【完結】斎国華譚 ~亡朝の皇女は帝都の闇に舞う~

多摩ゆら

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航悠編

10、失態


「今日は間諜か……。女官の仕事が終わったのに、年明け早々難儀なことだ」

「そう言うなって。座って笑って酌してるだけで情報が手に入るんだ。楽な仕事じゃねぇか」

「だったらお前が代わるか? 肩が凝りそうな着物と、鼻の下を伸ばしたおっさんのお触りが今なら特典で付くが」

「……やめとく。どうせそれ、あとでお前にボコられるっていうさらなる特典が付くんだろ」


 正月気分も完全に消え去ったある日のこと。その日の仕事は、酒宴に潜入して情報を得てくるという至極ありふれた内容のものだった。

 この頃陽連でも表面化してきた、鉱物の高騰について話し合う……という名目の席らしいが、妓楼で開催するあたり、そう堅苦しいものではなさそうだ。
 というか、どう考えてもその一応の話し合いの後の「お楽しみ」が主たる目的なのが見え見えだったが、何らかの情報が飛び交うことには間違いない。そこで妓楼に金を握らせて協力を頼み、雪華が単独で潜入することになったのだが――


「……別に、妓女に扮しなくたっていいんじゃない? あんたなら天井裏とか隣室とか、どこでも潜めそうなのに」

「私も最初はそう思ったんだがな。その妓楼の構造上、それは難しいんだそうだ。部屋の中に入るしか、話を聞ける手段がないんだと。それに別にとこまでご一緒するわけじゃない。適当なところで抜け出してくるよ。それは妓楼も了承済みだ」

 出立の準備を整える雪華に、飛路が渋い表情を向ける。雪華が何でもないことだと告げても飛路の懸念は晴れず、航悠に視線を向けた。

「でも、もしものことがあったら……。……頭領。頭領は、それでいいんですか?」

「は? 俺? ……俺は別に。こいつがそうするって言うんなら、それに任せるさ。自分の力量ぐらい分かってんだろ。それで失敗するようなら見込みが甘かったって笑うだけだ。そうだろ、雪華」

「ああ。念のため、誰か向かいの茶房さぼうにでもいてくれると脱出しやすいんだが……」

「今夜空いてんのは俺だけだな。仕方ねぇから待ちぼうけしてやるよ」

「どこかのおんなと消えていなくなったりしないだろうな」

「あー……。悪い、それは保障ねぇかも」

「……逃げたら、向こう一週間外出禁止にしてやるからな」


 うそぶく航悠に一瞥いちべつをくれ、妓楼に先行した雪華はさっそく支度を整えた。重い上掛けに袖を通し、化粧を濃いめに入れながらこれからの算段を練る。

 本当は天井裏などに潜んでもなんとか任務はこなせたかもしれないが、今回は確実な成功が欲しかった。だから、少し危険度は上がるが単独での潜入を選んだ。
 航悠が今回の任務を自分に任せてくれて良かった。これで前回の失態を、どうにか挽回できるだろうか。

 最後に紅を引き、少しだけ襟を肌蹴る。鏡を覗き込むと派手な顔の女が映っていた。……それなりに、妓女っぽく見えるだろう。

(あいつの好みそうな出で立ちだな……)

 そんなことを思ってくすりと笑うと、雪華は音もなく酒宴の中へと忍び込んでいった。



 酒宴は和やかに、そしてつつがなく進んだ。酌をして、肩を抱かれ、やんわりと押しやって笑う。その繰り返しだ。退屈すぎてあくびが出そうだ。
 嫌悪感を覚えるほどではないが、脂ぎった男の手と白粉おしろいの香りに辟易へきえきし、用足しにいく風を装って雪華は部屋から抜け出した。誰もいない廊下にたたずみ、ほっと息をつく。

 一見すると上品な顔の下に欲を隠した男たちの、下らない会合。それでも、それなりに得る情報はあった。

 年が明け、斎に入ってくる鉱物の価格がますます高騰している。鉱物資源に恵まれない斎では、シルキアからの輸入にその供給を依存している状態なのだ。
 そのシルキアとの関係が悪化している今、斎の鉱業は大きな打撃を受けている。製鉄、造船、金物……そして当然、武器の鋳造ちゅうぞうなども。斎はこれから新しい武器を作りづらくなる。

(輸入量の低下が長引けば長引くほど、シルキアは戦いやすくなる。こちらから仕掛けた方が有利なのか……?)

 国のことなど分かりはしないけれど。年末に訪れた龍昇の顔を思い出し、重い気持ちになる。
 溜息をついた雪華は、別室から漏れ聞こえてきた声にふと耳をそばだてた。

『―――から……、西峨さいがを……らずに……』

(なんだ……? 西峨?)

 そっと扉に近付き、耳を澄ませる。どうやら城の高官たちが密談しているようだ。陰に潜みながら、途切れ途切れに聞こえる会話をなんとか拾う。

『心配いらない。あれでも側近だからな。皇帝の目をあざむくのも大した手間ではない』

『ふむ。思ったよりは頭が回るが、所詮は若造だな。一度懐に入り込めば、警戒心も薄くなる……』

(……!)

 漏れ聞こえてきた会話に、一気に顔が険しくなるのが分かった。
 もう少し詳しい話を、と扉の向こうに意識を傾ける。その瞬間、雪華は自分の周囲に対する緊張を一瞬だけ緩めてしまった。

「――客ほっぽって、盗み聞きかぁ? ここの女はどういう教育受けてやがんだ?」

「……!」

 その一瞬の隙をつき、かけられた低い声。軽い口調だが、詰問きつもんするような響きにはっと目を見開く。

(しまっ――)

「さっき部屋にいた女だな……。久々にいい女だと思って追ってきてみりゃあ、どうやら違う筋の玄人くろうとだったらしい」

 暗い廊下にたたずんでいたのは、一見するとやさぐれた風体の男だった。大柄な体でのそりと立っているが、その眼光は爛々として鋭い。
 誰かの護衛で付いてきているのだろう。そういえば、先ほどの部屋で片隅に座っていた。

「あら……旦那様。御用達ならこちらではありませんよ?」

「はん……猫を被るのが上手いな。壁に張り付いてたときゃあ、猛禽もうきんみたいな目をしてやがったくせによ」

 とっさに婀娜あだっぽい顔を作ってやんわりと告げるも、男の警戒はやまない。獰猛どうもうな笑みをたたえたまま、男が問う。

「お前……ここの女じゃねぇな? 笑顔の割に冷めた目をした女だと感心していたが、本職じゃないなら道理だ。どこのねずみだ……?」

(……面倒だな……)

 完全に読まれている。退くか押すかを考えたその瞬間、太い腕が伸びてきて雪華は素早く飛びすさった。

「!!」

「だんまりなら……こっちから聞かせてもらうぜ!?」

 大柄な体に見合わぬ素早さで突き出された腕から逃れると、雪華はたたらを踏んで懐に隠し持った匕首ひしゅを抜こうと袖をひるがえした。
 だがいつもなら一瞬で終わるその動作が、上掛けの重さで一拍遅れた。その隙を男は見逃さない。

「ひらひらのお袖は苦手か? あぁん!?」

「くっ…!」

 手は匕首のつかを掴んだ。だがその袖を巻き取られ、強く引き寄せられる。
 間近に男の獰猛な顔が近付き、雪華は逆の手で男の頬を殴りつけた。無理のある体勢だったが横面に拳がめり込む。

「うおっとぉ…! ……へへ……効くな。綺麗な顔した女に殴られんのは、大歓迎だぜ」

 一瞬だけ顔が揺らいだが、男の手は力を失わない。口端を吊り上げて笑った男は、雪華の肩を引き寄せると強く壁に叩きつけた。

「――っ!!」

 匕首が手からこぼれ落ちる。背中から脳天に抜けた衝撃に叫びそうになった。だがすんでのところで、それをこらえる。
 大声を出せば、酒宴に出ていた男たちが気付いてしまう。多勢に無勢となれば雪華に勝ち目はない。

「気付かれるのが怖いか? 味方はいねぇのか!? 女一人で乗り込んでくるとは、いい度胸だな。あ? 別嬪べっぴんさんよぉ!」

 早口に男がまくし立てる。上擦ったその口調が興奮を如実に示していた。
 ……そう、何度か遭遇したことがある。こちらをいたぶってよろこ性質たちの人間だ――。

 男は酒臭くはなかった。だがその目は異常に血走り、白目が濁っている。何か精神を高揚させるもの……そう、例えば阿片でも吸っているのかもしれない。

(くそ…! 着物さえなければ!)

 ぐらりと揺れる視界を叱咤しったして立て直し、男を睨みつける。
 浅黒い顔に残忍な笑みを浮かべた男は、雪華の袖を掴んだまま背後の扉を押し開いた。そして部屋の中央へと雪華を突き飛ばす。

「!」

 そこは、どうやら物置部屋のようだった。暗い室内にしとねが積み上げられ、隅には色とりどりの着物が掛けられている。
 痛む体にむちを打って立ち上がると、雪華は男と距離を置いて構えを取った。

「おいおい、まだやるつもりか? ……ま、いいか。ちょっと遊んでくれよ。脂粉くせえ女どもには飽き飽きしてたんだ」

 圧倒的に自分が優位だと確信しているのだろう。男が首を鳴らし、じりじりと詰め寄る。
 この男とやり合っても、雪華には何の得もない。だがただ一つの退路は男の体で塞がれている。ここから出るためには、この男をくしかない。姿勢を低くして睨みつけると、男の笑みがより深くなる。

「ひゃはは……いいな、その目! 面倒くせえことは抜きにして可愛がってやるから、さっさと降参しろよ!」

「ちっ……。下衆が」

 殴りかかってきた男をかわし、延髄に一撃を入れる。そんなことでは揺らがないことは先ほどの攻撃で立証済みだ。だからおまけに手刀を力いっぱい叩き込む。

「ぐおっ!? がっ……」

 力では劣るが、重い一撃をかわしてしまえば速さでは雪華の方が勝る。匕首を落としてしまったのは痛いが、その代わりとばかりに続けざまに急所への打撃を仕掛けた。

「て…めえ!」

 完全にこちらを舐めていたのだろう。ぽかんとしていた男が、さっと顔を憤怒に染めた。その醜い顔に向かって足を振り上げる。だが――

「……!」

 いつもの高さで繰り出した蹴りが、重い上掛けにはばまれて途中で止まった。加えて間の悪いことに、着物の裾が男の足元に引っ掛かる。思わずつんのめり、雪華は床へと無様に倒れ込んだ。

(くそ…! また!)

 しかも運悪く、床に置いてあった香炉こうろか何かを倒してしまったようだ。
 灰が舞い上がり、鼻腔へと入りこむ。むずがゆさに咳き込むと、何か強烈な感覚が喉の奥に突き抜けた。

(…ッ! ……なんだ?)

「は……ははっ! どんだけ綺麗なおべべに慣れてねぇんだよ。詰めの甘い別嬪さんだな……!」

 再びの形勢逆転に男が歪んだ笑みを浮かべた。着物の裾を取られ、袖に手を伸ばされる。
 袖を掴まれては身動きが取れない。なんとか体をひねりその攻撃をかわすと、今度は帯が掴まれた。結び目を解かれ、急に襟元が涼しくなる。

「くっ……!」

 着物が乱れ、肌がさらされていく。男の息が荒く上擦った。
 男の興味はもはや雪華の事情ではなく単に肉体に偏っていて、おそらくなぶられて終わりだろうなという予感はあった。加えて、そう大事にするような体でもなかったが――何も好きこのんで、明け渡してやる義理もない。

(落ち着け……。まだ仕切り直せる!)

 絶体絶命の状況の中、ただ一点だけを凝視する。
 冷静さを呼び起こすよう、静かに息を吸い込んだ。すると先ほど感じた強烈な違和感が再び喉に突き抜けた。

「げほっ…!」

(くそ……なんだ、こんな時に!)

 喉だけでなく、腹の底まで妙に熱くなっている気がする。だがそんな感覚にいちいち構っていられる状況ではない。

「はは……! 剥いちまえば、こっちのもんか。いい加減おとなしく――」

(――誰がなるか!)

 帯が完全に解かれ、一瞬だけ男の手が雪華から離れる。
 その隙を逃さず、ほとんど脱がされていた重い上掛けを投げつけると雪華は目の前に迫っていた扉に飛びついた。

「なっ……! てめ――!!」

 下着にも等しい薄手の着物一枚になると、動きが格段に軽くなる。開いてしまう襟元を掻き合わせ、雪華は一目散に階段を駆け降りた。

「くっ……、あ……?」

 走るさなか、ぐらりと視界が回った。とっさに手すりを掴み、体勢をなんとか維持する。大した運動量でもないのに息がせり上がり、脂汗まで滲んできた。

 ――何かが、明らかにおかしい。
 それは分かるが、ここで足を止めることはできない。もつれる足を叱咤して、逃走を再開する。

 足音も荒く一階に下りると、薄衣一枚だけをまとった乱れた女の姿に妓女や客が慌てて退路を開けた。調度品に掛けてあった大ぶりの布を一枚拝借すると、裏口に出て向かいの茶房に飛び込む。

 そして、異様に乾く唇で相棒の名を叫んだ。

「……ゆう…っ、航…悠…ッ!」


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