贄の巫女 禍津の蛇 

凪崎凪

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弐の章 惑ワス者ノ鎮魂歌

ひ(一)ノ歌

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 朝の目覚めは最悪の一言だった。
秋華あきかは、先ほどまで見た夢を忘れようと顔を洗いに洗面場に向かう。

ひどい顔…… 鏡に映った顔はひどい有様だった。
涙で瞼が腫れており、学校に行くまでに腫れが引くかどうか微妙なところであった。
だが眼鏡を掛けて見れば、さほど目立たなかったので一安心といった所だろうか。
心配事が無くなり、昨日帰り際に前川まえかわ先生に言われたことを思い出す。
たしか、朝に職員室に寄ってくれ。 だったかな?
今から支度しても十分間に合うだろうが、余裕を持って動きたいので手早く着替えもう出る事にした。

何時もより早い時間とあって、歩行者も車もほとんど見えない。
街は平和で、世は事も無し。 とは言えないだろう。
連日ニュースを騒がせる陰惨な事件の数々。 小さな子供をどうしようもない理由で殺す犯罪者。
でも、と思う。 でもそんな世界でも生きていたいと。 秋華はそう思うのだ。

空ちゃんがいるから。

秋華の精神は歪んでいた。 その出生の為に。 空音そらねへの強い依存。
秋華の精神を形作る多くが、その依存で成り立っていると言ってもいい。
秋華のココロは歪んでいた。その依存が強すぎるがゆえに。 
秋華という自我が希薄で薄っぺらいのだ。
秋華は…… ヒト、なのだろうか?






学校に到着した。 校門はすでに開いていて、遠くに花壇に水をやる用務員の姿が見える。
なんとなく、そちらの方にお辞儀をして職員室へ。
早朝の職員室はさすがに人もまばらで、秋華は入口で前川先生を探したが見当たらない。
早すぎたかな? と思ったが部屋の一角、ガラス貼りの壁で覆われているスペースから前川先生が出て来た。

「おう七霧ななきり、お前朝早いな。 よし、こっちに来てくれ」

「あ、お早うございます前川先生」

秋華はそう挨拶をして前川の横に並ぶ。
前川から漂ってくるのはタバコの匂い。
秋華は、その匂いが嫌いじゃない、と思った。 なぜだろう、タバコの匂いなど普段は気持ち悪くなるくらいなのに。

前川は、職員室の一角にある掲示板まで案内すると、秋華に向き直った。

「さて、朝早くに来てもらったのはコイツに登録してもらうためだ」

そういって、後ろ手に掲示板を指し示す。
登録? 電子掲示板という訳でもなく、ただの古臭い掲示板にしか見えない。
その秋華の疑問は予想済みだったのだろう。 ニヤリと人の悪い笑みを浮かべながら掲示板の表面を二回ノックするように叩く。

……すると。
掲示板の表面が水面がさざめくように波紋が広がったかと思うと、そこから一人の少女が浮かび上がってくる。
その少女はヒトではありえなかった。 ボブにした髪は水に濡れたようにしっとりとしていて、その整った顔は無表情ゆえに作り物めいている。
そしてなにより、その身体は半ば透けていて、その後ろの掲示板が薄っすらと見えるほど。

「ひゃああ!?」

思わず悲鳴を上げ尻もちを着いてしまう。
それを見て、前川や職員室にいた教師も笑っていた。 もちろん悪意ある笑みではなく、ほほえましい物を見るような笑みであったが。

「すまんすまん、ほれっ」

前川はまさか倒れ込むとは思っていなかった。 と笑いながら、秋華に手を貸して起き上がらせた。
その手をオズオズと取りなんとか起き上がる。
そして恐る恐るその少女を見ながら前川に尋ねる。

「あ、あのこの人は?」

「ああ、コイツは」

「学内情報伝達システム ”ことほぎ” 正常に稼働中。 指示をどうぞ」

前川が質問に答えようとした瞬間、今まで無言だった少女が話し出した。
それに苦笑すると前川は説明の続きを話す。

「コイツの自己紹介通り、名前は”ことほぎ”  学校内の情報伝達および処理のために開発された人工精霊だ」

精霊? それも人工的に作られた……
秋華はマジマジとその”ことほぎ”と名乗った少女を見つめる。
少女はただ虚空を見つめるのみだった。

「よし”ことほぎ”、『登録』してくれ」

前川がそう言うと、それまで焦点が会ってなかった瞳がスッと動き秋華の方を向いた。
瞬きすらなく見つめてくるその眼差しに秋華は恐れを抱いた。

「ほれ、名前を教えてやってくれ」

腰の引けてしまった秋華に前川はそう教えてくれた。

「えっ、あ、はい。 あ、あの、私は七霧 秋華です」

「『登録』 ななきり あきか。 一番から八番、十二番から二十三番登録完了。 なお、九番から十一番は今だ応答なし。 同、二十四番から三十番も応答なし」

「よし、もういいぞ」

「了解。 学内情報伝達システム ”ことほぎ” 終了します。 ご利用ありがとうございました」

と、感情の無い声で告げるとズズズッと掲示板の中に沈んでいった。

思わずホッと息を吐く。 どうやら緊張していたようだ。
前川を見ると、そんな秋華が面白かったのかニヤニヤして秋華を見ていた。
そんな所が、女生徒から嫌われている理由の一つである事を前川は今だ知らない。
良く言えば少年のような、いたずら小僧じみた性格は年上ならともかく、年下の、それも十代の少女達には欠点に映るという事に前川が気付くのは何時の事であろうか。

「よし後はいいぞ。 仕事については双子から聞いてくれ。 もう少ししたらあいつらも来るだろう」

コーヒーでも飲むか? というのを断って、空いている椅子に座らせてもらい双子を待つことに。

「おはようございまーす!」 「お早う御座います」

やがてさほど待つ事なく双子はやって来た。

「おはよう秋華さん」 「おはよう」

「お早うございます。 志乃しの先輩、し、静流しずる先輩」

静流の所で少し顔が赤くなったのは男子に話しかけるのが今だなれないせいだろう。
そんな秋華を見て、イジりたい衝動に駆られた志乃であったが時間もないので自重した。

「おう、来たな。 じゃあ七霧を頼むぞ」

「言われなくても秋華さんは私達で「じゃあ失礼します」ちょ! 静流!?」

志乃は、下からねめつけるように前川を睨み啖呵を切ろうとした所を、静流が引きずりながら職員室を退室する。

「あ、じゃ、じゃあ私も失礼しました」

置いていかれてはたまらないと、秋華も慌てて後を追う。
その慌ただしい三人を見ながら前川は肩を竦めるのみであった。






「もー、静流ってば引きずる事ないじゃない!」

「朝から面倒起こすなよ……」

ギャイギャイと言い合う双子を見ながら秋華はクスリと笑ってしまう。
その声でバツが悪くなったのか、志乃が一つ咳払いをして秋華に話しかける。

「じゃあ、なにから話しましょうか?」

そうして志乃から聞いた事は、空音から聞いて知っていた事もあるがおおむねこういう感じであった。

この学校の地下には、指定された場所でなければ名前を言えない存在、通称してアレ・・と呼称される存在を封じてある事。
そもそも、この大原江市おおはらえしそのものが封印のために存在する事。
正確な区画整理や、大通りの並びなどもその一環である事。
そして、その街の術式によって悪霊未満の雑多な霊をこの学校に引き寄せ、それを浄化、除霊する事で結界に力を注ぎ封印を強化している事。
この学校の教師は、その為に呼ばれた術師がほとんどでである事。
それゆえに、移動が極端になく歳を取った教師が多いという事。
自分達の仕事は、その学校に現れる悪霊を除霊する事。

「あれだ、七霧が倒した悪霊が最期、光の粒子になって消えただろ? ああやって浄化したのが結界に吸収されるんだ」

と静流に言われ、なるほどとうなずいた。

「後はそうねぇ。 そうだ! この学校で一番エライ人はね校長でも理事長でもないのよ?」

誰だと思う? と問われ、秋華は考え込む。
誰だろう? 校長先生でも理事長先生でもない。

「うーん、うーん。 わ、判りません」

秋華はお手上げと降参した。 空音からも聞いた事はない事であった。

「ふふふ、なら教えてあげましょう! それ「あ、さかきさん」ふあっ!?」

胸を逸らしつつ、なにか言いかけた志乃に構わず静流は声を掛けたのは……

「ああ、燕子花かきつばたの双子か」

作業着を着て、竹箒たけぼうきや塵取りなどの掃除道具と、それらとは異彩を放つ白い硬そうな木で出来た棒のような物を持った初老の男性だった。
静流が榊と呼んだ男は、作業帽を目深まぶかに被り、そのいかめしい、まるで武人のような顔で睨み付けるかのようにこちらを見てくる。
体格はがっしりとして、やはりまるで武人のような風体ふうていであった。

「榊さん。 おはようございます」
「お早う御座います。 榊さん」

「ああ、おはよう」

双子の挨拶に頷きつつ挨拶を返し、秋華の方をみやり。

「こんな朝早くにどうした?」

との問いに、志乃が答える。

「実は、新しい仲間の教育を兼ねて案内していたんですよ」

と言って秋華を前に押し出す。

秋華は、榊と呼ばれた男の雰囲気にのまれながらもなんとか自己紹介をする。

「あ、あの、七霧 秋華です。 よろ、よろしくお願いします」

そう言って深々とお辞儀する視界の隅で榊がわずかに目を見開くのを見た、ような気がした。

「そうか、俺は、榊 夜刀やとだ。 ここの用務員をしている。 なにかあったら呼べ」

そう言うと、きびすを返すと昇降口から外へと出て行った。

「ふう、まあそう言う訳で、彼がこの学校で一番エライ人! 榊さんよ」

しかし、そんな志乃の声も秋華には届いていなかった。
彼女には、厳しい表情を見せていた榊が一瞬だけ見せた驚きの顔だけが脳裏に焼き付いているのだった。











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