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第一章 引き寄せ合うチカラ

1 一本の電話

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 それは一本の電話から始まった。

「もしもしお母さん?久しぶり。どうしたの突然。国際電話は高く付くでしょ、メールでいいじゃ…」
 朝霧ユイの話を遮って、母ミサコはまくし立てる。『あのねユイ、大事な話なのよ!あなたお見合いしなさい!』
「はぁ~?」思わぬ母からの発言に、ユイの口から間の抜けた声が出た。

 突如鳴り響いた車のクラクションで、ユイは自分が足を止めていた事に気づく。横断歩道の信号はすでに赤に切り替わっていた。
 慌てて歩道に向かって走るユイに、不満顔のドライバーがフランス語で罵りの言葉を投げて行った。
「何もそんな顔で睨まなくても?悪かったわねっ!」

 電話越しのこんなコメントに、ミサコが反応する。
『あっ、もしかして出先なの?今凄い音がしたけど大丈夫?』
「ああ大丈夫…だけど大丈夫じゃないっ、見合いなんて、私まだ23よ?今時親が縁談持って来るって、どこのご令嬢よ…」
『あら。私は23歳であなたを産んだわ。それに滅多にない話なのよ!聞けばあなたも絶対その気になるってば!』

 言い出したら聞かない母の性格を熟知している娘は、未だかつてないテンションに圧倒されながら観念する。
「とにかく話は後で聞くから。今外だから一旦切るよ」


 ユイは予定を切り上げて、急ぎ滞在先のホテルに戻ると、ブツブツ言いながらも折り返し電話を掛け始める。

「お母さんたら、何でまた見合いなんて?あ~ヤダヤダ!待たせるとうるさいから、さっさとしよう…ああ、もしもし?ごめん。それで?まさか見合い相手ってイタリアンマフィアじゃないでしょうね!」
 母ミサコは再婚して、現在イタリアのシチリア島に住んでいる。
『やぁね、違うわよ。夫じゃなくて私の知り合いからの紹介なの』

 ミサコの夫はイタリアンマフィアである。ちなみにミサコの前夫でユイの父は、日本ヤクザの組長だ。

『ところでユイ、高校卒業してすぐに実家を出たって言ってたけど、今どこにいるの?』
 ミサコはユイが高校生活を終える前にイタリアに発っていた。
「まだ定住先は決めてなくて。あちこち点々としてる」
 今ユイはアフリカのとある国に滞在中だ。治安が悪い事で有名なこの国の名を口にすれば、さぞ心配する事だろう。そう考えて伝えずにおく。
『まあ…そんな生活してて大丈夫なの?』
「平気平気!始めた仕事も軌道に乗っててね、お客さん増え続けてるんだから。お母さんは?イタリアの新しい生活は楽しんでる?」

 始めた仕事の内容も当然伏せている。ヤクザの娘が裏の世界へ進むのは自然な流れか。だがそれを望む母親などいはしない。
――私が世界を股に掛ける殺し屋だなんて知ったら、卒倒するだろうなぁ――
 つい今しがたも一人殺して来たばかりだ。

 日本を飛び出して5年。早くもユイはその筋では有名どころの殺し屋となった。
 左の腰元に収められた愛用銃、コルト・コンバットパイソンは、ユイにとって一番の相棒だ。服の上から愛撫しながらミサコの返答を待つ。

『ええ。とっても幸せよ。ユイも一緒に来れば良かったのに』
「ないない!言ったでしょ、ラブラブの新婚生活の邪魔したくないって?」
『ええ、邪魔しないでちょうだい。だからユイ、お見合いしなさい』
「だから何でそうなるワケ?仕事が忙しくて無理!」
『この縁談が上手く行けば仕事なんてしなくて済むわよ。だって相手は代々続く名家のご子息よ?つまり、オ、カ、ネ、モ、チ!ああ…私がもっと若ければっ、惜しいわ~』
「お、お母さん…あからさまに玉の輿目指せって娘に言う?」

 電話先でミサコが勝手に盛り上がっている。
 文句を言いながらも、ユイは嬉しかった。日本で共に暮らしていた頃は、ほとんど見られなかった母の溌剌とした姿。それを目の当たりにできた事が嬉しいのだ。

 心臓を患っていたミサコは、ユイが高校3年生の時に出会ったスーパードクターの手により健康体を手に入れた。そこから二人の人生が動き出したと言っていい。 
 気性の荒い暴力的な夫から、そして父から脱却して新天地に飛び出した母娘。別々の道を歩みつつもお互いを想い合う。

『ルーマニアのね、フォルディッツ…じゃないわ、ディツティアかしら?発音が難しい!そのフォル…ちょっと聞いてる?』
「何でまたルーマニアなんて。私ルーマニア語できないんだけど!」
『そんなのどうでもいいでしょ。そこのね、ええと、何て読むのかしら…ロアールさん?って人よ。年はね…』
「どうでもいいってさぁ、言葉分かんなかったら付き合えないじゃん!」

 すでに会話は成り立っていない。進んで行く話。その気がない者の耳には入らない。

 ようやくミサコが静かになり、それを見計らってユイは言い放つ。
「話はちゃんと聞いたからね?とにかく私、まだお見合いする気ないの。こんなじゃお相手に失礼でしょ、だから断っといて!」
『もしかしてあなた、まだキハラの事が好きだなんて言うの?あんな野蛮な男はダメよ、それにあの人、婚約者がいるって言うじゃない』
「…知ってるよ。キハラは関係ない!相手は自分で見つけます!じゃあね、電話代もったいないから切るよ」

 ユイは一方的に会話を終わらせた。キハラの名を出されて、封印していた気持ちが顔を出してしまったのだ。

 キハラ・アツシは、ヤクザの元父が雇ったユイの幼少期からの教育係であり、唯一の師匠である。相棒コルトはこの男からの餞別の品だ。
 文武両道で礼儀正しく、無敵の強さを持つ長身で色黒の男。見た目も態度も恐ろしく怖いが、何よりも強さを追い求めるユイにとっては問題ではない。そんな男が常に側にいて惚れない訳がない。
 今となっては淡い初恋の思い出だ。

「全く誰に何を吹き込まれたんだか!コルレオーネさんに言って止めてもらわないと?なぁんて。そこまであの人とはまだ仲良くないしな~」

 新たにできた義理の父は、堂々たる恰幅の陽気なイタリア人。だがしかし、彼もまた一筋縄では行かないマフィアである。

・・・

 時を同じくして、イタリア・シチリア島の邸宅では、恰幅の良い初老の男コルレオーネが見合い写真を手に首を傾げていた。

「もうっ、ユイったらあんな言い方!こうなったら押しかけてやろうかしら」ミサコの気は鎮まる気配がない。憤慨しながらも横目に入った夫の様子を気に掛ける。
「あらあなた。難しい顔をしてどうかした?」
「ああ、この男、どうも知り合いに良く似ている気がしてね…」
 ミサコの再婚相手コルレオーネは、長らくファミリーを束ねるトップの座にあり、今や長老クラス。マフィア界については誰よりも良く知る。

 目にしているのはルーマニアの名家の子息のはずだが、その名にも顔にも覚えがあった。

「この縁談はどこから?」
「私の開いてるお料理教室でね、いいお嬢さんがいたら紹介してほしいって言われて、ウチに娘がいる話をしたらこれを見せてくれて。私もう舞い上がっちゃって!」
「そうか…。だがこんな由緒ある家の縁談に、マフィアが関わっていいのかい」
「だって、何も娘がマフィアやってる訳じゃないんだもの?」
「おお、それもそうだ!」

――フォルディシュティ…そうか、思い出した。確かあそこは15年前に一人息子が後を継いでいる。素性を隠してこんな募集を掛けるとは…そこまで焦っているか――
 ついにこの結論に至り、シビアな後継者争いまでも見抜いたコルレオーネ。
 だがミサコにはあえて語らずにおく。

 なぜイタリアのマフィアが異国の名家の内情を知っているのか?それはこの見合い相手の家が、マフィアの世界に身を置いているからに他ならない。

「無理に押し付けるのも良くない。こういうのはご縁だからな!」
 こんなコメントをしつつも、この時点でコルレオーネはある企みを抱いていた。


 振り返れば、コルレオーネとユイの出会いもまたご縁と言える。
 紹介される以前に、二人は偶然出会っていたのだから!それも、イタリア滞在中だったユイのあろう事か殺し屋の顔を偶然目撃したコルレオーネ。にも関わらず、何ら説明も求めず娘として受け入れた。

 寛大で太っ腹な男と分かり、安堵したのはユイだ。その件は暗黙の了解で極秘扱いとなった。ミサコを心配させないための気遣いである。
 コルレオーネもユイも、ミサコを想う心は同じだ。

――仕事であれば断れないだろう?なあ、我が娘よ!―― 

 ユイは善良な一般人ではない。それを知るからこその企みである。
 娘を良い家に嫁がせたい、そんなミサコの願いをコルレオーネはどうしても叶えたかった。相手が名立たるファミリーと来ればさらに熱が入る。縁ができるのは願ってもない話。それくらい味方に付けたい強力な家だ。

 ただ問題は、このファミリーに妙な噂が付き纏っている事。大事な娘の嫁ぎ先とあらば、不審な箇所は払拭しておきたい。
 書斎にて、おもむろに受話器を取り上げたコルレオーネは、国際電話を掛け始めた。

「…ああ、コルレオーネだ。久しぶりだな。君は昔、例のファミリーの謎を暴くだとか息巻いていたが、あの件はどうなったのだね?」
 電話越しの相手は、ルーマニアに拠点を持つとある小規模ファミリーだ。過去にその謎に立ち向かうも、呆気なく蹴散らされた経緯がある。
 そんな組織は五万とあり、当時の犠牲者の数を思い起こした相手の口も重くなる。

「そう怯むな。今回は最適な人材を紹介するよ。是非謎の解明に再チャレンジしないか?ちょうど花嫁候補の募集もしているみたいだし、潜り込むチャンスだ」
 こんな提案に相手は難色を示す。
 あえて名家フォルディシュティとしてプロフィールを作成している事から、先方はマフィア以外の上層階級をターゲットにしているとも取れる。そんな所へあえて首を突っ込むのは危険すぎると。

 その指摘を受けて、コルレオーネは余裕で即答した。
「問題ない。マフィアだと公にしては誰も近づきたがらない。だからわざと触れていないだけだよ。ああそれと、今回私は表だって動けない、名は伏せてくれよ?」

 コルレオーネは上機嫌で電話を終えた。
「何という巡り合わせ!これはもしや、最強カップルが誕生するかもしれんな。それにはまず、引き合わせないと始まらん!」

 愛する妻と娘のため、ここは一肌脱ぐべしとコルレオーネの世話好きの血が騒ぐのだった。

・・・

 数日後、ユイの元に新たな依頼が入った。またしてもこの国名が飛び出す。

「はい、ルーマニアですね。了解しました。大丈夫です、すぐに向かえます。では」
 相手は流暢な英語を操るルーマニア在住の男。
 こんな偶然にも何ら疑問を持たず、早速ユイは次なる仕事に向けて気合を入れる。
「ほ~ら言ったでしょ?ユイさんは忙しいの!お見合いなんてしてる暇、な、い、の!」
 遠く離れたイタリアに向けて、ユイは勝ち誇ったように言った。


 その今回の依頼は、なかなかに難易度の高い内容であった。

 現地で詳細を聞かされたユイは堪らず訴える。
「そもそも私、ルーマニア語できないんですけど?って最近も言った気がする…。ヌー、ヴォルベスク、ロマネステ!」
「平気平気!あの男は英語でもフランス語でもオーケーだから」
 嫌に陽気な目の前の年配男性は、同じくルーマニアのとあるマフィア一家のドン。
 明かされた依頼内容は、ある大物マフィアの家に潜入し謎を解明する事。

「あまりに曖昧な内容ね。謎ってどういう意味?」
「一言では語り切れん。あの男が関わるとあり得ない事が起こるんだ。まるで神か悪魔、という者さえ現れる始末さ」
「神か悪魔?ルーマニアなだけに不老不死のドラキュラだとか言うつもり?バカバカしい!もしかして私の事バカにしてる?」
「とんでもない!ドラキュラか…言い得て妙だな」男は納得したように呟く。

――ルーマニアの人って皆こんな感じなの?変なイメージ付いちゃいそう――
 諦め顔でユイが首を横に振る。
「まあ何でもいいけど。あんまりマフィアには関わりたくないのよね~…」
――大体、電話受けた時、そっち系の人なんて一言も言ってなかったよね?――
 ヤクザの父親を大いに憎んでいるユイにとってはマフィアも同類だ。

「これも何かの縁!コル…イタリアの知人からの推薦なら間違いない。会ってみて確信したよ、ユイ・アサギリ、君の美貌ならばほぼ間違いない!何とか頼むよ」
 容姿を褒められて悪い気はしないユイだが、それ関係ある?と首を傾げる。
「ですけど潜入って言っても、私ではマフィアのメンバーにはなれないだろうし、メイドとかでは容易にボスとは接触できないかと」

「メンバーでもメイドでもない。花嫁候補として行ってもらう」
「はぁ?花嫁候補ぉ?!」

 仰天するユイに、依頼人の男性は満足そうに頷いて続ける。
「といっても結婚が目的じゃない。あくまであの家の謎を解明するのが依頼だ」
「分かってますけど!そうは言っても、それを暴くにはより親密になる必要がある訳でしょ?いくら私の美貌で接近できても、そう簡単に教えてくれないと思うわ!」
 どさくさに紛れて美貌を肯定する辺りは抜け目がない。

 反応が返って来ず、軽く咳払いをした後にユイが続ける。
「それ、何も私じゃなくても?…まあ、娘さんを亡くされたのは同情しますけど」
「ん?何の話だね。死んでなどおらんよ」
「はい?だって電話で、娘は遠く空の彼方へ行ってしまったって…」
「ピンピンしとるよ。世界を周遊しているんだ。いつ戻るか分からんってだけ」
「っ!紛らわしい表現はやめてくださいっ」

 周遊と聞いて、定住先も確保していない自分と親近感が湧くも、それとこれとは別問題だ。
「呼び戻して娘さんにさせればいいでしょうがっ!」
 言っている本人は気づいていないが、この要求はミサコのものと重なる。フラフラしていないで身を固めろと。
「ダメだよ。あいつには無理だ」
「なぜですか?」

 不意に沈黙する依頼人。その目つきが変わった。
 何を言い出すやらとユイに緊張が走るも…。

「…容姿がねぇ」
「あのぉっ!真面目な話をお願いしますっ」
「いやいや悪い悪い!実際、あの男は理想が高い。相当好き放題してるだろうから、その辺の女じゃ見向きもされんて」

――それでアジア系の私に目が留まったのか。何とも安易な理由!日本の愛人との間にできた子、って設定も無理ない?――
 このルーマニアの地でアジア人はとても珍しい。さらに言えば、意外と親日国であり日本人に対しては好意的な側面もあるようだ。

「何が不満だね?報酬の額か?あの男は申し分のない容姿だぞ?早くしないと花嫁の座なんてあっという間に奪われてしまう!」
――なるほど考えたな。この娘ならばあるいは成し遂げられるかもしれん。さすがはコルレオーネだ――
 仮にユイが花嫁の座を手に入れても、当然この男には何のメリットもない。単にコルレオーネに利用されているに過ぎないのだから。

 そうとも知らず、この男もあわよくばファミリー拡大を夢見る。

「私に色仕掛けで落とせとでも?そういうのだったらムリムリ!」
 仰け反ったユイに、期待に胸を膨らませた男の熱い視線が向けられる。
「君ならできる!色気の事は…さて置き、危険が迫っても君ならば対処可能だしな」
「さて置きって何よ!失礼ねっ」
 頬を膨らませて抗議するその姿は、確かに色気の欠片もない若干童顔寄りの23歳。

「何と言っても君の射撃の腕はピカ一だそうじゃないか。それに機転も利く。何があっても万全だ!」
 勝手に盛り上がる依頼人にユイは呆れながらも思う。
――まあ、その通りだけど!――

 ユイはまだ、ターゲットになっているマフィア一家の本性を何一つ知らない。
「そ~んな恐ろしいマフィアを騙すような事して、バレたらただじゃ済まないんじゃない?私の事はいいけど、あなたのファミリーが!」
 マフィアの世界の住人ではないユイとしては、どこまでも他人事だ。

「だからこそ君に頼んでるんじゃないか、ユイ・アサギリ!上手くやってくれ」
「あのねぇ…メチャクチャなんですけど!私まで万能の神だとか思ってる?できる事とできない事があるってば」
「いや。君にはできる!まあとにかく、一度会ってみるといい。絶対にやる気になるから、ね!」
「どういう理屈よ、それ?」
「女なら誰でも虜になってしまう。いや男だって惹かれるよ。それくら強烈な魅力を持ってるって事だ」

「誰でもって…決めつけられるのは嫌いだわ」
「そんな事言って会ったら君も分かんぞ?ヤツ自身が惚れ薬、そういうフェロモンを出してるとかな!体が疼いて自分から押し倒したりして?」
 下ネタを持ち出されて嫌気が差すユイ。
――これだからキライよ、オッサン達って!ああイヤらしいっ――

 そうは言っても、魅力ある男と来れば見てみたい。そしてファミリーの謎にも多少の興味はある。

「ま、そのイケメンの顔を拝んでから決めてもいい訳よね。せっかく来たんだし。試してみようじゃないの?負けないんだからね!」
 負けず嫌いはどんな事にでも張り合う。
「謎だか何だか知らないけど、そんなペテンはこのユイ様が暴いてあげるわ」
「そうそう、その意気で頼むよ!」

 立て続けに入るはずの朝霧ユイへの依頼が、この地に入ってからなぜかパッタリと止んでいる。
 それはまるで、運命が二人を引き合わせようとするかのように…。

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