百合御殿ノ三姉妹

山岸マロニィ

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──終幕──

終幕

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「……あの時は、私も泣いたわ。引き摺ってでも亀乃ちゃんだけは、連れ出せば良かったとね」
 この事件を小説にするに当たり、後年、椎葉桜子女史に会った時に、彼女が呟いた言葉である。

 多摩荘に戻った零の表情を見て、全てを察した桜子は、前後も分からぬほどに泣きじゃくった。楢崎夫人やメイド姉妹に介抱されながら、ようやく落ち着きを取り戻した頃、零とハルアキは、多摩川の河原にいた。
「――この結末も、ご存知だったのですか?」
「…………」
「なぜ、それを教えてくださらなかったのですか!」
 だがハルアキは、多摩川の流れに目を遣ったまま答えた。
「易は、全てを見通せるものではない。下手に手を出せば、他にしわ寄せが来る。それまでもを予見する事は困難じゃ。……燃えていたのはこの宿だったかも知れぬのじゃぞ」
「…………」
 多摩川の清々しい流れは青く、岩を濡らしてざわざわと音を立てる。
 やり場のない憤りに、零を涙を抑える事ができなかった。川面を睨む彼の姿を、泡立つ渦が滲ませる。
 ――そこに声を掛ける者がいた。
「犬神さーん、そろそろ出ないと、終電までに東京へ着きませんよー」
 ハイヤー運転手の柴田である。白いシャツに蝶ネクタイ姿で、土手の上から叫んでいる。零は首を振り、ひとつ息を吐いた。
「……分かりました。今行きます」
「じゃあ、お荷物を車に積んでますんでー」
 柴田の姿が消えると、零は清流でジャブジャブと顔を洗った。そして、ハルアキを振り返って微笑んだ。
「帰りましょう。東京に」

 ……それから多摩荘の前に戻った零の目に、思わぬ光景が飛び込んだ。――背広姿の丸井新造が、桜子に花束を差し出していたのだ。
「さ、さ、桜子さん。……え、えと、こんな時に何ですが、今言わなきゃ、一生後悔すると思い、え、えっと……」
 そう言ってやおら土下座すると、彼は叫んだ。
「お、俺の、お嫁さんになってください!! ……あの探偵さんみたいに、顔は良くないけど、体は丈夫なんで! 一生、大事にします! 一生懸命働きます! だから……!」
 これには、桜子も顔を真っ赤にしている。
「お、お願いします! どうかッ!!」
「……あの、お気持ちは嬉しいんだけど……」
 桜子は新造の前にひざまずき、ニコリと花束を受け取った。
「私ね、お嫁さんになるのを求めてないの。……今の仕事が好きなの。だから、お気持ちだけ、受け取るわ」

 ――帰りの車中。
 二台のハイヤーに、三人三人で分かれればいいところを、なぜか四人が一台に乗り、零と桜子で一台に乗っていた。……あのガキンチョ、何考えてるのかしら。桜子は思った。
 桜子の膝に置かれた花束に目をやり、零が言った。
「良かったんですか、本当に」
「なーに言ってんのよ。私が、結婚とかそういうのが嫌で家出したの、知ってるでしょ?」
「はい。でも、彼はいい人です」
「まあね。……もし、私が家出する前だったら、彼の言葉を受けてたかもしれないわね」
 そう言ってから、桜子は目を細めて零を睨んだ。
「勘違いしないでよ。今のが好きだからよ」
「分かってますよ。……でも、どうしますか? 私が探偵を辞めると言ったら」
 彼の表情に濃く浮かぶ悲痛な色を見て、桜子はぷいと窓の外を向いた。
「いいわよ、私があの事務所を引き継ぐから。どこへでも好きなところへ行けば?」
「…………」
「情けない事言わないの。あの坊ちゃん警部の後始末に比べれば、楽なモンじゃない」

 ――確かに、桜子の言葉通りであった。
 青梅署の取調室で、赤松から両親の訃報を聞いた不知火松子は、ゾクッとするような笑みを浮かべた。
「そう」
 その時は、そう答えただけだったのだが、手洗いに行くと向かった便所の個室で、下着の紐で首を括ったのである。目的を達成した末の終幕エンディングとして、死を選んだのだ。……犬神零の憶測以上の真実が、彼女の口から語られる事はなくなったのだ。
 そして貞吉も、彼には持病があったらしく、裁判を待たずして病死した。
 ――こうして、事件の当事者は全て、姿を消したのである。

 この最悪の顛末の責任を取るため、そして、己の行為の責めを負うため、百々目は辞表を提出した。だが、それは受け入れられず、彼は警部補として、地方の県警へ異動する事となった。
 赤松もまた、一階級降格し巡査部長として、喜田と共に現場を駆け回っているようだ。

 しばらくは、花沢凜麗の殺人未遂、そして自殺というニュースの裏側を、面白おかしく語っていた新聞だが、とある筋から圧力がかかった。――与党である。
 仮にも与党公認の候補者として名の上がっていた人物が、多数の犯罪を犯していた上に、一家心中したのだ。当然、彼と与党幹事長との関係を書き立てる記事もあったのだが、ただでさえ、水川産業との癒着で評判を落としていたところだ。幹事長よりも上の地位にある与党の幹部から、新聞社上層部に苦言が入った。当時の新聞社には、それに抗えるだけの力はなかった。
 こうして、この事件は世間から消えたのである。



 ――だが、この話には、後日談がもうふたつある。

 事件から半年ほど経ったある日、犬神怪異探偵社を、男女の二人組が訪れた。
 その姿を見た零と桜子は目を丸くした。
「――丸井勝太さんと久芳春子さんじゃありませんか!」
 彼らが驚いたのも無理はない。……二人とも、綺麗に剃髪していたのだ。
「お久しぶりです」
 坊主頭に作務衣姿の丸井勝太は、湯呑を差し出す桜子に頭を下げた。
「ごめんなさいね、お兄さんの事。……誰かいい人、見つかった?」
「こちらこそ、やり過ぎだと家族で話してました。……兄ちゃん、相変わらず元気にひとりでやってますよ」
「まだ若いんだし、これからいい人見つかるわよ」
「だといいですが」
「……こちらは、いい関係になってるようですね」
 零が言うと、二人は顔を見合わせた。
「……あ、僕、久芳勝太という名前になりました」
「あら、おめでとう」
「私は、久芳善妙と名乗っております。――出家しました」
「おやまあ。……もしかして、勝太君も?」
「あ、いや、これは彼女に髪型を揃えただけです。彼女、これから住職になる修行に出るんですが、僕は、善浄寺でそれが終わるのを待たないといけないんです……」
 言いながら、勝太は春子の法衣に包まれた腹を見た。彼女も愛おしそうに腹を撫でる。
「……この子が産まれたら、両親と、勝ちゃん……勝太さんに、しばらくお願いする事になるので」
「それはそれは。しかし、大丈夫なんですか、尼僧の立場でご結婚とは」
「だって、男性の僧侶が結婚していいのに、尼僧は駄目なんて、おかしいでしょ」
 春子はにこやかにそう言った。
 ――彼女は後年、歯に衣着せぬ説法が人気の、破天荒な尼僧として、信者を集めるのである。
「……ところで、なんですけど……」
 春子は風呂敷包みから古い巻物を取り出し、テーブルに広げた。
「寺の片付けをしていたら、こんなものが出てきて。――ずっと不思議だったんです。資料館の絵巻、天狗堂に吊るされた人がひとりしか描かれてないのが」
「確かに……」
「これを見て、納得しました。――当時の城主である淺埜家の双子の兄は、あの隠し通路を通って、うちに逃げたんです」
「…………」
「当時、うちのお寺は、住む者のない廃寺だったんです。そこへ逃げた双子の兄は、彼を探し回る一揆衆に対して、前からそこに住んでる僧侶のフリをしました。……そして、一緒に逃げてきた奥方を、彼らに差し出したんです」
 春子は目を伏せた。
「その双子の兄というが、うちのお寺の始祖なんです。で、その奥方をお嫁さんにしたのが……」
「水川家のご先祖と」
 春子はうなずいた。……梅子の言っていた「叛乱者の虜」の言葉。それが、ここに繋がっていたのだ。
 本来資格のない偽物の僧侶が、寺に居着いたのである。寺は当時、檀家即ち村民の名簿を管理する、大切な役割を担っていた。そのため、双子の兄は水川家に取り入って、隠し通路を教え、夫人を人質として差し出す代わりに、寺を任せるよう交渉したのだ。いつか、その隠し通路から反撃を誓う思いもあったのかもしれない。しかし、時代は苛烈に過ぎ、徳川の御世になってしまえば、それも叶わなくなった。
「そんな歴史を、水川家のご先祖は隠して、英雄譚に書き換えたんです。それが、うちのお寺の起源として残ったんです」
 春子は目を伏せた。
「でも、あなたとは関係ないわ」
「えぇ。でも、そんな宿業を持つ寺で、天狗伝説などと語るのは違うんじゃないかと」
「人それぞれの考え方です。……しかし、なぜその話を私に?」
「天狗伝説にご興味がおありだと、父に聞いたものですから」
 これには零も苦笑せざるを得ない。
「父も、あんな事件に関わってしまった以上、僧侶は続けられないと、総本山へ申し出たのですが、私が修行を終えるまでは、そのまま寺を続けてくれと」
「それが宜しいのではないでしょうか」
 ――そして、百合御殿の跡地は、水川夢子が相続したのだが、すぐさま水川村へ寄贈されたそうだ。
 水川滝二郎村長は、隠し通路も含め、「百合香る天空の城跡」として、観光地化を目指しているようである。――惨劇の痕は、関東一の百合園として、既に整備されつつある。
「……これから妻が総本山へ向かうので、東京駅まで送るついでに、寄らせて貰いました」
 勝太と春子は深々と頭を下げて、事務所を後にした。
「お幸せに」

 ――そして、もうひとりの人物。
 彼の来訪は、久芳夫妻から数ヶ月後の事だった。
 ノックに応対した桜子は声を上げた。
「――あら、小木曽チャン」
「だから、チャンと呼ぶな!」
 応接に案内された小木曽は、出された紅茶の不味さに噴き出した。
「……人事異動で、万世橋署に異動になったのだ。管内であるから、挨拶に来てやった」
「それはそれは」
 悠然と零は紅茶を飲む。
「良かったですね。これでお里へ自慢できますね」
「……それなんだが」
 小木曽は声を低くした。
「今週末に、久しぶりに里帰りをするのだが、何を土産にすればいいかがさっぱり分からん。何か適当なものはないか?」
「それなら……」
 桜子はニコリとした。
「神田明神の参道の売店の、お団子なんていいんじゃない?」



 ――こうして、酸鼻を極めたこの事件は、一通りの決着を見た。
 私がこの話を書くに当たり、椎葉桜子女史に取材をしたのは、戦後も大分過ぎてからである。
 互いに歳を重ねた顔を突き合わせ、思い出語りに花を咲かせた後、次の取材の約束を取り付けて、その場を別れた。
 私のノートにはまだ幾つかの、謎に満ちた事件が書き記されている。それをまた形にできる事を願いつつ、読者の皆様には、一旦のお別れを告げようと思う。



《――終幕――》
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