この恋、腐れ縁でした。

氷室ユリ

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第二章 人生は万事、塞翁がウマ!

  ダーク・フォックス(3)

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 マイク・Jの謎が、本人の口から少しだけ明かされた。

「(ごめん、ユイ。実は君の事、出会ってすぐに調べたんだ)」
「(調べたってどういう事?あなたは……警察機関の人なの?)」
「(いや。まあ、説明が難しいんだが警察とは違う。でも逮捕の権限も持ってるよ)」

 予想外の展開だ!イーグルより先にこの人に捕まるとは……。

 マイクは続ける。「(表向きじゃないデータベースがあってね。そこでY・アサギリっていう、それは名の知れた悪党がいる事を知った)」
「(それは私じゃない!父親よ。ヨシオ・アサギリの事だと思うわ)」
「(ああ。分かってる。でも君だって負けちゃいないよ。その上ユイは、あちこちの面倒な連中に狙われているらしかった)」

 海外向けにはそんな情報が出ているのか。
 ここで一つ思い出した。日本でSPをしている砂原舞、とても勇敢でカッコいい私の親友だ。砂原も海外のサイトで私を調べたと言っていた事がある。日本の警察に私の情報はなかったと。

「(そうなの。私、案外有名人なのよ。そこまでバレてるなら言っちゃうけど、ヘリも無免許だし、違法に拳銃持ってるし?殺人については……まあ証拠もないから今は見逃してもらいたいけど!)」
「(そんな事、何で今僕に言う訳?)」
「(だって私を捕まえるでしょ。何か根拠があった方がいいと思って……)」

 そこまで言うと、被せるようにマイクが強めの口調で言い放つ。
「(君を捕まえるのは僕の仕事じゃないよ。捕まえてほしいなら、担当の人間を呼ぶけどどうする?)」身構える私とは対照的に、マイクの態度は何も変わらない。
「(……ごめんなさい。あなたが逮捕の権限があるとか言うから、つい)」

「(僕こそゴメン。こうなるのは分かってた。だから言いたくなかったんだ。でももう隠してても仕方がない。そういう類の話を、しに来たんだろ?)」
「(マイク、もしかして……気づいてるの?凄腕の殺し屋が狙ってる事を)」
「(まあね。こんな形で迷惑をかけるとは想定外だった。君に穏やかな第二の人生を歩んでほしくて、表向きY・アサギリは死んだって事にしたはずなのに!)」

 時折敵共に投げかけられた、お前は死んだはずだという主張の根源がここにあった。
 まさかこんな理由が隠されていたとは思いもしなかったが。

「(なぜ戻って来た、だなんて……僕がそうさせたようなものなのにな)」拳を握り、悔しそうに声を絞り出す。
「(そんな事思ってないわ!三年前、私はあなたに色々と助けてもらった。だから、その借りを返しに来たの)」
「(借りだなんてよせよ!)」
「(こんな事言いながら、ちゃんと返せるか自信ないんだけどね)」肩を竦めて少しだけ笑ってみる。

「(ヤツは狙った獲物は絶対に逃がさない。それなのに私は……あなたを……!)」あなたを売るのよ、自分達の命と引き換えに!この言葉だけは、どうしても言えなかった。
 私は地面の乾いた土埃に涙の跡を作りながら、マイクに向かって深く頭を下げた。
 一緒にイーグルを倒そう、そう言えたならどんなに良かっただろう。告げ口をして逃げ出すなんて卑怯者だ。自分の不甲斐なさに、ほとほと嫌気が差した。

「(ユイ、謝らないでくれ。情報提供感謝する。問題ない。後はこっちで対処するよ。君が命を張って救おうとしたこの国の平和のために、全力を尽くすのが僕の任務だ。誰にも邪魔はさせない!返り討ちにしてやるさ)」
 そう言うとマイクは、こんな私を力強く抱きしめてくれた。
「(やっぱり強いね、あなたは。私は失敗ばっかり!あの時も、今も……)」マイクの腕の中でこう呟く。

「(失敗?それはどれの事だい?君は立派にテロに立ち向かって克服し、こうやって僕に会いに来てくれた。どれも大成功じゃないか)」
 ありがとう、ありがとうマイク……。声にならない声で心から伝えた。

「(……おいユイ、体が熱いよ。まだ熱があるんじゃないか?無理しちゃダメだよ!)」
「(もう平気よ。マイクに会えて興奮してるだけ)」
 そうは言ったものの、慌てて体を離した。私の罹ったおかしな感染症を移しでもしたら大変だ。

「(ドクター・シンドウは一緒なんだろ?早く帰った方がいい)」
「(えっ?マイク、彼を知ってるの?!)」
「(ああ。あの事故の後、血相変えて駆け込んで来たのは知ってる。あの男が前に言ってたユイのパートナーなんだって、すぐに分かったよ)」
「(……そっか)」

「(僕がホテルまで送ってあげられればいいんだけど、無理なんだ。……ゴメン)」
 当然だ。私としてもマイクを街中に連れて行きたくはない。どこにイーグルが潜んでいるか分からないのだから。
「(いいのよ、気にしないで。電話、貸してくれる?彼を呼ぶわ……ああ!そうだ。呼びずらいなぁ)」出がけにケンカしていた事を思い出した。

「(何か問題?)」ポケットから携帯電話を取り出して差し出しながら聞いてくる。
「(朝、ちょっとあってね……)」
「(何なら僕が連絡しようか?)」
「(あ~!いいいい、自分でするから!)」そんな事をすれば、さらに先生の機嫌を損ねそうだ。

 しばしマイクの携帯電話と睨めっこをした後、彼の番号を……。しまった、覚えてない!仕方なくホテルにかけて、部屋番号を伝え取り次いでもらった。

「もしもし新堂さん、……ユイです」
『ユイか?なぜホテルにかけて来たんだ』
「ほら、私の壊されたでしょ。番号がね、分からなかったの」
 私の言い分に彼も納得した様子。声のトーンを聞くに怒ってはいないようだ。

 そう判断して控えめに申し出る。「先生?あの、もし手が空いてたら……迎えに来てくれない?」
『どこにいるんだ』
 どうやら来てくれるらしい。ほっとしてマイクと目を合わせ、頷いて見せた。

 こうして、分かりやすい待ち合わせ場所を決めて、来てもらう事になった。

 二十分くらい経って、ピカピカの白のポルシェが颯爽と反対側の通りに停まった。
 金持ちの観光客だなぁと感心しながら眺めていると、降りて来た人物を見て目が点になる。「本当にポルシェ借りてるし!」
「(ヒュー!シンドウはいいセンスしてるね、ユイ!)」口笛を鳴らしてマイクが言う。
 チラリと顔を窺うも、冷やかしなのか本音なのか不明だ。

 私達も車から降りて道を渡る。

「ごめんね、呼び出したりして」まずは謝ろう。
「車を借りるのに手間取って遅れた、済まん。そちらが例のパートナーか」
 新堂さんがマイクを見やる。
「(やあ、初めまして、ドクター・シンドウ!)」爽やかな笑顔のマイクに対し、無表情の先生。「(どうも)」

 そのまま双方は表情を変える事なく沈黙が続く。

「あっ!えっと!先生、こちらマイク・J。立派な国際機関のお役人さんよ。彼のバックには大物がいるから、イーグルなんて敵じゃないってさ!」
「何だ、そうだったのか。だったら色々悩んで損したな」どこまでも素っ気ない。

 返答に困っていると、マイクが一歩踏み込んで彼に言った。
「(シンドウ、これだけ伝えたかった。ユイを救ってくれて心から感謝する。二人のこれからの未来が平穏である事を、心より願っている)」
 マイクの力強い眼差しを真正面から受ける彼は、一度も視線を外さずにいる。

 そしてこう返した。
「(自分は当然の事をしたまでだ。私からも一言。ここでの日々でユイを支えていただき、感謝している。こんなにも想ってもらえて……ユイは幸せ者だ!あなたの志が成し遂げられるよう、心から願っていますよ)」

 若干皮肉や嫌味が込められていた気もするが、これは本音なのだろう。そう思えたのは、いつしか先生の手が私の肩を優しく抱いていたから。

 こうして私達はマイクと別れた。


 ホテルの部屋に戻って来る。
 私がソファに腰を下ろそうとした時、体が宙に浮いた。彼に抱き上げられたのだ。
 そのままベッドへ連行される。

「私まだ、眠くないんだけど?」
「微熱。出て来ただろ。少し横になれ」
「えっ」いつから気づいていたのか。彼はこれまで私の肩にしか触れていないのに?

 ベッドに私を降ろし終えて、背を向ける彼のシャツの端を掴んで引っ張る。

「何だ」振り返って聞かれる。ぶっきら棒な口調はいつもの事だ。
 その昔はよく、ここで怖気づいて主張を断念していたのを思い出す。
「……まだ、怒ってる?」
「ボーイフレンドの事なら怒ってないよ。さあ、薬を準備してくるから離せ」
「ボーイフレンドじゃないもん!」
 シャツから手を離して彼の手を掴む。力いっぱい引っ張って、体勢を崩した彼に抱きついた。

「っ!こらユイ、聞こえなかったのか?」
「薬ならここにあるわ。新堂さんが私の薬だもの」
「俺が薬だって?」
 接近した彼からは、なぜか本当に薬品の香りが漂っている。

「先生、ホントに薬みたいなニオイする……」思わず顔をしかめる。
「さっきカバンの中を整理してたからな。そのせいだろ」
「病院みた~い……。私の嫌いな!」
「嫌いなのに抱きついてていいのか?」

 一瞬の沈黙の後、私達は笑った。
 それから夜まで、私は先生の指示に従って大人しくベッドで点滴と共に過ごした。

「今夜がヤツとの最後の面会だ。どうするんだ」
「どうしてそんな事?答えはもう出たじゃない。早々に済ませるだけよ」
「本当に……いいのか?」どこか迷っている様子で聞いてくる。
「ええ、もちろん」私はマイクを信じてるから。

「それなら良かった。俺の願いは、早くおまえを日本に連れて帰る事だからな」
「え?」
「この国はユイには合ってないんだ。その熱がそれを証明してる」
「確かに。ここへ来ると散々だものね」私は力なく笑った。

 彼がマイクを心配してくれていた事が、とても嬉しかった。妬いているだなんて、新堂さんはそんなに子供じゃないのに。私と違って?どれだけ時が経っても、この構図は変わりそうにない。
 そんな事を考えて落ち込んでいると、彼が話題を変えた。

「そう言えば、この部屋はヤツが用意したんだよな?」
「そのようね」
「まさか盗聴器とか、あったりしないよな!」
「先生~!それ、今さら言う!?」
 今気づいたと言わんばかりの様子には呆れた。

「遅い!遅すぎるわ。初日に見つけて当の昔に処分しました」
「何!?……あったのか」
「ええ。誰が仕掛けたものかは不明だけどね」
「さすがユイ、セキュリティに抜かりなしだな!」
「基本でしょ?特に今回ばかりはね……」イーグルから与えられた携帯電話に目をやる。

「GPSか」
「別に居場所が知られたところで困らないわ。さすがにマイクに会いに行った時は置いてったけど。腹いせに国際電話かけまくって、膨大な通信料を払わせてやる?」
「それはなかなかいい考えだ」

 こんな話をしていると、突然その携帯が鳴り出す。
 私達は顔を見合わせて固まった。

「いいわ、私が出る。……ハロー?」
『(ミス・アサギリ、調子はどうだい?)』
「(上々よ、お陰様でと言っておきましょうか!まだ面会の時間には早いんじゃない?何か用?)」
『(今日、お前一人で誰かと会っていたな)』

 思わず舌打ちをしてしまう。GPSはこの携帯だけではなかったのか?

「(何の事?)」取りあえずここはとぼける。
『(まあ良かろう。今夜がタイムリミットだ。覚悟は決まったか?)』
「(ええ。ムダな弾丸は使わせないつもりよ)」
『(それは助かる!では、定刻に待ってるよ)』

 携帯を耳から離したところで、すぐに彼が聞いてくる。「ヤツは何て?」
「状況確認ってところかしら。もし強敵を二人も殺すなら、さすがに準備が必要とか考えたんじゃない?」自分の見解をサラリと伝えた。彼は無言だったが。

「それから、私が今日一人で出かけた事、知ってたわ」
「見張られてたって事か?」
 この問いにはあえて答えず肩を竦める。
「尾行はされてなかったと思う。私、そういうのには敏感なの」それにマイクだって、何かあれば気づいているはずだ。

「見られてたとしても、これからその男の名を告げに行くんだから問題ないでしょ」
 こんな回答には、無意識に私のイラ立ちが込められていたと思う。


 定刻となり、待ち合わせのロビーへと足を運ぶ。

「(さあ、お互い待ちに待った時間がやって来たな!)」
「(全くね。一つ聞くけど、ターゲットに目星くらいは付いてるんでしょ?)」
 イーグルが私を見据えて表情を消す。
「(ご明察の通り、ここに滞在する米国人のリストは入手済みだ。だがその中からダーク・フォックスを探し出すのが困難でね)」

 イーグルは一枚紙を胸元の内ポケットから取り出すと、目の前にヒラつかせた。
「(さて、ミス・アサギリ。目的の人物を示してもらおうか?)」
「(いいわ。見せて)」

 手渡された紙面に印字された細かい文字を、順に目で追って行く。Mの段に入り、三名のマイクが並んでいた。
 私は迷いなくマイク・Jのところを指で示した。

「(良くやった、ミス・アサギリ!俺の見込んだ女だけの事はある。あの治療は役に立ったろう?なあドクター・シンドウ!)」
「(黙れ!ユイが自分の力で思い出したんだ)」
「先生、いいの」日本語で彼に声をかける。
「(しかし、短いながら行動を共にした相手を、こうもあっさり差し出すとはな!)」

「(もういいでしょ、早く私達を解放して!)」
「(ミス・アサギリ、お前のその冷酷なところ、好きだぜ!親しい男でも平気で手に掛け、時には死に追いやる事さえ厭わない……)」
「(死に追いやるは、さすがに言い過ぎよ)」そこまでするはずがない。
「ユイ、ただの例えだ。惑わされるな」今度は先生が日本語で訴える。

 新堂さんはイーグルを睨みつけて、何かを牽制しているように見える。
 だがイーグルは逆に面白がって口を開いた。

「(あいつも残念だったよなぁ。まあもっとも、俺に一度も勝てなかった若輩だから仕方ないがな!)」遠くを見て思い出す素振りをしながら語る。
 私にはさっぱり意味が分からない。「(さっきから何の事を言ってるの?)」
「(まさか忘れてるのか?最愛の師匠を殺した事まで!あり得んね)」

 私は言葉を失った。コイツは何を言っているのか。私が師匠を殺したなどと!イーグルがキハラを知っている事も不可解なのだが。

「(おい!今その話は関係ないだろう。彼女の記憶は完全ではないんだ。混乱させないでくれ!)」
 さらになぜか、新堂さんが否定しない。
「(それは失敬!ま、アンタも気をつけるんだな、その女に裏切られんように?じゃあな、解散だ)」

 イーグルはいつもと同じように颯爽と去って行った。

「ユイ、あんなヤツの言った事など気にするな。おまえを追い詰めるためのでたらめだ」
「ねえ新堂さん。私、キハラを殺したの?」
「ユイ……それは」でたらめだと言う割に、はっきり答えてくれない。
 この人は何か知っている。「知ってるんでしょ?ねえ教えて!新堂、さん……っ」
 私は全てを思い出せた訳ではなかったようだ。

 何も答えてくれない彼の腕の中へ倒れ込む。それを受け止めた彼は、無言のまま部屋へと私を運んだ。

「また熱が上がって来たな……。ユイ?大丈夫か」
「熱いよ、新堂さん……また体が熱い」
 服を脱がされてベッドに寝かされる。そして、冷やしたタオルで体を拭いてくれた。
「ありがと、……気持ちいいわ」
「今は、余計な事を考えずに休め」
「……うん。でも新堂さん、これだけは言っておきたいの」

 手を止めて私を見る彼の瞳が、とても不安そうに揺れている。

「私は、朝霧ユイは、新堂和矢を……決して裏切ったりしないからね?」
「そんな事、分かってるさ」何の迷いもなく彼はそう答えてくれた。

 体を拭き終えて再び衣服を着せようとする彼に訴える。「服、いらない。暑いんだもん……」
「ダメだ。着ないと体が冷える。なら、俺のシャツでも羽織っとくか?」
 そう言って新しいシャツをキャリーバッグから出そうとする。
「こっちがいい」私は彼が今着ている方を掴んで言った。

「これじゃなくて、新しいの出すよ」
「ううん、これがいい。新堂さんの匂い、いっぱい付いてるし……安心するの」
「何だって?やれやれ、仕方ないな……」
 彼が渋々といった様子でシャツを脱ぐところを、ぼんやりと見つめる。

 それを着せてもらった途端に、睡魔が襲って来る。彼の匂いに包まれて、あっという間に眠りについた。


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