大嫌いは恋の始まり

氷室ユリ

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第一章 大嫌いな人を守る理由

10.偶然という必然(1)

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 深夜三時。仕事を終えて、愛車のBMWコンバーチブルで静まり返った大通りを爆走する。その赤いボディを、夜の闇に溶け込ませながら。
 こうカッコ良く決めたが、愛車のこの子は中古車。早く新車を購入したいのだが、まだまだお付き合いいただく事になりそうだ。

 闇家業を始めてもうすぐ一年半が経つ。

 仕事内容は様々で、全てがダークなものという訳ではない。迷いネコ探しから痴漢退治、放火犯や空き巣を捕まえた事もある。
 この美貌(!)が役に立って、興味本位で依頼してくるお客が結構いるのだ。実力さえ知ってもらえれば常連客になってくれる。
 女は損だとばかり思っていたが、こうして武器にできる事を学び少しだけ前向きになれた。

 車はやがて、大通りに面した公園に差しかかった。
 街灯に照らされたベンチに、うずくまる男の姿が目に入る。
「どうせ酔っ払いかホームレスでしょ」

 そう判断して通り過ぎた後、男の横に置かれていた黒い大きな鞄が妙に記憶に残った。
 それは酔っ払いやホームレスが持つとは思えないような、高級そうな物だったからだ。そしてそれは、新堂先生の持っていたドクターズバッグに良く似ていた。

 迷った挙句に、勢い良くブレーキを踏み込んでバックする。

 公園の横で車を停め、ハザードランプを点灯して外に出ると、昼間の熱はすっかり冷めて心地良い気温になっていた。
 どこからか、キンモクセイの香りが漂ってくる。
 あの人に会ったのも確かこんな季節だったと、さらに新堂の事を思い出しつつ公園内に足を踏み入れ、男の方へと近づいた。

「どうかしました?大丈夫ですか?」腰を落として声をかける。
 顔を覗き込むと、それはやっぱり新堂だった。
「新堂先生じゃない!こんな時間にこんな場所で、一体どうしたの?」
 彼はただ苦しそうに息をしているだけで、何も答えない。

 うずくまったその体を起こそうとした時、彼が反応した。
「触るな!」
 この声と同時に、キラリと光るものが私に向けられる。その左手に握られていたのは、医療用メスだ。右手は左脇腹を押さえている。

「何の冗談?先生、私!朝霧ユイよ。一年半ぶりだから忘れちゃった?」髪型も変わってるしねと、ちょっぴりおどけてみる。
 セミロングだった髪は、卒業してすぐにショートボブにした。

 街灯の薄明かりの元、変わらず刃先は私に向けられたままだ。
 押さえているところからの出血が止まらない。指の隙間から赤黒いものが溢れる。
「近づくと刺すぞ!」
 私を認識するどころか、血走った目の新堂は完全に正気を失っていた。

 この人のこんな姿を初めて見た。これはどう見ても緊急事態だ。

「とにかく、すぐに病院へ行きましょう!私の車へ……」
 そう声をかけて、彼の握るメスに怯む事なく抱き起こそうとした時、刃先が私の左頬を掠めた。
 反射的に彼の手首を捻り上げて、凶器を落とさせる。
「冗談キツいわよっ、先生……しっかりして!」
 そして新堂の右頬を平手打ちした。

「うっ……!ユ、ユイ?」その衝撃でようやく私を認識したようだ。「……どうして、ここにいる?」と途切れ途切れに言葉を続ける。
「やっと分かってくれたわね。話は後よ。さあ先生、病院へ行きましょう。片岡先生の所でいいでしょ?それまで気合いで血、止めててよね!」
 残念ながら、私に応急処置などできないので。

 彼の腕を自分の肩に回して立たせる。ベンチに取り残された鞄も忘れずに掴んだ。
「バ、バカ野郎……、気合いで血が止まるか!……済まない」
 辛うじて返事は返ってきたが、車に乗せるとすぐに気を失ってしまった。

 急いで運転席に乗り込み、猛スピードで病院へと向かう。
 行き先はもちろん片岡総合病院だ。私が頼れるのはここしかない。


 到着した病院にて。新堂を一通り調べた後に片岡先生が嘆いた。

「こんな特殊な血液型の人間が、なぜこうも次々と現れるんだ!」なぜか、その目は私の方を向いている。
「え?特殊って、まあ私もBマイナスだけど……」
 先生がどうしてこんなに興奮しているのか分からない。

「ユイちゃん、ダメだ、君からは貰えん」口を真一文字に結び、首を横に振る。
「何だ、違う型なのね。残念……」
「いや違わない。これが、奇跡的にも一致している!」
「何よ?だったら悩む必要ないじゃない!私のを使って、片岡先生!」

「献血はね、体重が五十キロ以上ないとできないんだよ。それに君のだけでは、とてもじゃないが足りない!」
「なら、マイナスの人、もっと探して来る!」
「ただのBマイナスじゃダメだ!何しろこの型は、国内には数人しかいない……」
 私を見下ろしてそんな事を呟く。

「どういう事?ただのBマイナスじゃないって……」

 答えようとしない片岡先生を前に、気持ちを切り替える。
「先生、いいから私の血使って!使えるんでしょ?だったらいくらでも!この人を助けてあげて……お願いします」同じ型ならば好都合ではないか!
「ユイちゃん……。確かに、君達のこんな奇跡をムダにするのは惜しい。もう、こうなったら一か八かだ」

 頑なに拒絶していた片岡先生だったが、考えを改めて私の提案をのんでくれた。
 そして新堂は無事に一命を取りとめる事ができたのだった。



 誰かに頭を撫でられているのに気づいて、ハッとして体勢を起こす。いつの間にか眠ってしまっていたらしい。

「お母さん……?」寝ぼけ眼で呼びかける。
 けれど、私の頭を撫でていたのは新堂だった。
「っ!ああ、そうだった、新堂先生……目が覚めたのね、良かった!」
 慌てて握っていた彼の手を離した。何とも複雑な気分になる。

「髪、切ったんだな。雰囲気変わったじゃないか」
「うふふ!まあね~。動き回るのに邪魔だから」髪に手をやりながら答える。
「血、分けてくれたのか。……済まなかったな」
「何でそう思うの?」私はわざとこう質問する。
 彼は私の顔と左腕に貼られた止血用テープを順に眺めて言った。「一目瞭然だ」

「どうして言ってくれなかったの?同じ血液型だって。しかも何?ナルって!ただのBマイナスじゃないなんて……知らなかったんだけど!」

 手術の後、片岡先生から血液型について詳しい説明を受けた。
 何でもRhナルは、通常の検査では見逃される事も多いそう。かく言う私も、ずっとただのマイナスだと思って生きてきた。きっと母も知らないだろう。

「ああ。そう言えば、話してなかったな」
 新堂はそう言って一つ息を吐くと、私を中里研究所からこの病院に運んだあの日、色々した検査の中でそれが判明したのだと教えてくれた。
 それはこの人が、これまで見逃され続けてきた事実を見つけてくれたという事。今さらだが、新堂和矢は本当に優秀な医者なのだ。

「もう……!それ知ってたら、もっと迅速な対応ができたのよ?」医者のような態度で言ってみる。
「それは済まなかった。……また、おまえに助けられてしまったな」
「私じゃない、片岡先生が助けてくれたのよ」
 私の言葉に一瞬動きを止めた後、「参ったな。散々けなした相手に世話になるとは!」と彼が苦笑した。

 そこへ、タイミング良く片岡先生がやって来た。

「目が覚めたか、新堂君」
「片岡院長」
「君の左脇腹の銃創だが、弾は摘出したよ。まあ、早期発見のお陰で大事には至らなかったと言えるな。警察にはまだ連絡していない」
 どうするかは自分で判断しろと、その目は言っている。

「ご迷惑をおかけしました。必要ならば、通報していただいて構いません」
 低姿勢ながらも、どこか威圧感を漂わせる新堂に、片岡先生の方が先に折れた。
「……いや。どうも最近物忘れが酷くてね」唐突にこんな事を言う。
 そして私の方を向いてウインクする。「昨夜ユイちゃんが、献血に来てくれた事だけは覚えてるんだが。ねえユイちゃん?」
「あ……うん!そうそう」と私も話を合わせた。

 これを受け、新堂は先生に無言で深々と頭を下げた。

「ユイちゃん、まだ横になっていなさい。貧血、酷いんだから……」片岡先生が改まって私に言ってくる。
 新堂までもが心配そうな目を私に向けてきた。
「もう……全然平気だったら!私もともと色白だから。良く貧血って思われるの!」
 慌てて誤魔化すも、容易に強がりだと見抜かれただろう。

「それより新堂先生、そのケガ、誰にやられたの?」私はすぐに話題を変えた。
「ああ……ちょっとトラブってね。私とした事が、致命傷を負わされるとは油断したよ」

 ふと思い立ち、黙々と傷の消毒をしている先生に尋ねた。
「……ねえ、片岡先生?摘出した弾ってどうした?」
「ん?……あれか。処分に困っててね。まだ僕が持っているよ」屈んでいた体を起こして私の方を見る。
「私が代わりに処分するわ。預けてくれない?」

「ユイちゃんにかい?」
 片岡先生はしばらく考えていたが、躊躇いながらも小さな袋を渡してくれた。
「……じゃあ、お願いするよ」
「ありがとう!」

 血塗れのまま透明の小袋に入った、ひしゃげた弾丸。袋の端を持ち、目線の先まで持ち上げて食い入るように見つめる。

「何か分かるか?」
 声に反応して顔を上げると、室内はいつの間にか私と新堂だけになっていた。

 頭に浮かんだ事をそのまま口にする。
「もし腕利きのスナイパーに狙われたなら、こんなケガで済む訳がない」
 片岡先生が出て行ってくれて助かった。こんな話は絶対に聞かせられない。
「見たところ、威力の弱い小型の拳銃の弾だし。大方、どこかのヤクザか……」

 そこまで言って口をつぐむ。まさかまた義男の仕業ではないかと思ったからだ。

「どうした?」
 そう問われ、ここは逆に質問で返す。「心当たりは?」
「あり過ぎて分からん」両手を広げる新堂。お手上げ状態という事か。
「でしょうね!」思わず納得する。
 冷酷なあなたを憎む人間なんて、吐いて捨てるほどいるでしょうよ、と心底思った。

「何なら、先生のボディガード、やってあげてもいいわよ?報酬次第だけど」
「それは助かる。何度もこんな目に遭っては、君にも迷惑をかけてしまうしな」
「それは、イエスって意味よね?」
「ああ。それで、依頼料はいくらだ」

 なぜか楽しそうな新堂に、私は頭にきて言い放つ。「一億よ!」
 それなのに、この男はあっさり頷いたではないか!
「いいだろう。ただし、後払いだ」
「は?後って、いつ払う気よ」
「報酬が支払われるのは、仕事が終わってからに決まってるだろ」

 それは当然の回答だが、常に危険に晒されている新堂和矢が狙われる心配がなくなる日など、闇医者を辞めたとしても訪れそうにない。
 という事は……?

 そんな事を考えていると、彼が話題を変えた。
「それよりユイ、あの時、おまえの左頬に傷を……」
「気にしないで。掠めただけだから」
 まだ薄っすらと痕が残っている左頬を擦りながら続ける。
「だけど、あの時は焦ったな~!あれ以上何かされてたら、先生を投げ飛ばすところだったんだからね?」

 私に危害を加えようとする人間は、誰であれ倒す。例えそれがケガ人であっても。長年の訓練で、私の体はそういう仕様になっているのだ。

「本当に済まなかった。自分でも、良く覚えてないんだ……」
「仕方ないわよ、あの状況じゃ。相当出血してたし。それに、私もあなたを思いっきり引っ叩いたから。お相子ね」いつかのお返し!と心の中で続けた。
 この人に打たれた事を、私は未だに根に持っていた。

「だけど、もっとマシな武器はなかったの?」呆れた調子で問いかける。
「大事な仕事道具なのに、あれを取り出すなんてあり得ない……!」
 そう言った彼は、本当に自分の昨夜の行動を覚えていないようだ。
「何なら私が、もっといい武器調達してあげましょうか?」左手でピストルの形を作って尋ねる。
「その必要はない。そういった物は持たない主義なんでね」新堂があっさり拒否した。

 マシな武器があれば、メスを使わずに済むのに?

 私の疑問をよそに、彼が再び話題を変えた。
「一年半ぶりか?」
「そう。最初あなたが気づいてくれなかったから、忘れられたと思ったわ」
「おまえの事は、忘れようと思っても無理だな」おどけながら言う新堂に、「どういう意味?!」と急いで聞き返す。
 彼は一人で笑っていた。本当に、どういう意味?

「その後、体調は問題なさそうだな」改めて私を眺めて言ってくる。
「ええ。お陰様で元気いっぱいよ!」
 このセリフを今言うのは気が引けるが、何より今は彼の方が辛そうだ。
「それは何よりだ。……うっ」
 案の定、新堂が辛そうに表情を歪めた。

「無理しないで。私、もう行くわ。ゆっくり休んでね。それじゃ」
 私は微笑んで新堂と別れた。


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