【完結】斎国華譚 ~亡朝の皇女は帝都の闇に舞う~

多摩ゆら

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龍昇編

16、前門の虎、後門の狼


「主上。謁見えっけんの申し入れが入っているのですが――」

 雪華と会った翌日の夕方。斎国皇帝・胡龍昇は執務室で、困惑した侍従の声に顔を上げた。

「この時間にか? 今日の予定は終了したと聞いたが」

「そうなのですが、りゅう氏の紹介状を持っているので無下にもできず……。いかが致しましょう?」

 劉氏といえば、国内でも有力な貴族の一派だ。何か特別な事情で、早急な謁見を申し入れているのかもしれない。
 龍昇は小さくうなずくと、黒々とした墨を吸った筆で目前の料紙りょうしに己の名を記した。

「分かった、会おう。通してくれ」



 謁見用の広間に足を運ぶと、すでに謁見者がひざまずいて待っていた。
 平民の若い男のようだ。顔を伏せたまま、体格の良いその男が口を開く。

「陛下には、このような時間に我儘を聞いていただき恐悦至極に存じます」

「いや……構わぬ。して用件とは――」

 形式通りのやり取りに深く考えず答えを返してから、龍昇は目を見開いた。
 この声――まさか。

「……おもてを、上げよ」

 男らしい、通りの良い声には聞き覚えがある。薄い色の髪が揺れ双眸そうぼうが現れると、謁見者は精悍せいかんな顔に太い笑みを浮かべた。

「……失礼つかまつります」



 人払いのため庭園の東屋あずまやに移動すると龍昇が告げると、侍従たちは明らかに不審な顔をした。しかし古い友人だと言うと、護衛も付けずにすんなりと送り出してくれる。
 執務室からほど近い東屋に腰を下ろすと、向かいに背の高い男――尚 航悠がどかりと腰かけた。

「人払いとかしちゃっていいのか? 俺、あんたに信用されるような行いはまったくしてないつもりなんだが」

「構わない。武器は取り上げられているだろうし、私もそう簡単に襲われる気はない」

「へえ。意外と自信家なんだな、あんた」

 航悠が口端をゆったりと吊り上げる。
 彼とまともに顔を合わせたのは、これが二度目だ。以前は期間限定の武官と皇帝という間柄だった。

(しかし――)

 武官姿の時も思ったが、ひどく人の目を惹きつける男だ。
 堂々とした長身と、少々軽薄そうだが男らしい容貌。それだけでも十分だが、それ以上に何か圧倒的な存在感を感じさせる。

 航悠は悪びれもせずに龍昇の前に現れ、敬意を示すこともしなかった。不遜ふそんともいえるその態度自体は逆に新鮮で、小気味よくすら感じられたが龍昇には一つ不可解なことがあった。

「なぜそなた……あなたが、劉氏の口添えを?」

「ああ、いわゆるお得意様ってやつだ。あのおっさんはたぬきだが、意外と情に厚いとこがあってな。仲良くしとくと色々便利だぜ? 今んとこはあんた寄りみたいだが、コウモリでもあるからな。一応気を付けといた方がいいとは思うがな。……これ、謁見を拒否られなかった礼な」

 大柄な体に見合う色気のある笑みを浮かべ、男が髪をかき上げる。有益な情報と言えなくもないが、そんな世間話をしにきた訳ではないだろう。
 龍昇は姿勢を正すと硬い声で問いかける。

「単刀直入に聞くが……何か話があってここに?」

「お、いいねぇ。話が早くて助かるよ。城ってところは、どうも何をするにも時間がかかりすぎていけねぇ。……察しの通り、雪華のことだけどな」

 ――やはりそうか、と思った。男の視線が急に冷えたものへと変わり、龍昇は知らず喉を鳴らす。

「昨日、帰ってきたあいつから伽羅きゃらの香りがしたよ。……あんたの香りだ。分かりやすすぎて、笑った」

「っ……」

「あいつ何も付けてないから、残り香とか一発でバレるんだ。昔の男のときもそうだった。職業柄、嫌でも鼻が利いちまってな」

 それは皮肉か、それとも自慢なのか。硬い龍昇の顔がわずかに歪むのを見て航悠がうっすらと笑う。彼は一つ息を吐くと真顔に戻って続けた。

「で、男の存在を主張された訳だが……別にそれ自体は俺にはどうでもいい。問題は、あいつが泣きそうな顔をしてたってことでな」

「泣きそう……?」

「ああ。泣いちゃいねーけど、あれはかなり思い詰めてるときの顔だな。あんたにヤられて何かあったんかと思ったが、どうやらそうでもないらしい」

「ヤら――。……っ、そんなことはしない」

 唐突な、そしてあまりに明け透けな言葉に龍昇は一瞬絶句した。すぐに気を取り直すと、航悠を軽く睨む。

「……彼女が、あなたに話を?」

「いいや? しねーよ。別に俺はあいつのすべてを把握してる訳じゃねえし。ただ長く一緒にいると、だいたい分かっちまう。それでな、一言だけ言わせてもらう。……困るんだよ、うちの姫さんに手を出されたら」

 男の視線が、龍昇を貫いた。食えない笑みの下に隠された鋭い眼差しに、ひやりと背筋が伸びる。
 その目を見つめ返し、龍昇もまた低く問いかける。

「それは……保護者としての忠告か? それとも男としての?」

「はっ……今さら保護者って歳かよ、あれが。しいて言うなら同僚としての、かな。別にあんたが男としてって思いたいんなら、そう思ってもらっても構わないけどな」

「…………。失礼だが……あなたは、彼女の出自を?」

「さあ。少なくとも現皇帝と昔に何か繋がりがあった…ってぐらいは想像がついたが、あとは知らねぇ。あいつが言わない限り、知ることもないだろうよ。あいつがどこの馬の骨かなんざ、俺には関係ねぇよ。過去なんか知ったことか。出会ってからの年月だけで十分だ」

「……っ」

 男の笑みに、後ろめたさを突かれたような気がした。
 ……牽制けんせいされている。龍昇と別れてからの雪華を知りつくしている男の言葉に、醜い嫉妬心が首をもたげた。そんな龍昇に航悠が畳みかける。

「あんたが雪華に何を言ったのかは知らねぇ。だがな、あんたの言動はあんた自身にその気がなくとも、あいつを振り回すんだ。あいつが自力で手に入れた平穏を、これまで築いてきた生活をかき乱すのは、やめてくれないか」

「……あなたは、先ほど彼女の保護者ではないと言った。ならば、選択権はあの人にあるはずだ」

「そりゃそうだ。俺がしてんのは、ただの牽制だ。あんたが嫌なら、右から左に流しちまえばいい。だが、あいつが今の生活に落ち着くまでにどういう生き方をしてきたかとか、あんたは分かってあいつに近付いてんのか?」

「それは――」

 まったく知らないわけではない。けれど、目の前の男がその目で直接見てきた過程とは比べようもない。
 龍昇は内心で歯噛みしながらも、視線がぶれないように反論する。

「……彼女が私のことで思い悩んでいるのなら、それは私の落ち度だ。不甲斐なさを、申し訳なく思う。けれど、あなたにだって彼女のすべては分からない」

 龍昇の言葉に航悠が意外そうに片眉を上げる。視線に力を込めて龍昇は続けた。

「たしかにあなたは、彼女のことを私などよりよほど知っている。彼女自身も、そう言っていた。それでも選ぶのは彼女自身だ。あなたが決めることじゃない。あなたに牽制されることでもない。……ただ、権力をもって彼女をどうこうしようなどとは考えていない。拒まれたら、潔く身を引く。あなたに言えるのはそれだけだ」

 なけなしの矜持きょうじで、長身の男を睨み返す。
 龍昇にも曲げられないものはある。他の何を失っても、もう二度と手放したくないものが。
 男はしばらく考え込むような視線を向けていたが、やがてにっと笑みを浮かべた。

「……違いない。いいな、あんた。思ったより気骨がある」

「頑固なだけが取り柄だ」

「そうでもないだろ。ツラもいいし。あんた、城下のおんなたちにかなり人気があるぜ。誰か気に入ったのでもいたら召し上げればいいのに……って、それができてりゃ苦労しねぇか。よりによって、あんなじゃじゃ馬が好みだもんな」

「彼女のことを、悪く言わないでくれ。……俺が欲しいのは、一人だけだ」

 他の女性に好かれても嬉しくもなんともない。真顔で返すと、航悠は聞きたくなかったとばかりに渋面になる。

「それ、俺じゃなくてあいつに言えよ。あんたに言われても嬉しくも何ともねぇよ」

「もう言った。返事は保留されたが……」

「へえ……そっか」

 ひゅうと口を鳴らし、航悠が面白そうに笑う。男は元のゆったりとした笑みに戻ると音もなく立ち上がる。

「それじゃあ頑張んな、皇帝さん。あんたのお手並み、拝見させてもらうぜ」



 言いたいことだけ告げて、雪華の相棒は帰っていった。
 龍昇は執務室ではなくそのまま私室に戻ると、ほっと息を吐き出す。……どうやら、かなり緊張していたらしい。

 侍従たちからの婚姻の催促はいまだやむことがない。政情も不安定で、逢瀬の時間も取れない。そしてとうとう彼女に最も近しい男まで牽制に来た。次から次へと試練が襲ってくる。

「前門の虎、後門の狼……か。しかも本人が一番難攻不落だ……」

 雪華に貰った茶をすすりながら、皇帝は苦笑いでゆっくりと目を閉じた。


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