百合御殿ノ三姉妹

山岸マロニィ

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【拾壱】悪鬼

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 桜子はすっかり、赤松警部補の助手が板についたようである。張り切って手伝う彼女を残し、零は洋間に向かった。
 洋間のソファーに身を沈めた百々目は、疲れの色が隠せない。
「ちゃんと寝てますか?」
 正面に零が座ると、百々目が血走った目を向けた。
「ここまで私を悩ませた事件は、これが初めてでね」
「短距離を走っていたつもりが、実は長距離でバテている、ってところですか」
「言うな」
 百々目は整えられた髪をクシャクシャと掻き乱した。
「本当に君は私を苛立たせる」
「まあまあ、そう仰らずに。……不知火清弥氏が持っていたヘロインの件はどうなりました?」
「劇団関係者から入手したようだ。恐らく、劇団内で相当蔓延している。大スキャンダルに発展するだろう」
「それはそれは……」
「そっちはどうなんだ? 村に行っていたのだろう?」
 そこで零は、水川夢子、菊岡医師の話を伝えたのだが、百々目は理解しきれないといった様子で天井を仰いだ。
「……全く想定外の家族構成だ。もし、そこに動機が隠されているのなら、これまでの考え方では、事件の真相が解明できない訳だ」
「先程、赤松警部補が天狗堂で検証していましたね。犯人は、この屋敷の者に違いないとか。――竹子さんを、あの梁に吊るした方法。それさえ分かれば、真犯人は確定します。……しかし、赤松警部補を奮起させた警部殿の推理とは、一体どのようなもので?」
 百々目は疲れた目でシャンデリヤを眺めたまま答えた。
「君が言っていたではないか。――被害者の衣装が濡れていなかったと。……つまり、犯人は彼女の衣装をという意味だ」
 それには零も唖然と目を見開いた。
「その発想はありませんでした……」
「被害者があの狭い天狗堂に、何時間も留まっていたとは考えにくい。被害者は豪雨の中を、天狗堂に向かったと考えるのが自然だ。となると、あの白装束が問題になってくる。……君はあの複雑な装束を、男が束になっても着せられると思うかね?」
 ……すっかり忘れていたが、それは彼も疑問に思っていたのだ。そして、梅子に尋ねた事がある。「ひとりで着替えるのか」と。
「それで、警部殿は女が犯人だと思われたんですか……」
「しかしそうなると、梁に被害者を吊るす方法が問題になってくる。逆に言えば、そこさえ解決すれば、真犯人は絞り込める。……竹子君の事件に関しては」
 言いながら、百々目は大きく首を振った。
「だが、仮にそうだとしても、清弥氏殺害の動機が不明なのだ。この繋がりを解明せぬ事には、事件解決とは言えまい」
「そこですけどね……」
 零も背もたれに身を預け、遠い目を午後の陽が照らす窓の向こうに向けた。
「どうも、絶対的な殺意を感じないんですよ」
「絶対的な殺意?」
「はい。……あの事件に関し、犯人は、清弥さんの殺害以外に、三つの行動を行っています。ひとつ目は、小木曽さんを昏倒させて抜け道に隠した。ふたつ目は、私たちの助六弁当に睡眠薬を混入した。そして三つ目が、不知火清弥さんを手紙でおびき出した……。その三つの行動に、『絶対に清弥さんを殺さねばならない』というほどの、強い意志があったのかと」
 百々目は目を細めて零を睨んでいる。
「絶対的な殺意があったのなら、小木曽さんを生かしておいたでしょうか?」
「…………」
「我々が炊事場に間違いなく弁当を取りに行くと、犯人は予知していたんでしょうか?」
「…………」
「どうやって犯人は、清弥さんに手紙を渡したんでしょうか?」
 百々目の目が動いた。テーブルをじっと睨んで腕を組む。
「……つまり君は、不知火清弥氏の事件は、偶発的なものだと言いたいのかね?」
「いえ。犯人は積極的に行動をしています。殺意は否定できません。しかし、もしひとつでもボタンが掛け違っていれば、この事件は起きなかったのではないかと」
「未必の故意、というやつか」
「はい」
 百々目は苦しい顔で目を閉じた。
「ならば我々には、あの事件を防ぐ機会が残されていた、という事になる」
「残念ながら。私にも、それができるだけの機会は十二分にあった訳です。ですので、余計に悔しいんですよ。……せめて、真相を余す所なく解明しなければ、被害者に申し訳が立ちません」
 ――その時だった。ドタドタという足音が廊下を走って来た。そして、
「警部さん! 警部さん! 見付かったわよ!」
と、扉を空けるが早いか、桜子が叫んだ。
「軽い力で人を梁まで釣り上げられる方法が、見付かったのよ!」



 天狗堂の前には、大勢の捜査員たちが集まっていた。そこに百々目が、貞吉を連れて現れる。
 零と桜子は、捜査員たちの後ろからその様子を見ていた。
 彼らを天狗堂から見渡して、赤松が宣言する。
「えー、この梁に、被害者である竹子さんを吊るす作業は、小柄な女性でも可能でありました。その方法を、今からお見せしいたします」
 その言葉に、その場の一同は固唾を飲んだ。
 赤松の指示で、踏み台代わりの味噌樽に乗った刑事が、注連縄が括られている梁の横の部分に、紙のようなものを巻き付けていく。百々目が尋ねる。
「それは何だね?」
「油紙です」
 味噌樽の刑事が答えた。
「それはどこから手に入れたのだね?」
「青梅の薬局で購入しました」
「犯人がそれを購入したという証言はあったのかね?」
「…………」
 百々目は苦い顔をした。
「梁の滑りを良くするための物だという理屈は分かった。しかし、犯人が入手できたという根拠がなければ、どんなに実験がうまくいったところで、証拠にはならんのだよ」
「しかし、いい案だとは思いますよ」
 第一発見者という体で、さりげなく零も天狗堂に上がり込んだ。
「梁に一部分だけ埃がなかった理由にも、説明がつきますし。代替できるようなものが、この屋敷にありませんかね?」
「滑りが良い紙状で、犯人の入手が容易なもの……」
 赤松の言葉を聞いているうち、零の脳裏にある物が浮かんだ。この事件が起きてから、彼はそれを何度も見ている。零は声を上げた。
「――パラフィン紙、ですよ!」
「何だねそれは?」
 赤松が怪訝な顔を浮かべる。
「粉薬を個包装する、薬包紙に使われる紙です。粉薬が貼り付かないように、蝋を染み込ませてある半透明の紙。警察でも、証拠品の保護や何かに使いませんか?」
「だが、油紙よりもパラフィン紙の方が、入手は難しく思えるが」
「――睡眠薬、ではありませんかね」
 その場にいる全員が、零に注目する。
「睡眠薬は、この事件で多用されています。それは、犯行のために入手したのではなく、普段から常用している方が、この屋敷にいるのではないかと。睡眠薬は通常、一回分を個包装して処方されます。毎日使っているとすれば、それなりの量を簡単に集められるはずです」
 だが、百々目は眉を寄せた。
「それは私も調べた。菊岡医師にも確認を取ってある。現在、この一家に睡眠薬を常用している者はいない」
「……果たして、そうでしょうか?」
「…………」
「東京の医院も、確認しましたか?」
 それには、百々目は渋い顔を返した。
「東京に医院が何軒あると思っている? それをしらみ潰しに当たるだけの確信は、君にあるのかね?」
「――今、とある人物に頼んで、探って貰っています」
「何だと?」
 零はニヤリと顎を撫でた。
「易の得意な方でしてね。失せ物探しは間違いありません」
「しかし、たとえ割り出したとして、簡単に白状するとは……」
「彼ならやれます。今日一日もあれば」
「…………」
 百々目と赤松は顔を見合わせた。そして、百々目はひとつ咳払いした。
「彼は随分と自信があるようだ。……鑑識が使っていたパラフィン紙が残っていただろう。誰かあれを持ってきてくれ」
 そしてすぐに、刑事のひとりが紙箱を持って戻ってきた。そして、
「しかし、これは梁に巻くには小さいですよ」
とそれを百々目に渡す。
「君の言う薬包紙と同じくらいの大きさだ。小さな証拠品を包むのに使っている。これをどうするのだ?」
「とりあえず、蝋で貼ってみましょう」
 言われて刑事たちは、蝋を垂らしながらパラフィン紙を接着し、一尺ほどの幅の手拭い程度の大きさに繋げた。
「これなら梁に巻けるでしょう。――試してみましょうか」
 先程の刑事が再び樽に乗り、梁にパラフィン紙を巻く。そこにロープを投げ渡した。そこで再び赤松が声を上げる。
「……さて、続けましょうか。えー、こうやって梁にロープを掛けてですな、ロープのこちらの端は、ここ、千羽鶴を引っ掛けてある、天井に捩じ込まれているこのかぎに固定します」
「それで、遺体はどう吊るすのだね?」
 百々目が聞くと、刑事のひとりが赤松にあるものを手渡した。
「これを使います」
 赤松の手にあるのは、井戸の釣瓶つるべに使う滑車である。井戸の屋根に固定するための芯棒がなく、壊れているものだ。
「……この穴に、ロープを通します」
 赤松は、本来なら芯棒があったはずの場所にロープを差し込む。
「このロープの先を、輪にしておきまして……」
 赤松はそれを、梁と、千羽鶴の鈎との間に垂れたロープに嵌め込んだ。
 百々目はその意図を悟り、目を見張った。

「――ですか!」

「はい。この釣瓶の滑車と、パラフィン紙を巻いて滑りを良くした梁を滑車代わりとして、ふたつの滑車を挟んで引き上げる、という訳です」
 宙に浮いた滑車を眺めながら、百々目は満足げに口髭を撫でた。
「これなら、理論上、四分の一の力で持ち上げられる」
「代わりに、引くロープは長くなりますがな。……では、実験してみます」
 赤松の指示で、刑事がふたりがかりで、半俵ほどの大きさの米俵を持ってきた。一応、人の姿を意識しているのか、申し訳程度に藁束の頭と手足が付いている。
「これは、被害者である竹子君の体重に合わせた重さに作った俵です。引っ掛ける首がありませんのでな、縄でロープの輪に縛り付けて実験します」
 そのように作業が済むと、赤松は桜子を天狗堂に呼び寄せ、梁から垂れたロープを渡した。
「引っ張ってくれたまえ」
 桜子はうなずいて、それを手繰り寄せる。――すると、俵は簡単に梁にまで持ち上がった。
「あとは、注連縄の輪に首を掛け直して、こちらの装置を片付けるだけです」
 百々目は深くうなずいた。
「見事な考察です。……しかし、まだ足りないものがある。注連縄に遺体を掛け替える際に、どうしてもロープから手を離さなければならない。その時はどうしたのかね?」
「それがですな、重石になるようなものが物置にはありませんでした。どこか別で用意したのではないかと考えております」
「いや、ありますよ、重石」
 零は、天狗堂の前に並べられた道具類の中から、大きな手桶を取り上げた。
「――水、ですよ」
 赤松と百々目は零に視線を向けた。
「あの日は土砂降りでしたから。雨の入る場所に置いておけば、水はこの手桶に満タンになったでしょう。竹子さんの体重を支えられるくらいの重さには、なったのではありませんかね?」
「なるほど……!」
「しかし、そのような重さの手桶を、どうやって天狗堂へ運び入れたのだ?」
 零は再び天狗堂に戻り、入口付近に手桶を置いた。
「運び入れる必要はありません。……例えば、ここ。この辺りは雨が降り込んで濡れていました。この辺りに置いておけば、水も入ったでしょうし、痕跡も残らなかったでしょうね。むしろそのために、あの夜、格子戸は開かれていた、とも考えられます」
「ロープの長さも十分に届く。ここに一旦縛り付けてから、被害者を注連縄に移す作業をしたという事か」
「しかし、被害者は不審に思わなかったのですかな、この手桶を」
「そうですね……」
 零は、天狗堂の外であんぐりと口を開けてこちらを見ている貞吉に目を遣った。
「雨漏りしていると事前に教えられていたら、どうですか?」
 百々目も彼に顔を向ける。すると貞吉はギョッと身を震わせた。
 それを見て、目的を達成したとばかりに、赤松が手を打った。
「謎は解けましたな!」
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