大嫌いは恋の始まり

氷室ユリ

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第五章 隠された秘密を探れ!

37.ミドリ色に込められた執念

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 二日目の夕方、状況は一転する。この監禁現場へ新堂さんが現れたのだ。
 彼は正面入り口から堂々と乗り込んだ模様。ザワザワとした空気を、拘束された台の上で朦朧としながらも感じ取る。

「ユイ!おい、大丈夫か?返事をしろ!」
 気がつくと、懐かしい声が私の耳に届いていた。
「新堂さん……良かった、生きてて……」
「それはこっちのセリフだ。済まん、遅くなった」
「……どうして、ここが分かったの?」爆弾は……との言葉は声に出ていなかった。

 西沢が車に仕掛けたという爆弾の事が気になったが、彼が無事なところを見るに不発だったか。

「ここは西沢が前に勤めていた研究施設だ。倒産して今は使われていない」
 薄暗い寂れた室内を見渡して言う。
「そうなんだ。まだ新しそうなのに……」
 建ててすぐに倒産したのか。廃屋にするにはもったいない建物だと思う。

「そんな事より!これは一体何だ……?」彼が落ちていた注射器を拾い上げる。
 窓から入る僅かな光にそれを掲げて、目を細めて凝視している。
 床には同じ緑の液体がこびり付いた注射器が、何本も転がっていた。
「そんなの分かんないよ……っ」
 涙ぐむ私に、彼が顔を近づけて言う。「もう心配いらない。……お前を巻き込んでしまって、済まない。西沢のヤツめ!」

 打たれて腫れた私の頬に触れて、新堂さんがうな垂れる。
 あなたのせいじゃないから、と言ったつもりだったが、またも声に出せていなかったようだ。

 そして、私の脇腹の切り傷に気がつく。
「こっちの傷は……そんなに深くはなさそうだ。すぐに手当てしよう」

 車に置いて来たカバンを取りに行くと私に告げて、落ちていたシャツの切れ端を下着姿の私に掛けてくれたその時、西沢が現れた。

「そいつは、なかなかしぶといよ!さすがは治験慣れした体だけの事はあるな。主治医もそう思うだろ?新堂先生よ!」
「西沢巧!……貴様、よくもユイを。許さん!」新堂さんが西沢に向かって言い放つ。
「ははっ!生憎、許しを請うつもりは、さらさらないんだよ」
「彼女に何を投与した?この怪しげな色の薬剤は、一体何なんだ!」
 床に散乱した注射器を睨みつけながら問いただす。

「ああそれか?将来有望な新薬だよ。まだ動物実験の段階でね。お前だって、人体実験、得意だろ?」いかにも楽しそうに語る。
「……!何だと?」
「この薬は、呼吸器疾患に応用される事になるだろう。と言っても表向きの話だがな。適量であれば、かなり優れた薬剤のはずだ」

 落ちた注射器を一本拾い上げ、少しだけ残った緑の薬剤を目線の高さに持って行く。
「おや?まだ残ってるじゃないか、もったいない!」
 そう言いながらも、拾われた注射器はすぐに床へと落とされた。

「お前も医者なら分かるだろ?呼吸という活動が、どこでコントロールされているか」
「呼吸は肺で行う。肺は自ら活動せず呼吸筋で動いている。そして筋肉は、脳の指令によって……脳か!」彼が答えを導き出す。
「大正解!さすがスーパードクターだ。すでに相当量を投与して、かれこれ四十時間以上経過した。普通の人間ならもう、とっくにイカれてる頃だ」

「何て事を……!」
 新堂さんが、西沢から私へ視線を移す。

「今お前が来てくれて良かったよ。まあ、あんな爆弾ごときに、くたばるお前じゃないよな?これで感動的なラストシーンが見られる!」
 絶望的な彼の様子を嬉しそうに眺める西沢。
「何が感動的だ!こんな事をしておいて、よくも抜け抜けと!俺達は、お前に恨まれる言われなどない」私の姿を隠すように立ち、新堂さんは毅然と言い放った。

 私は震える手を彼の方に伸ばした。私、ここで、死ぬの……?
 新堂さんが、伸びた私の手に気づいて強く握ってくれる。

 そんな事に気づく様子もなく、西沢が不満をぶちまけ始める。
「フン!世の中は不公平だよな。なぜ俺達兄妹は報われない?なぜ、お前らみたいな汚い奴らが、のうのうと生きて行けるんだ!」
「誰が汚いって?」

「奈緒はな、ナースになるための一歩を、踏み出した直後だった。これからだったんだよ。視力がなくてはあの仕事はできない……!」
「だからそんなのは俺が……」
 新堂さんが口を挟んだところで、凄い剣幕で言い返される。
「黙れ!そうやってお前らは俺を見下してる。そいつもそうだ。朝霧ユイ!お前らのどこがそんなに偉い?」

 少し間を置いてから、新堂さんが静かに言った。
「今分かったよ。お前のように歪んだ性格のヤツは、成功なんてしない。まずはその腐った性根を直す事だ」

 こんな言葉に耐え兼ねた様子の西沢。「女の死を見せつけてからと思ったが……」
 憎しみに顔を歪ませて、新堂さんにコルトを突きつけた。
「今すぐ殺してやる!女のピストルだ。これで死ねるなら本望だろ?」
 そして私達の握られた手にようやく気づき、激しく罵声を浴びせる。
「……忌々しい、その後ろで繋いだ手を離せ!」

「なぜだ……?なぜそんなに俺達を恨む?殺したいほどに憎むなど、一体どんな理由があるっていうんだ!」
「昔っからお前は、そうやって自分にだけ甘いんだよ。人の気持ちとか……考えた事ないんだろうな」最後には、やや悲しげな表情になって言う。
「昔は……そうだったかもしれない。だが今は誓って、そんな事はない!」

 そう、新堂さんは変わった。昔とは違うはずだ。これには私も迷わず同意する。

「しかし、お前の気持ちだけはどうしても分からん!」新堂さんが続ける。
「死ね」

 西沢がそう言った時、後ろのドアが開いた。

 その事に私だけがいち早く気づいた。「し……新堂さん、後ろ……っ」
 西沢だけに向いた彼の意識を背後へと誘導するため、繋がれた手を渾身の力で引っ張って訴える。

 気づいた新堂さんが入り口の方を振り返る。そこには女性の姿があった。

「もしかして、奈緒、か……?」
 私は彼の言葉に頷いた。西沢は入り口を背にしているためまだ気づいていない。
「何をブツブツ言っている?命乞いでも始めたか!」

「お兄ちゃん!もうやめて!」
 西沢の声をかき消すように、新たな声が室内に響いた。

 その突然響き渡った懐かしい声に、西沢がたじろいだ。新堂さんから目を離して、声の方を振り返る。
 驚くのも無理はない。そこにいたのは、愛しの妹なのだから。

「奈緒!何でここにいる?どうやって来た!」
「見えなくたって、私ももう大人なんだから、タクシーでも何でも使える。お兄ちゃんの事だって、全部知ってる!」奈緒は扉に掴まったままの姿勢で叫ぶ。
「全部、知ってるだと?」奈緒を凝視して問い返す。
「和兄ちゃんを殺すって、どういう事?私達、大切な友達でしょ!お兄ちゃん……何でこんな事!」

 取り乱す奈緒に、新堂さんが近づいて手を貸した。

「おい!俺の大事な妹に触るな!」
「お兄ちゃん!いい加減にして。和兄ちゃんが困ってるじゃない。それに、ユイさんも……そこに、いるんでしょ?」
 奈緒が顔を左右に動かして、私の気配を感じ取ろうとしている。

「ああ……。だが、かなり危険な状態だ」
 新堂さんが、代わりに答えてくれた。
「何て事をしたの……!」視力を失くした目を、両手で覆う奈緒。
 彼女の目からは大粒の涙が零れ落ちた。

 新堂さんはそんな奈緒を支え続ける。

「お前には関係ない事だ。今すぐ帰れ!」
「いいえ関係あるわ、私のためでしょ?復讐だか何だか知らないけど、お兄ちゃん、勘違いしてるから!」
「早く帰るんだ!」

 この兄の言葉を受け、奈緒は新堂さんの手を解いて兄の声の方に歩みを進めた。
 足元には、注射器やら衣服やらが散乱している。つまづきそうになりながらも、一歩ずつ近づいて行く。

「来るんじゃない!ほら、危ないから……っ」気が気ではない西沢。
「ねえお兄ちゃん。私がなぜあんな場所にいたか、気にならなかった?」
 奈緒は続ける。「私、お金を借りに行ったの。自分の意志で!ユイさんは元々そこにいた。私が後から勝手に行ったの!これでも彼女を悪く言うの?」

 徐々に前に進みつつ、はっきりとした口調で続ける。
「ユイさんは、私の命を救ってくれたのよ?それに病院代や、当面の生活費まで援助してくれた」
「上から目線でそんな事されて、黙ってられるか」
「何で素直になれないの!」

 そう言った後、奈緒が前のめりになって転んだ。
 新堂さんが手を差し伸べようとするも、奈緒はそれを拒否する。

 私は居ても立ってもいられず、重い体をどうにか起こしてから言った。
「西沢、さん。私からも言わせて。奈緒さんがお金を借りたのは、あなたのためよ」
 掠れた小さな声しか出なかったが、どうにか訴える。

「何?」西沢が私を睨む。
「大好きなお兄さんの、役に立ちたい、という一心で。あんな場所に……」息が続かず、一旦言葉を切る。
 透かさず西沢が「俺のため?どういう事だ……」と口を挟んで奈緒を見下ろす。

 あまりの辛さに体勢を保てなくなり、私の体が傾く。
 新堂さんがすぐに気づいて、そんな私に駆け寄って支えてくれた。

「ユイ!」
「ん、ええ、大丈夫……」頷くと、彼に支えてもらいながら再び話し始めた。
「あのヤミ金、かなり悪徳よ。爆弾なんて持ってる事からしても、明らかでしょ……」
 またも声を詰まらせた私に彼が言う。
「ユイ、もう喋るな!」

 こんな主治医の指示を受けても、どうしても言いたかった。
「あのまま、あそこでお金借りてたら、どうなっていたか……。私には、そっちの方が恐ろしいわ」
 ヤミ金で借りた金を返済できずに、海外に売り飛ばされる若い女性の話はありがちだ。

「だからって、爆発に巻き込まれてめでたしめでたし!って言えるか!」
「バカ野郎!誰がそんな事を言った?命や心を奪われる方が、取り返しがつかないと言ってるんだ!」
 ついに力尽きてしまった私に代わって、彼が言ってくれた。

「お兄ちゃん……。勝手な事してごめんなさい。でも、どうしても力になりたくて!今度こそ、お兄ちゃんに成功してほしかったの」
「奈緒……」西沢の声が小さくなる。
「だって、お兄ちゃんはいつだって頑張ってたよ?和兄ちゃんに負けないくらいに!私は知ってる。運が、足りなかっただけ。でも今度こそ、その運だって私が……!」

 健気にそう主張する奈緒を見守る。彼女が兄をどれだけ思っているかが改めて伝わってきた。
 私も思わず神崎さんの事を思い浮かべていた。私のお兄ちゃんを……。

「やっぱりいい妹じゃないか。羨ましいくらいにな」新堂さんが言った。

 そうか。新堂さんは、妹がいる西沢が羨ましかったんだ。ずっと孤独だったと口にしていた彼が、ふと頭に浮かぶ。孤独な日々の中で共に育った仲間。
 彼にとっては、この西沢だって大事な仲間のはずだ。

 朦朧とする意識の中で、私ははっきりとそう結論付けた。


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