異世界シンママ ~モブ顔シングルマザーと銀獅子将軍~【完結】

多摩ゆら

文字の大きさ
44 / 47

43.滴る※

しおりを挟む
 ガウンを羽織ってヴォルクと共に続きの間のドアを開くと、ケイは目を見開いた。そこに置かれていたものに歓声を上げる。

「バスタブ……! えっ、すごい。この世界に来て初めて見ました……!」

「そうか。王宮にあって、陛下が疲労回復に良いと薦めるのでな……昨年、造ってみたのだ。まあ毎日使っているわけではないが」

「うわー……。懐かしい……」

 主の寝室の隣には、立派な猫足のバスタブがしつらえられていた。この国では非常に貴重なものらしく、それをさらりと取り入れられる侯爵家の財力に今さらながら感嘆する。
 蓋代わりの革をどかすと、湯気がふわっと立ち上る。湯の温度を確かめたヴォルクはさっさとガウンを脱ぐとそこにザブンと浸かった。ケイを見上げ、濡れた髪をかき上げる。

「入りなさい。湯が冷める」

「えっ。……あ、は、はい」

 当然のように促され、ケイはおずおずとガウンを脱ぐとなるべく体を晒さないようにして湯へと入った。湯は少しぬるくなっていたが、ほてった肌にはちょうどいい。
 久しぶりに足先から肩まで温かい湯に包み込まれ、思わず大きなため息が漏れる。

「うはぁあああ~。気持ちいい~……」

「くっ……。喜んでもらえたようで何よりだ。風呂は好きか?」

「はい。向こうでは毎日入っていたので」

「そうか。……地方の領地には温泉がある。落ち着いたら視察がてら、ココも連れて旅行に行こう」

「それいいですね……! ココも絶対喜びます」

 バスタブは広く、両端にいれば互いの体が触れ合うこともない。ハーブか何かが入れられているのか湯は濁っており、視覚的な恥ずかしさも意外と少ない。
 ケイはバスタブの縁に頭を預けるとうっとりと目を閉じた。

「最高です……。ココにも入らせてあげたい……」

「もちろん構わん。私が入っていないときに使うといい」

「ありがとうございます……!」
 
 ケイが目を開けると、ヴォルクは湯をすくって顔と髪を洗い流していた。
 ケイより上背があるため胸から上が見えており、落ちた前髪から水滴がしたたり、それを鬱陶しそうにかき上げる。濡れたたくましい腕と伏し目の競演に、ケイの心臓は跳ね上がった。

(かかか、カッコいい……! エロい……いや、違う。セクシー? いや、色気だ! 色っぽい……!)

 色気が大渋滞している近い将来の伴侶に、ケイは内心で喝采を送ると赤くなった顔を悟られないよう顎まで湯に浸かった。本当に、とんでもない人と夫婦になることになってしまった。
 ヴォルクはふと顔を上げると、沈んでいきそうなケイをぎょっとした目で見る。

「大丈夫か」

「は、はい」

「ココで思い出したが、そなたとココの部屋もそれぞれ準備せねばな……」

「え。お部屋を頂けるんですか?」

 ケイが驚いて返すと、ヴォルクは無言でうなずいた。適当な部屋に二人まとめて置いてもらえればそれで十分なのだが。

「当然だ。そなたは侯爵夫人だからな。あとは服と調度品と――」

「服……。ドレスですか……」

 さすがに毎日スカートを覚悟しなければいけないかとは思っていたが、上流階級ともなれば毎日ドレスを着なければいけないのだろうか。ケイがあからさまにげんなりすると、ヴォルクはなだめるように苦笑する。

「ふっ……。邸内では何を着ていても構わんが、対外的に必要なときもある。正装するのはせいぜい年に数度だ。別に毎日、一人では脱げないような豪奢なドレスを着る必要はない」

「……!」

 ふ、と色を含んだ視線を送られ、宴の夜の一件を思い出してケイは喉の奥が詰まった。そのまままたズルズルと湯に沈んでいくと、心を落ち着かせ、浮上する。

「あの……お願いがあるんですけど」

「なんだ?」

「ココの部屋はまだいいので、その……夜、ココと寝てもいいですか? 元の世界でも、こっちに来てからもいつも一緒に寝てたので……。私の国だと結構多いんですけど、ココが『もういい』って言うまでは一緒にいてやりたいんです。……駄目ですかね?」

 ケイがおずおずと切り出すと、ヴォルクは小さく目を瞬いた。
 ラスタに聞いても、こっちの国では親子は寝室を分けるものだと言われた。けれどヴォルクと再婚する予定になった今、部屋まで分けられてはココと触れ合う時間が減ってしまう。
 ケイのわがままに、ヴォルクはすんなりとうなずく。

「別に構わん。そなたが思うようにさせよう。……子供が子供らしくいられる時間は短い。そなたはそなたのやり方で、愛情を注いでやるといい。一人寝には慣れているしな」

「あ……ありがとうございます」

 意外なほどあっさりと許可が下り、ケイは逆に面食らった。そんなケイを見てヴォルクがふっと笑う。

「……なんだ? そなた、私が毎夜求めるとでも思ったか? 寝室から離さないとでも」

「なっ……! そっ――」

「残念ながらそんなに若くない。たまに来てもらえれば十分だ。……まあ、そなたが求めてくれるなら夜ごとでもやぶさかではないが」

「む、無理です。……からかってますね?」

「そなたの反応が愛らしくてな」

 上機嫌なヴォルクはバスタブの縁に頭を預けると、目を閉じた。首筋をマッサージしながら、ささやくように続ける。

「……本当は、今宵も朝まで離したくない」

「……っ。……すみません、お湯から出たら部屋に戻ります……」

「分かっている。言ってみただけだ。……数年後を楽しみにするとしよう」

 どこか寂しげに苦笑されて、ケイは申し訳ない気持ちになった。
 ヴォルクは、ケイの主張をほとんど聞き入れてくれる。それはありがたいが、自分も何か返せないだろうか。この関係になったからこそできる、自分だけのことを――

(……あ)

 ケイはそろそろとヴォルクに近付くと、彼の隣に座った。湯から手を出すと、そのこめかみに両手で触れる。

「ん……? どうした」

「いえ、また凝ってるかなと思いまして……。あの、目、閉じてください。温まったから楽になるはずです」

「…………」

 至近距離で目を合わせ、ヴォルクは瞬くとふっと笑って目を閉じた。ケイは少し身を乗り出すと、体はヴォルクに触れないようにしてぐっと指を押し込む。
 以前はプライベートな部分ゆえに、触れることができなかった。その顔面に今日ようやく手を伸ばせた。

「ん……」

「痛くないですか? 目の疲れといったらやっぱりまずは周りをほぐしたくなるので」

「大丈夫だ。……気持ちいいな」

 指先に力を込めて、こめかみを丸く揉みほぐす。そのまま眉毛をたどり、高い鼻梁の付け根を圧迫するとヴォルクは薄く息を吐いた。

「ヴォルクさ――、ヴォルク、いつも皺寄ってるから。駄目ですよ、目つきも視力も悪くなりますから」

「そうは言ってもな……。緩んだ顔で仕事をするわけにもいくまい」

「じゃあせめて、おうちにいる時ぐらいはリラックスしてください。えーと、心穏やかでいてください」

「言われずとも心穏やかだ。……そなたたちが屋敷にいた頃、顔が穏やかになったと陛下に言われた。これから先も、きっと続くだろう」

「そ、そうですか……」

 目を閉じたまま満足そうに笑うヴォルクは心からくつろいでいるように見えた。無自覚のカウンターパンチにケイだけが赤くなる。
 ケイは身を乗り出すと、今度はその濡れた銀髪に指を差し込んだ。指を開くと、ゆっくりと頭皮を揉みほぐしていく。

「ああ……。最高の気分だな……」

「そんな大げさな。髪、結構硬いんですね。ハゲなさそうでいいなあ……。うちのお父さん、ツルツルだから」

「そうなのか。……会ってみたかった」

「あんまりカッコ良すぎて『お前騙されてるんじゃないか!?』って私が言われますよ、きっと。……あ、後ろもほぐしますね」

「ああ。……こんなに心地良いなら、もっと早くやってもらえば良かった」

 ヴォルクが心底リラックスしているのが嬉しくなり、ケイのマッサージにも熱がこもる。目を閉じた端正な顔に、いつかの光景が重なった。

「……フィアルカ様も、髪を洗うと気持ちいいって言ってくださいました」

「そうか。……だがこういう場で、身内の名を出すべきではないな。後ろめたい気分になる」

「あはっ。たしかに」

 少し眉をしかめたヴォルクの発言にケイは苦笑した。ヴォルクの首筋をほぐしながら、ぽつりとつぶやく。

「フィアルカ様は、お怒りじゃないでしょうか……。大事な甥が、得体の知れない女にたぶらかされたって」

「くっ……。どちらかというと、たぶらかしたのは私の方だと思うが……。その心配はないだろうな」

「どうしてですか?」

 ケイが聞き返すと、ヴォルクは薄目を開けてケイを見上げた。そして再び瞳を閉じると続ける。

「私宛ての手紙に――いや、あれはもう遺言だな。……それに、『ケイを嫁にもらえ』と書いてあった」

「えっ!?」

 ケイは驚愕して思わず身を乗り出した。パシャンと湯が跳ねてヴォルクが顔をしかめる。

「ごめんなさい。いや、その……あの頃から好意はありましたけど、私そんな素振り見せてないはずですよ!?」

「私もだ。……まったく、今となってはどこまで気付かれていたか分からんな。本当に、死の間際まで心配をかけてしまった」

「はは……。まあ結果的に、フィアルカ様の望み通りになりそうなんでお喜びなんじゃないですかね……?」

「そうだといいが。……さて、ずいぶん長くやってもらったな。楽になっ、た……。――ケイ」

「はい」

「座ってくれ。目のやり場に困る……」

「へ? ――あっ」

 マッサージに一区切りつき、目を開けたヴォルクがそれを見開いた後に再び目を閉じた。腕で目元を隠してしまった彼につられてケイは自身を見下ろすと、小さく叫んでお湯の中に慌てて浸かる。

 ヴォルクの視線から見えたもの。それはしどけない濡れ髪と濡れた肌で、膝立ちで眼前に迫るケイだった。白い胸に押しつぶされそうになり、ヴォルクはとっさに目を閉じたのだった。

「すみませんすみません、決して見せつけるつもりでは――!」

「分かっている。もう何も言うな……」

 慌てて距離を取るが、ヴォルクはいまだ目元を手で隠している。彼は深いため息をつくと低くつぶやく。

「ケイ。悪いが先に出ていてくれ。私はいま出られん」

「え。でも――」

「事情がある。……察しろ」

 ヴォルクが目を開き、恨みがましくケイを見つめた。その目元がうっすら赤らんでいて、ケイはその事情・・に思い至った。

「すっ、すみません……!」

「そなたのせいではない。……くそ。まるで説得力がないと思うが、私はもともと欲が強い方ではない。なのにこんな――」

「…………」

 戸惑いをあらわにしたヴォルクは弱りきっていた。赤い顔でもう一度ため息をつくと、ケイに向かって首を振る。

「構わず行ってくれ。しばらくすれば鎮まるだろう。……はぁ。恥ずかしいところを見られたな」

 苛立たしげに髪をかき上げたヴォルクを、ケイはじっと見つめた。胸が、体が、再び熱を持ちはじめる。

(もう少し……だけ。二人の時間を――)

 満たされて、それで十分なはずなのにもっと欲しがる欲張りな自分が顔を出した。ケイはもう一度ヴォルクに近付くと、濡れたその肌を正面から抱きしめた。

「……どうしましょう。私も馬鹿になっちゃったみたいです」

「……ケイ」

「朝まではいられないですけど……もう少しだけ、一緒にいたいです。いいですよね……?」

 湯はとっくに冷めてしまった。それなのに、まだ肌が火照るのはなぜなのか。
 吐息で問いかけたケイに、同じくヴォルクが吐息で返した。

「……もちろんだ」


 新しい侯爵夫妻の熱すぎる初夜は、深夜まで続くようだった。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

泡風呂を楽しんでいただけなのに、空中から落ちてきた異世界騎士が「離れられないし目も瞑りたくない」とガン見してきた時の私の対応。

待鳥園子
恋愛
半年に一度仕事を頑張ったご褒美に一人で高級ラグジョアリーホテルの泡風呂を楽しんでたら、いきなり異世界騎士が落ちてきてあれこれ言い訳しつつ泡に隠れた体をジロジロ見てくる話。

【短編】淫紋を付けられたただのモブです~なぜか魔王に溺愛されて~

双真満月
恋愛
不憫なメイドと、彼女を溺愛する魔王の話(短編)。 なんちゃってファンタジー、タイトルに反してシリアスです。 ※小説家になろうでも掲載中。 ※一万文字ちょっとの短編、メイド視点と魔王視点両方あり。

【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)

かのん
恋愛
 気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。  わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・  これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。 あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ! 本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。 完結しておりますので、安心してお読みください。

〈完結〉【書籍化・取り下げ予定】「他に愛するひとがいる」と言った旦那様が溺愛してくるのですが、そういうのは不要です

ごろごろみかん。
恋愛
「私には、他に愛するひとがいます」 「では、契約結婚といたしましょう」 そうして今の夫と結婚したシドローネ。 夫は、シドローネより四つも年下の若き騎士だ。 彼には愛するひとがいる。 それを理解した上で政略結婚を結んだはずだったのだが、だんだん夫の様子が変わり始めて……?

【完結】異世界召喚 (聖女)じゃない方でしたがなぜか溺愛されてます

七夜かなた
恋愛
仕事中に突然異世界に転移された、向先唯奈 29歳 どうやら聖女召喚に巻き込まれたらしい。 一緒に召喚されたのはお金持ち女子校の美少女、財前麗。当然誰もが彼女を聖女と認定する。 聖女じゃない方だと認定されたが、国として責任は取ると言われ、取り敢えず王族の家に居候して面倒見てもらうことになった。 居候先はアドルファス・レインズフォードの邸宅。 左顔面に大きな傷跡を持ち、片脚を少し引きずっている。 かつて優秀な騎士だった彼は魔獣討伐の折にその傷を負ったということだった。 今は現役を退き王立学園の教授を勤めているという。 彼の元で帰れる日が来ることを願い日々を過ごすことになった。 怪我のせいで今は女性から嫌厭されているが、元は女性との付き合いも派手な伊達男だったらしいアドルファスから恋人にならないかと迫られて ムーライトノベルでも先行掲載しています。 前半はあまりイチャイチャはありません。 イラストは青ちょびれさんに依頼しました 118話完結です。 ムーライトノベル、ベリーズカフェでも掲載しています。

抱かれたい騎士No.1と抱かれたく無い騎士No.1に溺愛されてます。どうすればいいでしょうか!?

ゆきりん(安室 雪)
恋愛
ヴァンクリーフ騎士団には見目麗しい抱かれたい男No.1と、絶対零度の鋭い視線を持つ抱かれたく無い男No.1いる。 そんな騎士団の寮の厨房で働くジュリアは何故かその2人のお世話係に任命されてしまう。どうして!? 貧乏男爵令嬢ですが、家の借金返済の為に、頑張って働きますっ!

『完結・R18』公爵様は異世界転移したモブ顔の私を溺愛しているそうですが、私はそれになかなか気付きませんでした。

カヨワイさつき
恋愛
「えっ?ない?!」 なんで?! 家に帰ると出し忘れたゴミのように、ビニール袋がポツンとあるだけだった。 自分の誕生日=中学生卒業後の日、母親に捨てられた私は生活の為、年齢を偽りバイトを掛け持ちしていたが……気づいたら見知らぬ場所に。 黒は尊く神に愛された色、白は"色なし"と呼ばれ忌み嫌われる色。 しかも小柄で黒髪に黒目、さらに女性である私は、皆から狙われる存在。 10人に1人いるかないかの貴重な女性。 小柄で黒い色はこの世界では、凄くモテるそうだ。 それに対して、銀色の髪に水色の目、王子様カラーなのにこの世界では忌み嫌われる色。 独特な美醜。 やたらとモテるモブ顔の私、それに気づかない私とイケメンなのに忌み嫌われている、不器用な公爵様との恋物語。 じれったい恋物語。 登場人物、割と少なめ(作者比)

婚約者の本性を暴こうとメイドになったら溺愛されました!

柿崎まつる
恋愛
世継ぎの王女アリスには完璧な婚約者がいる。侯爵家次男のグラシアンだ。容姿端麗・文武両道。名声を求めず、穏やかで他人に優しい。アリスにも紳士的に対応する。だが、完璧すぎる婚約者にかえって不信を覚えたアリスは、彼の本性を探るため侯爵家にメイドとして潜入する。2022eロマンスロイヤル大賞、コミック原作賞を受賞しました。

処理中です...