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第二章 降りかかるシレン

13 最後の任務(1)

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 翌朝。いつもよりも大分早い時刻に、ダンが書斎に顔を出した。

「ラウル様、おはようございます」
「おはよう。…。昨夜は寝付けなかったか」
 ダンの顔を一目見ただけで、寝不足だと見抜いたラウル。
「っ!いえ、大丈夫です。それよりお話が…」
 それがあまりに嬉しくて、朝から幸せ全開オーラを放ってしまうダンだが、今はそれどころではない。

――後でゆっくりこの余韻に浸るとして…。ユイ様はきっとやって来る。その前に伝えねばならん事があるのだ!――
 このチャンスを逃してほしくない。二人が顔を合わせるのは久しぶりなのだ。
 お互いに想い合っているのだから、きっかけさえあればすぐに仲直りできるはずだとダンは軽く考えている。

 ところが、ユイの行動は予想以上に早かった。

 ドアをノックする音が響き、二人の視線がそちらへ向く。
「ユイですが…今よろしいでしょうか?」ドア越しに控えめな声が聞こえてくる。

 沈黙するラウルをチラリと見やり、ダンは心で毒づく。
――早すぎるぞ、ユイ・アサギリっ!まだ何も説明できていないではないか?頼むから俺にも時間をくれ!――

 その場を動こうとしないダンを怪訝に見やりながら、ラウルが命じる。
「ダン、開けてやれ」
「はっ」
 ダンが平静を装ってドアを開くと、上目遣いのユイと目が合った。
「もういたの?ダンさん、早いわね…」
――負けた!この人より早く来ようと思ったのに?――

「お前こそ早すぎるだろうがっ…」
「え?ダメ、だった…?」
 ドア横でこそこそとやり合う二人に、ラウルが不審な目を向ける。
「そこで何を話している?中へ入ったらどうだ」
「そっ、そうだ、早く入れ!」
 指摘に慌てたダンがユイの背を押して室内に引き込むと、急いでドアを閉めた。

「ユイ。どうした?こんな早くに」
 久しぶりに顔を合わせたラウルは、内心ではとても喜んでいるのだが、残念ながら顔には出ていない。
「あの、フォルディス様に言いたい事があって」

――…もう下の名では呼んでくれないのだな――
 そんな事実に急展開で寂しい気持ちになるラウル。またも顔には出さず静かにユイを見て答える。
「何だ」

 対して、何の感情もないこの返答にユイもまた悲しい気持ちになる。
――…もう完全に私に気持ちはないのね、ラウル――

 やや沈黙が流れて、ラウルが先に口を開いた。
「午後の会合の準備がある。そんなに時間は取れないのだが」
 ラウルとしては、ユイが何を言いに来たのかが気になって先を急がせただけなのだが、ユイは当然別の意味に取る。
「あっ!ごめんなさい、忙しいのに。あの日助けていただいたお礼、言ってなかったので。それで…。一番最初に言うべきでした。命を救っていただいて、ありがとうございました」
 言い終えて、ユイは最後にペコリと頭を下げた。

「それを言うためにわざわざ来たのか?」残念でならないラウルの口調は落胆に満ちている。
 それを呆れられたと受け取るユイ。「…そうです」
「礼には及ばない。私の方こそ、家の事に巻き込んで済まなかった」
「いいえ!私が勝手に関わったみたいなものですから」
 慌てて言い返すユイだが、ラウルの態度は依然として冷たいままだ。

 それに気づいて俯く。
――何だか、邪魔しに来たみたいになっちゃったな…早く戻ろう――

 気を取り直したユイは、顔を上げて無理に陽気な声を出してみる。
「ごめんなさい、これって契約違反ですよね!」
「ん?」
「お仕事の邪魔はしないってところですよ。すぐに消えますね!」
「待て」
 背を向けたユイをラウルが引き留めた。

 だがユイはすぐには振り向けない。
――ついに来た?契約解除、言うならこのタイミングよね…。ああ…さよなら、私の恋。いつだって束の間なんだから!…やんなっちゃう――
 きつく目を瞑ってラウルの次の言葉を待つ。

「ユイ、もう一度こちらへ」
「…はい」
 観念して振り返る。変わらぬ無表情のラウルがデスクの向こうに座っている。一度目を合わせるも、ユイは堪らず下を向く。
「ダンから聞いた。契約解除の意向があるようだな」

「は…っ!?」思わぬ展開にダンが真っ先に反応した。
――ラウル様、一体何をおっしゃって?――
 急に慌て出したダンにユイの怒りの籠もった視線が向く。
――何でそれ話しちゃうかなぁ!昨夜の主張と食い違ってるじゃない?――
 ダンはと言えば、ユイに向けて何度も小刻みに首を動かし否定の意を伝える。

「…」
 そんな壊れた首振り人形のような姿を見て、ユイは事情を察した。

 そしてラウルに視線を戻す。
「ダンさんはそんな事話してないのでは?それはフォルディス様のご意向でしょう?」
「…気づいてしまったか。やはり嘘を付くのは難しい」
 軽く笑いながら発せられたこんなセリフに、ユイはすぐさま反論する。
「そんな慣れない嘘までついて、何を考えてるの?」
 嘘を言わないと宣言していただけに、さすがのユイも怒りを覚えた。

 この質問には答えず、ラウルはいつもの平静さで告げる。
「ユイ・アサギリ。週末にパーティがある。私と出席してほしい。これがおまえの最後の仕事だ」

――最後の、仕事…か。首の皮一枚繋がったってところね――
 こんな申し出は、逆にユイを冷静にさせた。仕事と割り切れば大抵の事はこなせる。
「分かりました。精一杯務めさせていただきます」
「よろしく頼む。詳細は後日ダンから話す」
「はい。それじゃ、失礼します」

 一礼してユイは部屋を出た。

「はぁ~…緊張した。でもこれでケリが付く。このモヤモヤともおさらばよ!」
 廊下を進みながら呟く。だがこれでモヤモヤが消えるはずもない。自分に言い聞かせているだけだ。
 これが終わればフォルディス家との縁もなくなる。楽しかった日々はお終いだ。
「っ…。はぁ…」

 込み上げた涙を飲み込んで、ユイは前を向いた。
――ちゃんと任務を果たそう。悔いのないように…――


 ユイの出て行った書斎では、ラウルが無表情のまま閉ざされたドアを見つめていた。

「ラウル様、どうなさるおつもりですか?最後の仕事などと!何もそんなふうに強調されなくても…」
「この方がユイも動きやすいだろう」
「ですがっ」
「どちらかが望めば契約は解除する、そういう契約だ」
「ですが、どちらも望んでいないのでは?」

 ラウルが口を閉ざす。

――ああ、一体どうなさるおつもりなのだ、ラウル様…っ――
 予想外の展開となり、大いに嘆くダン。だがダンにはどうする事もできない。
 運を天に任せるしかなかった。

・・・

 ラウルは常に狙われている。それはマフィアという組織のボスとしての宿命だ。

 中でもフォルディス家は群を抜いて狙われやすい。どんな弱小ファミリーでも、曰くつきの家を倒せれば力を誇示できるのだから。
 敵となった相手を完膚なきまでに叩きのめすラウルの冷酷さは、恐怖心だけでなく激しい恨みや憎しみをも生み出してしまう。
 それもまた暗殺を企てる機会を増やしていた。


「準備は万端だ。これでようやくボスの仇が討てる」

 ここはとあるファミリーの成れの果て。分散してもなお、固い絆で結ばれた彼等は心を一つにする。
 家はすでにラウルの手によって壊滅。生みの親よりも尊く思えたボスは無残に殺され、家族同然に付き合っていた仲間達のほとんどはこの世にいない。

「フォルディス、もうお前の思い通りにはさせない!」
「だが、あの力は本当に封印できるのか?」
「間違いない。ヤツの意識を奪えば力は消える。その隙に仕留めればいい」
「連れ去った時も、あの力は発揮されていなかった」
 彼等は過去にラウルを拉致したファミリーの一員。それ以前から痛い目に遭って来た彼等の恨みはなかなかに深かった。

「週末のパーティで決行だ」


 そして彼等にとって運命の日がやって来た。

 パーティ会場への潜入に成功すると、煌びやかなホールでの様子を柱の影から覗き見る。黒のタキシード姿で招待客を装っていても、殺意の籠もった眼差しは隠せない。
 そんな狂気じみた複数の視線がターゲットを追って行く。
 その周囲には常に人の輪が出来ている。

「相変わらず澄ました顔しやがって!気に入らんな」
「それも見納めさ。死の間際にどんな顔をするのか見ものだ。…それにしても客が多すぎるな」
「何、その分、紛れて近づくチャンスが増える」
「今すぐに殺してやる!」
「まだだ…焦るな。チャンスは必ず来る」

 やがて人の輪が次第に小さくなり始める。
 客達の隙間から、ターゲットの隣りに立つ小柄な女の姿が見えた。ワインレッドのドレスに身を包んだ東洋人だ。

「おい、ヤツの隣りにいる女は誰だ?」
「…あいつ、まだフォルディスに付き纏ってやがったのか!」
「ユイ・アサギリ。これまで二度も邪魔をしてくれた。こうなったら諸共始末する」
 隠し持った拳銃を服の上から確認して男が言う。この男の胸元にはスタンガンも忍ばせてある。
 ちなみに別の一人は、高性能で殺傷能力の高い小型ライフルを隠し持つ。

 囁き合う殺気立った男達の前を、何も知らない客達が談笑しながら通り過ぎて行く。

「何でもあの女にご執心みたいじゃないか?フォルディス様は!」
「それならば好都合、絶望する顔を拝んでから地獄に送ってやろうじゃないか?」
「決まりだな。では計画通りに」
「必ずやり遂げて、ボスの意思を継ぐ我々で新たなファミリーの再建を!」

 彼等は視線を強く向け合ってから背を向ける。
 それぞれの役目を果たすべく、その先にある悲願の達成を胸に足を踏み出した。

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