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3 節分の出来事(2)
しおりを挟むその日の夜、朝霧ユイは行方不明となる。
俺は妙な胸騒ぎを覚えた。別にあの娘を心配したからではない。強いて言えば、あの魅惑の血が横取りされたかもしれない怒りか。今のところ手を出すつもりはないが、第三者に勝手に持って行かれるのは癪だ。
だからあの石を持たせた。にも関わらず初日からこれだ!……さては外したな?
彼女は言っていた。毎年この時期が近づくとおかしな事が起こると。何かに酷く怯えてもいた。この時期とは節分という事か?
節分と言えば鬼。ヴァンパイアは日本語で吸血鬼と言われている。血を吸う鬼。
もしかして朝霧ユイはどこぞの吸血鬼に付き纏われ、血を吸われているのか。
「バカな!ヴァンパイアならば、餌食にした人間をこんなにも生かしておくものか」
市街地から離れた、森の奥の自室にて独り言ちた。
この辺一帯は俺のテリトリーなので、普段生き物の気配は全くない。
だが今夜の森には、得体の知れない邪気が漂っている。いつもと違う森の様相にさらに怒りが募る。
勝手に人のテリトリーに踏み込むとは……。引きずり出して闇に葬ってやる。
速やかに彼女のアパート前まで移動する。そこでは母親と近所の住人が集っていた。
どれも見知った顔だ。小さな町なので、職業柄住民のほとんどと面識がある。
「朝霧ミサコさん、こんばんは」彼女の母親に声をかけた。
「まあ新堂先生!わざわざ来て下さったの?あの子ったら入浴中にいなくなって……服も着ていないのよ?あんな格好で一体どこに……」
この寒さじゃ凍え死んでしまうかも、と大袈裟な事を考えている……いや、満更大袈裟とも言えないか、人間ならば。気温はかなり下がってきている。
入浴のためにペンダントを外したと思われる。その隙を狙うとは、奴はずっと彼女を付け狙っていたらしい。
連れ去ったのならすぐに殺す事はないだろう。その気ならばその場でやっているはず。
そもそも奴の目的は、どうやら殺す事ではないようだ。ならば、一体?
「ミサコさん、娘さんは最近、誰かに付けられていると話していました。もしかしたら誘拐かもしれません。私に心当たりがあるので探しに行きますよ」
適当に言い訳を繕い捜索を申し出る。
嘘は言っていない。その誰かは人間ではないが?
「まあ!先生、どうか娘を助けてください!それなら、警察にも連絡しますわ」
「警察は……」無意味だ。彼等の出る幕はないだろう。
だがここで断るのは不自然すぎる。「そうですね、お願いします」
母親と別れ、不穏な空気漂う森のさらに奥へと足を運んだ。
奴の居場所はすぐに分かった。大きな木が生い茂る一帯に、異様な空間が出来ていたからだ。
「いつの間にこんな巣を作りやがった?」
俺の気配にすぐに勘付いたらしく、奴は朝霧ユイを抱えて巣から逃げようとした。
彼女は目を閉じている。心拍数、血圧共に低下してはいるが意識がないだけのようだ。
「そこまでだ。その娘を今すぐ放せ」
「何だ、お前は!この間から邪魔しやがって。急に現れてオレの邪魔をするな!」
「邪魔、ね……。お前は一体、その娘の何だと言うんだ?」
「この娘はオレの花嫁だ。もうすぐ十八になるから、迎えに来たんだよ!分かったらさっさと消えろ」
目の前の醜い男は、ずうずうしくもこんな事を言う。開いた口が塞がらないとはこの事だ!
「全く不釣合いだな。そもそも住む世界が違うだろうが。怪物は怪物と結ばれろ!」
そう、朝霧ユイはとても美しい。お前のような醜い奴の花嫁だと?笑止!
それならばむしろ、この俺が仲間に引き入れるべきだろう。選ばれた美しい者しかなれないヴァンパイアとして。
「黙れ黙れ!この十八年間、この日を心待ちにして来たオレの気持ちが分かるか?突然現れた野郎に奪われるくらいなら……いっそ、殺してやる!」
「おい……そいつの耳元で大声を出すな」見ろ、目を覚ましてしまったじゃないか。
朝霧ユイが目を開く。
こんな状況にも関わらず、やけにぼんやりしている。鬼の瘴気にあてられたか。これまでの倒れた原因がここではっきりした。
逃げ場を失ったバケモノは、猛り狂ったように吠える。そして彼女の剝き出しの胸に、鋭く尖った長い爪を突き立てようとした。
そうはさせるか。その瞬間、俺は迷わず突進した。威嚇の咆哮を吐いて。それはほんの一瞬の出来事だった。
「し、しんど……う、せ、……」
俺の姿を捉えた朝霧ユイが、唇を僅かに動かして囁くような声を出す。
……見られてしまった。人間でない俺の姿を!
今の咆哮や動きは明らかに人間のものではない。そしてこの牙も。ああ不覚、自分はなぜこんな危険を冒したのだろう。見境なしにこんな行動に出るとは……。
「大丈夫か。寒いだろう、これを着ろ。すぐに終わらせる」
それだけ言って、裸の彼女に自分の着ていたコートを羽織らせる。
こうなったら観念して、この強大なパワーを解放しようじゃないか。
俺は容赦なく目の前の怪物に怒りをぶつけた。奴の四肢は人形のように引き裂かれ、みるみる散り散りとなる。辺りは肉片やら悪臭を放つ体液で覆われた。
異様な光景を前に、朝霧ユイはさらに青ざめて震えているが、悲鳴一つ上げない。
最後の仕上げに、懐から出したライターで火を点ける。怒りの丈を炎に託し、肉片を足で掻き集めて残らず投げ入れた。
一仕事終えて振り返る。
朝霧ユイは青い顔で震え続けている。
寒さのせいか恐怖のせいか。……まあ両方だな。いずれにせよ、すぐに処置が必要だ。この真冬にその格好では風邪を引き兼ねない。
「寒くないか?すぐに帰ろう。どこもケガはないな?」側に寄って声をかける。
身動きもせずに、彼女は俺をひたすら見上げるばかり。
「怖かったよな。もう大丈夫だから。さあ……」
そう言って抱き上げようとした時、彼女は意外な言葉を口にした。てっきり恐れられると思っていたのに。
「……ヤダ、先生……私のハダカ、見ないで……」
「は?」聴力は良いはずなのだが、この時ばかりは自分の耳を疑ったね。
「やっとしゃべったと思ったら!そんな事を言ってる場合か?みんな心配してる。母親が警察に通報した。結構な騒ぎになっているだろうよ」
「体に、力が……入らないの……」
「心配するな。俺が連れて行くから」
彼女を抱き上げた拍子に、掛けてやったコートの前が肌蹴た。
未だ体の自由が利かないらしく、防ぐ術のない彼女は無防備に胸を晒す羽目になる。
「見ないでったら!」
羞恥心からか、今度ははっきりとした声で訴えてきた。
そんな朝霧ユイを見ていて力が抜けた。
「……それを言うなら、俺だって見ないで欲しかったね」学校で倒れた時のように、気を失ってくれていたらどんなに良かったか。
「新堂先生って、何者……?」
やっぱりこれが一番の疑問だろうね。
「俺が、怖いか?」
触れられる事も拒絶されてしまうだろうか。この冷たい肉体は、彼女にとってさらに恐怖の対象になるだろう。
朝霧ユイは俺の腕の中でしばらく黙り込んでいたが、やがてきっぱりこう答えた。
「別に。助けてくれてありがとう、新堂先生」
これには驚いた。助けはしたが、こんな俺をなぜ怖がらない?しかもこうして意外に冷静な返答をしてくる。体は相変わらず動かないようだが。
彼女はこの事を誰かに話すだろうか。そうなれば、もうこの地にはいられない。
「まあいい。とにかく無事で良かった。さあ帰るぞ。目、瞑ってろ」
「どうして?」
「どうしてもだ」
面倒になって彼女の目元に手を当てて目隠しした。
そして来た時と同じように駆け足で森を駆け抜けた。ヴァンパイアは驚く程に足が速いのだ。
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