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Ⅲ.敵

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 蟲族の年齢の重ね方は独特だ。
 同じ個体とはいえ、脱皮によって生まれ変わる。致命傷さえ受けなければ、手足を失おうが、再び新しい体となるのだ。
 そのため、八束脛の姿は常に若々しい。この体の年齢はまだ一年足らずだろうが、魂の年齢としては、狐天とさほど変わらないだろう。

「ここまで来た度胸は認めてやろう。けどね、うちの縄張りを荒らした罪は許さないよ」
 八束脛はゆっくりと身を起こした。そしてハンモックに腰を下ろす。

 纏った毛皮から胸元が露わになる。首から下げた何本もの大仰な首飾りで、辛うじて谷間が隠れるほどだ。
 滑らかな生地の長いスカートには大きくスリットが入っており、ハンモックの上に片膝を立てれば、白い脚が腿まで露わになった。そして足首にも、数々のアンクレットが巻かれている。
 全体的に装飾過多な格好はだが、彼女が蟲の王と考えれば合点のいくものである。虫たちの多くは、身を守るために、派手に進化を遂げてきたのだから。

 八束脛は切れ長の目を釣り上げた。
「それに、誰かと会うのに顔を隠したままってのは、礼儀知らずにも程があるんじゃないかい?」
 ぐうの音も出ない正論だ。だが防護服に隙を作れば、虫たちに襲われる危険もある。
 冴は周囲を素早く観察する。だが近くに虫の気配はない。蜘蛛の巣の最奥は、虫たちにとっても居心地のいい場所ではないからだろう。

 冴は慎重にヘルメットを外し、顔を晒した。そして、ヘルメットを地面に落とす。
 真正面から見ると、八束脛は非常に美しい顔立ちをしていた――魔性をはらむほどに。

 彼女は「ほう」と一声呟き、顔を傾げる。
「言うほど母親には似てないようだね。だが、厚かましさはよーく似てるよ」
「褒め言葉だと思っておく」
 八束脛の真っ黒な目が細められる。
「――何をしに来た?」
 毒を含んだ眼光に、だが冴は冷然と答えた。
「昨日はお騒がせした。申し訳ない」
「あんたの謝罪とは言葉だけかい?」
 八束脛はハンモックに絡まった、乾涸ひからびた蛙の足を引きちぎりかぶり付く。
「人間の世界じゃ、詫びを入れる時には手土産を持ってくるのが礼儀だと聞いたけどね」

 黒い牙が肉を骨ごと噛み砕く。それを見ながら、冴の口元がニッと動いた。
「――もちろん」
「ほう」

 膝に腕を置き、舐めるような視線を送る八束脛に、冴は答える。
「私が鬼族として、七妖衆を束ねる立場になったら、蟲族を『正式に』七妖衆に迎え入れよう」

 それを聞いて、八束脛は歯を剥いて笑った。
「はあ? 何を抜かすかと思えば。おまえが七妖衆を束ねる? 蟲族を正式に迎え入れる? 寝ぼけてんのか」
「寝ぼけてなどいない。それよりも、おまえ、自分の立場を自覚しているのか?」

 冴は氷のような冷静さで言葉を続ける。
「神社に伝わる古い記録を、父は持っていた。それを見ると、本来七妖衆とは、六種の獣の神、即ち狐、狸、狼、猿、そして『鹿シシ』と『たか』、そこに鬼を加えたものだ。蟲などはいない」
「…………」
「戦乱の世の動乱の中、鹿族シシぞく鷹族ようぞくは姿を消した。その穴を埋めるべく、猫と蟲が加えられたが、あくまで臨時のものだ。高天原の大神より賜った地位ではない」
「…………」
「私は半妖である上に、巫女だ。大神に奏上奉り、下知をたまわる事が可能な立場にある。鬼族として七妖衆を束ねる立場となれば、私にはそれができる」

 八束脛は食べかけの蛙を手にしたまま歯ぎしりした。
「ふざけるな。貴様なんかが七妖衆の頭領になど……」
「なれる」
 傲慢なほどの視線は、八束脛を一瞬怯ませた。
「六妖の長、全ての同意を得るだけだ」
「フン! だからそれが不可能だってんだよ! 少なくともアタシは……」
「少なくともあなたは、私に『可』の評定を下さなければならない」

 冴はそう言うと、ポケットから紙を取り出した。それを開き八束脛に示すと、彼女の真っ黒な目は飛び出さんばかりに見開かれた。
 ――ドローンから撮影した、召喚陣の空撮写真である。
特定外来妖物アヤカシをこの地域へと導く、片棒を担いでいた証拠だ。何者の指示でこのような事を許したのかは、今は聞かない。だがこれを七妖会合に掛ければ、彼らとて黙っていまい。蟲族をこの山から追放するだろう」

 白く美しい顔が歪む。見開いた目が、口角を上げる冴の口元を睨む。
「あなたは、私には逆らえない。――だがそれは、蟲族にとっても悪くはない話だ。住処を失うか、正式に七妖衆となるか、比べる必要もないと思うが」
「もうひとつ、選択肢がある」

 途端に手足が拘束される。蜘蛛の糸が周囲に張り巡らされ、冴の動きを封じたのだ。
 八束脛はゆっくりと立ち上がり、冴に歩み寄ると、鋭い爪を喉に当てる。
「――あんたを殺す、という選択肢さ」
「それはどうかな」

 全く怯む事のない冴の視線で、ようやく八束脛は気付いた。
 ――蜘蛛の糸で拘束したはずの両腕は、ダミーだ。
 本物の彼女の手は、緩いシルエットの防護服の下で、八束脛に向けて銃口を向けている。

「…………」
 緊迫した時間が流れる。刺青が泳ぐ白い肌を冷や汗が伝う。

 やがて、八束脛は手を下ろした。
「あんたの案に乗るのが、賢い判断のようだね」
「感謝する」

 八束脛がハンモックに戻ると、冴を拘束していた蜘蛛の糸が解けた。
「アタシだって、七妖衆を裏切るような真似をしたくはなかったんだ。けど、どうにも断れなくてね」

 本当はその辺りの事情を聞きたいところだ。だが、これ以上欲張って、八束脛の機嫌を損ねるのは――それ以上に、八束脛の先にいるに警戒させるのは得策ではない。十分すぎる成果はあったと、冴は袖に腕を戻した。

「これからどうすればいい?」
 ハンモックに身を任せた八束脛に、冴は答えた。
「今のまま、アヤカシの召喚を見て見ぬふりをしてくれればいい――その時が来るまで」
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