【完結】斎国華譚 ~亡朝の皇女は帝都の闇に舞う~

多摩ゆら

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十二の月

5、安息の住処


「おおー、懐かしの我が家! ……相変わらずショボいな」

「ほんと、久しぶりな感じがしますね……。雪華さん、大丈夫? なにしみじみしてんの」

「ようやく絹の衣装とさよならできたかと思うと、涙で布団がしぼれそうでな……」

「はは……。大変だったんだね……」 

 約半月にわたる外朝での任務は、おおむね無事に終わりを迎えた。雪華と航悠と飛路の三人は、半月ぶりに蒼月楼の扉を叩いた。


「おーい、帰ったぞ」

「お……帰ったか。長い間疲れただろ。雪華と飛路もお疲れ様」

「まーな。松雲、お前も留守をありがとよ」

 出迎えてくれたのは、半月のあいだ雪華たちの留守を守ってくれた松雲だった。変わることのない穏やかな微笑に、ようやく安堵の息が漏れる。

「松雲、長い間空けてすまなかった。ありが――」

 雪華が感謝を口にしかけると、階上からドタドタと騒がしい足音が聞こえてくる。転がるように二階から駆け下りてきたのは、確認するまでもなく梅林だ。

「あーっ! もうお帰りだったんすか!? 松雲さん、ひっでえ! 帰ってきたら教えてくれって言っといたじゃないっすか~!」

 童顔をさらに子供っぽく歪め、梅林が松雲をなじる。そうかと思うと、子犬が尾を振るように今度は雪華たちに向き直った。

「お帰りなさいっす! かしら、雪華の姐御! あとついでに飛路」

「オレはついでかよ……」

 梅林が満面の笑みで航悠と雪華の手を握る。一応は飛路とも手を叩き合った頃、二階から今度は青竹が静かに下りてきた。

「梅猿、うっせーよ。……あ、帰ってたんすか。三人ともお疲れさんでした」

 ひょろ長い糸目の男が、雪華たちに軽く頭を下げる。青竹は航悠、飛路と順番に顔を合わせ、最後に雪華の顔を見るとぴたりと視線を止めた。

「副長……なんか、感じ変わりましたね」

「え?」

「なんつーか、妙に綺麗になったっつーか……。いや、副長もともと美人は美人っすけど」

「あーっ! 竹ギツネ、てめえ何どさくさに紛れて姐御口説いてんだよ! だいたい姐御が綺麗なのは昔っから変わんねえ――」

 青竹を押しのけ、梅林が雪華の顔を見上げる。まじまじと見つめてくる大きな目が次第に真ん丸に見開かれた。

「……マジだ……。なんか、高貴な感じまでする…! あ、姐御……なんかありやしたか」

「いや、別に……」

 青竹と梅林の言葉に、雪華こそが困惑していた。……いったい何だというのだ。すると助け船を出すように、航悠が雪華の肩を叩く。

「ま、立ち話してもしょうがねーだろ。報告も後だ。とりあえず飲ませろ。今は浴びるぐらいに酒が飲みてえ」

「そうだな、すぐ用意させよう。……ああ雪華。そういえば、ご褒美ってほどでもないがこれ買っといたぞ。なんだっけ、夜霧亭の――」

「この包み――。まさか白玉か!?」

「ああ、それだな。まだあったかいだろ」

 松雲からぽんと手渡されたのは色鮮やかな布に包まれた重箱だった。底を持つとほのかに温かく、甘い香りがする。それが数量限定で、この時期にしか食べられない貴重なものであることを雪華は知っていた。

「わざわざ買ってきてくれたのか……。ありがとう松雲」

「任務の帰りに近くを通っただけだ。礼を言われるほどじゃない」

「そうは言ってもお前、この中身の餡が絶品でな……! 緑豆、あずき、ナツメ、ゴマ……どれを食べても美味いんだぞ。口に入れたときはツルっとしてるが、噛むとトロって中の餡があふれてきて――。ああ想像しただけでよだれが出てくる。持ってるだけでも幸せだ……」

「分かった分かった。本当に甘味のことにだけは饒舌じょうぜつになるな。想像はいいから早く食ってくれ」

「姐御姐御! オレが食べさせてあげやしょうか!? あーんって!」

「だからうるせーよ、梅猿。……うっわ、顔きっも。こっち見んな」

「てめーのコトなんて見てねーし! 見てんの姐御だけだし!」

「はいはい、そこまで。青竹、梅林、手伝ってくれ。三人をねぎらうぞ」

 うっとりと天井を仰いだままの雪華を苦笑であしらい、松雲の鶴の一声で三人はようやく腰を落ちつけることができたのだった。



 食事と酒にありつきながら簡単な報告を交わし合い、雪華と航悠と飛路は酒楼の一卓でささやかな打ち上げを行った。
 互いの労をねぎらいながらも、話題は自然とそれぞれが得てきた情報のことになる。

「戦になるかもしれん、か……」

 雪華が提示した話題を、航悠が低い声で反芻はんすうした。目を見開いていた飛路もまた、困惑もあらわに黙り込む。

西峨さいがが荒れるね……。どうしようもないのかな」

「どうにかなればいいんだがな。まだ分からないが……かなり危険だとは言っていた」

 任務自体は一定の成果を収めることができたが、国の先行きを思うとどうしても暗い気持ちになる。溜息をついた雪華に、航悠が興味深げな視線を向ける。

「雪華。お前その情報……どこから仕入れた?」

「え?」

 ふいに問いただされ、きょとんと視線を上げた雪華は航悠の顔を見つめ返して内心で詫びた。――言えない。至上の位にある男から直接得てきただなんて。

「……親しくなった官吏から、な」

「ふーん。よくこんな重要機密を話してくれたな」

「それはまあ……あれだ。色々と手を使って」

「ああ……色仕掛けか。よく引っ掛かったな」

 誤魔化すにしても、飛路に配慮して一応は言い方をぼかしたのにあっさり明言されてしまった。横にいた飛路が、あからさまに嫌そうな顔をする。

「……何したんだよ、あんた」

「なんでもいいだろ。別に大したことはしていない」

 これ以上詮索せんさくされてはボロが出そうだ。無理やり話題を打ち切ると、雪華は空になっていた航悠と飛路の杯に酒を注ぎ足した。航悠がそれを口に含み、長く息を吐き出す。

「……ま、とりあえずは任務も終わったし。難しいこと考えんのは明日以降にしようぜ。今日は何も考えず、飲もう」

「そうだな」

「……はい」

 まだ不服そうな飛路をなだめるように、航悠が次から次へと酒と料理を注文してやる。
 はじめは飛路もかしこまっていたが、任務の疲れと憂さを晴らしたい気もあったのだろう。次第に饒舌じょうぜつになり、彼らの卓はものすごい勢いで酒を消費しはじめた。
 そして、一時間ほどのち――


「だから雪華さんはー……、ほんと、危なっかしいとこがあってー…」

「ほうほう、どんな?」

「頭領だって、本当は分かってんでしょう……。ほら、あれとかー、それとかー……」

「あれとそれじゃ全然分からないだろ」

「そんなん、口で言えたら苦労しないよ……。…………。……すー……」

 呂律の怪しくなっていた飛路が、ついに卓に沈んだ。そう酒に弱い性質たちではないが、さすがに疲れていたのだろう。

「くたびれたんだな。ずいぶん無茶してもらったから。……飛路、起きろ。こんなとこで寝たら風邪を引くぞ」

「んー……」

 肩を揺さぶるが、飛路はなかなか目を覚まさない。声が小さかったかと、雪華はその耳元に口を寄せた。

「飛ー路。起きろ。ほら……寝るならちゃんと自分の部屋へ――」

「んー……? くすぐった――」

「あ、起きたか」

「…!! え――、な…っ、……うわぁっ!?」

 眠たげな顔でようやく目を覚ました飛路と至近距離で見つめ合うと、彼は大きく椅子を揺らして後ずさった。雪華の吐息がかかった耳を押さえて、唇を震わせる。

「な、なな……。耳っ……! つか、あんたなんでそんな近くに……っ」

「いや、揺さぶっても起きないから――」

「だからって息吹き込むことないだろ…!?」

 別に吹き込んではいないのだが、ずいぶんと大仰な反応に雪華は目を瞬いた。そんな雪華から目を逸らし、飛路は赤い顔でつぶやく。

「びっくりした……。なんの夢かと思った……」

「おー飛路、おはよう。お目覚めはいかがだ?」

「ほっといて下さい……」

 航悠のからかうような笑みから逃れるように、飛路は耳を押さえたまま重い足取りで二階へと上がっていった。それを苦笑で見送った松雲が雪華たちに視線を向ける。

「若いな。……さて、お前たちはどうするんだ?」

「そろそろ引き上げるわ。部屋でもう少し飲むよ」

「そうか。じゃあな」

 航悠が何本か酒瓶を手に取って立ち上がる。相変わらず顔色一つ変わらない男は、雪華に視線を向けるとのんびりと問いかけた。

「お前はどうする。……俺の部屋、来るか?」

「そうだな……。私も、もう少し飲みたいな」

 一番楽しみにしていた白玉も食べてしまったし、食事はもう十分だ。太い笑みを浮かべた男に従い、雪華も酒楼をあとにした。



「なーんか、カビくせえ感じがすんだよな……」

「そうか? 風通しぐらいはちゃんとしてただろ」

「はー、でも自室ってのは落ち着くねぇ。あのムサい官舎から解放されたと思うと、嬉しくて泣けてくる」

「一人で泣いてろ」

 階段を上がって航悠の部屋に並んで入ると、久々の自室に男は肩を鳴らして息をついた。その様をなんとなく見やり、雪華は寝台に腰掛ける。卓はあるくせに椅子が置いてなかったので、そこしか選択肢がないのだ。

「お前ね……寝台かよ。いや、まぁいいが」

「なんだ」

 瓶を持った航悠が、呆れた眼差しで雪華を見下ろす。航悠は溜息をつくと、同じく寝台にどかりと腰を下ろした。

「それじゃ改めて、お疲れさん。……乾杯」

「……ああ」

 軽く杯を触れ合わせ、酒を口に含む。先ほどからの積み重ねで多少は酔いが回り始めていたが、それでも落ち着いた気分で飲む酒はやはり美味い。

「あっという間に、いつものお前に逆戻りか。もう少し女官、続けてりゃ良かったのに」

「もうこりごりだ。毎日髪を結うのも、色の重ねを考えるのにもくたびれた。私には向いてないよ。心底そう思った」

「お前ズボラだもんなぁ」

 杯を手にしたまま、航悠がくつくつと笑う。そのままお互い、しばし無言で酒を酌み交わす。言葉がなくても安らげる空間に、肩から重いものが抜けていく気がする。

「――っ。……なんだ」

 ふいに背中に、温かい何かがのしかかってきた。……確認するまでもなく、航悠の背だ。広い背中を雪華の背に預け、軽く体重をかけてくる。

「おい……重いぞ」

「いい背もたれ、発見。……お前、硬くなったんじゃねぇの。柔軟性が落ちてるぞ」

「そんなはずはない。ちゃんと毎日伸ばして――、おい、潰れる…! でかい図体で体重をかけるな」

「だったら押し返してこいよ」

 航悠が低く笑う。その振動が直接背中に伝わってきて雪華の体を揺らした。背に力を込めると、航悠の体を押し返す。
 いい年をした男と女が何をやっているのかと思わないでもなかったが、広い背は温かく心地よかった。雪華の体重を受け止め、航悠の背がまっすぐに戻る。

「よし、この角度だ。……動くなよ、背もたれ殿」

「人間ですらねーな、それ。……はいはい」

 ちょうどいい位置まで体を押し戻すと、びくともしない背中に遠慮なく体重を預けた。そのまま再び酒を飲み始める。
 またしばらく沈黙が続き、ぼんやりした頭で雪華は静かに口を開いた。

「……藍良のところに、顔を出さないと」

「あー。俺も久しぶりに行くかな。おんなたちに怒鳴られそうだが」

「ああ、行っとけ。ボコボコになってくればいいよ」

「そんな暴力女は俺の知る限り、一人しかいねーよ」

「誰のことだろうな」

 さらりと流すと、航悠がくぐもった笑みを漏らした。その振動を受け、雪華は心地よく瞳を閉じる。というか、すでにまぶたを開けていられなくなっていた。
 重たいまぶたはそのままに、今日でなければ言い逃してしまいそうな言葉をなんとか唇に乗せる。

「……航悠」

「うん?」

「…………」

「なんだよ、眠いのか。そろそろ部屋帰るか?」

「いや……。今回の、任務の件だが……。引き受けさせてくれて……良かった。……ありがとう」

「…………。どういたしまして」

 最後までちゃんと言えたかどうかも分からなかった。
 最後に航悠が何かつぶやいた気がする。けれどそれはもう雪華に届かなかった。温かい背にもたれ、意識が急速に沈む。

「……雪華? ……なんだよ、おやすみか」

「…………」

「仕方ねーなぁ。つーか甘えすぎなんじゃねーの。いい加減やばいぞ、お前」

「…………」

「……ま、いいか。……お疲れさん」

 背もたれが外され、代わりに柔らかい寝台へと横たえられる。毛布をかけられる感触を最後に、雪華の意識は完全に途絶えた。


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