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第一章
八ノ巻ーその後➁
しおりを挟む晴孝様は私を見た。
「……夕月」
「はい」
「私は父の期待もあって、忙しい身の上だ。ここに来るのも……昔に比べて随分……少なくなった」
「……」
「君さえよければ、たまに……文を送ってもいいか?」
「……もちろんです。でも私、歌は苦手で……勉強します」
すると、晴孝様は私を見てクスッと笑った。
「いや、歌はいい。僕も歌は苦手だ。何しろそういう練習をする場数も少なくて……。それより、碁を打つ方が好きなんだ」
私はあのときを思いだしてクスッと笑った。
「……なに?」
「晴孝様……晴孝様の美しい女房姿も良かったのですけど、碁を打ってすぐにわかりました。あの碁の手は……晴孝様のものです」
晴孝様は恥ずかしそうに下を向いた。
「ごめん。君に気づかれないように違う手を打たないといけなかったのに、君に会えた嬉しさですっかり忘れてしまって……」
嘘でしょう……。
「……あ、あの……」
「なに?」
「また、一緒に碁を打って下さいますか?」
「もちろん。君は僕にとって特別だからね」
「はい。晴孝様も私にとって特別です……」
嬉しそうに私を見ている。
「そうだ、望みを聞く約束だったね」
「望みは叶いました。晴孝様と文のやりとりが出来るんですもの」
私を見ていた晴孝様は目を見張って顔を赤くした。
「……夕月……そうだ、この薬を使って……」
「え?」
晴孝様が薬瓶を差し出した。
「姉上に頼んで取り寄せた傷薬だよ。毎日塗ると傷跡が薄くなっていく」
「ありがとうございます」
「元気になったら一度左大臣邸へ姉上を訪ねて欲しい。とても心配している」
「はい、もちろんです」
* * *
晴孝様が帰られて、鈴が私の布団の横に歩いてきた。
「にゃにゃ(寝る)」
そう言うと、私の布団の中に入ってきて横で丸まった。
静姫は鈴を欲しいと言ったそうだ。兄上は鈴に聞いたそうだが、鈴は寝込んでいる私の布団に入ったっきり、返事もしなかったと呆れていた。
「鈴。ありがとう」
「にゃあ(うん)」
私は鈴の背を撫でた。すると、鈴は顔を手にすり寄せてきた。私達は元に戻った。
相変わらず、戻ってきた白藤は兄上の側でかいがいしく、そして生き生きとお手伝いをしている。
兄上は鈴には上等の鰹節、白藤にはたくさんのお揚げなどご褒美にあげたと聞いている。
旭丸はこの神社の夜の番犬だ。権太は背後の山の管理をしながら、最近はたまに私をおぶって庭を歩いてくれる。
出血が多かったせいで、まだ少しめまいがするのだ。気分転換をしたいと言うとおんぶしながら大好きな花の側を散歩してくれた。
兄上はどこからか高麗人参を手に入れてきて、私に煎じて飲ませてくれた。
「夕月」
「はい」
「幽斎のことだが、今は姿を隠して様子をうかがっているのだろう。いずれ落ち着いたらまた何か起きるかもしれぬ。もし、京極皇子が東宮になられたら、私は少し表舞台に出るかもしれない。私が出ることで牽制にはなるだろう」
「兄上様……」
「晴孝は左大臣家の長男だ。帝の二の姫との縁談の噂もある」
「……はい」
「だが、私が左大臣家の後見となれば、あるいは静姫と縁を結ぶことになったとするなら、お前のことも……晴孝の正室は難しくとも側室として……」
「……兄上」
「なんだ」
「私は……大丈夫です」
「……何が?」
「晴孝様がいいように……私は待つだけです」
「……そうか。夕月も大人になったな」
「ふふふ。怪我の功名です」
「そうか」
「はい」
今日も秋の夜風が冷たい。兄上は白藤に命じて妻戸を閉めさせた。
「傷に夜風はよくない。早く休みなさい」
「はい」
今回のことで私のことを、楓姫や静姫が父親である右大臣や左大臣に褒めて推薦したようで、お見舞い品や褒美がたくさん贈られてきた。
そして、楓姫や静姫の正式な女房にならないかと誘いが来た。
あろうことか、皇后や中宮のお耳にも入ったらしく、御殿で何かあると探りに来て欲しい、女房として参内してほしいと依頼が来るようになってしまった。
兄上が今のところうまくとりなしてくれているが、それもいつまでのことかわからなくなってきた。
朱雀皇子の東宮廃位が決まったときこそ、動きがあるだろうという兄上の想像が当たっていたとわかるのはもう少し経ってからのことである。
第一章完。
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