創作怪談シリーズ

山岸マロニィ

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ご当地怪談シリーズ(愛知県)

魂の寿命

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 魂の寿命は四百年――

 誰が言い出したか知りませんが、まことしやかに言われているこの説。
 私は、それを信じていません。
 なぜなら……。


 私が勤めていたその企業は、とある古戦場のすぐ横にありました。
 私は社員食堂に勤める栄養士。前任の方が退社したため、給食会社の本部からその企業に派遣されて半年ほど。
 名前は伏せますが、歴史の授業で必ず名の出る、大きな合戦の起きた地名が名前になっている会社。
 古戦場跡は公園として整備され、市民の憩いの場となっており、古戦場の面影を残すものは、公園中央にある石碑くらいです。歴史に詳しくなければ、ごく普通の公園に見えます。
 ですので当時、私はその企業の立地を、全く気にしていませんでした。

 ――店長のとある発言までは。

 給食業界というのはブラック体質で、企業の都合に合わせて早出残業もザラ。しかも職人気質な店長は「修行と思え」と、残業時間をカウントしてくれないような人でした。
 けれども。

「今日は早く帰れ」

 それは、夜勤のパートさんが急病で休みになり、社員である私が代わりに入らなくてはならなくなった日の夕方の事です。
 本部から応援を頼むとか、他にやりようはあっただろうにと不満を抱えていた私は、店長に口ごたえしました。
「今日は夜勤なので帰れません」
「夜食の提供は十時半だろ? 後片付けは明日に回していいから、今日だけはさっさと帰れ」
 仕事に厳しい店長です。明くる日に仕事を残すなど、翌日の忙しさを考えれば絶対に言いません。
 それなのに、そんな事を言い出すなんて……。
 不審に思いながらも、急な夜勤への苛立ちから、私は絶対に後片付けを済ませてから帰ると、心に決めたのでした。

「ありがとうございました」
 夜食の提供が終わり、最後のお客さんを見送ったのが十一時近く。
 夜食の利用者は二十人程度。ワンオペで回します。
 返却口に返された食器を食洗機に入れ、その隙に調理に使った鍋やバットを洗っていきます。
 最後に食洗機をかけ、テーブルを拭きに厨房から食堂へ出たのは、十一時半くらいでした。

 食堂は工場と渡り廊下で繋がった別棟になっていて、南向きの広い窓があります。
 ――そして、窓の目の前が、古戦場跡の公園なのです。
 昼間は緑が眩しい清々しい風景なのですが、今は暗闇で、大きなガラス窓には誰もいない食堂とエプロン姿の私が映っているだけでした。
 そういえば、夜はブラインドを閉めなければならなかった。慣れない夜勤だから忘れてたわ。
 その時ようやく私は思い出して、窓の方へ向かいました。

 すると、真っ暗な公園が目に入ります。
 史跡となっている公園。それなりの広さがあるため、深海の奥底を覗き込むような、底の知れない闇がありました。普段は何も気にせず見ていた風景でしたが、さすがに不気味に思って、早く終わらせてしまおうとブラインドの紐を引っ張った――その時でした。

 公園の奥の方に、チラチラと揺れる光が見えたのです。
 はじめは、誰かが犬の散歩でもしているのだろうと思いました。
 ところが、懐中電灯にしてはいやに赤っぽく、上下左右に大きく動いているのに気付いて、あれは何だろうと、私は目を凝らしました。
 その光は激しく揺れながら、だんだんと大きくなってきます。その意味が、こちらに近づいて来ているのだと気付いた時。

「うわあああああ!!」

 聞いた事もないような叫び声が耳に飛び込んできて、私は金縛りに遭ったかのように動けなくなってしまったのです。

 光はさらに大きくなり、叫び声だけでなく足音まで聞こえるようになりました。それも、一人や二人ではありません。人だけでなく、馬の蹄の音も混じっているようでした。

 ――まるで、合戦場のような喧騒だ。

 動けない体で目と耳だけを研ぎ澄ませながら、そんな事を思った、次の瞬間。

 公園と会社の敷地とを区切る、低いツツジの生垣を、騎馬武者がこちらへ突進してきたのです。

 私は動けず声も上げられず、眼前に迫る馬の蹄を見上げました。
 すると、目を見開く私のを、騎馬武者は通過していきました。一騎、二騎と、立て続けに。

「――イヤあああああ!!」

 その直後、つんざくような甲高い悲鳴が食堂に響きました。
 何とか首だけをそちらに向けると……。

 着物姿で束ねた長髪を腰まで垂らした女の人が、騎馬武者に一刀の元、切り捨てられていました。


 ……意識が戻ったのは翌朝。
「ねえ、大丈夫? しっかり!」
 朝食担当のパートさんが、私を揺り動かしていました。
「どうしたの? 体調が悪くなったの? 救急車を呼ぼうか?」
 そう言われ、私は慌てて起き上がりました。
「ち、ちょっと疲れただけですから……」
「過労? と、とりあえず、店長に連絡するから」

 慌てて出勤した店長に、事務所で事情を聞かれました。
「もしかして、夜、片付けまでやったのか?」
 私がコクリとうなずくと、店長は難しい顔をした話しだしました。

 ――店長がこの食堂で働きだした時から、その噂はありました。
「旧暦の○月○日の夜十一時四十分に、騎馬武者の幽霊が現われる」

 まさか、と信じもしなかった店長ですが、赴任して最初の○月○日、この企業の重役に言われたそうです。
「十一時半以降、この食堂にいてはいけない」
 そして、その理由を店長に教えてくれたそうです。

「隣の古戦場は、有力な戦国大名の‪✕‬‪✕‬‪✕‬‪✕‬がこの辺りを平定しに来た際、弱小領主の○○○○に夜襲を受けて下克上となった、有名な合戦のあった場所なのは、知っているね?」

 義務教育をそれなりに受けた人なら、誰もが聞いた事があるエピソードです。
 店長がうなずくと、重役は続けました。
「石碑がある場所は、まさに‪✕‬‪✕‬‪✕‬‪✕‬の首が取られた場所だと伝わっているが、実はもうひとつ、首が取られた人物がいて……」

 その人物は、教科書には出てきません。ですが歴史好きな方にとっては有名なんだそうです。

「――‪✕‬‪✕‬‪✕‬‪✕‬の奥方が、ちょうど食堂中央の柱の辺りで、殺されているんだ」

 戦国髄一の実力者である‪✕‬‪✕‬‪✕‬‪✕‬は、この地を難なく平定する前提で、身重の奥方を連れて来ていたのです。
 ここから少し先に安産祈願で有名なお寺がある事から、この地で出産をと考えていたのではないか、と言われています。
 本陣で休んでいるところに夜襲を受け、家臣に連れ出された奥方ですが、すぐに敵に見つかってしまいました。
 身分の高い女性が戦いで亡くなる事は、当時は少なかったようです。戦利品として勝者に捕えられる事の方が多かったとも聞きます。
 ところが、奥方は‪✕‬‪✕‬‪✕‬‪✕‬の子供をお腹に宿していたのです。
 ‪✕‬‪✕‬‪家の跡取りとなる可能性となる者を、生かしておく事はできません。
 騎馬武者に追われた奥方は、家臣の奮闘空しく、この地で露と消えたのです。

「この会社を建てるのに土地の買収をした時に、その場所にお地蔵様があったのだが、先代の社長が邪魔だと撤去してしまった」

 それからというもの、ちょうど夜襲を受けたその日その時刻に、食堂のこの場所に、奥方の霊が現われるようになった、と……。

「どうして詳しく教えてくれなかったんですか」
 私が店長を睨むと、
「若い栄養士に辞められると困るから」
 と、彼は目を逸らしました。
 そういえば、前任の栄養士も若い女性でした。結婚退社との事でしたが、ろくに引き継ぎもなかったのを、不思議には思っていました。

 追求するような私の視線に、諦めたようにため息を吐いて、店長は白状しました。
 その栄養士さんは、この企業の社員の方と結婚したのですが、ご主人が食堂の幽霊の話を知っていて、一刻も早くと、急遽辞めてしまったようです。

 店長は最後まで言い淀んでいましたが、やがてボソリと言いました。

「奥方の幽霊を見た若い女は、子供が出来なくなるらしい……」

 だから男性栄養士をと本部に頼んでいたけれど、栄養士は圧倒的に若い女性が多く、契約上、栄養士を常駐させなければならないから仕方なく私を迎えた。とはいえ、そんな噂を信じてなどいなかった。念の為に忠告だけはしたが、まさか、本当に幽霊が出るなんて……。
 店長の言い訳は、私の耳に届いていませんでした。

 その日は休みを取り、私はそのまま退社しました。


 その後、別の給食会社に再就職し、社内結婚しましたが、結婚して十年、未だに子宝には恵まれていません。

 戦国時代から既に四百年以上過ぎています。
 しかしその地に染み込んだ「呪い」は、消え去る事はないのだと、私は思っています。
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