時世時節~ときよじせつ~

氷室ユリ

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52 船出

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 静かな一夜が明け、しめやかに葬儀の準備が進められる。

「新堂先生に全部やらせてしまって、ごめんなさいね」肩を落としたミサコが言う。
「いいえ。夫としての務めですから。それでお願いなのですが、私の国のやり方でユイを送ってやりたいと思っています。よろしいでしょうか」
「構わないわ。ユイはあなたの籍に入ったんだもの」
 すぐにこんな答えが返って来て、丁重に礼を述べる。

 貸し切ったセレモニーホールにて、通常は教会で行う手続きを進める。その後墓地へ移動となるのだが、土葬と聞いてミサコの親族が異議を唱え始める。

〝この時代に何でだね?〟
〝全く!結婚式の後に、立て続けに葬式だなんて不吉だ。何かあるんじゃ?〟
〝あの旦那だって死にそうな顔じゃないか!ユイの死因は?何かの伝染病か〟
 声はとても小さいが、あからさまに敵意の視線を向けられている。
 一部始終、聞こえているんだが?

 向こうの一帯に立ち込める、モヤモヤとした思考の固まりが次第に大きくなる。

 こんな状況に、ついにミサコの堪忍袋の緒が切れた。
「静かにして!私の娘夫婦に文句がある人は、この私を通してから言ってちょうだい。影でコソコソ言うのは禁止よ!」
 辺りは一気に静まり返った。
「これでいいわ。ごめんなさいねユイ。こんなんじゃ、うるさくて眠れないものね」

 俺は何も言わず、ミサコに誠意を込めて深く一礼した。

 その後葬儀は順調に進み、掘られた穴に棺が静かに下ろされる。
 参列者が一人ずつ思いの丈を口にしながら土を投げ入れて行くのを、ミサコと共に側でじっと見守る。
 そして最後に、牧師が祈りの言葉を述べる。
「新堂ユイ。ここに永遠の、輝かしい記憶を……アーメン」


 全てを終えて、参列者は次々と帰って行った。ミサコと俺が残される。

「新堂先生、今日は本当に良くやってくれたわ。きっとユイも満足してる。私もよ。こちらの親族が失礼な事を言って、ごめんなさいね」
「いいえ。ありがとうございました。ミサコさんのタンカ、ユイの言葉のようでした」
「あら!嫌だわ!」
 俺達はユイの威勢を思い出して笑った。

「先生、これからどうするの?」
「国に、ロシアに帰ろうかと。ここに一人でいるのは、少々辛いので」
「そう。でもそうすると、ユイがここで一人ぼっちになってしまうわね……」
 そもそもここだって縁もゆかりもない地だ。たまたま俺がここに家を建てたというだけなのだから。

「それでミサコさんに、折り入ってお願いがあるんですが」
 ミサコにだけは嘘はつきたくない。ここからユイはいなくなる。
「それはもちろん、ユイにとっても良い事なのでしょう?」
 どこかワクワクした様子のミサコ。こんなプラス思考なところも、ユイそっくりだ。

「向こうで住まいを確保してから、彼女を向こうに連れて行こうと思っています」
「つまりお墓を移すって事?」
 俺は頷いた。「そんな事が許されないのは分かっています。ですが、私もどうしてもユイを一人にさせたくない。側に、いてやりたいんです」

 しばらく考え込んでいたミサコ。
 問題はもちろん親族の意見だ。間違いなく猛反対されるだろう。

「やっぱり、難しいですよね」諦めモードで言ってみる。反対されても強行突破するつもりなのだが。
 ミサコの頭の中には、親戚達の顔が次々浮かぶ。そして最後にユイの顔。
 さあ、どう出る?なかなか答えが見えてこず、やきもきする。

「いいえ。それがいいわ」唐突にミサコは言った。
「いいんですか?しかし……」問題は解決していないのでは?
「さっきみたいな心ない事を、平気で言う人達の事を気にしてるの?」
 肯定の意味で沈黙を保ち、ミサコの次の言葉を待つ。
「問題ないでしょ、黙ってれば。誰もここを掘り起こして見ようなんて思わないもの!」

 またもドキリとする事を!まさに自分が、今夜それをするのだ。

「ミサコさん。こちらの我がままを聞いていただいて感謝します。あなたは大丈夫ですか?」何か要望があれば伺います、と意見を聞き出しに入る。
 どうにも今のミサコの心は読みにくい。本人自身が混乱している証拠だ。
「ええ大丈夫よ、新堂先生のお陰。覚悟ができていたからかしら。自分でも不思議と冷静でいられてるの。今はただ、単に実感がないだけかもね」微笑さえ浮かべるミサコ。

 あなたを、こんな事に巻き込んでしまって、本当に申し訳ない。喉元まで謝罪の言葉が出かかった。

「あの子も、私の涙なんて見たくないでしょうし」散々泣くなって叱ってきたから、とミサコがおどけて言った。
 そんな様子につられて微笑んだ。「そうですよね」

「あれ、いいわね、最後の牧師さんの言葉。気に入ったわ。永遠の輝かしい記憶をって。新堂先生?どうか忘れないでいてね、娘の輝いた日々の事……」
「もちろんです。国に帰っても、私達はずっと一緒ですから」本当の事だったが、もちろんミサコには言えない。
「ありがとう……。あなたの住所と連絡先、決まったら教えて。ユイのお墓参りも、たまには行きたいから」
「もちろんです」感謝の意味を込め、心からの笑みを向けて答えた。


 この日、ミサコは最終便で日本を発った。

「こっちの親戚達にはうんざりよ!私にはイタリアの陽気さが性に合ってるみたい!」

 こんな捨てゼリフを残して笑顔で手を振る姿は、やっぱりユイそのものだ。
 こんなミサコならばきっと大丈夫だ。この事を早く、ユイに伝えてやりたい。

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