恋のまにまに

羽元樹

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自意識過剰の王子様5

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 重い足を引きずるように教室へとのびる廊下を歩む。
 前を歩く可憐の足を眺めるように歩く。細い足だな、意外に。などと全然関係ないことに思考を委ねる。
 仄かに感じる左手の温かみは史華のモノ。
「おぉ、いたいた」
 突然の声に可憐と史華の足が止まる。私は一瞬遅れて、二人にならい足を止める。
 ゆっくりと視線を上げて声の主へと視線を持ち上げる。
 そこにいたのは『好々爺』だ。
「神代くん、ちょっと話をしようか」
「わらわと?」
 思い当たる節といえば、先ほどの授業の中断だ。
「申し訳ございませぬ。先ほどのことは…」
「それはいいんだよ。次の授業の英語の姉小路先生には話を通してあるからね。あぁ、浅井くんと島津くんは教室に戻りなさい」
 二人が真っすぐ先生をみる。
「安心していいよ。悪いようにはしないから」
 二人は納得したのか、私に目配せをしてゆっくりと歩みを進める。
 二人が消えるのを見送った後、好々爺は「じゃあ、いこうか」と反対方向へと歩き出した。

 招かれた部屋は応接室だった。
 あまり人が来ることがないのか、埃の香りを鼻腔に感じる。
「革のソファーに座っててくれるかな」
 中央に鎮座した茶色いソファーに座るよう促すと、先生は衝立の後ろに身を隠した。
「砂糖はいくつかね?」
「い、いえ」
 私は思わず、拒否した。飲み物を飲む気にはなれなかった。
「おぉ、砂糖なしか」
 飲み物を拒否したつもりだったが、砂糖を拒否したと思われたようだ。
 しばらくすると、奥からカップを二つ持って現れる。
 テーブルにカップを置くと落ち着く香りが埃の匂いを駆逐していく。
「紅茶…?」
「昨日、アルーシャ葉を買ってね。君たちからコーヒーの香りがしたからね。紅茶にしてみたんだ」
 先生がテーブルを挟んで私の正面のソファーに身を沈める。
 流れるようだ動作で先生は紅茶を口に含む。
「うん。香りが咲いてないね。ポットのお湯ではこれが限界かな」
「そうなのかの?い、いえ、そうなのですか」
「いつも通りでいいんだよ。堅苦しくなることはない」
 促されるように紅茶を口に含む。口を満たす香りと暖かさは鼻腔を抜けていく。
「…はぁ」
「まぁ、神代くんを癒すには十分だったようだね」
「……はい」
 うんうんと頷く先生。
「実はね、昨日から担任『以外』の先生から、神代くんが虐められているのではないかと危惧していてね」
 あの空気は、すぐわかるモノなのだろう。
「僕も気にかけていたんだ。僕はね、君に賞賛を送りたいと思っているよ」
「賞賛…?」
「あぁ、僕も目が覚めるような言葉だったよ。君は悔やむことはない、誇るべきだと思うんだよ」
 紅茶で口を湿らせる先生。
「君たちは、若い。君たちの心の中で『主義・主張』が形成されつつあるんだよ。それが残念ながら自分に必死で周囲が見えていない。だから、独善的な『主義・主張』は接触すれば譲歩をしらず、ぶつかり合う」
 私も紅茶で喉を潤す。
「君は『授業の価値』の主義。しかし、彼女たちにとっては、君は1カ月で完成した『コミュニティーの破壊者』に見えているんだよ。『人間関係の価値』の主義。歳をとれば、『主義・主張』も譲歩や妥協を知っていく。それが大人になるっていうモノだ」
 二人同時に紅茶を口に含み、それが妙におかしくて先生と共に笑顔を浮かぶ。
「青い。青い『主義・主張』が君たちの心で芽吹く春。だからこそ、青い春、『青春』と呼ぶのではないのかね?」
 ほっほっほっ、と笑い、紅茶を含む。
「そうじゃの。確かにわらわは、異物じゃよ。それが嫌でわらわは姿を偽った。しかし、わらわは自分と偽るのはやめると決めたのじゃ。こうなることは理解しておったはずなのじゃがの」
 元々緩みかけてた涙腺が再び開く。
「思ったより、辛いんじゃな」
 ポケットのハンカチで涙を拭う…ピンク色のミントの香りがするハンカチ。
「人の数だけ価値観がある。でも、その価値観は、少しづつ人を受け入れていくんだよ」
 ミントと紅茶の香りが混じる。
 それは、幸せな香りと感じた。
「辛いときには頼るといい。僕たち教師は君たち生徒の味方だよ」
 きっとこの時飲んだ紅茶の味を私は忘れることはないだろう。
 その暖かさは、私の身体も心も包んでくれたんだ。
  
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