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十二の月

4、挑発

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 翌日、任務最終日。同僚の女官たちへの挨拶を済ませ、官舎を引き払おうと歩いていた雪華は回廊の途中でふと足を止めた。

 しんと冷え切った年の瀬の空気の中、冬枯れした木々が寂しく外朝の庭を彩っている。陽連の冬はそう厳しいものではないが、もうじき雪が降ることもあるだろう。
 朱塗りの柱と雪の白との対比が、かつてとても美しかったことをよく覚えている。その日の光景を思い出し、しばしその場にたたずんだ。

 おそらく、もう二度と入ることのない場所だ。もう一度ここに入れただけでも、きっと運が良かったのだろう。そんなことを考え、似合わぬ感傷に浸っていると背中から低い声がかけられた。

「……もうすぐ、雪が降りそうだな」

「……!」

 供も付けずに、皇帝がいきなり話しかけてきた。足音にも気付かないほどしんみりしていたとは情けない。少々の気恥ずかしさを隠すように雪華は淡々と口を開いた。

「……あんたか。最終日にまで会うとは思わなかったな」

「今日付けで武官と小姓と女官が一人ずつ城を去ると、先ほど官から聞いた。素性はばらばらだったが、『みな良い働きをしていたからもったいない』とそれぞれの上官が嘆いていたと言っていた。……もったいないな」

「それはどうも。皇帝直々にそんなことを言って頂けるとは、潜入した甲斐があったよ。今度は州府にでも仕えてみるかな」

 庭に目を向けたまま答えると、龍昇が静かに笑った。ふと視線を巡らせると、龍昇の肩越しに回廊の奥から誰かが近付いてくるのが見える。

「……航悠」

「え……?」

 雪華のつぶやきを受け、龍昇が背後を振り返る。その仕草にはっと我に返った。

(しまった――)

 皇帝と女官が顔を突き合わせて話すなど、普通ならありえないことだ。雪華は慌てて膝をつき、頭を下げる。

 航悠は、雪華と龍昇が幼馴染であることなど知らない。皇帝と面識があるのは、この斎でも一握りの官吏や民の上層に属する者たちだけだ。
 龍昇との関係が明らかになることは、雪華の出自をいぶかしむ十分な要因となる。雪華は自分の失態に苦いものを感じながら、航悠がやってくるのを無言で待った。

「失礼いたします、主上」

「そなたは――」

 歩調もそのままに近付いてきた武官姿の航悠が雪華の前で足を止め、拳と手を合わせて龍昇に礼を取る。完璧な作法を見せた男に、龍昇が目を見開いた。
 ……気付いただろうか。航悠が、あの宴の任務のときも楽師として潜入していたことを。

「本日にてお暇を頂きましたゆえ、名乗るほどの者ではございません。それよりも、主上。この女官が、何か失礼を致しましたでしょうか」

「え…? いや、そんなことはないが……」

「……?」

 矛先をいきなり向けられ、雪華はひざまずいたまま困惑のていで航悠を見上げる。航悠はそんな雪華を見下ろし、不遜に笑った。――何か、企んでいる。

「それは良かった。知らない仲ではありませんので何か粗相があったのでは、と心配に思ったもので」

「……なぜ、そなたが」

「はっきり申し上げることが必要でしょうか? ……聡明な主上ならば、お察しかと思われますが」

「……っ」

 航悠が挑発的に唇をしならせた。その表情を仰ぎ見て、雪華は唖然とする。
 航悠は――自分と雪華が特別な仲であると、暗に龍昇に告げているのだ。

(何を言ってるんだ、こいつは……!)

 なぜ、わざわざ怪しまれるような真似をするのか。無言の非難を向けると、航悠がすっと手を差し出した。ごく自然な仕草で腕を引かれ、操られるように立ち上がる。

「…………」

 隣に、今の同僚。正面に、かつての幼馴染。
 面識のありすぎる二人に囲まれ、そのどちらとも親しく会話を交わすこともできず雪華は仕方なくうつむいた。――こんな状況は、さすがに想定していなかった。

 困惑した表情で、龍昇が雪華と航悠を交互に見やる。航悠はちらりと笑みを浮かべると雪華の前に立ち、うやうやしく頭を下げた。

「この者を探していたゆえ、御前を失礼したいのですがよろしいでしょうか?」

「あ……ああ」

「では失礼いたします。――雪華、行こう」

「……っ」

 偽名ではなく本名を呼ばれ、雪華はとっさに航悠を振り仰いだ。龍昇も目を見開く。だが航悠は、相変わらず何を考えているのか分からない笑みを浮かべたままだ。
 その真意を問いただしたい衝動に駆られながらも、立場上、黙って頷くしかなかった。

「はい。……御前、失礼いたします」

「……ああ……」

 龍昇の困惑した眼差しを痛いほどに感じる。それに返答することもできず、雪華は頭を下げ龍昇の前を辞した。



 航悠のあとを追い、回廊を歩く。そして龍昇の視線が完全に感じられなくなった頃――

「――航悠。どういうつもりだ…!?」

「あ?」

「『あ?』じゃない。なんでたまたま会った皇帝に、怪しまれるようなことを言ったんだ…! しかも私の本名まで出して!」

 人気がないことを確認しつつも、抑えた声音で航悠をなじった。そんな雪華を無表情で見下ろし、航悠がぼそりとつぶやく。

「たまたま……ね」

「…?」

「いや、なんでも。お前の名を出したところで、どうせ今日でやめんだから大丈夫だろ。あとはそうだな……軽く挑発でもしてみようかと思ってな」

「は……?」

 ――挑発? 航悠が龍昇に? ……わけが分からない。

「どんな反応すんのかと思って。ちょっと大人げなかったが……なかなか面白いもんが見られた。一瞬の殺気って、ああいうのを言うんだろうな。……穏やかそうに見えてなかなかやる、あの皇帝」

 何かを思い出したように航悠が楽しげに笑う。その笑みの意味が分からず、雪華は眉をひそめた。

「……どういう意味だ」

「分からないか? 相変わらず鈍いな、お前。……ま、気にすんな。いずれ分かる」

 航悠がぽんと肩を叩き、雪華に背を向け去っていく。その背中に向かい、慌てて叫んだ。

「おい、待て! まだ話は――」

「この話は終わり。仕事の話ならあとで蒼月楼で。……お疲れさん。帰るぞ、雪華」

 首を鳴らしながら、航悠が練兵場の方へと戻っていく。その後ろ姿を見送ると、回廊には雪華一人だけが取り残された。

「何を考えてるんだ、あいつは……」


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