大嫌いは恋の始まり

氷室ユリ

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第四章 狂い始めた歯車を修正せよ!

  ギソウ結婚(3)

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 数週間が経った頃。依頼していた身元調査の件でようやく連絡があり、いつもの探偵社に向かった。

「(ミス・アサギリ。例の男の正体が分かった)」
「(それで?誰なの)」
「(彼は、CIAの工作員だった)」
「(CIAとは……またご大層な身分の方ね)」

 やっぱり外国人じゃないか。
 だが幸いな事に、私の任務の事は気づかれていないようだ。日本からのお遣い(!)と思われていたくらいだから?

「(向こうも焦っている……となると、そろそろ佳境だな。君にとっては敵が増えた事になる。気をつけろ)」
「(分かってる。何なら報酬、倍にしてよね!)」

 CIAが私に目を付けた理由は?そこまで顔が知られているとは予想外だ。
「私も、特殊メイクしとくんだった!」


 そんな矢先、新たな展開を迎える。それはいつもの夜だった。招かれざる客達が来るまでは……。

「(ヘルムート、何か聞こえない?……ほら)」

 階下で聞こえてくる物音に、か弱い妻を演じて訴える。本当はすでに、侵入者があった事には気づいていたのだが。
「(ああ……。様子を見てくる。危険だから、君はここにいるんだ)」
「(気をつけて!)」

 ヘルムートが静かに部屋を出る。そして階下の明かりを点けた。
「(何者だ?うちで何をしている!)」

 そこには黒尽くめの男が三人おり、階段を下りる夫を狙って近づいて来る。

「まさかCIA……?早速お出まし?」
 私はドアの影からこの間の男がいないか目を凝らすが、確認できず。
 そしてもう一つの不安要素。ヘルムートが犯罪組織のナンバー・ツーとはいえ、ケンカに強いとは限らない。

 けれど今私が動けば、確実にただの女でない事がバレてしまう。

「(ここが誰の家か、分かっていて侵入したのか?)」
 ヘルムートの凛とした声が響いた。

 私が思案している間にも、軽快に敵をなぎ倒して行くヘルムート。その身のこなしはかなりのものだ。
 そんな夫の背後に、もう一人男がいる。それには気づいていない様子。
「マズい!……気づいて!」
 私は近くにあったペーパーナイフを投げつける。それは狙い通り、敵の手の甲に命中した。

 敵を全て制圧し、室内に静寂が戻る。

 ヘルムートが倒れた一人を掴み上げて、顔を覆ったマスクを引き剥がす。
「(お前は……!どうして……)」
 ヘルムートの悲痛な声を残して、男達は瞬く間に去って行った。

「(あいつらは、一体誰だったの?)」私の質問に返事はない。
 ヘルムートが、自分の足元に落ちているペーパーナイフに気づいた。
「(ねえ。あなた何者?さっきの身のこなし、相当の訓練を受けたと見るけど)」
「(ああ、そうだ。自分はCIAの特殊捜査官。潜入捜査の最中でね)」

 この返答に驚きすぎて言葉を失う。

「(驚いているようだが。君だって、ただの日本人女性……ではないんだろ?)」
 まだ沈黙を貫く私に、ヘルムートは続ける。
「(気づかれてないと思ったか?君の体にあるいくつかの傷、中には銃弾痕もあるようだ。それにさっきのナイフ捌き……。お陰で助かった、感謝する)」

「(そっかぁ。ま、色々とヘマしたもんなぁ。そこまで分かってて、良く芝居を続けられたものね……)」体中から一気に力が抜けた。
 ベッドでの事、向こうも演技だったのか……。思わずため息が漏れた。

「(そうよ、私も潜入捜査中。イギリス諜報部のね)」
「(……何と、お互いに潜入していたって事か!)」

「(そのようね……。全く、バカげてるわ!」
 吐き捨てるように言った後、さらに続ける。
「(でも、私はただの臨時工作員。イギリスには何の義理もないから。お国のためとかそういうのは皆無よ?)」今度はおどけて言う。
 スパイは国に命を捧げる、とかいうので?

「(それで。そちらの目的は?)」ヘルムートが単刀直入に聞いてくる。
「(恐らく、あなた方が探しているものと一緒かと)」

 ヘルムートが力を抜いたのが分かった。そのまま、ソファに深く座り込む。
 私も隣りに腰を下ろした。

「(ねえ?さっきの人達って、誰なの)」
「(ああ。こちらの連中さ。どうやら俺は、用済みのようだ)」
「(何ですって……?じゃ、あの人達もCIA!)」
 そして私を襲ったあの男も、この人と同じ職場の人間という事になる。どういう事?

「(そういう世界さ。俺が時間をかけ過ぎたんだ)」

 深入りしすぎて、寝返ったと思われたのだろうか。この人に近づいた私も目をつけられていた。ちょっと調べれば、私がただの女でない事は分かる。
 襲ってきたあの男が、邪魔をされては困ると言っていた意味が分かった。あの時点ではまだ、ヘルムートの任務は続いていた事になる。

 一体いつから用済みと判断されたのか。
 組織にとっては、代わりなどいくらでもいるのだ。疑わしきは切るのみ。どんなに忠誠心が厚くても、用済みと判断されれば二度と戻れない。
 これほど有能な人材でもその対象になってしまうとは、どこまでも非情な世界だ。

 私が接触しなければ、別の展開になっていたかもしれない。こちらも仕事だったとはいえ、もし私がきっかけだったなら心苦しい限りだ……。

「(で、どうするの?まさか、言いなりになって殺される気じゃないでしょ?)」
 こうなったらこの人を援護する!
「(逃げてもいずれ捕まる。奴らは、どこまででも追って来る)」
「(ダメよ!逃げ延びなきゃ!どうしてあなたが死ななきゃならないのよ……)」
「(孤独な生活は……もうご免だ)」
 ヘルムートは私を見つめた。

「(この世界から抜け出せば、あなたは決して孤独じゃなくなるわ)」
「(自信がない……)」
「(あなたならできる!ヘルムート……今までだって信念を持って、強く生きて来たんでしょ?)」負けずに真っ直ぐに見つめ返す。
「(しかし!その忠誠を誓った組織に、裏切られたんだぞ?)」

 ここでヘルムート・フォルカーの人生が終わるのは間違っている!
 沸々と怒りが込み上げて、私は声を荒げた。
「(だったらこっちから捨てちゃいなさいよ、そんなもの!組織のためでなく、あなたがあなたらしく生きるために。ただ、それだけの事よ)」

 ヘルムートは私の言葉を静かに聞いていた。

「(私達は、偽装の夫婦。私達の間に……本物は何一つ、ないんだから)」最後にこう付け加えた。なぜか泣きそうになりながら。
「(何一つ?)」
 どういう訳かそこだけを繰り返して、彼が強く私を見つめる。
 私だって思いたい。あの偽物の行為の中に、少しでも本物の愛があったと……。しかしそれは、お互いに認めてはいけない事だ。
「(ええ。何一つよ)」

 しばらくして、ようやくヘルムートが口を開いた。
「(そうだったな、その通りだ)」
 私の気持ちを分かってくれた。やっぱりこの人は頭がいい。とても有能な捜査官なのだ。

「(俺にまだ、できるかな……自分らしく生きる事が)」
「(もちろんよ。あなたならできる。大丈夫!)」私は本気で夫を抱きしめた。
 この光景を傍から誰かが見ていたなら、本物の夫婦に、見えただろうか……。


 翌朝。いつもの日常を、私達は装う。

「(昨夜は良く眠れたかい?)」
「(ええ。あなたは?)」
 ああ、と答えた後に彼の表情が曇る。
「(いつまた、奴等が襲って来るか分からない。……君を巻き込んでしまって済まない)」

 私が右肩を負傷した件や、先日のパーティで首を絞められた事はすでに打ち明けた。

「(気にしないで。こういう事には慣れてるから)」
 巻き込まれた訳ではない。これは私個人の問題。Y・アサギリの事については、この人は何も知らない。

「(それよりも!早い方がいい、今すぐにでもここを離れた方が……)」
 敵はこの家を襲うという強硬手段に出たのだ。時間はもうないはず。
「(ああ。だが仕事は、きちんと片付けないとな)」
「(仕事って?)」

「(今日手に入る予定なんだ。取って置きの情報がね……。俺にはもう必要ない。ユイ、君に渡そう。お詫びのしるしに)」
「(でも、ヘルムート!危険なんじゃ……)」
「(組織にはまだ、俺が潜入している事はバレていない。連中が邪魔をしなければ……上手く行くはずだ)」

 ヘルムートはいつものように、私にキスをして出て行った。

「あの人なら、自分の身は自分で守れる、か……」
 昨夜の戦いぶりを思い出しながら、一人になった部屋で呟く。
 あの強さはもしかしたら、キハラに匹敵するかもしれない!そう思っただけで、こんな状況にも関わらず嬉しくなってしまう。

「今日が決戦の時か……。であれば。こちらも動きますか!」
 もう、隠れて動く必要はなくなったのだ。


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