花嫁シスター×美食家たち

見早

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potage:器

次男の受難:2.「主人とメイドの奇妙な関係」

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 早くシャワーを浴びたいと考えるうちに、「いっそ池に飛び込んでしまおうか」、などという不衛生な考えが頭を過りました。それほどまでに、今夜の返り血は不愉快だったのです。
 変な気が実現する前に池から離れ、迷路のような生け垣の庭を抜けると――嗚呼、今晩はそういう日でしたか。女性か男性かは分かりませんが、お可哀そうに。食堂からの高い悲鳴が外まで響いています。
 悲鳴と嬌声が混じった音を聞きながら、食堂の外にあるテラスで、東国の酒と塩を嗜んでいる男がいました。その傍らに銀のトレーを抱えたマチルダが控えているのを見る限り、「悪趣味な告解」は終盤なのでしょう。

「やぁ、今夜は『裏口』から帰って来たのか。お仕事お疲れ様」

 気づかれずに通り過ぎるのは無理だと分かっていましたが。よりによって父は、「1杯付き合って」と向かいの席を指差しました。適当にあしらい自室へ向かおうしたのですが。

「当主命令だよ。ほら、当主の命令はぁ~?」

 冷ややかな視線と共に無言を貫いていると、「絶対です」とマチルダが呟きました。

「……あなた、本当に暴君ですよね。そんな調子では、いずれ誰かに革命を起こされますよ」

 実の親ながら情けない、と睨んだところ。とびきりの笑顔で返され拍子抜けしました。
 まったく、早く体を清めたかったのですが。諦めて席につかねばならないようです。

「さすがにお前の好物は用意できなくて申し訳ないね。でも酒、好きだろう?」

 珍しい東国のお酒だよ、と父はグラスを差し出してきました。

「聖職者にお酒を勧める貴族はあなたくらいですよ」

 グラスを押し返したところで、マチルダが私用にと、ぶどうジュースと軽食を持ってきてくれました。
 きちんとお礼を告げる間もなく、マイペースな当主は「サリーナ」の名を口にします。

「あっちは好感触みたいだけれど、お前はどうなの?」

 どうなの、とは結婚する気があるのか、ということでしょう。

「神に仕えると決めた日から、結婚する気はありませんが」
「その考えイマドキ古いってチャールズから聞いたよ?」
「まったく、王様とどんな話をしているんですか」

 王室の御意見番としての職務中ではなく、きっと国王の友人として杯を酌み交わしている時に聞いたのでしょう。

「黎明教会でもほら、最近あの事件で話題になった南区の神父様? とかご結婚されてたんでしょ。別に教義で禁忌になってるわけじゃないんだし」

 被害者のご遺族である彼は、たしかに革新派ではありますが――仕事に関して父に話せることは、ほとんどありません。

「ねぇメイドさん。キミは彼女をどう思う?」
「サリーナ様は大変おい……お美しくて、お強くて、ご兄弟にぴったりでいらっしゃいます。どなたの花嫁になられても、マチルダは末永く仕えましょう」

 身内から好印象を持たれているのは喜ばしいことですが。「強い」、とはどういうことでしょう。まさかボロを出したのでは――と胸が騒ぎ出したところで。父は片腕を伸ばし、「おいでマチルダ」、と彼女を膝に呼び寄せました。一方マチルダも、何の抵抗もなく膝に座っています。

「それで本心は?」
「ノット様以外でしたらどなたでも結構です」

 真顔で言われると、いくらなんでも傷つくのですが。
 父の手から与えられる塩のバケットを、マチルダはこれまた抵抗なくかじっています。

「お前は小さい頃からノットにツンツンだよねぇ。何かされたのかい? こっそり私に教えて欲しいなぁ」

 するとマチルダは、父の耳に口を寄せました。読唇術を警戒して、わざわざ手で隠す周到さです。

「ふむ、なになに? 理屈っぽくて説教臭いから苦手? いったい誰に似たんだろうねぇ~」
「……どうでもいいですが、あなた方って本当に私が嫌いですよね。まぁ、どうでもいいんですけれど」

 いったい何が面白いのか、父は豪快な笑い声を上げました。それはもう、背後から響く悲鳴をかき消すほどの。

「冗談だよ! 我が子を嫌う親がどこにいるんだい? まぁとにかく、あの娘はウチに合ってると思うよ。それに何より――口も堅いようだしね」

 再び静寂が訪れると、父は悲鳴に耳を澄ませながら杯を傾けました。

「今度の晩餐会、彼女にもひとつ課題を与えようと思うんだ。なにせうちは『狂食の館』と呼ばれるほどだし? 花嫁になる彼女にも、これを機に『食』について考えてもらいたいなぁって」
「危ないことだけは止してくださいよ」
「なぁに、危険はひとつもないさ。ただ、王立大学の入学試験よりも難題かもねぇ」

 内容を聞き出そうとしても、父は頑なに話しませんでした。いくら花嫁候補として家に居るからといって、家族以外に行事の一端を任せるなど前代未聞です。

「大丈夫だよ。お前たちの母さんにサポートしてもらうし。お前は安心して、自分の『仕事』を済ませると良いさ」

 父はどこまで分かっているのやら。
 この年になってもまだ背筋が凍る視線に、口を結ばざるを得ませんでした。
 月光の注ぐ庭を眺めながら、しばらくの間嬌声を聞いていると。ふと「当り前の光景」過ぎて見落としていたことに気がつきました。

「ところで、いつまでマチルダを膝に乗せているつもりですか?」
「うん? 何で?」

 幼い頃ならまだしも、マチルダはもう13歳になります。むやみやたらに触れることは良くありません。

「いくら血縁といっても、彼女は人様のご家庭の大切なお子さんなんですよ? あなたには母というのものがあるのですから、もう少し節度を――ちょっと、聞いてます?」

 大人の常識を説いたつもりだったのですが。顔を見合わせた父とマチルダは、「そういうとこなんだよナー」となぜか呆れ混じりのため息を吐き出しました。
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