いていき、視界が徐々に明瞭になっていくのを捉えながら、注意力を最大限に引き上げる。
眼を凝らし、拓けた視界の先にあったものは、雷に撃たれて黒焦げになり、氷漬けにされた黄緑色のよく分からない何かであった。
「む。これは……カエルか?」
「うぇぇぇぇ……酷いっすよパオングさん」
黒焦げになったそれは、体にこびりついた氷を砕きながらゆっくりと立ち上がる。黄緑色の体色をし、細長い四肢を持つ二足歩行の蛙は、ぶるぶると身体を震わせながら辺りを見渡す。
「氷属性系魔法マトモに食らっちまったからオレの保護粘液が全部剥がれ落ちちまったぜ……」
「カエル総隊長、貴方がいるということは……御玲は」
「いるっすよ。御玲さーん、弥平さんたちと合流できたっすよー」
カエルは、自分が空けた穴に向かって呼びかけると、シャル、ナージ、ミキティウス、そして御玲が、順に床から這い出てくるように姿を現す。
「御玲。無事でしたか」
「まあ、なんとか。十寺興輝は討伐しました。おそらく追ってくることはないと思います」
御玲は淡々と状況報告を済ませる。彼女のメイド服は既に所々が綻びており、特に下腹部は何かに刺されたように穴が空いて血が滲んでいた。しかし痛んでいる様子がないことから、おそらくパオングの魔法薬で傷を修復したのだろう。
「``自動修復``」
御玲の足元に白い魔法陣が一瞬輝くと、身体から緑色の粒子が滲み、空を舞う。自分の体を舐めるように見つめながら、パオングに振り返った。
「そなたの霊脈に流れる霊力量が微弱でな。おそらく魔法薬で傷を癒したために体内霊力を消費したのだろう? 体力も全快ではないようであるし、体力と霊力を時間経過で継続回復する魔法をかけておいた。ただしこちらの霊力量管理の都合上、効果時間はあえて三分間に限定してある。ご了承願いたい」
「なるほど。体力はともかく、霊力の消費が激しかったもので、どうしようかなと悩んでいたんです。ありがとうございます」
パオングに軽く一礼。弥平は全員の所在を確認すると、廊下の先にある大聖堂への道へ視線を送る。
「全員そろいましたし、向かいましょうか」
「妙に静かですね。伏兵はなしですか」
「今のところいないようですが、``隠匿``や``部分無効``を使っている可能性は十分にありえます」
「パァオング。``隠匿``であれば看破は容易だが、``部分無効``で存在自体を消しているとなると、少々厄介であるな」
「全員固まって移動しましょう。離れず、全方位からの奇襲に対応できるようにしてください。これより、可及的速やかに大聖堂へ突入します」
全員が頷く。弥平を先頭に、背後に御玲、最後尾をパオング。三人を取り囲むようにしてカエル、シャル、ナージ、ミキティウスの四人といった集まりで大聖堂へ勇み足で進んでいく。
扉が見えた。豪奢な金色の竜の絵が彫られているが、扉は内側から破壊されているのか、ヒビだらけとなっていた。
弥平達の背丈の数十倍はありそうな、大きな扉。見る限りかなり丈夫そうな材質をしていそうなそれが、もはや倒壊寸前の状態になっている。弥平と御玲は固唾を呑んだ。
全能度1000を優に超える、化物同士の死闘。それは人類文明の一個や二個、容易く葬り去ることのできる大災害が、お互い手加減一切なしにぶつかり合っているようなものだ。
むしろその大災害のぶつかり合いに、この建物が満身創痍ながらも未だに形を保てている事自体が不思議だが、今からそんな地獄のような戦場へ身を投げなければならない。
死の覚悟をしても足りるかどうか。下手をすれば一瞬で消し飛ばされかねない。しかしながら各々の理由を胸に、この戦いを澄男とともに乗り切ると決意した以上、引き返すなどという選択肢などもはやない。
「開けますよ」
全員の意思を確認する。問題ない。弥平は、今にも崩れてしまいそうな扉に手をかけ、そっと大聖堂側へ押し込んだ。
視界が開いていく。まず眼に入ったのは、天井が丸ごと消滅し、完全にガラスなしの吹き抜けと化したボロボロの大聖堂であった。
大聖堂だっただろう部屋は、家具などあらゆるものが全て消し飛び、崩落した天井の瓦礫で埋もれ、もはや廃墟同然となっていた。
壁や床も無数のヒビが入っており、少しでも下手に小突けば倒壊してしまいそうな状態である。床には凍っている場所もあれば、何かに焼かれたような焦げもあり、死体が転がっていないだけ凄惨ではないとはいえ、並みの戦いが行われていなかったことは考えなくても理解できる。
だが弥平と御玲はすぐさま、ある事に気づいた。
元は立派だっただろう大聖堂の廃墟具合など気にならなくなるほどに、澄男の気配が全くしないことを悟ったのだ。
御玲が辺りを見渡す。すると、瓦礫に座り込んでいる佳霖の側に、氷漬けになって倒れている黒焦げの青年の姿がそこにあった。
「澄男さま!」
すぐさま、倒れこんだ澄男の下へ駆け寄る。凍りついた床に死体のごとく倒れた実の息子を見下す流川佳霖は、介抱される澄男をじっと見つめていた。
「澄男の奴、ゼヴルエーレの力を使わなかった。やはり十寺に任せた、``巫女の血``による効果か」
「巫女の血……?」
「ああ、お前ら流川は花筏の巫女と友好関係にあったな。知る由もないか」
「どういうことでしょうか」
「花筏の巫女の血液には、霊力活性を強く抑制する効能がある。おそらく彼らの遺伝子的特異性によるものなのだろうが、かの天災竜王の力ですら抑えるのだから、大きな収穫だったよ」
弥平も倒れ伏す澄男を見つめた。
天災竜王ゼヴルエーレの力は、竜なだけあって生身の人間にはあまりに強大すぎる。
強大すぎる霊力は肉体組織を内部から破壊する。おそらく人間には、ゼヴルエーレの力を制御できなかったのだろう。
力を移植しようにも、制御はおろか受け入れることも叶わないのでは、ただただ持て余すだけだ。
そこで彼らが考えついたのが、巫女の血―――すなわち人間世界で最も高潔にして神聖な存在とされる花筏巫女衆の体液というわけか。
この人類文明において流川家と唯一互角に渡り合える彼らは、その正体、血縁、肉体組成こそ謎に包まれているが、人外に等しい力を持ち、天変地異にすら匹敵する流川家の先代当主たちと渡り合った戦績は、佳霖としても無視できない存在であるのは火を見るより明らかだ。
移植実験の難航を懸念し、彼らの尋常ならざる力を逆に利用しようと目論んだわけか。
「とはいえ、流石というべきか。花筏の巫女どもは骨がありすぎた」
佳霖は巫女たちとの砌を一方的に語り始める。
澄男が通っている学校に襲撃する以前、流川家の化物どもですら真っ向から戦う事を躊躇する人外集団、その実力は武力統一大戦という戦国時代が終息して三十年経った今でも、全く衰えた様子はなかった。
たった一人の巫女ですら拘束するのも難しく、外見年齢に反して頑強すぎる肉体と体術の数々は、佳霖と十寺、二人がかりでも劣勢を強いられるほどであり、一人と戦っていると続々と同じ顔、同じ服装、同じ体躯をした巫女どもが、まるで軍隊蟻のように集ってくる図は、もはや金棒を振り回す鬼の集団に理不尽にも不合理にも、地獄の世界を引きずり回される感覚に近かった。
常に余裕な態度を崩さない十寺ですら、青ざめ憔悴し死を悟った姿からして相当な恐怖である。
それでもなんとか一人を拘束して血を採取し、命からがら逃げ帰った後、その血を研究、分析した結果、巫女の血には、強大すぎる力を抑制する謎めいた作用があることが分かり、佳霖自身を実験体として使用した結果―――ようやく夢見ていた移植実験成功の兆しが見えたわけである。
澄男が大聖堂にくる道中に十寺には巫女の血を基に作り出した特殊抑制剤を澄男に噴射するようにあらかじめ頼んでおいた。
強大すぎる力を抑え、なおかつ手中にすらおける巫女の血は、ゼヴルエーレから力のほとんどを供給してもらっている澄男にとって、力を思うように扱えなくなってしまう劇物に他ならない。
「なるほど。そういうことだったのですね」
「とはいえ、ゼヴルエーレの力を使おうとしなかったのは気がかりだがな」
澄男の行動、言動を思い返し、さらに思考を深める。
予想では、澄男は打つ手が無くなるとすぐにゼヴルエーレの力を使用すると考えていた。自分への憎しみ、そして手が出ない、八方塞がりに追い込まれたという焦りから、迷いなく全てを破壊しようとすると。
だが澄男は窮地に追い込まれているにもかかわらず、何故か最後の切り札を切らないまま袋叩きにされ地に伏した。あまりにあっさりとした展開に、奴の意識が飛んだ直後は困惑したほどだ。もっと抵抗してくると思っていたのだが。
「まあ恵まれた環境の中、やりたい事だけやってきた最上級貴族の御曹司……口だけはでかいが所詮中身は子供ということか」
佳霖はそう言って、溜息を吐いた。弥平の眉がつりあがる。
「聞いていれば言いたい放題。貴方は澄男様の実父だというのに」
「子供を子供と言って何が悪い。昔から口ばかり悪く力だけは強かったが、いかんせん頭は母親並みに悪く、やりたくないことからとことん逃げるという餓鬼っぷり。夢ばかり見て、理想ばかりに走り、現実を見ようとしない。思い通りにいかないと全て他人や世界を口汚く罵り、責任転嫁する。学校でも浮いていたらしいが、そんなものは当然だ。現実を見ない者など嘲笑の対象になるだけのこと」
「それを教え、正しき道に導くのが、父親である貴方の役目のはずです」
「だろうな。だが分家派の当主であるお前なら既に把握しているだろう? 私が流川家に取り入り、澄会に婿入りした理由を」
「……知っています。でも、それでも」
「父親として、多少の情念はあるだろうと? あるにはあるぞ。我が理想のための立派な礎となってくれる。だからこそ殺さずにおいてやっているのではないか」
弥平は言葉を紡ぐのをやめた。両手から仕込んでいたナイフを引き出す。
「やめておけ。お前程度、余興にもならんぞ」
鼻で笑いながら弥平を睨み、自分を中心に霊力波を放つ。中心に強風が吹き荒れた。莫大な霊力波が大気を揺らし、風を起こし、それが肌を撫でているのだ。
霊力の差は既に歴然としている。真正面から一対一で戦えば、たとえ搦め手を使っても勝算はない。
だがもちろん、一対一で戦う気は全くなかった。弥平は背後にいるカエルたちに振り返る。
「一緒に戦ってくれませんでしょうか。私一人だと持て余してしまいますので」
「もちろんっすよ!」
「しゃあねぇな、そういや今日はまだ一回もここで排泄してねぇし、いっちょ捻り出してやるか」
「ボクのち○この力、見せてやるぜ!」
各々独特な掛け声を放ちながら、弥平の横に並ぶ。遅れて、雷撃を全身に纏わせたミキティウスが電光石火で弥平に駆け寄る。
「援護します、俺の霊力が必要なら言ってください」
雷を纏わせながら、真剣な顔で言ってくれる。ナイフに雷属性系魔術を纏わせ、相手の反射神経を狂わせるのは、常套戦術として用いるのでミキティウスとの相性は非常に良い。格上の佳霖との戦いにおいて、ミキティウスとの連携は必須だろう。
ただ顔に女性物の下着を被っていなければ、一切の文句はなかったのだが。
「まあいい。澄男の処理も済んだ今、後はただの作業だ」
佳霖はおもむろに立ち上がり、霊力を一気に膨れ上がらせる。汚れ一つとない黄金色の鎧と自分の背丈と同じくらいの大杖を持つとより一層、彼から放たれる存在感は急激に増していく。
「行きますよ!」
佳霖の殺気が最高点に到達した瞬間、弥平たちは足を踏み出した。澄男すらも完封する人外―――流川佳霖の莫大な霊力を肌で感じながら。
弥平とパオングは、澄男が開けた穴を辿り、何もない一本道の廊下が続くフロアに着地する。
「佳霖と澄男殿は、この廊下の先にある拓けた部屋にいるようだ。注意せよ」
パオングが周囲に眼を光らせる。本当にここまで何事もなく敵兵に遭遇することもなく辿り着けた。だが逆に言えば、順調すぎるとも言えた。
まだ戦いは終わっていない。敵首魁である流川佳霖を討たない限り、澄男側に勝利はないのだ。
彼はどんな手を使ってくるか分からない。そう考えると注意してもしすぎることはなかった。
弥平が前に出て、その後ろをパオングが歩く。
本来なら格段に索敵能力が高いパオングが前に出るべきだが、ここは既に敵地の中枢。
魔法など使えば、自分達の居場所を佳霖に教えるようなものであるし、そもそも佳霖の位置は把握できている。下手に魔法を行使し、彼を刺激するのはデメリットしかない。
そこで大変アナロジーで確実性には欠けるが、弥平の五感による察知能力で索敵しつつ、パオングが敵を迎撃するという作戦でいくことをあらかじめ決めておいた。
それで敵兵を察知できれば重畳。仮に魔法で隠れていた敵兵などに不意打ちをかけられても、パオングならば確実にしとめることができる。潜伏兵が余程飛び抜けた実力者でもない限り、パオングが遅れをとることなどないからだ。
佳霖たちがいる部屋を目指し、ただひたすらに続く廊下を歩く。すると弥平がパオングに止まれと手で合図し、立ち止まった。パオングはふむ、と廊下の床をじっと見つめる。
なにやら、下の階から何者かが近づいてくる気配がする。それもかなり大きな気配だ。
澄男と同じように天井を破壊して迫ってくるような感覚。二人は潜伏兵の可能性を示唆する。
すばやく迎撃準備。あらゆる意思疎通をアイコンタクトや些細な四肢の動きで汲み取り、流れるように動いていく。
その間、僅か数十秒。床を破壊してくる地点を気配の場所から大まかに予測、そこからある程度離れた場所で待機する。
手筈としては、まずパオングが魔法で先制攻撃し一瞬で討伐。その間、第二波を予想して索敵に徹し、強襲してくるであろう敵兵の気配を伺う。
パオングが討伐し第二波がくるまでに、それでも不意打ちされる可能性は極めて低いが、最悪の場合は最終手段として弥平が我が身を犠牲にし、パオングが第二波を討つ。その後にあらかじめ渡されていたパオング特製の魔法薬で回復する。
霊力は若干無駄遣いしてしまうことになるが、もしも霊力の消耗が激しい場合はパオングに``自動修復``をかけてもらい、霊力の継続回復を促進してもらえばいい。
気配が如実に近づいてくる。床を揺さぶる力と音が少しずつ増していき、もはや無視できない状態にまで達したとき―――。
「あべれあ!!」
ついに床が抜かれた。パオングの右手からは夥しい冷気と雷撃が迸り、床を抜いてきたそれに容赦なく命中させる。
その間、おそらく二秒にも満たない。
砂埃と冷気が引いていき、視界が徐々に明瞭になっていくのを捉えながら、注意力を最大限に引き上げる。
眼を凝らし、拓けた視界の先にあったものは、雷に撃たれて黒焦げになり、氷漬けにされた黄緑色のよく分からない何かであった。
「む。これは……カエルか?」
「うぇぇぇぇ……酷いっすよパオングさん」
黒焦げになったそれは、体にこびりついた氷を砕きながらゆっくりと立ち上がる。黄緑色の体色をし、細長い四肢を持つ二足歩行の蛙は、ぶるぶると身体を震わせながら辺りを見渡す。
「氷属性系魔法マトモに食らっちまったからオレの保護粘液が全部剥がれ落ちちまったぜ……」
「カエル総隊長、貴方がいるということは……御玲は」
「いるっすよ。御玲さーん、弥平さんたちと合流できたっすよー」
カエルは、自分が空けた穴に向かって呼びかけると、シャル、ナージ、ミキティウス、そして御玲が、順に床から這い出てくるように姿を現す。
「御玲。無事でしたか」
「まあ、なんとか。十寺興輝は討伐しました。おそらく追ってくることはないと思います」
御玲は淡々と状況報告を済ませる。彼女のメイド服は既に所々が綻びており、特に下腹部は何かに刺されたように穴が空いて血が滲んでいた。しかし痛んでいる様子がないことから、おそらくパオングの魔法薬で傷を修復したのだろう。
「``自動修復``」
御玲の足元に白い魔法陣が一瞬輝くと、身体から緑色の粒子が滲み、空を舞う。自分の体を舐めるように見つめながら、パオングに振り返った。
「そなたの霊脈に流れる霊力量が微弱でな。おそらく魔法薬で傷を癒したために体内霊力を消費したのだろう? 体力も全快ではないようであるし、体力と霊力を時間経過で継続回復する魔法をかけておいた。ただしこちらの霊力量管理の都合上、効果時間はあえて三分間に限定してある。ご了承願いたい」
「なるほど。体力はともかく、霊力の消費が激しかったもので、どうしようかなと悩んでいたんです。ありがとうございます」
パオングに軽く一礼。弥平は全員の所在を確認すると、廊下の先にある大聖堂への道へ視線を送る。
「全員そろいましたし、向かいましょうか」
「妙に静かですね。伏兵はなしですか」
「今のところいないようですが、``隠匿``や``部分無効``を使っている可能性は十分にありえます」
「パァオング。``隠匿``であれば看破は容易だが、``部分無効``で存在自体を消しているとなると、少々厄介であるな」
「全員固まって移動しましょう。離れず、全方位からの奇襲に対応できるようにしてください。これより、可及的速やかに大聖堂へ突入します」
全員が頷く。弥平を先頭に、背後に御玲、最後尾をパオング。三人を取り囲むようにしてカエル、シャル、ナージ、ミキティウスの四人といった集まりで大聖堂へ勇み足で進んでいく。
扉が見えた。豪奢な金色の竜の絵が彫られているが、扉は内側から破壊されているのか、ヒビだらけとなっていた。
弥平達の背丈の数十倍はありそうな、大きな扉。見る限りかなり丈夫そうな材質をしていそうなそれが、もはや倒壊寸前の状態になっている。弥平と御玲は固唾を呑んだ。
全能度1000を優に超える、化物同士の死闘。それは人類文明の一個や二個、容易く葬り去ることのできる大災害が、お互い手加減一切なしにぶつかり合っているようなものだ。
むしろその大災害のぶつかり合いに、この建物が満身創痍ながらも未だに形を保てている事自体が不思議だが、今からそんな地獄のような戦場へ身を投げなければならない。
死の覚悟をしても足りるかどうか。下手をすれば一瞬で消し飛ばされかねない。しかしながら各々の理由を胸に、この戦いを澄男とともに乗り切ると決意した以上、引き返すなどという選択肢などもはやない。
「開けますよ」
全員の意思を確認する。問題ない。弥平は、今にも崩れてしまいそうな扉に手をかけ、そっと大聖堂側へ押し込んだ。
視界が開いていく。まず眼に入ったのは、天井が丸ごと消滅し、完全にガラスなしの吹き抜けと化したボロボロの大聖堂であった。
大聖堂だっただろう部屋は、家具などあらゆるものが全て消し飛び、崩落した天井の瓦礫で埋もれ、もはや廃墟同然となっていた。
壁や床も無数のヒビが入っており、少しでも下手に小突けば倒壊してしまいそうな状態である。床には凍っている場所もあれば、何かに焼かれたような焦げもあり、死体が転がっていないだけ凄惨ではないとはいえ、並みの戦いが行われていなかったことは考えなくても理解できる。
だが弥平と御玲はすぐさま、ある事に気づいた。
元は立派だっただろう大聖堂の廃墟具合など気にならなくなるほどに、澄男の気配が全くしないことを悟ったのだ。
御玲が辺りを見渡す。すると、瓦礫に座り込んでいる佳霖の側に、氷漬けになって倒れている黒焦げの青年の姿がそこにあった。
「澄男さま!」
すぐさま、倒れこんだ澄男の下へ駆け寄る。凍りついた床に死体のごとく倒れた実の息子を見下す流川佳霖は、介抱される澄男をじっと見つめていた。
「澄男の奴、ゼヴルエーレの力を使わなかった。やはり十寺に任せた、``巫女の血``による効果か」
「巫女の血……?」
「ああ、お前ら流川は花筏の巫女と友好関係にあったな。知る由もないか」
「どういうことでしょうか」
「花筏の巫女の血液には、霊力活性を強く抑制する効能がある。おそらく彼らの遺伝子的特異性によるものなのだろうが、かの天災竜王の力ですら抑えるのだから、大きな収穫だったよ」
弥平も倒れ伏す澄男を見つめた。
天災竜王ゼヴルエーレの力は、竜なだけあって生身の人間にはあまりに強大すぎる。
強大すぎる霊力は肉体組織を内部から破壊する。おそらく人間には、ゼヴルエーレの力を制御できなかったのだろう。
力を移植しようにも、制御はおろか受け入れることも叶わないのでは、ただただ持て余すだけだ。
そこで彼らが考えついたのが、巫女の血―――すなわち人間世界で最も高潔にして神聖な存在とされる花筏巫女衆の体液というわけか。
この人類文明において流川家と唯一互角に渡り合える彼らは、その正体、血縁、肉体組成こそ謎に包まれているが、人外に等しい力を持ち、天変地異にすら匹敵する流川家の先代当主たちと渡り合った戦績は、佳霖としても無視できない存在であるのは火を見るより明らかだ。
移植実験の難航を懸念し、彼らの尋常ならざる力を逆に利用しようと目論んだわけか。
「とはいえ、流石というべきか。花筏の巫女どもは骨がありすぎた」
佳霖は巫女たちとの砌を一方的に語り始める。
澄男が通っている学校に襲撃する以前、流川家の化物どもですら真っ向から戦う事を躊躇する人外集団、その実力は武力統一大戦という戦国時代が終息して三十年経った今でも、全く衰えた様子はなかった。
たった一人の巫女ですら拘束するのも難しく、外見年齢に反して頑強すぎる肉体と体術の数々は、佳霖と十寺、二人がかりでも劣勢を強いられるほどであり、一人と戦っていると続々と同じ顔、同じ服装、同じ体躯をした巫女どもが、まるで軍隊蟻のように集ってくる図は、もはや金棒を振り回す鬼の集団に理不尽にも不合理にも、地獄の世界を引きずり回される感覚に近かった。
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それでもなんとか一人を拘束して血を採取し、命からがら逃げ帰った後、その血を研究、分析した結果、巫女の血には、強大すぎる力を抑制する謎めいた作用があることが分かり、佳霖自身を実験体として使用した結果―――ようやく夢見ていた移植実験成功の兆しが見えたわけである。
澄男が大聖堂にくる道中に十寺には巫女の血を基に作り出した特殊抑制剤を澄男に噴射するようにあらかじめ頼んでおいた。
強大すぎる力を抑え、なおかつ手中にすらおける巫女の血は、ゼヴルエーレから力のほとんどを供給してもらっている澄男にとって、力を思うように扱えなくなってしまう劇物に他ならない。
「なるほど。そういうことだったのですね」
「とはいえ、ゼヴルエーレの力を使おうとしなかったのは気がかりだがな」
澄男の行動、言動を思い返し、さらに思考を深める。
予想では、澄男は打つ手が無くなるとすぐにゼヴルエーレの力を使用すると考えていた。自分への憎しみ、そして手が出ない、八方塞がりに追い込まれたという焦りから、迷いなく全てを破壊しようとすると。
だが澄男は窮地に追い込まれているにもかかわらず、何故か最後の切り札を切らないまま袋叩きにされ地に伏した。あまりにあっさりとした展開に、奴の意識が飛んだ直後は困惑したほどだ。もっと抵抗してくると思っていたのだが。
「まあ恵まれた環境の中、やりたい事だけやってきた最上級貴族の御曹司……口だけはでかいが所詮中身は子供ということか」
佳霖はそう言って、溜息を吐いた。弥平の眉がつりあがる。
「聞いていれば言いたい放題。貴方は澄男様の実父だというのに」
「子供を子供と言って何が悪い。昔から口ばかり悪く力だけは強かったが、いかんせん頭は母親並みに悪く、やりたくないことからとことん逃げるという餓鬼っぷり。夢ばかり見て、理想ばかりに走り、現実を見ようとしない。思い通りにいかないと全て他人や世界を口汚く罵り、責任転嫁する。学校でも浮いていたらしいが、そんなものは当然だ。現実を見ない者など嘲笑の対象になるだけのこと」
「それを教え、正しき道に導くのが、父親である貴方の役目のはずです」
「だろうな。だが分家派の当主であるお前なら既に把握しているだろう? 私が流川家に取り入り、澄会に婿入りした理由を」
「……知っています。でも、それでも」
「父親として、多少の情念はあるだろうと? あるにはあるぞ。我が理想のための立派な礎となってくれる。だからこそ殺さずにおいてやっているのではないか」
弥平は言葉を紡ぐのをやめた。両手から仕込んでいたナイフを引き出す。
「やめておけ。お前程度、余興にもならんぞ」
鼻で笑いながら弥平を睨み、自分を中心に霊力波を放つ。中心に強風が吹き荒れた。莫大な霊力波が大気を揺らし、風を起こし、それが肌を撫でているのだ。
霊力の差は既に歴然としている。真正面から一対一で戦えば、たとえ搦め手を使っても勝算はない。
だがもちろん、一対一で戦う気は全くなかった。弥平は背後にいるカエルたちに振り返る。
「一緒に戦ってくれませんでしょうか。私一人だと持て余してしまいますので」
「もちろんっすよ!」
「しゃあねぇな、そういや今日はまだ一回もここで排泄してねぇし、いっちょ捻り出してやるか」
「ボクのち○この力、見せてやるぜ!」
各々独特な掛け声を放ちながら、弥平の横に並ぶ。遅れて、雷撃を全身に纏わせたミキティウスが電光石火で弥平に駆け寄る。
「援護します、俺の霊力が必要なら言ってください」
雷を纏わせながら、真剣な顔で言ってくれる。ナイフに雷属性系魔術を纏わせ、相手の反射神経を狂わせるのは、常套戦術として用いるのでミキティウスとの相性は非常に良い。格上の佳霖との戦いにおいて、ミキティウスとの連携は必須だろう。
ただ顔に女性物の下着を被っていなければ、一切の文句はなかったのだが。
「まあいい。澄男の処理も済んだ今、後はただの作業だ」
佳霖はおもむろに立ち上がり、霊力を一気に膨れ上がらせる。汚れ一つとない黄金色の鎧と自分の背丈と同じくらいの大杖を持つとより一層、彼から放たれる存在感は急激に増していく。
「行きますよ!」
佳霖の殺気が最高点に到達した瞬間、弥平たちは足を踏み出した。澄男すらも完封する人外―――流川佳霖の莫大な霊力を肌で感じながら。
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