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Ⅰ.特定外来妖物

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 坂口と野久保を、隣町の病院に運んでからが大変だった。アヤカシの死体を片付けなければならないからだ。

 特殊治安係には、職員の他に協力者がいる。
 近くで林業を営む「源さん」こと、木田きだ源次郎げんじろうである。
 六十過ぎだが、山で鍛えた体躯はまだまだ衰えを知らない。

 彼は、山の中にある、今は使われていない古い火葬場の管理をしている。
 そこでアヤカシの死体を焼いて処理するのだ。

 彼は許可証を持っていないため、禁足地へは入れない。そのため、残る三人で鉄条網の外まで運び出したアヤカシの骸の山を見て、彼は声を上げた。

「何だこれは?」
「今日は数が多かった。いつものように頼む」
「頼むっつったって、こんな数、一度に焼けやしねぇよ」
「何度になっても仕方ない。費用は請求してくれ」
 猪岡に言われて、源さんは首を竦めた。
「全く、嫌な仕事だねぇ」

 自身の軽トラに猩々の亡骸を山と積むと、源さんは猪岡の軽トラと連なって火葬場へと向かった。
 だがまだ死体は残っている。あと二往復はしなければならないだろう。

 残されたあおいは、石上冴と並んで鉄条網の脇に腰を下ろした。
「飲む?」
 冴に差し出されたスポーツ飲料のペットボトルを受け取ろうとして、あおいは血塗れの手に気付き、断った。

 林道に覆い被さる木の葉を透かして、明るさを失いつつある空を見上げる。
 膝を抱えてぼんやりとそれを眺めていると、酷い虚脱感に襲われる。

「疲れたわね」
 冴がボソリと呟いた。
「はい。でも、災害救助に派遣された時よりはマシかな。終わりがあるのが分かってるだけ」
「そうね……」

 冴が目を伏せたので、あおいは今出す話題ではなかったと思い、慌てて話題を変えた。
「石上さ……係長こそ、内閣府からいきなりこんなド田舎に転属って、大変ですね」
「私ね、この村の出身なの」
「……え?」
「また物心付く前に村を出てしまったから、全然記憶にないんだけど」

 あまりにも意外だった。洗練された都会的な美女という雰囲気の冴が、まさか、常にどこかで肥料の匂いが立ち込めているこの村の出身であるとは。

 目を丸くする彼女に、冴は微笑んだ。
「棗さんに呼ばれたのよ」
「お知り合いなんですか?」
「直接会った事はないんだけど、父をよく知っていて。……いつかは、この村に戻る事になるだろうとは思っていたけれど、準備が遅れてしまったわ」

 その言葉に、先程ふと浮かんだ疑問を思い出し、あおいは口にした。
「――石上係長は、今日出現したアヤカシの情報を、どうやって知ったんですか?」

 すると冴は、まるで答えを準備していたかのように答えた。
「ここに配属が決まってから、悪いけど、通信をハッキングしていたの」
「…………」
「あなたがたの経歴も技量スキルも把握済み。それも踏まえて、今日の作戦の準備をさせてもらったわ」

 その言葉を聞き、あおいの心に沸々と憤りが込み上げる。
「――ならばなぜ、坂口係長代理の作戦を止めてくれなかったんですか? 彼の作戦が甘い事を、あなたなら、分かっていたんじゃないですか」

 すると彼女は、やや表情を曇らせた。
「彼には失敗が必要だった。言い訳できないほどの大失敗が」
「でも……」
「でなければ、年上で自尊心の強い彼が、私の部下として働いてくれるとは思えなかったの」
「でも! ひとつ間違えば、死人が出ていたかもしれないのに……!」
「そうならないよう、手は打ってあったわ」

 黒真珠のような目を見返すが、あおいにはそれ以上言い返せず、目を伏せた。
「分かりました。あなたの仰る事は正しいんだと思います。しかし私には、あなたのやり方は尊敬できません」
「構わないわよ、それはあなたの自由だし、私は尊敬を求めてここに来たんじゃない。むしろ……」

 その時、林道の向こうにトラックの姿が現れた。軽トラが四台、連なっている。

 運転席から顔を出したのは、神室かみむろ――生活安全課の課長である。
「坂口君に、大変な事になってるから手伝って欲しいと頼まれてね。知り合いを総動員して、軽トラを集めてきた」
 林道が狭く、大型のトラックは入れないのもあるが、元々、村道の幅が狭いため、ほとんど軽自動車しか見かけない地域なのだ。

 そして神室は、あおいの横で立ち上がった冴を見ると、まるで彼女がここにいる事を知っていたかのように笑顔を向けた。
「――久しぶりだな、石上君」


 ◇


 火葬場へ猩々の死体を運び終わると、そのまま軽トラで役場まで戻り、今日の業務は終了となった。
「報告書は明日以降で大丈夫。……早くお風呂に入りたいでしょ。お疲れさま」
 冴に促され、帰途に着く。――とはいえ、村役場の敷地内だ。

 今は駐車場になっている、運動場だった場所の片隅。かつての体育館が改築され、単身者用の職員住宅にされているのだ。

 少子高齢化が限界まで進んだこの村は、限界集落と言っていい。特殊治安係ばかりでなく、役場の他の部署にも出向者が多く入り、何とか業務を回している有様だ。
 そんな風で、村外からの職員を受け入れられるだけの住宅がなく、役場のリノベーションと同時に、体育館を仕切ってワンルーム住宅にしたのだ。

 メゾネットタイプの部屋は、バス・トイレ・キッチンにリビング、ロフトに家具家電付き。
 天井が高く、天然木の梁が通っていて、まるでログハウスのような内装である。

 自衛官のさがと言えるかもしれないが、あおいは整理整頓だけは几帳面に行っていた。むしろ、余計なものがあると片付けが面倒なので、生活に最低限のものしか置いていない。女性の部屋としては、極めて殺風景だ。

 脱衣場の洗濯機に、大雑把に下洗いした防災着を入れる。洗剤とスイッチを入れ、シャワーを浴びる。三度髪を洗って、ようやく匂いが消えた気がして、あおいは湯船に身を沈めた。
 髪を乾かすのも億劫で、タオルを頭に巻いたパジャマ姿で、リビングのローテーブルの前に座る。
 夕食は、レンチンした大盛りパスタと餃子、それに鯖缶と……。

 プシュッ、とチューハイの缶を開ける。喉に流し込めば、炭酸の刺激が疲れた体に染み渡る。
「……プハーッ! 労働の対価はやっぱりコレよね」

 餃子をつまみながらテレビを点ける。だが画面に映るのは、東京のオシャレなカフェやデパ地下の小洒落た新メニューばかりで、あおいはすぐにテレビを消した。

 非番の日には、高校の頃の友達とランチやコンパに行ったものだが、周りの目を気にしてセーブしながら食べる料理は、全く美味しくなかった。
 割り箸の先にパスタを巻いて頬張る。スマホで山歩き動画を見ながら、今日の動きの反省をする。

 ……もっとやり方があったのではないか。
 私にももっと、何かできたのではないだろうか。

 そして思い浮かべるのは、石上冴の事だ。
 ハイブランドの広告から飛び出してきたような澄ました顔をして、とんでもなく性格が悪い。
 この先当分、彼女の部下としてやっていく事になるだろう。
 ……不安しかないのだが。

「あー疲れた!」
 空の容器をそのままにラグに身を投げる。高い天井を眺め、あおいは大きく溜息を吐いた。
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