大嫌いは恋の始まり

氷室ユリ

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第六章 まだ見ぬ世界を求めて

  ゆがんだ愛の行方(3)

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 突然の手術から約三ヵ月後の四月。リハビリは順調に進み、今ではゆっくりだが歩けるようになった。

 そんな中、イタリア中部で大規模な地震が起きた。死者は二百五十名以上との事。
 イタリアには母がいる……!心配になって、慌てて国際電話をしてみるも混み合っているのか全く繋がらない。

「どうしよう、お母さんが!私、助けに行きたい……」
「落ち着け。ミサコさんがいるのは、確かシチリア島だろ?震源地からは離れてる。きっと無事だよ……ほら、見てみろ」
 新堂さんがインターネットで現地の様子を確認してくれた。
 お陰で母のいる場所にはほとんど影響はないようだと分かる。

「これなら、ミサコさんは大丈夫だ。な?」
 ほっとしながら、微笑んで頷く。

 しかしながら、被害のあった地域では凄まじい光景が広がっていた。パソコンの画面に映し出された瓦礫の山を見て愕然とする。
「悔しい。今の私には、何もできない……!」
 手の平に爪が食い込むくらい、拳を握り締める。

 少しの沈黙の後、新堂さんが重々しく口を開いた。

「……おまえの体を、そんなふうにしたのは、俺なんだ」
 言いにくそうにしつつも、真っ直ぐに私の目を見ている。
「え?何の事?」
 話の内容がガラリと変わり、私はただただ目を瞬くばかりだ。

「あの時、本当は手立てはあったんだ。ユイの体を、俺なら治せたかもしれない。それなのに俺は……何もしなかった」
「あの、時って……」ようやく内容を理解し、絶句する。
 私は慌てて彼から目を逸らした。

 聞きたくない。聞きたくない!

「ねえ、タバコない?」彼が話を続ける前に声を出す。
「ユイ、聞いてくれ」
「ちょっと待って。一服、してからでもいい?買いに行って来る」
 少し落ち着こう。
 このままこの衝撃の告白を聞いたら……私の神経が持たなそうだ。

「待て。買いに行く必要はない。ちょっと待ってろ」
 そう言って新堂さんが姿を消す。

 少しすると、白い箱のラークを手に戻って来た。それは私がいつも吸っていた銘柄だ。
 ノンスモーカーの彼が持っていた事に驚く。
「持ってると思わなかった……。もしかしてこれ、私のマンションから持ってきてくれてたとか?」
 私の意識がない間に、身の回りの物をマンションから運んでくれていた。
 それは当然必要な物だけであって、喫煙を良く思っていない彼がこれを持ってくるとは思えない。

 こんな状況を予想していたという事だろうか。

 何も言ってくれない彼を残し、私はそれを持ってゆっくりとテラスに向かう。
 ついて来ようとする彼に言う。「そこにいて。すぐ戻るから」
 どうしても一人になりたかった。こういう時は師匠のアドバイスが必要だ。

 時間をかけてテラスに出る。視線を大いに感じる中、窓を静かに閉めてガラスにもたれ掛かった。

 真新しいパッケージを開け、一本引き抜く。
「キハラ。私、どう答えるべき?新堂さんに、何て言えばいいの!……教えて」
 小さな声で天に向かって訴える。
「私、どんな事があっても、あの人を嫌いになんてなれない。……そう、素直に言えばいいのよね?」

 この時、私の目には確かに、キハラの頷く姿が見えた。
 キハラはいつでも私の事を見ていてくれると言った。今だって見ていてくれてるはず。「ありがとう、キハラ……」
 落ち着くために、もう一本だけ吸う事にする。
 あまりに久しぶりの喫煙で、若干くらくらし始めた。こんな事では新堂さんに心配されてしまう。

「大事な時よ、ユイ。しっかりしなさい!」
 こう自分に活を入れて、意を決して彼の元へと戻る。

「お待たせ。これ、ありがとね」箱とライターを新堂さんに返却する。
「ああ……。いや、いいんだ」
 返却されるとは思っていなかっただろう。一瞬戸惑ったように見えたが、それを受け取ると、新堂さんはぎこちなく微笑んだ。

 この人は昔から、真面目で不器用な人だ。
「本当の事、話してくれて嬉しいわ」彼を見て心から言った。

「……おまえにふられるのを覚悟で話した。これからどうするか、ユイが決めてくれていい」落ち込んだままの様子で言ってくる。
「じゃあ。もう一つ、教えてくれる?」
「何でも!こうなったら洗いざらい話してやる」
 彼が慌てて煙草をポケットに突っ込んで、私を見た。

 そんな彼を見て、すでに決まっていた気持ちがさらに固まった。

「新堂さんの今の気持ち。あなたは、これから私とどうしたい?」
「どこへも行かせたくない。ずっと一緒にいたい。独り占めしたい」
 真剣な顔で言う彼を見て、私は思わず笑ってしまった。
「……今の、笑うところじゃないんだが?」
 ちょっぴり拗ねた声を出す彼が、さらに可愛く見えた。
「ごめんなさい」

 立ったままだった私を、新堂さんがダイニングに誘導する。
 向かい合って腰掛けると、彼は無言のままじっと私を見つめた。

「もう、嘘はつかないんだったわね」私は静かに言った。
「その通りだ」私から目を離さずに、新堂さんが答える。

「私、何となく分かってた」
 だって、新堂和矢はスーパードクターなのだ。どんな事があっても、絶対に諦めない。その負けず嫌いさは半端じゃない。
 きっと、本当は治せたんじゃないかとどこかで思っていた。

 私の言葉を聞き、新堂さんは苦しそうに目を閉じた。そして額に手を当てると、そのまま俯いてしまう。
 それを見て急いで付け加える。「でもね!でも、あなたはちゃんと治してくれた」
「散々おまえを苦しめた挙げ句にね。それも、完全に治せた訳じゃない」俯いたまま彼は言う。

 やっぱり、完全には治らないのか……。でも今は、それは問題じゃない。

「元々こんなケガをしたのは私のミスよ。新堂さんだからこそ救えたの。あの時あなたが来てくれなかったら、私はすでにこの世にいない」
「しかし、俺は医者として絶対にしてはならない行為を……!よりによって、一番大切な相手にしたんだぞ?」

 またも俯いてしまった彼に、私は半ばテーブルに身を乗り上げて顔を近づけた。
「新堂和矢っ!」
 急に声を荒げた私に反応して、彼が顔を上げる。
「自分の選んだ道を悔やまないで。あの時あなたが最善だと判断したから、そうしたんでしょ?」
「身勝手な話さ。許される事じゃない。おまえにこんな酷い仕打ちをしたんだから!」

「そうね。その通りだわ。でも、お陰であなたの本音が聞けた。ずっと私の中にあった、不安要素が消えたの」
「俺は……!」
 彼が何か言いかけたが、構わずに続けた。
「私も、新堂さんに頼り過ぎてたのよ。どんな事になっても、あなたが何とかしてくれる。むしろ、そうやってあなたを引き止めてたのは、私の方だわ」

「だってあなたは世界一の外科医で、独占するにはケガを負うか病気に罹るしか……」
 今度は彼が私の言葉を遮る。「まさか、だからってわざと危険を冒してた訳じゃないだろう?」
「違うけど!でもそうやって新堂さんを縛ってたのは事実よ。一生体が不自由なら、一生あなたを縛れるもの」

 本当はずっとそうしたかった。ずっと一緒にいるため、新堂和矢を独占するために。
 だがそんな本心を無視して、私は二度も彼との別れを選択した。

「しかし!現におまえは、死のうとまでしたじゃないか!」
「それはほら、私って気が短いから?」
「思い付きで何をしでかすか分からない、か?」彼にも心当たりがありそうだ。
 そこで付け加える。「こういう状況を、私もある意味望んでたって事にならない?」
「そんなバカな……!」

 そう、私達はどうやら同じ不安を抱えていたようだ。

「だから、お互い様って事で」思ったよりもあっさりと言えた。
 対する彼は、受け入れられた事が信じられないようだ。
「それでいいのか、本当に」
「何が?」私はわざととぼけて返す。「俺を、許すのか……?」
「許すも何も、今までの全ては、新堂先生の治療、だったのよ」
 新堂さんを真っ直ぐに見つめて、胸を張って言った。

「ユイ……」
「いいえ、二人のためのね。だって、あなたもたくさん苦しんだんだもの……」

 新堂さんが席を立って、私の側にやって来る。
 そして強く抱きしめられた。強く、強く……。「……痛いよっ、新堂さん」
「悪い悪い、つい力が入ってしまった」
 新堂さんは体を離して再び私を見た。その目は今まで見た中で、一番穏やかだった。

 これで全ての謎が解けた。
 私達はソファに移動し、並んで座って心の内を語り合う。

「あ~あ。そういう事か」
「何がだ?」
「ずっと不審に思ってたのは、リハビリよ」
「リハビリ?」
「そう。私が車椅子だった時、あなた、全然リハビリに無関心だった。あれって、やってもムダってサジを投げてるのか、治ったら困るって事のどっちかじゃない?」

 私をじっと見つめて、何かを考える彼。
「新堂さん?」
「さすがユイ、鋭い。だが訂正させてもらうとだな……」
 言いにくそうにするので、お構いなくと顎で急かした。

「脊髄損傷による麻痺は、実際のところ、そのほとんどは治す事が不可能だ。そういう事情もあり、この場合に使われるリハビリという言葉は、意味が違う」
「何度聞いても、その不可能という言葉、恐ろしいわ……。でも、だったらなぜ私は治せたの?」
 身震いしながら口にした私の肩を優しく引き寄せてから、彼が続けた。
「いくら俺でもだ。不可能という文字はない、などと言う気はない」

 いくら自分が優秀であっても、という事?自慢なのか謙遜なのか分からない。

「今回は正直、運が良かった事もある。そしてさっきも言ったが……残念ながら、完全に治せた訳じゃない。時間が、経ち過ぎたよ……」
「それって……私はこれから、どうなるの?」
 何にせよ、私の体は以前のようには動かないという事か。

 不安を感じて震え始める私を、新堂さんが抱きしめてくれる。
「だが大丈夫だ。元通りとは行かないが、日常生活に支障はない」
「そっか。それなら、まあいいや」
 ようやく私は笑顔を取り戻した。全然動かないよりは何百倍もマシだ。

「で、リハビリの定義の話に戻るが、この場合、機能の回復を助けるという意味ではなく、障害を受け入れて、共に生きる術を身に付けるという行為になる」
「つまりあなたは、私に対してちゃんとしてたって事ね、……そのリハビリを」
「決して、サジを投げたりはしていない」その部分を強調する。
「良く分かりました……。でも、突き放されたような気持ちになったのは事実なの!」

「済まなかった。きっと、後ろめたい心境が、ユイに伝わってたんだろうな」
「ホント、ウソが下手な人!」
 私達は笑い合った。

 しばしの沈黙が流れて、ようやく落ち着いてきた。

「何だか急に、新堂さんのピアノ、聞きたくなっちゃった」
「ピアノか……。そうだ、今度、ユイのマンションから運んでくるか」
「うん!それがいい!このリビング広すぎて寂しいし。あれがあったら素敵よ」

 こんな話で盛り上がった後、リビングテーブルに置かれたパソコン画面に同時に目が行く。そこには、相変わらずイタリア中部の震災の映像が流れている。

「で、どうするんだ?」思い出したように彼が言った。
「何を?」
「被災者の救援だよ」
「行ける訳ないでしょ。それとも、代わりにあなたが行ってくださる?新堂先生」
「ユイを置いてか?なら、ついでにミサコさんに会って来るかな」
「あ~っ!それ、ズル~い!」新堂さんの袖を引っ張って訴える。

「依頼が来たら考えるよ。ボランティアには興味がないんでね」
「そうよね~。じゃ、私が依頼したら?」
「どこへも行くなと懇願したのは、どこの誰だったかな?」
「……おまえ次第、って、こういう事か!」妙に納得してしまった。
 先の事を読んだ上で、彼はそう言っていたのだと!

「今の患者を放置して、次の仕事を引き受ける事はできませんね」
 不意によそよそしく語る彼に、「患者ってどこにいるのよ」と突っ込む。
「目の前にいるだろ。俺の、何よりも大切な……」
「その、患者って呼び名は気に入らないっ!」もっと別の言葉で言ってほしい。
 すると彼は、「なら、大事な女に訂正するか」と、私の全身を隈なく眺め回した挙句に、ニヤリと笑って言うのだ。

 思わず両手で自分の体を隠すようにして言い返す。
「何かそれも、露骨でイヤらしい~っ!」
「何を今さら恥かしがってるんだ?おおそうだ、おまえの要望にも応えないとな」
「要望?」
「たくさんエッチしたいって言ってたろ」

「んもうっ!バカバカっ!」
 一人だけ真っ赤になった私を、いつだって一枚上手の彼は愉快そうに眺めるのだった。


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