ヒトカミ粧

見早

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第四章 イチヤ乱痴気

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 握った敷島の手には熱がなかった。本当に、幽霊なのか――。

「……はい、喜んで」

 無音の中。幻影たちが回る広間で踊りながら、敷島は感謝の言葉を口にした。宴の行われる前に病院で亡くなった敷島は、やはり宴を心残りにしていたのだ。

『それにね。私の愛する品たちが、他の主の元へ渡るかどうか……ずっと見守っていたんだ』

 夫人が手配したおかげで、ランプは助六じいさんの店に流れついた。しかしここにある物は、誰にも引き取られずに残ってしまったのだろう。加納のピアノも、そしてこの洋館自体も。

「ここに残っているものは、俺がきっと何とかします。顔の広い古物商の知り合いがいますから、きっと引き取り手が見つかりますよ」

 すると貫禄のある髭面がふっと緩められた。流れるような足運びが止まり、敷島の体が少しずつ浮いていく。

『ありがとう、坊や』
「え――」

 淡い光に包まれ、敷島の体は透けていく。周りで踊る影からも、光の玉が浮かび上がった。
蛍のように、無数の光が広間を飛び交っている。

「刹那さん!」

 ピアノを振り返ると、刹那は加納と揉めているようだった。やがて加納の仮初の姿が溶けて消え、ピアノから光の玉が出ていく。その神々しさに見惚れるうちに、刹那が駆けてきた。

「おい、貴様も説得しろ! 奴は主人の魂と共に消滅する気だ!」

 頭が追い付かないまま、小さな光の海を泳ぐ巨大な光の玉を見上げた。このままでは神粧ができないどころか――。

「加納さん! 消えるってどういうことですか?」

 無数の光が一斉に『さようなら』、『ありがとう』、と騒ぎ立てる。その中には、ここまで導いてくれたランプの声も混じっていた。

『人の子、清らかな御魂の持ち主……私共の主人は敷島(かれ)ただひとりなのです』

 主人の魂に最期まで付き従うのだ――そう、加納の声が頭に響く。

「このまま消えたら、加納さんたちはどうなるんですか!?」

 隣の刹那は高揚し、骨に変貌しかけていた。肉の解けた手をとっさに掴み、何とか落ち着けさせようとする。

「神は人の魂と違い、次代へ巡ることはない。役目を失った神は、消える定めだ……」
「そんな!」

 不安定な刹那の腕を捕まえたまま、もう一度光溢れる天井を見上げた。

『案じることはありません。日が落ちるようなものです』

 落ちた日は、もう二度と昇らないのではないか。上手く喋れない口で問いかけるも、蛍の光よりも眩い輝きは天井をすり抜けていく。そんな光を仰ぐうちに、堪え切れなくなったものが頬を伝っていった。引き留める言葉は、もう出てこない。



 紫の煙る彩色の間にて、色師はいつも通り箪笥の上にいた。

「それで神粧の儀はできなかった、と」

 色師は煙管を深く吸い、紫の煙を細く吐き出した。こういう時に限って、普段色塗れの雇い主は誰とも戯れていない。

「でも八咫には、付喪神の神力が入っているねぇ。これは咲ちゃんへの、付喪神からのお礼みたいなものかな。よかったねー刹那、相棒が優秀でさ!」

 この煽り方は、平手一発では終わらない予感――しかし刹那は、眉根を寄せたまま動かなかった。洋館での最後、骸化してしまったことを気にしているのだろうか。微動だにしない刹那に構わず、色師は報酬の封筒と瓦版を落としてくる。そこに描かれていたのは、絢爛な飾電灯の下、洋装の女と娘が手を取り踊る場面だった。よく目を凝らしてみると、「刹那」、「咲」と書いてある。見出しは「神と人の西洋踊り、付喪神の館にて」、だ。

「良い記念になるかなって思って。それはそうと、館は新しい人の手に渡る予定さ。キミも館内の調度品整理、手伝ってくれてありがとネ」
「敷島さんとの約束ですから、それは構いませんが……」

 隣で震える女神にチラッと視線を遣ると、手元から瓦版をひったくられた。刹那はそれを、細切れになるまで破り捨ててしまう。

「あー……もったいない」
「心配ご無用! まだ沢山刷ってあるよ、それ」

 外の店全部と、常世の上空を泳ぐ金魚提灯にも渡してきた。そう色師が言うやいなや、刹那は「クソ主神が!」と障子窓を破って飛び出していった。思ったより元気そうでほっとしたが、色師はただでは済まないだろう。

「ウフフッ、これだから刹那イジリはやめられないんだよねー」
「……あの、これ本当に良かったんですか? 俺は今回仕事してないのに」

 封筒を掲げると、色師は箪笥から飛び降りてきた。紺碧の羽織をひるがえし、すぐ横にふわりと着地する。あんなに煙を吸っていたというのに、色師からは甘い果実の香りがした。

「化粧師としての仕事はなかったワケだけど、キミは付喪神の意志を尊重してくれたネ。主神として感謝しているよ」

 色師は六神に罰を与えると言いつつ、彼らのことをよく気にかけている。そう思った瞬間、ふと白の言葉が頭を過った。『このままだと、災禍が起こることは確か』――神粧の儀と『災禍』には、どんな関係があるのか。

「あの、色師さん」

 速くなる胸を押さえながら、以前ためらった質問を投げかける。神粧の儀は、何か悪いことを引き起こす行為なのか――すると、「色」の字の奥から鋭い気が飛んできた。
 自分の一部が自分の中から抜け落ちたような、奇妙な感覚に襲われる。しかし次に目を開けた時には、何事もなかったかのように色師は笑っていた。

「そろそろ白状するとね、伊助くん。罰なんてものはただの名目さ。もうすぐ神の世は終わりを告げる……その前に、神を人として生かしてやりたいだけなんだ」

 色師の様子がおかしい。普段と調子が違うだけではない。呼吸の音も纏う空気も、まるで中身が変わってしまったかのようだった。

「あの……俺は『伊助』じゃありませんよ」

 すると色師は肩を小さく揺らし、「あぁごめんネ!」、といつもの調子に戻った。

「咲ちゃん、咲ちゃんね」

 ボケてしまったのだろうか。神の歳は見かけと関係ないと、もう分かっている。そんな冗談を口にする気にもなれないほど、先ほど色師が放った気に圧倒されていた。

「ごめんごめん、それで何の話だっけー?」
「……神の世が終わるって、どういうことなんですか?」

 恐る恐る問いかけると、色師は「諸行無常」と儚むように呟いた。

「神への信仰は薄れ、人は己の力を信じ歩むようになった。現にキミも、アタシたちの存在を信じちゃいなかったでしょ?」

 図星を突かれ、そっと色の字から視線を逸らす。

「神の意義は人のため――ってネ。この世に必要とされないものは、存在できないんだよ」

 洋館で八咫が神力について話してくれた時、人の『願い』がなければ神力も名も、己の役目すら失うと言っていた。それどころか、必要とされなければ消えてしまうというのか。

「だからそうなる前に、これまでアタシの下で働いてくれた彼らを人に変えようと思ったのさ。アタシの神力には、『命あるものの性質を変える力』があるからね」

 色師の神力を色具に混ぜ込む。そして神力が混ざる心配のない存在――つまり人間だけが、色具の力を正しく行使できる。そのために俺を雇ったのだと、色師は白状した。

「黒白がキミに何を言ったかは分かっているさ。彼らの心配がまったくの見当違いだともアタシは言えない。だ・か・ら、キミが何を信じるのかはキミに任せるよ」
「俺は……」

 常世に来るまで、仕様もない日々を送っていた。何でもいいから、父の代わりに苦しめてくれるモノを探す毎日。盗みに手を染めることで得られる、良心の呵責にすがる日々。そしてここに来てからは、存在すら認めていなかった神への償い――。

「色師さんを信じます」

 信じてもいなかった神が、俺に新しい道をくれた。目の前にいる掴みどころのない神だけではない。これまでに出会ってきた、人と共に生きたいと願う神々――そして、あの赤い神。
 叩かれ、蹴られ、殴られ、散々な目に遭わされてきた。それでも突き放すことは決してしない神様を、俺は――。

「刹那さんの呪いを解きたいんです」

 色布の奥を真っ直ぐに見つめると、色師は呼吸の音すら消してしまった。彩色座敷に無色の沈黙が流れる。やがて色師の骨ばった手が、俺の頬にひやりと触れた。

「アタシはずっと前からキミを信じていたよ」

 布の奥に、ぼんやりと光る赤が二つ透けている。色師の瞳は、刹那と同じ赤なのだろうか。

「いやぁこれで安心だなぁ。刹那もキミが気に入ったみたいだしネ!」
「そうですか? 今だに『喰ってやる』だの何だの言われますけど」
「最初に『繋縛』って枷を刹那にかけたの、覚えているかぃ?」

 確か刹那が俺を喰おうとすれば、幼子になって力を失う術だったか。女化大社でのことを思い出しながら答えると、色師は満足げに頷いた。

「あれが発動しないってことはだよ? 刹那が本気でキミを喰らう気はなくなったってことさ」

 言われてみれば、あれきり繋縛が発動したことはない。途端、胸を打つ鼓動が速くなった。これまで気づかなかった感情が、体中を駆け巡る。
 俺は相棒を――刹那を、もっと知りたい。

 一日暇をもらったものの、することがない。仕事の報酬のほとんどを留守中の家に置き、畑仕事に精を出すお露を外に連れ出した。

「お団子食べに行こうか。胡麻団子好きでしょ?」

 奢ると言っても、お露は「盗んだ銭はイヤだ」ときいてくれない。何とか店の縁側に座らせ、副業の話をすると、お露はようやく大人しくなった。

「そう、スリはやめたんですね。良かった……あっ女将さん、胡麻団子もう一皿追加で!」

 お露は昔から、切り替えの早い娘だ。

「それで、この間連れてきた美人さんは仕事仲間だったんですね。あたしてっきり、咲さんのコレかと思っちゃって」

 助六じいさんの真似をして小指を立てるお露をいさめ、団子をまとめて飲み込んだ。

「だから、刹那さんは俺の――」

 相棒。そう言おうとして口が閉じた。前に畑で弁解した時は、簡単に言えたというのに。

「咲さん?」

 お露のまん丸い瞳とソバカスの頬が、すぐ側まで寄ってきた。何か重いものでも持って噛み締めたのか、下唇に歯型が付いている。

「あ……お露ちゃん何か言った?」

 誤魔化しつつ微笑んだその時。斜向かいの店の影に、見覚えのある姿を見つけてしまった。

「咲さん、どうしたの? 急に青くなって。お団子詰まった?」

 男はこちらにずっと気づいていたのか、目が合うとにっこり微笑んだ。

「ごめん。俺ちょっと用事思い出したから、これで好きなだけ食べてて!」
「えっ、こんなに沢山……いけませんよ、咲さん!」

 まだ何かを叫んでいるお露を団子屋に残し、三途橋の方に向かう。すると思った通り、軍服の男も後をついてきた。

「どうも、こんばんは」

 橋の中央まで来たところで、軍帽の色男――黒は声を掛けてきた。

「……どう見ても昼ですけど?」

 さり気なく辺りを見回すも、白の姿はない。黒のつけている首輪の鎖は外れていた。 

「人の世(ここ)で何をしてるんですか?」
「ちょっとした散歩ですよ。貴方様は確か、色師に仕えている化粧師の方でしたね」
「こんなところまで来て、俺をどうしようと?」

 黒の腰には、学生街で俺の前髪を掠めた刀が差してある。

「いえまさか! せっかくですから、少しお話でもしませんか?」
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