時世時節~ときよじせつ~

氷室ユリ

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17 葛藤

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 俺の犯したあの事件から、朝霧ユイの朝の日課は医務室への通院となった。

 首に掛けたペンダントを外させて、いつものように患部を診察する。
「痛みは?」
「動かすと痛いけど、大丈夫よ」
 ユイの答えを聞き、頷きながら処置を進める。
 消毒して薬を塗り、患部にガーゼを当てる。自分の肌が極力彼女に当たらないよう注意を払って。今はただ、医者としての務めを果たそうという思いだけだ。

「さあ終わったよ。でもまだ安静にして。無理はしないようにね」
「ねえ新堂先生。大丈夫よ?そんなに丁寧にしなくても」ペンダントを付け直しながらユイが言う。
「普通にしてるけどな」
 どこか不満そうなユイを無視して、背を向け言い放つ。「早く教室に行きなさい。朝のホームルームが始まる」

 あれ以来、俺はユイへの感情をシャットアウトしている。これが恋愛感情なのか未だ定かではないが、血の欲求に比べれば容易に抑えられる。
 もちろん、ユイを大切に思う気持ちは変わらない。彼女を守るには、自分がこれ以上近づかない事。ただそれだけの事だ。

「先生……もう、前みたいに、私と会ってくれないの?」
「ユイ、ここは学校だぞ。誰か聞いてたら困るだろ。そういう話はするな」
「でも!ここでしか会えないんだもの。ここでするしかないでしょ?」
 ユイに鞄を持たせて急かす。
「ほら、早く行きなさい」何の感情もない声が、自分の口から吐き出された。
「はぁ~い……」

 仕方なく部屋を出て、教室に向かうユイを見送った。



 それから数週間が経ち、ユイの怪我もすっかり良くなった頃、卒業式を迎える。
 もう俺がここにいる必要はない。

 俺は一足先に校医の仕事を辞め、この町を去る事にした。表向きには母親が病で倒れたためという差し障りない理由を取り繕った。

〝新堂先生は、故郷のお母様がご病気のため、しばらく帰国する事になった〟
 こんな声を聞きながら思い浮かべる。教壇の前でユイの担任が説明する姿を。
 途端に教室内がざわついて、あちこちで落胆の声が漏れ出す。
〝きっとすぐに戻って来るよ〟
〝だけど、ユイに何も言ってなかったのは驚きだねぇ。仲、良かったじゃない?〟
〝よっぽど急な事だったんだよ〟

 ユイの友人達の会話が聞こえる。心の声も余さず。だが当のユイは一言も発していないらしく、何も聞こえない。ただ沈黙が続く。
 表情が見られない今、言葉を発してくれないと何を思っているのか分からない。

 ユイには何も告げなかった。今さら余計な事を語る必要があるか?泣いて引き止められでもしたら(勝手な願望だが)、決意が鈍るだけだ。
 第一、ユイはヴァンパイアの魔力に掛かって恋に落ちたようになっているだけ。俺が消えればその感情はなくなるだろう。

「俺達は、出会うべきではなかったんだ。心配ない、すぐに俺の事など忘れて、これまで通り元気いっぱいに暮らして行けるさ。ダ・スビダーニャ、朝霧ユイ」
 聞こえるはずもないこんな言葉を、一キロも離れた場所から囁く。

 最後に、もう一度だけ学校の方角を振り返ってから、俺はその場を後にした。


 ロシアに発つ事も考えたが、俺はそうしなかった。特に理由はない……はずだ。
 食糧確保のため、医者は続ける。それしか今の自分にできる事はない。目の前に集中すべき事があれば、余計な事を考えずに済む。

「新堂先生、働きすぎですよ、少しは休んでください!」
「大丈夫です。別段疲れは感じていませんので」
「ダメです!臨時で入っていただいた先生に倒れられたら困ります!」

 必要のない休暇を言い渡され、見る間に外の世界に放り出されてしまった。

 そのままフラフラと歩き、病院敷地内のベンチに一先ず腰を降ろす。
 暖かな日差しが、温度のないこの体を仄かに温め始めた頃、我に返ってベンチから立ち上がる。
 周囲に数人、こちらを見て何やら話している者がいるのに気づいた。

「まずい、放心状態だった!」

 いっそこのまま、マネキンにでもなってしまおうか?というのは冗談。まだしばらくはこの地に留まるつもりなので、そんな事はしない。
 俺は何事もなかったふうを装い病院を出た。

「今夜は別の場所で食事をする事になるな」
 手頃な病院を見繕うのは容易い。もしくはその辺のゴロツキを手に掛けるのもいいだろう。
 手に掛ける、そんな事を考えた時だ。

 不意にユイを傷つけてしまったあの日に意識が飛ぶ。ユイから逃げて、木の上に身を隠したあの時の恐ろしく絶望的な自分の姿を、客観的に眺める。それはとても鮮明な映像で、自分が今どこにいるのかさえ分からなくなる。
 目の前で痛みに打ち震えるユイ。差し出した自分の手は、同様に震えている。ああ、何という事をしたのだ!何という事を……。
 
 二度と近づいてはいけない。ユイの幸せを願うならば。
 彼女と出会う前の生活に戻るだけだ。百年近くそうして来たじゃないか!すぐに忘れる、ユイだってもう俺の事などこれっぽっちも覚えていないに違いない。

 自分の不確かな感情に蓋をするのは簡単だと思っていた。
 だが、気づけはユイの事ばかり考えている。今何をしているだろうか、どんな事を考えているのか、体調を崩したりはしていないか、怪我をしたりは……。

「新堂先生?どうかされましたか」
「……え?ああ、いえ、済みません。少々考え事を」
「しっかりしてください。考え事はせめて、オペが済んでからお願いしますね!」

 あろう事か、メスを握ったまま術中にまで考え事に耽る始末だ。

「おかしい。こんな事はどう考えても!」
「新堂先生?このオペ、どこかおかしいんですか!」
「ああ……いえ、違います」
「先生!」

 全く集中できない。これは一体どういう事だ?朝霧ユイという人間は一体、何だというのだ!

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