移動砲台KOZAKURA

西山壮

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第四話【星が降りそそぐ夜に】

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                (一)
 体育館へと続く渡り廊下。カタカタと、歩く度に聞こえる木製のすのこの乾いた音と、ぞろぞろと歩く人の波。そして賑やかに笑う男の子達の声が響いてた。文化祭を明日からに控えた秋晴れの金曜日。午後からは文化祭の説明と、今も続いてる群発地震についての全校集会。風に舞う土埃の匂いと、トンテンカンと聞こえてくる賑やかな音。新校舎の教室棟の隅から見えるグラウンドは慌ただしくて、朝から荷物を運び込むトラックが行きかっていた。遠くには少しずつ形が出来て来たステージの鉄骨が見える。それらはとても慌ただしい雰囲気に包まれていたけれど、私はと言うと、何だかとても静かな気持ちでそんな様子を眺めてたんだ。と、言うか、一昨日、長沼さんを見送るまでが慌ただしさの連続だったから、むしろ今はなんだかホっと一息をついている…ってのが正直なトコなんだけど。でもまあ、それは嵐の前の静けさ…、束の間の休息だってのは理解してるつもりではいるんだ。だって、明日からは文化祭が始まるわけだし、なのに私のクラスったら、まだ準備が殆ど出来てないのだから。そして何より…週が明けて新しい一週間が始まると、同時にあの朝の番組の新企画が始まる。そうなると、皆が知る事になっちゃうんだ。…あの赤いドレスの少女の正体が、私だった事を。
賑やかな渡り廊下、私からこぼれ落ちたため息が、秋風に吹かれて青い空に溶けて行く。
とにもかくにも、いつまでこんな調子でびくびくする日々が続くのはさすがに心臓に悪いから、せめて放映日だけでも知りたくて昨日から長沼さんにメッセージを送っているのだけれど、なぜだか一つも既読は付かないままだった。
「なあ、見た見た? 昨日のエアバスのニュース! 金持ちってやる事凄いよな!?」
「ああ、見た見た! 飛行機墓場から自分家の庭までリモート操縦で編隊組んで飛ばすんだろ? ホントはんぱねーよな!」
「ちくしょう! 文化祭が無ければ今からセントレアに向かったのによ!」
「でもさ、やっぱりああいうの見ちゃうと、将来考えちゃうよな。やっぱり兵役が終わったら日本軍か民間軍事会社だよな。ほら、青白迷彩のオールソックス(株)とか! で、お前はどうすんだよ? 高校卒業して兵役が終わったら?」
「僕は兵役に行きたくないから、高校出たら対象年齢のうちに自動車の免許を二種まで取って、個人タクシーを始めようかと…」
「…え、何それ、タクシーと兵役、なんか関係あんの!?」
「ほら、個人タクシーも個人授業主だから、若くても兵役が免除されるんだよ…」
「げ、何だそれ? で、橘はどうすんのよ、やっぱり進学!?」
賑やかに笑う男の子達の声に混じってその名前が聞こえたから、私は思わず反射的に聞き耳を立てた。
「僕は大学に行こうと思うんだ、理工学系。ほら、ウチは両親ともにマチュピチュ勤めだから、いつかはここに戻ってきたいと思ってる」
「そっかぁ、軍の開発者かぁ。ちぇ、勿体ないぜ、橘なら運動神経いいから、良い軍人になれたものを!」
賑やかな笑い声が聞こえる中、私は少し胸を撫で下ろした。『いつかはここに戻って来たいと思ってる』なぜだかその言葉が嬉しかったんだ。それにしても、意外と男の子達は大変なんだと知った。だって、まだ高校に入って半年しか経ってないのに、去年の今頃はまだ中学生だったのに、もう具体的に将来の事を考えているのだから。やっぱりそれは、女の子にはない『兵役』って存在が大きいのかな…と、ついつい思ってしまう。それに比べて私はどうだろう、漠然と…どころか、ちっともそんなの考えた事がないような気がする。
 渡り廊下のトタン屋根の端から見える秋晴れの空を眺めて考える。このままのんびりとした高校生活を送って、卒業したらそのままお爺ちゃんとお婆ちゃんのお店で働くのかな? それとも、看護師とか保母さんとか、はたまた事務員とかで地元の会社で働くのかも知れない。ただまあ、思い描いた空想は、どれもこれも背景がこの青空市だって事に気が付いて、たぶん私はこのままずっとこの街で暮らすのだろうな…、離れられないんだろうな…ってのだけは何となく理解した。
…アイドル? 
それは、正直どうかと思う。私がなれるとか、なれないは置いておいて、そもそも私はアイドルになりたいワケじゃなかったんだ。ただ、誰かに言って欲しかったんだ、認めて欲しかっただけなんだ「君は不細工なんかじゃないよ」「もう少し自信を持っても大丈夫なんだよ」って。だから、それに関しては何となくだけど、もうすっかり満足してしまっているような気がする。だって、ちょっと前だったらこんな人ごみの中を歩いたら「皆が私を見て笑ってるんじゃないだろうか?」って気が気でなかったけれど、今はこうやって、空を、景色を見ながら歩く余裕が出来たのだから。風が気持ちいいって思えるようになったのだから。そういう意味では、私こそ長沼さんに感謝だ。…って、それはそうとして早く既読を付けろ。お爺ちゃんもお婆ちゃんも録画するって鼻息荒いんだから。
 そっと瞳を閉じてみる。赤いエプロンを付けて食堂で働く私と、大学が終わって街に戻ってきたスーツ姿の橘君。そして、相変わらずたいした会話もないけれど、たまにお店に来てくれて、私が作った鯖味噌定食を食べてくれる。そんな未来を想像したら、何だか胸が温かくなった。

                 (二)
「小桜ごめーん! ゴミ捨てお願い出来る!? 私、文化祭の準備で教室戻んなきゃいけないから!」
「うん、いいよー。 ナイラちゃんも準備がんばってー!」
全校集会明けの掃除の時間、受け持ちの旧校舎、特別授業棟にある化学室の掃除が終わると、私はクラスメイトのお願い事を快く二つ返事で引き受けて、手に持っていた箒を掃除用具に片付けると、その脇にあったゴミ箱を持ち上げた。
 キシキシと軋む木漏れ日の廊下を歩く。窓から見える中庭のポプラ並木では、慌ただしく明日の飾りつけをしている生徒達も見えたけれど、そんな姿とは対照的に校門へと続くグラウンド脇の小道を、すっかり帰り支度を整えて家路を急ぐ背中も少なくは無かった。まあ、それは確かにそうかも知れない。だって、よそのクラスはもう随分と前から着々と順調に準備してたし、さらに今週に入ってからは青海高校の皆も手伝ってくれてたんだから。
「それに引き替え、ウチのクラスと来たら…」
思わずそんな独り言がこぼれて落ちた。だって、行き当たりばったりで二転三転、右往左往、場当たり的な進行をみせているんだから。と、言うか、本来喫茶店って、展示物をするクラスと比べたら下準備自体はたいしたこと無いと思うんだよ。机をテーブルっぽく並べて、後はコーヒーメーカーと、電気ケトル、氷水が入った桶で冷やしたペットボトルのジュースが準備出来てれば、後はなんとかなるじゃない。なのに、一度盛り上がってしまったラテンの子達の血は侮れなかった。家から持ち寄ったサマードレスの手直しだけには留まらず、テーブルクロスの作成から、看板の作成、さらにはカーテンから小物に至る内装まで凝りたいだなんて言いだすんだもん。て、言うか分かってる? 本番って、明日からだよね?? そんなこんなで集団でハイになっちゃったウチのクラスの面々は、『今晩は徹夜だ!』『学校キャンプだ!』と浮かれてる。そんな中、私だけはそのテンションに今一つ乗り切れなかった。実はこのゴミ捨てのお願いを快諾したのだって、それが原因なんだ。だって今日は金曜日だから、どうにも夜はお店を手伝わなくちゃいけなくて、皆と一緒に準備が出来ないんだから。
「みんなで学校に泊まるのは何だか楽しそうだな…」
階段を下りながら思わずそんなつぶやきがこぼれて上を見上げると、笑いながら一緒に作業をしている橘君の顔が浮かんだ。
「九時過ぎてもやってるようだったら、お婆ちゃんに頼んで差し入れのおにぎりでも作ってもらおうかな…」
ふとそう思ったら私も少し楽しくなってきて、そのまま足取り軽く階段を下った。

 そして、裏庭の焼却炉の前まで来たときに、ちょっとした…というか、ある意味私の人生を左右してしまうような事件が起きた。切っ掛けは何てことは無かったんだ、スカートのポケットの中で携帯が震えただけ。私はてっきりようやく長沼さんが返事をくれたのだと思ったのだけど、とり出した携帯のチャット画面に見えたのは、『助けてッ!』という幸っちゃんからのメッセージだったんだ。そして、幼稚園からの長い付き合いの中、幸っちゃんが私を助けてくれた事は数えきれない程あるけれど、面と向かって私に助けを求めた事なんて一度も無かったもんだから、悪い予感で背筋が冷たくなるのを覚えたんだ。
慌ててチャット画面の無料通話ボタンを押すと、意外にもすぐに携帯から幸っちゃんの声が聞こえて来た。
「幸っちゃん、大丈夫!? どうしたの!?」
「…こ、小桜…お、お願い…た、助けて…」
「ど、どうしたのよその声!? どこ、今、どこなの!?」
「…グ、グラウンド…お、お願い、は、早く助けて…」
私は、携帯から聞こえる幸っちゃんの言葉が終わるよりも前に、ゴミ捨て場用のツッカケを履いたまま地面を蹴って走り出した。
 旧校舎と新校舎を繋ぐ渡り廊下を一気に横切る。飾りつけが真っ最中のポプラ並木を駆け抜ける。そして校舎の角で横目にグラウンドが見えると滑りながら急ブレーキをかけて、そのままの勢いで横っ飛びに方向転換をした。炎天下のダッシュ。額に、胸元に、すでに汗で滲んでいたけれど、そんなのお構いなしで加速した。そしてグラウンドの異様な光景が目に飛び込んでくると、私の胸の中の胸騒ぎも一気に加速してしまったんだ。
 グラウンドの中央までやってくると、私は思わず足を止めてしまった。茫然とその光景を眺めてしまったんだ。それは、山積みにされ、一部分が崩れた大量の段ボールの山だった。『助けて小桜…』幸っちゃんの声が耳の奥に蘇った。咄嗟に下敷きになって苦しんでいる姿が脳裏に浮かんでしまったんだ。。
「大丈夫、幸っちゃん!」
思わず崩れた段ボールの山に向かって呼びかける。そして、慌てて崩れた箱を持ち上げると、意外にもその箱は、大きさの割にとても軽く感じたんだ。そして、意外な事はもう一つあった。
「いやぁ、さすが小桜、足が速いねぇ、助かったよ!」
今にも泣きそうになりながら、段ボールをよけている私の背後から、そんな声が聞こえたんだ。慌てて振り向くと、そこには段ボールを抱える幸っちゃんとケント君がいた。
「いやあ、ケント君トコの卓球部、明日から老人ホームとか小学生を相手に青空ピンポン教室と大会やるんだけどさ、発注した子が単位を間違えちゃって、50パックじゃなくて、50ケースも届いちゃったんだよね、ピンポン玉…」
「…へ?」
「ごめんね、小町ちゃん。…さっきメーカーさんに問い合わせたら返品は引き受けてくれたんだけど、週末を挟むから回収は月曜日になっちゃうんだ」
「…へ?」
「それまで青空放置はさすがにマズいじゃない? だからさ、小桜も運ぶの手伝ってよ?」
「…運ぶって、どこに!?」
「あそこ」
そう言って幸っちゃんが見たのは、グラウンドの端にあるプール。その高い壁沿いにある陸上部が用具入れに使ってるプレハブ倉庫だった。
「ほら、いちいち50箱も校舎に運ぶのはさすがにめんどくさいじゃない? 陸上部の子達に聞いたら、月曜日までならあそこ使っていいって言ってくれたから」
「本当にごめんね、小町ちゃん。他の部員、自分のクラスの準備で来れなくて…」
「………
まじかぁぁああああ!??」
その時私は、思わず青空に向かって叫んじゃったけれど、本当の事件は、むしろこの後に起こってしまったんだ。

                 (三)
 炎天下での怒涛の段ボール運びが終わった私は、焼却炉まで戻ってゴミ箱を回収すると、そのまま化学室へと向かって旧校舎を歩いた。さすがに膝が笑ってた。そして一歩、また一歩と歩く度に、背中や胸に汗で濡れた制服が触れて、ピタピタと冷たくて気持ちが悪かった。『こんな姿、誰かに見られたらどうしよう…』『汗臭いとか、噂になったらどうしよう…』そんな事を考えると、思わず情けなくて泣きそうになったけど、幸運にも、旧校舎はどこもかしこももぬけの殻で、きっと皆、新校舎の出し物の準備を手伝っているのだろう。と胸を撫で下ろしたんだ。
私は、そんな静まり返った教室たちを横目に歩いた。そして、やっぱり誰も居なくなった化学室に到着すると、半歩だけ教室の中に入って掃除道具入れの横にゴミ箱を置くと、そのまま踵を返して後ろ手でドアを閉めようとした。でも、その時だった、私のうしろ、誰も居ないはずの化学室から声がしたんだ。
「ちょっと待って、佐倉さん」
そう、そんな、私を呼び止める声がしたんだ。そしてそのまま固まって動けなくなった。でも、それは、怪奇現象的な意味合いで怖くて動けなかったんじゃないんだよ。名前を呼ぶその声が、私の良く知っている声だったから、それがあまりにあり得ない状況だったから、驚いて動けなくなってしまったんだ。
「…あ、あれれ、た、橘君も、か、化学室の掃除、だ、だったっけ?」
恥ずかしくて後ろが振りかえれないままの私は、棒読みでカタコトの怪しい日本語でなんとか答えた。…いや、答えられていたんだろうか?
「ううん、佐倉さんに会いに来たんだ。ほら、教室は賑やかで皆が見てるし」
「あは、あはははは、た、たしかにラテンの子達は、に、賑やかだもんね」
またしても声が上ずりながらそう答えると、背後からゆっくりと近づいてくる足音がした。
――橘君が、私に話しかけてる
――橘君が、私に向かって歩いてくる。
そう思った瞬間、私は思わず走って逃げ出したくなる衝動に駆られた。だって、着ているセーラー服が、全力疾走と段ボール運びですっかり汗に濡れていたのだから…。それ以上近づかれちゃったら、絶対に汗臭い女だって思われちゃうに違いないのだから。長年夢に見続けて来た橘君と話せるチャンスだっていうのに、どうして私はさっきから濡れた制服の事ばかりが気になって仕方がないんだ。と、思うと、情けなくなって目じりに涙が浮かぶのが分かった。
「まって、佐倉さん! 少しだけでいいから話を聞いて欲しいんだ」
床を蹴って走り出そうとしたその瞬間、また呼び止められた声に固まってしまった。私は逃げる事さえもできなくなって天井を見上げると、ゴクリと息を飲み込んで覚悟を決めた。
「わ、わかった。聞く、聞くから一つだけお願い聞いて…」
「…うん」
「あのね、お願いだから、そ、それ以上近づかないでくれたら嬉しいなぁ…って」
とにかく、汗の匂いだけは橘君に嗅がれたくなくて、必死な思いでそうお願いしたんだけど、少し間を置いて聞こえてきた
「…うん、わかった。ほとんど喋った事もないのに呼び止めてしまってごめんね」
という声が、さっきとは違って随分落ち込んだような低いトーンだったから、ひょっとしたら言い回しを間違えてしまったかも知れない、何か勘違いをさせてしまったのではないか、と気が付いて、私は慌てて話題を変えた。
「そ、そう言えばここって、旧校舎の三階だよね、知ってた? トイレの噂? 女子トイレの一番奥の開かずの個室。花子さんが出るとかどうとか? 青空高校の七不思議…的な?」
「…うん」
「あ、あははは…。な、七不思議で旧校舎って言ったらあれもだよね、一階から四階まで角の教室だけ全部鍵がかかってて入れないの…。じ、実は上から下まで吹き抜けで、無理やり開けて中に入ろうとすると、落ちて死んじゃう…っていうの。こ、これも、し、知ってた?」
「…うん」
生まれてこの方、ケント君以外の男の子とはまともに話した事のない私なりに、必死に引出という引出を漁りまくって、ウイットな会話をしようと頑張ったのに、肝心の橘君は静かに相槌を打つばかりで、一向に話が膨らまない。それどころか
「あのね、佐倉さん…。はぐらかさないで聞いて欲しい事があるんだ」
なんて言うもんだから、私はまたしても間違った対応をしてしまったのかも知れないと気付いて落ち込んだ。そして、またゴクリと息を飲んで覚悟した。そう、無理して喋ろうとすると空回りするから、ちゃんと聞く側に回ろうって覚悟したんだ。
「で、ど、どうしたの橘君…?」
「実は、明日からの文化祭、僕と一緒に回って欲しいんだ」
その瞬間、私の頭がパンクしそうになった。そ、そりゃあね、こんな人気の無い教室で話し掛けられたんだから『ひょっとして、そういう話だったらどうしよう?』だなんて、思わなかったとか言ったら嘘になる。っていうか、正直ドキドキしてたんだ。でも、私に限ってそんな都合のいい妄想みたいな事が起こるはずないって、思ったから、何度も何度も自分に向かって『浮かれるな!』『期待するな!』『絶対に後で自己嫌悪するから考えるな!』って言い聞かせたんだよ? でも、『一緒に文化祭を廻って欲しい』その一言は、どう考えても、どの角度から見直しても勘違いのしようがないくらいにそういう意味なのだと理解した。
「え、え? ど、どうして、きゅ、急に!?」
思わず、どんなリアクションを取っていいのか分からずにそう答えた後に、またしても私は、トンチンカンな返答をしてしまった。こういう時は、ちゃんと答えるべきだった。と気がついたけれど、すでに口から出た言葉は戻っては来なかった。でも、その後、うしろから聞こえてきたのが、まったく想像していなかった言葉だったから、私はまた言葉を失ってしまったんだ。
「あの赤いドレスの女の子。あれ、佐倉さんだよね?」
「………ッ!?」
「ずっと君のこと見てたからすぐに気が付いたんだ。でも、気が付いたのは僕だけじゃなかったんだ。実は、クラスでも随分話題になってて、裏では明日の文化祭で告白するとか盛り上がってる人達もいるんだ。でも、なんだかそういうのは嫌だったんだ。一時の盛り上がりだけで、誰かが佐倉さんに告白するのとか、そういうの嫌だったんだ。だから、文化祭は僕と回ってほしい」
私は耳を疑った。ううん、耳どころか、目も鼻も、肌を撫でる窓から吹き込む風さえも、全部嘘なんじゃないか、実は夢の中なんじゃないかと疑った。でも、振り返ったその瞬間、私はそれが本当の事だと理解した。だって、そこには橘君がいたんだ。顔を真っ赤にして、掌に乗せたポケを私に向かってさし出しいる橘君がいたんだ。
「ず、ずっと佐倉さんの事が好きだったんだ! 僕と付き合って欲しい!」
私達しか居ない化学室に橘君の声が響いてた。風が吹く度に肌に触れる制服が冷たかった。


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第四話 【星が降りそそぐ夜に】

                   (四)
 金曜日の夜八時半、この日の食堂桜屋は予想に反して暇だった。月曜日の疎開開始から昨日までの四日間でウチの鯖味噌定食を楽しみにしてたお客さんが一巡してしまったからなのか、それとも意外にも明日から始まる文化祭に参加するのが楽しみで、疎開してきたお爺ちゃんやお婆ちゃん達も今晩は早くに寝ちゃったからか、とにかくお店の中に聞こえるのは、テレビから聞こえて来る編隊を組んでセントレアを飛び立った痛飛行機のニュースの音ばかり。興奮して実況するレポーターさんの声だけが響いてた。厨房の中では、丸椅子に腰かけて新聞を広げてるお爺ちゃんと、洗い物もあらかた片付いて、少し早いけどのんびりお掃除を始めたお婆ちゃん。いつもなら、忙しいのが続いている時のこういう暇さは凄く嬉しいのだけど、今日に限って言うと、私はもっと忙しい方が有難かった。お仕事以外は何も考える余裕が無いくらいにバタバタと走り回りたかった。だって、どれだけ時計と睨めっこしてもちっとも時間は進んでくれないし、さっきから放課後の事ばかりを思い出して、この世界から逃げ出したい、溶けて消えてしまいたいって心境にばかりなってしまうのだから。
―放課後、私は橘君に告白された。
それはそれで凄く嬉しい夢のような出来事だったのだけど、じゃあ、良いことづくめだったのか? と、聞かれると実はそうでもないんだ。だって、何度思い出しても、そこから後が酷かったんだから。
 
 掃除の時のまま閉め忘れられた化学室の窓ガラス。吹き込む風が、白いカーテンを大きく膨らませていた。そして、俯き加減のまま顔を真っ赤にしている橘君と、顔どころか、耳まで痒くなるくらいに熱くしていた私、二人の前髪も揺れていた。ずっと、ずっと憧れていた人からの信じられない告白。嬉しくて、信じられなくて。こんな時、どういう対応をするのが正解なんだろう…。外国の映画なんかだと、思わず駆け寄って抱きついたりするんだろうか? なんて思ったら、頭から湯気が出ちゃうんじゃないかというくらい恥ずかしくなった。でも、風が私達の前髪を揺らす度に、私のセーラー服の胸元や背中がピタピタと汗で冷たくなる度に、近づきたいのに、その手からポケを受け取りたいのに、汗の匂いばかりが気になって私はそのまま無言で立ち尽くしちゃったんだ。そして、色んな感情が頭のなかで渦巻いて、結局私が取ってしまった行動は、よりにもよってヒットアンドウェイ。橘君の手からポケを奪い取り、そのまま匂いに気付かれる前に逃げだすという理解不能なものだったんだ…。

 お店のカウンター、いつもはハイディさんが座ってビールを飲んでいる辺りに座り、私は頬杖をついたまま掌の上に乗せた雫型のキーホルダーを眺めて、何度も、何度もため息をもらした。だって、あの時はそれが最善の方法だと思ったのだけれども、よくよく考えたら、ちゃんと返事をしていなかったのだから。確かに、こんな奪い取るような形にはなっちゃったけれど、ポケを受け取ったには受け取ったに違いがないのだから、これで私達は『付き合っている』って事になるのだろうけれど、正直、次、どんな顔して橘君に会ったらいいのか想像も出来なかった。せめてチャットかメールで返事を…、そうも思ったりはしてみたけれど、私はどっちも知らない事を思い出して、またため息をもらしたんだ。
……こんなんだったら、恥ずかしくてもちゃんと目を見て返事をしとけばよかった。
そんな想いばかりが頭を巡ったけれど、そんなものどうにも後の祭りだとしか言えなかった。そして『じゃあ、いつちゃんと返事をするの?』と、自問自答すると、これまた少し胸が重くなった。三〇分後、お店が終わったら急いで学校で居残ってる皆に合流して、その時? だけど、きっと皆がいるし、呼び出すとか恥ずかしくて出来ないし。じゃあ、明日? 文化祭の時? それとも週が明けて月曜日? そう考え始めたら、これはズルズルと先延ばしになっちゃって、結局返事が出来なくなるヤツだ…と、思えてきて悲しくなった。『せめて、この真ん中のボタンを押す勇気があれば、返事なんてすぐ言えるのに』私はそんな勇気も出ないまま、ただただ掌の上のポケを眺めてため息を漏らした。
「あらあら、どうしたの小町ちゃん。さっきから金田一君と同じポーズでため息もらして?」
不意にカウンターの中のおばあちゃんの声がした。そして慌ててお店の方を振り向くと、客席にたった一人残ってた小金沢さんが、私とまったく同じポーズでぶら下げた緑色のペンダントを眺めながらうっとりしてたもんだからずゾッとした。
「いいペンダントね、金田一君。見たところ女性ものみたいだけれど、あの赤毛のパイロットさんにでもプレゼントするの?」
「えー!? 二人ってそんな関係だったんですか!??」
私は、唐突に降ってわいた話題に奇声を上げた。
「…い、いや、ま、まあ、ハイディにやる事にはなると思うんですけど、ぼ、僕達はそういう関係とかじゃなくて…て、言うか、僕は金田一じゃなくて小金沢です…」
「ちょっと、良く見せてくださいよ、金田一さん! うわ、凄く高そうなペンダント!」
咄嗟にカウンターの椅子から飛び上がり、相変わらず絶望的に食べ散らかしている小金沢さんのテーブルへと駆け寄った。でも本当は、一人でため息をついて堂々巡りに悩んでる自分から逃避したかったんだ。
「…ちょ、ちょっと小町ちゃん、君まで金田一呼ばわりしないでくれるかい」
私はわざとらしいくらいに高めのテンションで小金沢さんの手からペンダントを奪い取って眺めると、それは見れば見る程高そうで、金色の枠の中に凄く大きな緑色の石がはまってた。
「これ、緑色だからエメラルドですか!? 凄く大きいですよ? めちゃくちゃ奮発しちゃったんじゃないですか!?」
「いや、そういうんじゃないから!」
私の手からペンダントを奪い返そうと慌てる小金沢さん。なんだかその仕草が面白くって、私はますます図に乗った。
「それにしてもハイディさん、折角プレゼントが貰えるっていうのに、今日は全然現れませんねぇ?」
「いや、あいつは今晩、待機番で…ラボ……だ……から……」
それは、異様な光景だった。途中までピョンピョン跳ねながらペンダントを奪い返そうと跳ねていた小金沢さんの動きが突然止まったかと思うと、そのまま棒立ちになって茫然と遠くを見たまま動かなくなってしまったんだ。
「ど、どうしたんですか、急に!?」
さすがにその異様さに気付いた私は、慌ててモジャモジャの髪の奥にある瞳を覗き込んだのだけれども、その瞳は私に反応する事は無く、ただただ遠くを見ていたんだ。そして、不思議に思い振り返り、その視線の先にある物に目をやると、私もまた茫然と立ち尽くしてしまった。
『インドネシア保険金殺人 被害者の邦人男性身元判明! 柳川悠斗さん(28)』
それはそんなテレビの画面だった。白衣を着た、私の良く知ってる顔が爽やかに笑っていた。立ち尽くす私の頭の中が煩いくらいにグルグルと音を立てて、見える世界が回り始めた。
…これからも、ちょくちょく出前を頼んでくれると思ってた。これからもあの笑顔が見れると思ってた。何てことない会話をするのが好きだった。どこか橘君に重ねて柳川さんを見てた。これからも、そういう日々が続くと思ってた。でも、もう二度とあの声も、笑顔も、他愛の無い会話さえ出来ないのだ。あれが最後だったのだ…。不意にそんな事が頭の中に溢れて来て、瞬く間にいっぱいになってしまった。
 店中の携帯電話という携帯電話が鳴っていた。私の胸の中と一緒で、掻き毟るようなアラーム音がそこら中で響いていた。『ジシンデス ダイジシンデス』そんな感情のない言葉が繰り返し聞こえたけれど、私の耳にはその意味までは伝わらなかった。
―どうせ、いつもの誤報だ。
―どうせ、いつもの群発地震だ。
―どうせ少し揺れるくらいなのだから、今はそっとしておいて。
そんな思いで一杯だった。ほら、現にいつもだったらとっくに揺れてるのに、いつまでたっても揺れやしないじゃない。そんな事を思ってた。
……でも、違った。
不意に、お店の天井の隅が『ミシリ…ッ』と鳴った。
それが合図だった。
次の瞬間、お店が、私が、空間が、物凄い勢いで左右に振り回され始めた。ズレるテーブルの音がした。次から次へと割れるお皿やコップの音がして、突然視界が真っ暗になった。遠くで叫んでいるお爺ちゃんとお婆ちゃんの声が聞こえて、何かに捕まっていても立っていられなくなった。
「小町ちゃん!!」
突然、そんな声が聞こえたかと思ったら、今度は体中に衝撃が走った。すぐには、自分がどうなってしまったのか分からなかったけれど、いくつもの割れるお皿の音が耳元で聞こえてたから、きっと私は床に倒れていたのかも知れない。顔のすぐ近くで「…つ、ついにきやがった」という小金沢さんの声が聞こえた。暗闇の中、茫然とする私の手の中のペンダントだけがぼんやり薄緑色に輝いていてRegistration‐Completed‐Startingという文字が浮かんだり消えたりしてるのを、なんだか不思議な気持ちで眺めていた。



               (五)
 長い、気が遠くなるほど長い揺れが収まると、私は小金沢さんに手を引かれてお店の外へ出た。明りと言う明りが消えて真っ暗な中、無数のサイレンが至る所で鳴り響いていて、満天の星空だけがいつもより鮮明に、いつもより沢山の星々が輝いているのが何だか不思議に思えた。遠く、松本の方向の空が赤かった。振り向くと、反対側の高山の空も赤く燃えていた。そしてすぐ後に、お爺ちゃんとお婆ちゃんがお店から出て来るのが見えて、私は胸を撫で下ろした。幸運にも、私も大した怪我はしていなかった。気が付くと、小金沢さんが覆いかぶさるようにしてテーブルの下に潜り込んでいたから、少しこめかみの辺りがチリチリと痛んで、大事なペンダントをほんのちょっとだけ血で汚してしまった以外は大事は無かった。
「やはり、来てしまったんですね、お爺さん」
「ああ、今回の群発地震、あの時とよく似ておったから気になっておったんじゃ…」
「ど、どういう事、お爺ちゃん!?」
「昔、ワシらが子供の頃は『飛騨は大きな岩盤の上にあるから地震がない』と言われておった。それが、ある日突然、一か月も飛騨震源の群発地震が続いた、そして起きちまったんじゃよ…」
「起きたって、何が!?」
「…東日本大震災よ、小町ちゃん。あの前も、ここら辺は小さな地震が続いたの」
「で、でも、あれって東北だったよね? 岐阜県と東北、凄く離れてるんだよ? たまたまだったんじゃないの…?」
「…ワシも、そう思っておったし、思いたかった。しかし、やっぱり今回も現に起きちまったんじゃ…大地震が」
次の瞬間、言葉を失った私達の頭の上をいくつものプロペラ音が鳴り響き、沢山のヘリコプターが飛んで行ったから、私は本当に大震災が起きてしまったのだと改めて実感して震えた。そして、しばらく闇の中に消えて行く赤と青の光を眺めた後に、違和感を覚えて思わず隣に立つ小金沢さんの顔を見た。だって、ヘリコプターの飛んで行った方向が、燃えている松本の方でも、高山の方向でも無かったのだから。
「…マ、マチュピチュが属する岐阜県は日本軍第十師団、中部方面隊。ち、近くても長野県側とは管轄が違うんだ…。それに、飛んで行った方角からすると岐阜の分屯所か、春日井の駐屯所、ひょっとしたら直接豊川の駐屯所を目指したのかも知れない。…こ、今回のが東海沖タイプだとすると、二〇分後には愛知や三重だけではなく、し、四国や九州まで大型の津波が来る。それに備えたんだ。…に、日本はとんでもない事になるぞ」
私の違和感を察した小金沢さんの言葉に、足が震えた。だって、これが終わりじゃなかったんだ。むしろ、これからとんでもない事態が起こるんだ。どんなに止めたくても人間の力ではどうにもならない事が、確実に起こってしまうんだ。それを知った私は、ただただ『逃げて!』『助かって!』と何度も心の中で叫び続ける事しか出来なかった。
「そ、それにしてはえらく手際がいいんじゃないか!?」
「た、たぶん3.11の教訓ですよ、お爺さん。軍人の皆さん、こんな日のために練習してたんですよ」
「…そ、それもある。で、でも…」
「…でも??」
「今回のは予測が出来ていたんだ。…だ、だから二年ぶりに災害対策シフトが出た」
突然の小金沢さんの発言に、私達は一斉に固まった。
「そ、それってどうゆう事ですか!? 予報なんて一〇年以上当たった事がないじゃない!?」
「…あ、あれは全部フェイクだよ」
そしてさらに、私達は言葉を失ってしまったんだ。
「内閣総理大臣と各大臣、それと軍の上層部と一部の研究者しかしか知らない事だ。分かっていても、嘘の情報を流し続けるしか無かったんだ…」
「…ど、どうしてそんな事!?」
「こ、この騒ぎに乗じて、日本が攻撃される事を恐れたのさ…」
「こ、攻撃されるとか大袈裟な…地震が来たら、大災害が来たら色んな国の人達が助け合うものじゃないですか!? 攻撃とか、ない話ですよぉ。それに、ここ、世界一平和な先進国、日本ですよ? そういうの無いですから」
「…き、君は、い、いつの話をしているんだ?」
突然、小金沢さんの眼光が鋭くなって、私は思わず「ヒッ」と短く声を上げてしまった。
「…手に入れた豊かさの代償…じゃな?」
「…は、はい。少子化、高度高齢化、多額の国債。どうにもならない未来を前に、日本は悪魔の甘い言葉に乗ってしまったんですよ」
「…第三次世界大戦への参戦…」
「…はい。結果、日本はこの技術力で莫大な富を得ることが出来ました。移民を受け入れて、税制問題もあっけなく解決しました。で、でも、大陸の大国も半島も、地図から名前が消えましたが、そこに住んでいた人間や思想は、散り散りになりながらも、新しい国に飲み込まれながらも今でも生き続けています。目に見えないだけで、確実に火種は世界中でくすぶり続けているんです。だから、嘘のニュースを流し続けるしかなかった。日本と言う国が戦勝国になってしまった以上、武器を開発し始めた以上、日本軍という名前を復活させてしまった以上、ここはもう平和な楽園じゃなくなったんです。…いまでは立派なテロの対象国家です」
遠くの山が燃えていた。耳をつんざくような風切り音が響いていた。そして、私の頭の中で、平和が、のんびりとした毎日が、皆が楽しく笑っている未来が、ひび割れて砕け散る音がした。怖くて怖くて一生懸命ペンダントを握りしめている手が震えて止まらなかった。
誰かに握ってもらいたかった。誰かに支えてもらいたかった。震える手を、いまにもよろけて倒れそうになる体を。
…その時、ポケットの中で着信音が流れた。
私は慌てて携帯を取り出すと、そのまま小首を傾げてしまった。だって、画面には何の着信履歴も、メッセージも無かったのだから。それどころか、地震のせいかそもそもの回線自体が繋がっていなかった。
…そして、またポケットの中で着信音が流れた。
その時、私は思わず理解した。その音の正体が何だったのかを。
 慌ててポケを取り出すと、そのままの勢いで真ん中の丸いボタンを押した。勇気も何もいらなかった。そしてその瞬間、優しい声が聞こえてきたんだ。
『やっと繋がった! 佐倉さん! 大丈夫? 佐倉さん!?』
その途端、涙があふれて止まらなくなった。
「…うん。お店は無茶苦茶になっちゃったけれど、私もお爺ちゃんもお婆ちゃんも大丈夫! ありがとう、橘君! でもどうして? 携帯は不通なのに!?」
『ポケのトランシーバー機能だよ。距離的にダメだと思ったけど繋がって良かった!』
「学校は!? 皆は大丈夫なの!?」
『うん、色々物が落ちたり停電はしてるけど、とりあえず誰も怪我はしてないよ!』
その声には少しノイズが入っていたけれど、私は思わずポケを抱きしめて神様に感謝した。
「…た、橘君…だっけ? そ、その声、も、もしかして一課の橘主任の、む、息子さんかい? こ、声が似ているけど?」
『は、はい、そうです』
「す、すまない、申し訳ないけれど、学校の高台から見える様子を教えてもらいたいんだ」
『はい、新市街の方に幾つか炎が見えます。大きくはないです。さっきから消防車やパトカーのサイレンも聞こえています』
「で、で、ラボは? マチュピチュの様子はどうなっているんだい!?」
『さっき、数機のチヌークとオプスレイが飛び立ちました。それ以外は…今は凄く静かです』
「まあ、時間も時間でラボには宿直くらいしか居ないだろうね、それに分屯所の方も、大半がさっきのスクランブルで出撃したに違いない…」
『…あれ!?』
「…どうした橘君!?」
『何か銃声みたいな音がして、小さな火花がいくつか見えました! あ! 小型の飛行機みたいなのが飛び立ちました!』
「…な、なにぃ!? いったい何が起こってるんだ!?」
『…あの、そ、それよりも…』
「それよりもって…、それより大変な事なんてないだろう!?」
『…いや、その…空、空が』
トランシーバーモードのポケから聞こえる声に私は思わず空を見上げた。そしてそこには、信じられない光景があったんだ。
うるさいくらいに眩しい満天の星空に、編隊を組み炎を上げて落ちてくる飛行機たちが見えた。不謹慎だけど、それはまるで降りそそぐ流れ星のようで、私は綺麗だと思ってしまったんだ。
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