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龍昇編
18、有益な女
年越しから早いものでひと月が過ぎ、二の月を迎えた。
状況が少し落ち着き、暁の鷹は延ばしに延ばしていた陽帝宮からの依頼への返答を、ようやく返した。
書いたのは、諾。組織の仲間たちも依頼を受けることに賛同してくれた。危険な仕事だが、やはり対価は魅力的だ。
すると数日後に、詳しい打ち合わせをしたいので陽帝宮で行われる会合に出席してほしいとの返答が来た。
「これってあれだろ? 禁軍とかお偉いさん方が一堂に会するやつだろ? そんなところにノコノコ顔出していいとは、皇帝さんも太っ腹だな」
「打ち合わせぐらいしておかないと、どこを探るのかも誰に情報を届けるのかも分からないだろ。仕事内容がかぶっても無駄だし」
「堅っ苦しいとこは苦手なんだよなー。二日間か……さっさと終わればいいけど」
ひたすら面倒くさそうな航悠を説得し、外出の準備をするべく二階へと上がる。すると廊下で赤毛の青年と鉢合わせた。
「飛路」
「あれ。雪華さん、まだいたんだ。城の会合行くの、今日じゃなかったっけ」
「そうなんだが……その、お前はいいのか?」
「何が?」
きょとんと問い返した飛路に、雪華は気まずい顔で答える。
「胡朝。……あまり好きじゃないんだろう? 前に、そんな態度をしていたよな」
「…………」
飛路が目を見開く。雪華は瞳に憂慮を浮かべ、彼のこれまでの反応を思い出しながら口を開いた。
「今回のことは、なかば私の独断だ。組織の総意とは取らなくていい。気が進まなければ、任務に加わらなくても構わな――」
「――ううん。オレも、あんたたちと行くよ」
雪華の言葉をさえぎり、飛路がきっぱりと答える。彼は雪華の目を見つめながら小さく微笑んだ。
「あんたが、そうしたいって思ったんだろ? だったらオレは……あんたに従う」
「そうか。……妙なこと言って、悪かったな」
「んーん。行ってらっしゃい。気を付けてね」
何かを受け入れたようにも諦めたようにも見える、妙にすっきりとした顔の飛路に見送られて雪華と航悠はのんびりと陽帝宮を目指した。
蒼月楼に残された飛路は、二人の背に向かって誰にも聞こえぬ声でつぶやいた。
「それが、あなたの意志なら……」
異国の踊り子として、そして女官として潜入したときには目立たぬようにくぐった城門を、今度は堂々と通っていく。どこか緊張した面持ちの武官に広間に案内されると、すでに会合は始まっていた。
武官でもない雪華たちの登場に、周囲がかすかにざわめく。すると玉座に腰かけた龍昇が、片手をすっとかざした。
「静粛に。――ちょうど良かった。彼らは、今回の開戦に当たり情報面で協力をしてもらう組織の人間だ。……航悠殿、頼む」
「どうも。お邪魔してすいませんね」
「知っている者も多いかもしれないが、彼らの組織は諜報活動にかけて禁軍に負けず劣らずの働きを見せている。そこで諸官と相談の上、協力を要請した」
通りの良い声が響き、武官たちに沈黙が落ちる。彼らは困惑した顔で雪華や航悠に視線を向けていたが、ある一人が立ち上がった。
「おそれながら、主上。その者たちは本当に信用できるのでしょうか? 突然軍に協力すると言われましても――」
「拙者も同感です。そのようにヘラヘラとした男と、まして女人を戦場に向かわせるなど――」
最初の声を皮切りに、あちこちで反対の声が上がった。
……まあ、そうだろうとは思う。隣の航悠も大して驚きもせず、腕など組んでいる。
やがてひとしきり抗議の声が静まったところで、雪華は一人、静かに立ち上がった。
自分に注目が集まっていることを確認し、ゆっくりと口を開く。
「女人か。たしかに私は女だが……ただの女ではない。そなたたちにとって、有益な駒となりうる女ぞ」
「…っ!? 女、主上の御前で無礼であるぞ! 口を慎め……!」
礼を逸した雪華の態度に、武官たちから非難の声が強く上がる。
雪華は玉座に座る皇帝を――目を丸くしてこちらを見つめる龍昇を見ながら、朗々とした声で告げた。
「申し遅れました。わたくしの名は李雪華。かつての名は、朱香紗と申します。おそれながら、斎国朱朝第十四代皇帝・朱康成が第一皇女の座にございました」
「…!?」
雪華の発言に水を打ったように静まり返った広間が、次の瞬間、天井が落ちたような騒ぎに包まれた。隣の航悠が苦笑してつぶやく。
「あーあ。ほんとに言っちまった」
「な、な……なんと言うことを……!! おい、誰かその女をつまみ出せ……!」
「皇女の名を騙るとは、なんという不敬か! 主上、御前にて斬り捨て御免――」
「――やめよ!」
混乱極まる大広間を、鋭い一喝が引き裂いた。
玉座から立ち上がった龍昇が、目を丸くしたまま苦しげな顔で雪華を見下ろす。
「……香紗姫……っ」
その、苦悶にも似たつぶやきが、武官たちの耳を打った。
龍昇と皇女が幼馴染だったことは、この陽連では誰もが知っていることだ。皇帝の一言に、雪華を見る目が敵視から驚愕と畏怖へ変わっていく。
雪華は嫣然と笑むと、古式ゆかしい完璧な作法で龍昇に立礼を執った。
「お久しゅうございます、龍昇様。……いえ、皇帝陛下。朱香紗にございます」
「……っ」
「とはいえ、そう名乗っても私は既にこの陽帝宮を追放された身。私の身分を証明するものは何もありません。信じるか信じないかはあなた方次第だ」
雪華は顔を上げると、視線を龍昇から武官たちへと移した。彼らを見渡すと、演説するかのように告げる。
「今の私は、李雪華というただの平民にすぎません。また、先に宣言しておきますが今さら復讐を仕掛ける気も皇位を乗っ取るつもりもありません。……けれどあなた方が今驚愕したように、かつての名にはまだ影響力が残っている。それを、利用すべきとは思いませんか」
ここで一息ついて、ゆっくりと視線を龍昇に戻した。彼は食い入るように雪華を見つめ、隣の航悠は薄い笑みなど浮かべていた。
航悠には、昨日のうちに今日のこの件について伝えてあった。静まり返った武官たちをちらりと眺め、雪華は再び龍昇を見上げる。
「私の部下の情報によると、国内各地には胡朝への反意を持った集団や、まだ胡朝につきかねている地域もちらほらあるようですね。そういった者たちに、私の名をちらつかせれば……足を止めるか、あわよくばこちら側に引き入れることもできるのではないでしょうか」
そこまで言って武官たちを見回すと、激しい困惑が伝わってきた。一人の武官が立ち上がり、深く頭を下げる。
「おそれながら申し上げます…! 仮にその女人の言う過去が真実だったとしても、あとで主上を裏切らないという保障がどこにありましょうか!? 我々はこの斎の民を守るために、戦に赴きます。しかしその方の存在がいずれ内乱の種となっては、そのとき再びシルキアに対抗することなどできましょうか……!」
年若い武官だった。雪華と龍昇は揃ってその職務に忠実な武官を見つめ、再び視線を合わせる。
「良い臣下をお持ちだ。……たしかに彼の言うとおり、私の存在が新たな火種となってはいけない。先ほども申し上げた通り、私にも仲間達にも反乱の意思などございません。そもそもが私の正体を彼らは知りませんでしたから。それでもお疑いになるなら――今ここで、誓います」
雪華はゆっくりと、玉座に向かって足を進めた。警護の兵が、慌てたように雪華の前で剣を交差させる。
その刃の前で止まると、雪華はためらいなくその場に膝をついた。そして遠く玉座に座る龍昇を見据える。
「私、朱香紗は……胡朝第二代皇帝・胡龍昇陛下に臣従することを誓います。決して御身を裏切らず、あなた様のために力を尽くすことを約束します」
「……!」
「……私たちの、愛しい祖国の安寧のために」
深く頭を下げると、広間は再び水を打ったように静まり返った。
そのまま何秒の時が過ぎただろうか。高い場所からゆっくりと足音が近付いてきて、雪華の前で止まった。
「……顔を上げて下さい。香紗姫……いや、朱香紗殿」
立位の皇帝とその足元で叩頭する前皇朝の皇女。その図をその場にいた全員の目に焼き付けさせて、雪華は顔を上げる。
いまだ複雑な色の消えない瞳で雪華を見下ろした龍昇が、重々しく告げた。
「私は……そなたを臣下に迎え入れることを、承諾する。……今の誓いを決して違えぬよう。こたびの戦には、そなたの力が必要だ。様々な遺恨はあると思うが……どうか、頼む」
「かしこまりました。……ありがたきお言葉、ゆめゆめ忘れませぬ」
再び雪華が頭を下げると、龍昇は無言で玉座へと戻った。航悠の元へ雪華が下がると、冷静に口を開く。
「それで、そなた達は対価に何を望む。できればここで承認を取りたいのだが、いくらほど――」
「金は、相場の値段でいい。それより――」
答えた航悠がちらりと視線を向ける。雪華は一つうなずき、龍昇をまっすぐに見上げた。
「戸籍と住む土地を、所望したく存じます」
「……戸籍?」
「はい」
雪華の言葉に龍昇は小さく目を見開いた。雪華は彼の目を見つめながら続ける。
「私たちの組織には、やむにやまれぬ事情で名を変えたり、生まれついた土地から出ざるを得なかった者たちが大勢おります。彼らは土地を持って定住することができず、いつまでもさすらうことを余儀なくされている。……その者たちに、安寧を与えてほしいのです。良い土地が欲しいとか、無理を申すつもりはありません。ただ少しばかり、超法規的に……陛下のお力をお借りしとうございます」
「なっ……! それは主上に、犯罪の片棒を担げと言うことか!?」
ある武官から、非難の声が上がった。雪華は微笑むと、さもおかしそうに首を傾げる。
「犯罪などと……。私の仲間たちが疑わしいのならば、猶予期間を設けても構いません。彼らはただ善良に、ごく当たり前の生活を送りたいだけのこと。そもそも我らの力がなくば、そちらで考えておられる戦略は遂行できないと思われますが……?」
極上の笑みを武官に向けてやると、彼は喉に物が詰まったような顔で押し黙った。
(……悪いな。あんたの言ってることは正論だが、こちらも引くわけにはいかないんだ)
「……戸籍を悪用することがないと、誓えるか」
「誓えます。ご恩情を頂いた暁には、必ずや我々の力、この斎と陛下のために捧げると約束しましょう」
龍昇の確認にしっかりと頷くと、彼は一つ溜息をついて宰相に目配せをした。
「……分かった。早急にその者たちの名簿を提出するように。身元確認のため本名も記してくれ。他言はさせないと誓う」
「かしこまりました。……ありがたきお言葉に、感謝いたします」
それからは、実際の戦略についての詳しい議論が始まった。
自分たちに関係ある箇所だけしっかりと聞いて、あとは耳から流す。それでも座っているのが苦痛になってきた頃、ようやく会合はお開きとなった。
「あー、肩凝った。また明日もあるなんて、なんの試練だこりゃあ」
「仕方ないだろ。明日で終わるだけまだマシだ。城の美味い茶菓子でも堪能しろよ」
「へいへい」
帰り路で、航悠がのんびりとつぶやいた。雪華も首を伸ばしながら答えると、航悠が後頭部をちょんとつついてくる。
「しっかし、お前が皇女ねぇ……。昨日聞いたときはなんの冗談かと思ったぜ」
「別に信じなくても構わない。ただ……ずっと黙っていて、すまなかった」
「いや、別に俺はどうでもいいんだが。あいつらもどうってことなさそうだったしな」
昨日雪華は、航悠だけでなく暁の鷹の仲間達にも自分の正体を明かした。
なぜ雪華宛てに依頼が来たのかを詳しくたどっていけば、いつかはバレることかもしれないし、朱香紗として引き受けた方が利点が多そうだったからだ。
皇女扱いはせず、今まで通りに接してほしいと仲間達には頼んだ。
ずっと正体を隠してきたことにさすがに反発や非難が飛んでくるかと思ったが、彼らは目を丸くしながらも、雪華のことを受け入れてくれた。
「青竹なんか『俺、夢が壊れたっす』とか言ってたしな……。いやいいんだが、むしろいいんだろうが、なんだかな……」
「あー……。まぁ、仕方ねぇよ」
昨日の反応を思い出して雪華が微妙な顔をすると、航悠が苦笑する。雪華は目前に迫った蒼月楼を見上げ、しみじみとつぶやいた。
「でも……助かった。いい仲間に恵まれて、私は本当に幸せ者だ」
「……そうだな」
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