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ゾーイ11歳

ゾーイ・グリーンに関する報告書 =ルイス視点=

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「私達が教える事はもうありません」

ゾーイがこの王宮での『王妃教育』という名の療養が始まって、1カ月後のある日の出来事である。
「・・・どういう事だ?」
ゾーイの教育係達から1週間ほど前から話があると言われ、今日やっと時間が取れた訳だが…
「王妃教育は普通4年かかると聞いていたが?」
グリーン家の事なので、半年弱位で終わるだろうと予想していたが、まさか1カ月も経たないうちに終了とは。
「体調を加味して半日だけという事で行っておりますのは殿下もご存知でいらっしゃいますよね?」
「あぁ、勿論だ」
「残りのお時間で恐らく自ら教科書等をお読みになられているかと…」
なるほど。
「我々が教えるよりもご自身で独学された方がはるかに学びが早くいらっしゃるのです、殿下」
グリーン家を甘く見ていた、と俺は頭を抱えた。
「それでも、形だけでも受けさせると決めた筈だ」
ソフィアからも頼まれていた。来年からは学園生活が始まる。『普通の学校の授業』を知って慣れて貰う為に、この王妃教育がとても大事なのだ、と。
「陛下の仰る通り、確かにゾーイ様は静かに聞いて下さっております。と言いますが、もうずっと我々だけが話して終わると言う授業のスタイルなのです。ご理解下さってるのでご質問も一切ありません。これ以上これを続けても意味があるのか甚だ疑問に思いまして…」
そこで、教育係達はゾーイに本当であれば王妃教育を完了するときに使用するテストを行ったそうだ。実際何処までご自身で独学しているのか、今までの授業の理解度の確認も含めて。
結果は、満点。そして、自信を喪失し、俺に直談判しようという結果になったらしい。


「…王妃教育と言っても卓上の勉学だけではないだろう?」
確か、お茶の淹れ方やダンスなどもあった筈だ。そして、ゾーイはお茶の淹れ方が壊滅的だと聞いていたが…
「お茶の淹れ方はどうだ?」
「合格点でございます」
なるほど。彼女の事だ。皆が知らない所で猛特訓をしたに違いない。
「もういい。ダンスは?」
「ダンスはですね、既にイーサン様に教えて頂いていらっしゃったようで…」
そうだった。社交界でもイーサンのダンスの上手さは話題になっていたな。
「刺繍は…そうか、あそこは母親が刺繍が得意だったな」
もう既にそれも母親から習得済みか、あるいは母親のを見てきっと学んだに違いない。


俺はため息をついた。
あと5カ月間もの間、彼女が大人しくここでじっとしていられるだろうか?
しかも、自分は運悪く明日から1カ月間国王の代わりにいくつかの街を視察に回らなければならない。





「行き詰まっておりますね、殿下」
ジョシュアがお茶を持ってやってきた。カモミールティーか、分かってるじゃないか。
「想像以上だ」
「どうやら、毎晩遅くまで教科書を読んでいらっしゃったみたいですよ。この間とうとうソフィアに見つかって叱られていました。まぁ、もう後の祭りですけどね」
ジョシュアの話では、父親や兄からもこっそり様々な本を取り寄せて貰っていた様だ。
「彼女曰く、分からない所があって先生の手を煩わせてはいけないと思っての事だそうですよ」
「・・・・は?」
余程の顔をしていたのだろう。ジョシュアはくすくすと笑いだした。
「殿下にその様な顔をさせるのは、ゾーイだけですねぇ」
「学ぶための教育係なのに、一体何を考えているんだ?」
「まぁ、あのグリーン家ですからね。誰かに教えを乞うなんて姿を見せられないのかも…いや、教えて貰うという発想がそもそもないのかもしれませんね」
「ふむ」
ゾーイの父は言わずもがな、国の宰相。母は100年に1人の魔術使いと言われているし、
姉は学園生活2年目にして7年分のカリキュラムをほぼ全て終了。飛び級で卒業したという前代未聞の伝説を持っている。兄は能力を買われて15歳という最年少でで宮廷入りした輝かしい経歴の持ち主だ。
「確かに、あの家族に囲まれては『分からない』事などあり得ないんだろう」
「元々の素質もあるでしょうが、実際は相当な努力もされていらっしゃるのかもしれませんね」
自分の立場上、弱音を吐けない辛さは自分は良く分かっているので、ゾーイの気持ちが痛いほど良く分かった。

「俺たちの前では気負わないで居て欲しいのだが」
「『俺』の前、ではなくてですか?」
「今の所、ソフィアやダニエルには勝ててないからな。それにリリーもそうだし、ジョシュア、お前もだ」
「僕もですか?」
ジョシュアはすっかり昔の通り「僕」と言う様になった。俺にとってはその変化はとても喜ばしい事。
「俺だけが、『ゾーイ』と呼べてないからな」
「おっと、気にしていらっしゃったんですねぇ」
「全く気にならないとは言い切れない」
それって、とても気にしてるって事では?とジョシュアが面白そうに言って来た。

「俺にだけ距離をとろうとしているからな」
絶対に婚約したくないと言われてしまっている以上、イコール俺とは結婚したくないんだろう。
だけど、嫌われている訳でもなさそうだ。
彼女の気持ちが分からない。

「意識しているからこその行動では?」
「・・・・」
そうかもしれない、だけど、時々怯えるような悲しそうな目線を感じることがある。俺の事が好きだと言ってくれるご令嬢たちのそれとはまったく違う。
「ゾーイ嬢は、王宮にしばられたくないのかもしれない」




「あ、それはそうと、殿下。ご依頼頂いていたものを探している途中で見つけたのですが…」
「なんだ?」
「3年前のあの事件の時に彼女が来ていた服です」
「あぁ、懐かしいな。の服か」
思わず笑みが溢れた。
「そういえば、この服は誰のを拝借したんだろうな?」
男物の平民の服を彼女は一体どこで?
何となくモヤっとしながらそれを広げると、ポロりと光るものが床に落ちた。

「ん?」
「あ、殿下、僕が拾いまーー・・・・痛っーーー!!!」

ジョシュアがそれを拾おうと掴んだ瞬間、バチッと大きい音が鳴って
「大丈夫か!?」
ジョシュアの右手から出血。肉が焼ける匂い…。慌ててハンカチで圧迫する。
「大丈夫です」
「…何を拾ったんだ?」
方向を見ると、
「ネックレス…」
赤い色の石が付いている――あれは、確か…

『このネックレスを使って』

マリア誘拐事件の時に、ゾーイから渡されたネックレスだった。


「ここにあったのか…」
実は、ゾーイが起きた後、ネックレスは何処かに落ちてなかったか聞かれたのだ。
あの事故で、首に付けていたネックレスが外れてしまったに違いない、と。
「道理で現場を探してもない訳だ。チェーンが切れて落ちて、偶然、胸ポケットに入り込んだ訳か」


そっと手を伸ばす。
「殿下!!触れては…」
何ともない。それはそうだ。だって、思い切りゾーイも俺も触っていたのだから。
なのに、何故?
「あの時、俺は触れてたからな」
偶然?
「た、確かにそうでしたね」
そろりと今度は指の爪でジョシュアがネックレスを触る。

バチっ!

やっぱり音がして跳ね返った。

何故。

「・・・ジョシュア、顔色が悪いぞ」
真っ青になっていくジョシュアを見て、護衛に医者を呼びに行かせる。
「殿下、触れたとしても触ってはいけません。なんだか、何だかとても良くないモノの様な気がします」


俺もジョシュアもネックレスを見つめる。
ーーーこんなにも、どす黒い赤だっただろうか…?まるで、血の様な………

「気味が悪いな」




その晩、ジョシュアの怪我に気付いた父が何があったのかと尋ねて来た為、経緯を話すと、父は黙り暫く考え込んでしまった。

更に自分に預けて欲しい、そのネックレスは未だに見つかっていないという事にして欲しいとお願いされた。


「ルイス。ゾーイ嬢は、いつからあのネックレスを持っていたのかこっそり聞いておけるか?」
「どうしてですか?父上」
「悪いが、今は何も言えないのだ…いや………まさか…うむ……」


父親の顔が深刻で、俺は一抹の不安を抱えた。
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