この恋、腐れ縁でした。

氷室ユリ

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第五章 扉の先で待ち受けるものは

47.フクザツな胸の内(1)

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 四月に入ってすぐ、私達は貴島邸へ足を運んだ。今や恒例となった新堂さんの定期検診のためだ。この四月で退院から二年目突入となる。
 まなみはこの春から中学三年生。まだまだ賑やかさは衰える気配がない。

 そして検査結果も異常なし。また一つ山を乗り越えた。


 それから数日後の、ポカポカ陽気の昼下がり。一通の郵便物が舞い込んだ。

「新堂さ~ん!あなた宛に、谷口さんから郵便よ」ポストから取り出して玄関で叫ぶ。
 仕事関係でもダイレクトメールでもない郵便物は珍しい。
「谷口?何だろうな」書斎から顔を出した彼が封筒を受け取る。
「その切手からするに、おめでたい話じゃない?」ワクワクが止まらない。
「めでたい話?」
 封書に貼られていた切手は慶事用のものだからだ。

 ペーパーナイフで開封する彼の手元を横から覗き込む。「ほ~ら、やっぱり!」
「結婚式の招待状か……。あいつ、ようやく相手見つけたんだな!」
「ねえねえ、式はいつ?」
「今月の十九日だ」
「え?やけに急ね。普通こういうのって、二ヶ月前には出すでしょ」
「きっと忙しいんだろ、相変わらず」

 新堂さんの大学の同期谷口さんとは、約一年前にここで顔を合わせた。あの時は相手はいないと言っていたが。

「ユイさんも是非って書いてあるぞ」
「えっ、私?!行ってもいいの?」
「俺が反対する権利はないな」
「新堂さんは、もちろん出席するんでしょ?」
「そうだな。せっかく招待していただいたんだ。断るのは失礼だろ」そう言いつつも、彼の表情は微妙だ。

 それに気づいたけれど素知らぬふりで言う。「やった!嬉しい。私、こういうの出た事ないんだ。何着て行こうかなぁ」
 まだ沈黙を続ける彼に、「ねえ、新堂さんってば」と肩を当てる。
「あ?ああ。そうだな」
「持ってるパーティドレス、もう相当古いんだよね~」

 何かを考え込んでいた彼が、ひらめいたという顔で晴れやかに言った。
「どうせなら、着物っていうのはどうだ?」
「え……、着物?そんなの七五三以来だわ!」成人式はやらなかったので。
「それならなおさらだ。いいと思うよ」

 なぜか引かない彼に、悩んだ末に同意した。きっと私の着物姿が見たいに違いないと思ったから。
「確か実家に、お母さんの着物があったわ」
「へえ、ミサコさんの」興味ありげな様子で言う彼に、「それがね、凄く綺麗だったの!前に私にくれるって言ってたし、仕立て直して着ようかな」と続ける。
「いいね。俺も是非見てみたいよ」
 私は笑顔で頷いたのだった。

 早速母に国際電話をかけ、状況を話す。

『やっとそんな時が訪れたのね。着物の一枚くらい持っていた方がいいと思って、実はもうあなたのサイズに仕立て直してあるの』
 母は日本にいた頃、和裁の仕事をしていた事がある。
「えっ、それ本当?さ~っすがお母さん!手際がいい!」
『でもあなたが二十代の頃の寸法で作ったから、サイズが合うか心配ねぇ』
「そうだね……」私はもう三十をとうに超えた。

『それであなた、太った?』
 いつもながら直球でくる人だ……。「イヤだ、お母さんったら!太ったとしても二、三キロだよ?」例のホルモン疾患で激減した後、当初よりもやや増えたままだ。
 それでも心配になって呟く。「マズイ、かなぁ」
『いいえ。その程度なら平気よ。大幅に太くなってないなら、補正できるから』
「ホセイ?」

 母が着付けの際の補正の仕方や必要性を説明してくれた。さすが詳しい。いっそ当日は帰国してもらって、全部お願いしたいものだ。


 善は急げで実家に目的の物を取りに行き、手元に準備したのはいいのだが……。

「何だか心配……。粗相しないといいけど」着物の所作も身についておらず、不安だらけだ。安易に承諾して良かったのだろうか。
 そんな私に彼が言う。「大人しくしてれば、何の問題もない」
 悩んでいても始まらない!「そうよね、あなたの親友の晴れ舞台だもの。壊さないように努めるわ」
「別に親友ではないけどな」
「またまた~。いいってば、そんな謙遜!向こうはそう思ってるかもよ?」

 新堂さんは今でも、周囲の人間を寄せ付けないところがある。


 そして式も二日前となった夜、どうにも調子が良くない。喉に違和感を感じて頻繁に咳が出る始末だ。

「風邪でも引いたか?」
「何だか……今日の夕方から変なの。でも平気よ、大した事ないわ」
 こう答えると、どういう訳か彼が肩を竦めた。「何だよ、おまえもか!」
「どういう意味?」

 何でも新郎の谷口さんも風邪を引いているらしい。

「昨日電話で話したんだ。唐突な挙式の理由も分かったぞ」
「何だったの?」
「新婦が妊娠しているそうだ」
「え!それってつまり、出来ちゃった婚ってヤツじゃない」
 失礼ながら思う。まあ、あの人ならやり兼ねないかも?と。

「ま、何にせよ、子供を作るなら年齢的には早い方がいいからな」
「うん、そうかもね。今どき珍しくないし」
 彼女の体調を考慮して、今のうちに式をという事になったと聞き納得する。
「とにかく、おまえも悪化させないようにしないとな。もう休め」
「は~い。谷口さんも、悪化しないといいわね」
「あいつは医者だから大丈夫だろ。その辺の事は弁えてるだろうから」
 問題はおまえだ、と彼の目が言っていた。

 私は一人、すごすごと寝室へ向かった。


 そして当日となり、着付けのために一足先に家を出て戸田君の美容院にやって来た。
 この日は生憎戸田君が不在で、別の女性美容師が担当してくれている。

「今日は店長がおらず、ホント済みません」
「いいのよ。どうせ彼は着付けできないでしょ」
「着付けは私が専門でやらせていただいてます。ですので、本日はヘアメイクも全て私がさせてもらいますね」
「ええ、よろしくお願いします」

 笑顔で答えて、チラリと窓の外を見る。
 つられてそちらに目を向け、「生憎の天気ですねぇ。上がるといいけど……」と口にする女性美容師。
 雨は朝早くから降っている。前日までの晴天が嘘のように!
「全くよ!関係者の誰かが強烈な雨男なのね、きっと?」

 鏡越しに目を合わせ二人で笑う。
「ゴホッ……ごめんなさい」笑った拍子に喉に刺激が来て咳き込む。
「お風邪ですか?待ってください、今お水持って来ますね!」
「済みません」
 まだ体調は思わしくなかったが、彼の処方してくれた薬のお陰で辛くはない。

 着々と支度が済み、美容師が一旦席を立つ。

 今日は天候がイマイチな上に、会場は海沿いで強風の恐れがある。それを話したら、女性美容師が気を利かせてヘアセットをしてくれたのだが……。
「何だかさぁ……。ホントにこれでいいの?ユイ!」鏡の前で自分に向かって問いかける。それはつまり、どうにも気に入らないって事だ。

「朝霧さん!ご主人、迎えに来ましたよ。行きましょう」
「えっ、もう?……分かったわ」直してもらおうと思ったのに残念だ。

 諦めて、そのまま覚束ない足取りで入り口へと向かうと、手持ち無沙汰の店員達までもが勢揃いしていた。
 少々気恥ずかしさを覚えつつも、進み出て彼に声をかける。
「お待たせ。早かったのね」

 しかしなぜか、新堂さんが私を見つめたまま何も言わない。その無表情が怒りを表しているようにも見えて、周囲のスタッフにまで緊張が走る。

「ちょっと、新堂さんってば。どうしたの?」
 彼の右手が口元へ運ばれた。このポーズは、何かを考え込む時の仕草だ。
「ねえってば!何か言ってよ。もしかして……気に入らなかった?」心配になって尋ねる。
 その答えを固唾をのんで共に待つスタッフ一同。

「ん?……ああ、済まん。あまりに美しすぎて、思わず見惚れてしまった。いいよ、凄く似合ってるじゃないか」
「なら良かった。もうっ、驚かさないでよ!」
 周囲から安堵のため息が漏れ、なぜか拍手までもが湧き上がる。あまりの気恥ずかしさに下を向いてしまった。

 外へ出ると、先ほどまで結構な勢いで降っていた雨が小降りになっていた。

「良かった、小降りになってますよ。朝霧さんか、それともご主人が晴男かも?お気をつけて!」
 小声でそんな事を言って、担当してくれたスタッフが笑顔で送り出してくれた。

 今日は会場まで電車で行く。
 店の先で待つ素敵なスーツ姿の新堂さん。ポケットに両手を突っ込んで立つその横に並ぶ。

「何だ、晴男って」
「今日の雨は、誰かが雨男だからねって盛り上がったのよ」傘を差し掛けてくれた彼を見上げて答える。
「それなら谷口だな!」
「そうなの?」

「ああ。アイツが出るイベントの日は大抵雨さ」
「凄い……。強烈ね」
 それを前もって聞いていれば、着物を選択しなかったと後悔する。大事な母の着物が濡れて染みにでもなったらショックだ!

「でもな、たまたま俺がその近辺にいると、後半は晴れる」
「たまたま近辺にいるって何?そのイベントに、あなたは出ないの?」
「そういうのは苦手でね。だた、出ないまでも……」
「様子は知りたいワケね!」こう結論付けると、否定するでもなく肯定するでもない。
 図星か……。

「なら、やっぱり新堂さんが晴男なのね!」
 未だ彼の片手はポケットにある。その腕に勢い良く絡みついた。
「おい、まだ雨は降ってる。濡れるぞ?大人しく傘に入ってろ」
「きゃ!水溜りが……っ」雨どころか、目の前に大きな水溜まりがあった。
 駅までの道すがら、すでに着物を濡らす私。

「それより、ようやくそのリングが登場したな」私の手元を見て満足げだ。
 それもそのはず。家を出る時に右手にしていたサファイアリングを奪われ、代わりに左にエンゲージリングが強制的に(!)嵌められたのだから。

「こっちじゃなければ左手に嵌められないだろ?我がフィアンセ」
 そう言って恭しく左手を取り、口づけを落とす。
 確かにサファイアリングは左手薬指には若干緩い訳だが。
「……っ!そういう事、外でしないの!」
 日本人には馴染みのない行為で、ドギマギしてしまう。

 だが彼の要求は最もだ。友人の結婚式というのは、ある意味仲間内での報告会。
 結婚はしていなくても、きちんと婚約者がいるとアピールするために、私の左手薬指のリングは欠かせないアイテム。

 手元に気を取られていた私は、足元の注意を怠った。
「ほら、そこにも水溜まりあるぞ!気をつけろよ」彼の指摘で慌てる。「うわっ!言うの遅~い!」

 どうにか駅に着いて電車に乗り込む。こんな調子ではあったけれど、今のところ思ったよりも着物を汚さずに済んでいる。


 そして無事に会場に到着。受付では主役の二人が揃ってゲストを出迎えていた。

「新堂!ユイさんも、来てくれて嬉しいよ!」すぐに私達に気がついて、谷口さんが駆け寄ってきた。
「こちらこそ、呼んでくれて光栄だ。おめでとう谷口!体調は良さそうだな」
「ああ!こんな時に浮かない顔してられないからな」

 あの日に家で見た人物とは比べものにならないテンションだ。
 とても幸せそうな様子に、私達も自然と笑顔になる。

「ユイさん!着物姿もとても素敵ですね~。やっぱり新堂はルックス重視だなぁ」
「おい?それ、今関係ないだろ」
 落ち着きがなくなる新堂さんをよそに、私も声をかける。「お二人もお似合いです。ね、新堂さん?」

 谷口さんの横には、純白のウエディングドレスを纏った新婦がいる。何でもあのドキュメンタリー番組に出演した時に知り合った、テレビ局の関係者だそうだ。
 放映がきっかけで、全国から依頼が殺到して大変な目に遭っていた谷口さんだが、運命の相手にも巡り逢えた訳だ。

「何だかんだボヤいてたが、例の番組、出て良かったな!谷口」
 新堂さんに冷やかしを込めてこう言われ、苦笑いで照れる新郎なのだった。

「おや?そのシルエットは……新堂じゃないか?」後ろの方で声がした。
 二人で振り返る。そこにはどこかで見た顔がある。
「斎木友則!また厄介なヤツが来たよ……」心底嫌そうに言う新堂さん。
「それはご挨拶だなぁ。しかし、元気そうで何よりだ!」

 シルエットで誰か分かるとは驚きの仲だ。
 この斎木さんとは、ちょうどSP砂原と知り会った頃に出会った。あまり良い出会いではなかったが。大きな病院の外科部長、いや次期院長だったか。新堂さんはあの時、これ見よがしにこの人に土下座させて……。
 こんな昔話を頭の中で呼び起こしていると、斎木さんの目が私に向く。

「どうも、その節は……」こんな言葉の後に頭を下げられて慌てる。「あっ、あの」やめてくれ!対応に困るではないか?
 けれどすぐに顔を上げて、話題が変わった。
「いやぁ~、和服もいいね~!やっぱ日本人は和服だね」
 私を上から下まで眺め回した挙句に、何度も頷いている。

 あの時この人には、海外の女刑事と名乗った気がするが……。そんな嘘は多分とっくにバレているだろう。
 何も聞いてくる様子もないため、素直に礼だけを述べて口を閉ざしたのだが、どうやらこの人とはご縁があるらしい。

「やったぜ、俺達同じテーブルだ!よろしく、ええと……名前何だっけ?」
「ユイです、よろしく」
 斎木さんは、着物姿の物静かな私にすっかり魅了されてしまったらしい。私としては悪い気はしない。こんな調子で徐々に口数も増えてしまう。
 上機嫌な私とは真逆に、新堂さんは相変わらず不機嫌そう。思わずため息が漏れた。

 こんな中、式が始まる。

 主役二人のプロフィールやら馴れ初めが語られて行く中、ふと円卓の右隣を見るも新堂さんの姿が見当たらない。
「いつの間に席を立ったの?どこに行ったんだろう……」
 辺りを見回すも、プロジェクターが薄暗い空間に映像を映し出している最中のため、視界が良くない。

「あいつ、こういう席苦手だからな~。そのうち戻るさ。それよりユイさん!向こうのテーブルの、あのオジサンね、ウチ等の恩師なんだけど……」
 彼がいないのをいい事に、斎木さんが陽気に話しかけてくる。内容が医学生時代の思い出話なだけに、つい耳を傾けてしまう。彼を知るまたとない機会だ。

 一段楽して花嫁がお色直しに姿を消すと、薄暗いままの空間に、後ろからピアノの音色が響いてきた。
「あ、……ピアノ?もしかして!」新堂さんが弾いているのかもと期待する。
 けれどどうやら違ったようだ。

「谷口のお相手のあの子、音楽が趣味で声楽とかやってるんだって。弾いてるのは大学時代の友人だね」
「何だ、そうなの……」良く見れば、弾いていたのは女性だった。
 残念がる私を不思議そうに見つめていた斎木さんに気づいて、「あ……、何でもないわ。それより遅いわね、新堂さん。私、ちょっと見て来ようかな」と誤魔化す。

 そして立ち上がった私の手を、透かさず斎木さんが掴んだ。「……ちょっ」

 その時、四方を締め切っていたカーテンが一気に開かれた。会場には眩いばかりの夕陽が差し込む。雨はいつの間にか完全に止んでいたようだ。
「眩し……っ」
 会場内のほぼ中心のテーブルで、私一人が立ち尽くしている。片手を斎木さんに掴まれて。

「おい、何をしてる?その手を放せ、斎木!」
 気づくと、彼が私達の間に割って入るように立っていた。
「新堂さん?いつの間に戻ったの、今探しに……」

 彼の登場に斎木さんは慌てて手を離し、行き場を失った手をすごすごとテーブルの下に隠す。

「全く、何をやってるんだ。注目の的だぞ!」早く座れと吐き捨てるように続けて、新堂さんが席に着いた。
「あなたを探しに行こうと思っただけよ?何やってるって……」言い返しながら私も腰を下ろす。
「そうだぜ、そうカッカするなよ、新堂。めでたい席じゃないか?」
「うるさい」目も合わせずに言い放つ彼。

「何だよ!別に手ぇ出そうとした訳じゃないぜ?」
「良く言うよ、しっかり出してただろうが。その手を!外科部長、ああ今は副院長だったか?」
 良くご存知で!と斎木が鼻高々に言い返す。

 それとほぼ同時に会場がどよめいた。お色直しを終えた新婦が、後方の入り口から新郎と共に現れたのだ。

「何で?……寄りによって!」
 私がなぜそう呟いたのかというと、新婦のカラードレスの色と自分の着物の色が被っていたから!しかしそんな事を気にしているのは私だけだった。
 この時ばかりは、ご機嫌斜めだった彼も笑顔で拍手を送っている。

「ま、いっか!」私も笑顔で拍手を送り祝福した。


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