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龍昇編
17、春蘭と松雲-5
「ああ、春蘭。待たせたな」
「松雲様……! 来て下さったんですね。ありがとうございます」
雪華に文を渡してから数日後。春蘭は花街にほど近い茶房で、緊張しながらある人物の訪れを待っていた。
約束の時間に扉が開き、その男――松雲が姿を現すと、花が開くように笑顔になり立ち上がる。
「ああ、いや。せっかく誘われたからな。でも、こんな茶房で俺なんかと会っていていいのか? 店の主人に怒られるんじゃないか」
「明日から特訓に入るから、今日は一日休んでもいいと言われました。でも、見つかったら怒られるので……できれば内緒でお願いします」
「特訓? なんのだ?」
席についた松雲が不思議そうに目を瞬き、春蘭は微笑をかき消して言葉に詰まる。しばらくうつむいて押し黙ると、苦い笑みを浮かべて春蘭は口を開いた。
「松雲様。わたし……来月末から、お客を取ることになりました」
「え――」
松雲の表情が固まる。彼は目を見開いて、まじまじと春蘭を見つめた。
「ちょ、ちょっと待て。客を取るって――春蘭、お前いくつだ?」
「十七ですが……」
「あ……。……意外といってたんだな」
「……?」
「いや、何でもない」
小さく首を振り、松雲は無言で少し考え込む。やがて彼もまた苦い笑みを浮かべると溜息混じりで口を開いた。
「そうか……。そうしたら、あんな風に店先で会うことも、ちょっと何か買っていってやることもできなくなるんだな」
「そう……ですね……」
松雲が「なぜ」とか「ひどい」とか春蘭の運命に対して否定の言葉を告げなかったことに、少しだけ胸が痛んだ。
けれど、それは当然の反応だ。なぜなら最初から妓女見習いとして彼女は松雲と出会ったのだから。
「妓女になることは……もちろん嬉しくはありませんが、はじめから、決まっていたことだから――今さら嫌だとか逃げる気持ちはありません」
「春蘭……」
「でも、わたしには……お慕いしている方がいて。その方に、どうしても気持ちを伝えておきたいんです」
震える手を握りながら、春蘭はそこまで言い切った。松雲を見上げ、口を開き――けれど続く言葉が出てこず声に詰まる。
「……春蘭?」
訝しげに松雲が呼びかける。その眼差しに意を決すると、春蘭はか細い声で告げた。
「……お慕いしております」
「え……」
「春蘭は、松雲様を……お慕いしています。もうずっと、出会ったときから……!」
「っ……。春蘭――」
松雲が目を見開き、戸惑いをあらわにする。畳みかけるように、春蘭は必死の想いで続けた。
「これからも会ってほしいなどと、無理を言うつもりはありません。でも、でも一つだけ、恥を忍んでお願いがございます…! わたしを最初に……買っては頂けませんか……」
「……っ」
「わたしは妓女になります。でも、初めては――初めてぐらいは、松雲様がいい! 普通の女の子みたいに……最初に好きな人と結ばれたいと思うのは、いけないことですか…?」
――抱いてほしい。一度だけでいいから。この体と心がまっさらなうちに、触れてほしい。
それが少女としての、春蘭の最後の願いだった。
こらえきれず、最後は涙混じりになってしまった。春蘭は涙ぐみながら松雲を見上げる。一方の松雲は、目を見開いたまま春蘭を食い入るように見つめていた。
「…………。春蘭……」
松雲の声に戸惑いと迷いが揺れる。やがて彼は苦悩するように強く目を閉じると、はっきりと告げた。
「……駄目だ」
「……っ!」
「俺みたいな男に、そんなことを任せちゃ駄目だ。そう望んでくれたのはありがたいが……俺にはそんな甲斐性も金もない」
松雲の返答は苦渋を滲ませながらも、冷静なものだった。ずきりと胸が痛み、春蘭は続く言葉を探す。
「な……ならば、お客としてでなくても構いません! お金なんていらない。誰にも見つからないように、一度だけでも――!」
「そんなの、ますます駄目だ。俺が触れた…俺に抱かれた体で、これからお前の後ろ盾となる初客に『初めてです』と嘘をつくのか? もしそれがバレたら、どうする。そうでなくとも、最初から嘘で塗り固めて……そうやってこれからの数年を生きていくのか」
「そ、れは――」
必死で追いすがる春蘭を松雲が冷静に諭す。
松雲が告げたのは正論だ。少女の下手な嘘などすぐにバレる。そうすれば春蘭の行く末が揺らぐのみならず、世話してくれた藍良や妓楼にも迷惑がかかる。
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唇を噛み締めてうつむいた春蘭に、松雲の静かな声が降りかかった。
「……悪いな。頼りにならない男で。でも、どうするのが自分の将来のために一番いいか、もう一度よく考えてくれ」
「…………」
「ごめんな、春蘭。でも、気持ちは……嬉しかった」
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