ルーデンス改革

あかさたな

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 資料を読むことに集中して数時間、空は鮮やかな茜色をしていた。
 当然、日が沈むにつれ、部屋の中はどんどん暗くなっていく。同時に文字も見えづらく、顔と資料の距離が自然と近づいていった。
 資料が目と鼻の先にある状態から暫く経って、紙の感触が鼻先に触れた時、仕方なく明日に持ち越すことを決めた。
 資料を閉じ、凝り固まった筋肉をほぐすように、大きく両手を上に伸ばす。


「ん~~っ」


 上半身だけでも縮こまった身体を伸ばすと気持ちが良い。


「疲れた?」


 向かい側に座るクリスさんが机に立て肘をついて、何やら楽しそうに聞いてくる。
 彼はさっきまでつまらなそうに資料をめくっていたのだが、その時とはまるで表情が違った。


「気持ちはやる気に溢れてるんですが、身体は疲れてるみたいです。肩とか今すごく凝ってるんですよ」

「そりゃあ、あれだけ机に顔を近づけてたら肩も凝るよね」

「見てたんですか、クリスさん。あれは、不可抗力ですから!」

「日が沈むにつれて、マリーちゃんの首も下がっていくから、見ていて飽きなかったよ」

「……クリスさんって意地悪ですよね」


 変だと思っていても、本人には伝えず内心で笑ってるなんて酷い。
 教えてくれたら無理な体勢をやめて、肩の凝りも幾分かましだったかもしれないのに、と恨めしく思ってしまう。
 全部自分のせいだけど、0.01%ぐらいはクリスさんのせいだって思っておこう。楽しげに目を細め、口が弧を描く彼を見て決めた。


「そうかもね。よく言われるよ」

「あ、自覚あったんですね。……尚更タチが悪い」

「……あれ?もしかして喧嘩うってる?」


 表情は変わらないのに、クリスさんの目が怪しげに光ったように見えた。にこやかな顔なのに、ほのかに殺気を向けられている気がしてならない。
 身の危険を感じて、即座に否定する。


「滅相もないっ!気のせいですよ」

「……そう?僕の勘違いならいいんだけど」


 壊れたおもちゃのように何度も首を縦に振って、肯定の意思を伝える。
 そんな私を見たクリスさんはクスッと笑った。


「今度は首の筋を痛めるんじゃない?顔の動きすごいよ?」


 クリスさんの言葉に一気に固まる。
 彼の言葉を理解すると共に、また変な行動をしてしまったことに、恥ずかしさで顔が熱くなる。


「意地悪言わないで下さい……」


 必死に絞り出した声に対して、忌々しいことにクリスさんは意味ありげにニヤニヤと笑っているのを見て、絶対にまた意地悪してくるだろうと確信を持った。
 クリスさんといる時は、行動に気を付けることを肝に銘じよう……。


「それじゃあ、そろそろ行きましょうか。夜飯を食べた後、寄宿舎の中を案内してくれるんですよね?」


 立ち上がって言葉を発すると、クリスさんも短く「うん」と返事をして立ち上がった。
 そのまま、私たちは書斎を後にした。

 食堂に到着し、昼飯を食べた所と同じ席に座る。
 食堂の中は昼時と違って、贅沢にもそこかしこに洋燈が灯り、人工的な光が食堂を明るく照らしていた。
 第四騎士団の人達はまだ誰も来ておらず、クリスさんと向かい合わせで二人きりだ。
 クリスさんが席につくなり、料理を食べ始める。


「みんなの事、待っていなくて良いんですか?」


 てっきり、みんながそろってから食べ始めるのだと思っていたので、たまらず聞く。
 クリスさんは手を止めて、私を見た後に、私の前に置かれた料理を一瞥した。


「料理が冷めちゃうし、待たなくていいよ。たまに時間がずれて会わない奴だっているんだから、そんなルール作っても面倒なだけでしょ。そのうち、みんな来るからマリーちゃんも気にせず食べてていいよ」

「じゃあ、遠慮なくいただきます」


 私が食べ始めるのを見て、クリスさんも手を動かし始めた。
 彼は小さく野菜をナイフで切ると、口に運び、ゆっくりと咀嚼する。
 テーブルマナーのお手本のような食事には、どことなく品があった。


「クリスさんってすごく綺麗に食べるんですね」

「普通だよ。だけど、デュークよりは綺麗かもね。アイツ、肉とか切らないでそのまま齧り付くから、ソースが周りに飛び散るんだよね」

「そういえば、昼も齧り付いてましたね」


 昼飯の食事を思い浮かべていると、ぞろぞろと第四騎士団の人達が食堂に来て席につき始めた。


「マリー、おつかれ。初日のお勤めどうだった?」


 席についたギルバートさんが気さくに話しかけてくる。
 彼らも気になっていることなのか、視線が複数集まった。


「うーん、言いづらいんですけど、芳しくないです。ずっと、前任がまとめた資料を読んでいたんですが、正直あまり実感が湧かなくて、文字だけでは実態が見えてこないなって思ってしまって……」


 昔の問題点について書かれていても、それが解決済みである可能性だってあるし、現状は違う問題点があるのかもしれない。
 現状が分からないのに、その場に合致した対策を練る事は不可能だ。
 半日ほど読んでいたが、読めば読むほど空回りしている気がしてならない。


「初日なんだから、そんなもんなんじゃねえの?」


 もやもやとした気持ちを抱える私を元気付けるかのように、ギルバートさんが励ましの言葉をくれる。
 確かに始めたばかりで右も左も分からない状態だけど……本当に今のやり方を続けていいのだろうか?


「……頑張ります」


 思った以上に固い声が出て自分でも驚く。
 口からでかかった不安や迷いを呑み込むと、自分の中で溜め込んだ感情が焦燥を生んだ。
 ひりつくような焦りから少しでも前進したくて、私は心の中で、用意されるだろう自室にて資料を読む事を決めた。
 それから料理を食べていると、重くなってしまった空気を変えるように、ロバートさんが口を開く。


「明日の事について、皆で話し合って決めたんだが、明日はベイツが君の護衛をすることになった」

「そうなんですか?コーディさん、宜しくお願いしますね」

「ちゃんと守るんで安心して下さい!宜しくお願いします!」


 コーディさんが勢いよく頭を下げた。
 その時、運が悪い事に、コーディさんの頭と料理が触れて、髪の毛にべったりソースがついてしまった。
 その事に、コーディさんの隣に座るテッドさんが騒ぎ出す。


「コーディ、ついてる!ついてる!料理が髪についてる!」

「え……?あ……ど、どうしよう」

「ええーい、キョロキョロするでない!ソースがこっちに飛んでくるではないか!」

「……これを使え」


 テッドさんにクライドさんがそっと手拭いを差し出す。


「ありがとうございます、クライドさん!」


 テッドさんは感激したかのように感情のこもった声を出した。
 テッドさんが手拭いを受け取ると、髪を拭き始める。
 拭き終わると、申し訳なさそうに眉を下げた。


「今更なんですけど、汚しちゃってすみません。絶対、綺麗にして返すので!」

「気にしなくていい」


 そんな二人の会話を聞きながら、コーディさんは少しそそっかしい所があるのかもしれない、と思った。
 料理が食べ終わり、いざ食堂を出る際、クリスさんに質問する。


「洋燈ってお借り出来ます?」

「出来るけど、何に使うの?」

「部屋の中で、資料の続きを読みたいんです。まだまだ、読めてませんから」

「ふーん、だったら貸出は許可出来ないな」

「え、どうしてですか!?」

「疲れたって言ってたよね?身体を休める事って大切だよ。無理して病気になったりしたら、一生を棒に振ることだってある。君は故郷に帰りたいんだよね?だったら、健康にも気をつけるべきだと思うなあ」


 ぐうの音も出ない正論に言葉が詰まる。


「……分かりました。今日は大人しく寝ます」

「今日だけじゃなくて、毎日そうしなよ」


 素早い指摘に再び言葉が詰まる。
 この感じ、長年覚えがあった。
 正論に正論を重ねられて、最後には全面降伏してしまう。


「なんだか、クリスさんって母さんみたいです……」

「……は?」


 固まるクリスさんに、第四騎士団の皆が笑い出す。
 中でも、ギルバートさんが大笑いしていた。


「クリスママか!そりゃあいい!」

「君さあ……変な事言わないでくれる?柄にもない説教なんてするんじゃなかったよ」

「結構様になっていたぞ!案外、性に合ってるんじゃないか?」

「そのご自慢の顔を殴ってあげようか、テッドくん?」

「ひぃぃいいい」


 テッドさんが凄い勢いで後ずさる。
 その大袈裟な反応が面白くて、気がつけば私も大笑いしていた。




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