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4.少女

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 そこで俺の呼吸が止まった。衝撃と臭いでだ。小屋の中には首輪を鎖で繋がれた少女が、小さなソファに股を開いて座っている。否、無理やり座らされていた。床はびしゃびしゃと排泄物や他の液体で汚れており、俺の鼻や目を攻撃してくる。
 その子供が少女と判ったのは、全裸で陰部を露出しているからだ。色素の薄い髪はぼさぼさと腰まで伸ばしっ放しで、顔すら見えない。身体も鶏がらみたいに細いし、それ以外では判別不能だった。

 その少女は俺に気づくと「う、う、うー」と唸る。同時に少女の腹から音がしたので、食べ物が欲しいのだとすぐに理解できた。余りにも哀れだから、俺は服の袖から食べ物を用意する。それを少女に渡そうとすると、彼女はぐいっと太股を開いた。それと同時に差し出されたのは、札と小銭が幾らか入った軽そうな籠。俺は何となくの事情を察し、最っ高にご機嫌な気分になった。
「……あのな、このメシは、そんな事をしなくても食っていい」
「うー、あー?」
「それから! 俺はガキを食いモンにするのが大嫌いなんで、お前を助けてやる!」
 こめかみにビシビシと血管が浮くのを感じつつ、少女の鎖を睨む。それは少女の真後ろにアンカーで打ち込まれていた。
(こりゃあ工具が無いと抜けねぇかなぁ……でもまぁ試しに)
 俺は鎖を手に絡め、ぎゅっと引っ張る。そうしたら、呆気ないほど簡単に抜けた。金属が完全に腐食している。だったら簡単に逃げられそうな物だが「うー」と「あー」しか言えない少女には無理な話だ。この鎖の意味は、強いて言えば、ここを利用する客に対して『コイツは連れて行けません』というアピールになる程度だろうか。
 でも俺が鎖を外してやったから、これで少女は自由の身だ。ただ鎖の根元から上はそのままだから痛々しい。金属製の首輪も継ぎ目を溶接されており、今は取ってやれなかった。
(あーあ……マジで可哀相だな。よくこんなガキによぉ……)
 金属が腐食する程この場所に固定されていた少女は、手足が衰えて立てもしない。なので俺が、そっと姫抱きする。鶏がらとは思っていたが、その予想を超えるほど軽い。
 俺が小屋から出たところ、客らしき男が金と食い物を持って順番待ちしていた。この子供を買おうと思っている男だから気分は悪いが、こんな存在が無ければ子供は死んでいたのだ。なので、取り敢えず普通に振舞う。
「悪ぃな、ここの営業は今さっき終わったわ。もう二度と開かねぇ」
「あーあ……気に入ってたんだけどなぁ、あおいマンション」
「は? あおい……何だって……?」
 男が小屋の側面を指す。別の方向から移動してきた俺には見えなかった部分だ。そこには確かに汚いスプレーで『あおいマンション』と書いてあった。俺は血液が逆流したのを感じながらも男に問い掛ける。
「……なんでマンションなんだ? ただの性欲便所だろ?」
「それは俺にも判らない。でも、この辺で一番最後まで建っていたのが『あおいマンション』って名前だと聞いた気がする。それでかな?」
 俺はハァと溜息をつき『あおいマンション』の小屋を蹴破った。
「こんなモン、こんなモン、こんなモンは消えろ! ……クソが!」
 小屋は木造だし、傷んでいるので大した力は要らない。俺が手荒く片付けたら、ただの汚物に塗れた床と小さなソファだけが残った。男も俺の様子に恐怖したのか、知らないうちに去っている。
 それから俺は百メートルほど移動し、少女の体重を支えながら飲料水で陰部だけ洗った。あまりにも異臭を放っているからだ。その時ちらりと少女の顔が見え、俺は飲料水の入れ物を取り落とす。
「……小夜!? 小夜じゃねーか!」
「あー?」
「俺だよ! 健治! 健治だよ!」
「うー」
 この少女は小夜に間違いなかった。でなければ、こんな縁が深い場所でそっくりな少女に遭遇するだろうか。無宗教な俺は『生まれ変わり』なんてモンを欠片ほども認めていなかったが、これでは信じざるを得ない。この少女は二百年のうちに生まれ変わった小夜なのだ。
 俺はふうっと深い息を吐き、小夜を見つめた。
「……お前、よく死のうと思わなかったな……生きててくれて、あんがとよ」
「あー」
 小夜はどこか遠くを見て、俺の前にも関わらず尿を流している。それで理解したのだが、小夜には最低限の教育も、自殺なんていう思想も与えられていなかった。その代わり、人間の尊厳だけは馬鹿かという程に失っている。
 俺は小夜をこんな風にした奴をぶっ殺してやろうと思っていた。しかしこの状態の小夜を連れたままでは不利過ぎる。なので少し臭いがマシになった小夜を抱えつつ、携帯で教会へと連絡を入れた。
 それで判ったのだけれど、教会は俺が消えた件で大騒ぎになっているようだ。なので、すぐさいたま市へ迎えが来る事となり、俺はその際に子供用の服を一式持ってくるよう頼んだ。
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