これはあなたの怖い話

達美 絵華理

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脱出

第4話 不安

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 水を飲み終えたあなたは、西の方角を確認する。 
 この場所から西へ進んでも大きな問題はないだろう。
 なによりも、今通ってきた道を戻りたくはない。

 あなたは、また西へ向かって進み出す。
 
 充分な水分が摂れて、当分は水のことを考える必要がなくなったのだから、森の出口を探すことに集中するべきだ。
 しかし、どうしても白骨遺体のことが頭から離れない。
 あの白骨遺体は、おそらく人間だ。 
 遺体を見ていたのは短い時間で、損傷も激しかったため、絶対とは言えない。
 だが、あの頭蓋骨は学校の理科室に置いてあった、ヒトの骨格標本と同じように見えた。

 人間の可能性は高いと思う。

 もしも、あの遺体が本当に人間だったとして、なぜこんな森の中にあるのだろう。
 誰かに遺棄されたのか?
 あるいは、森の中で迷い、力尽きて亡くなってしまったのか?
 
 理由によっては、自分にも危険があるかもしれないが、時間が経ちすぎているため、気にしすぎる必要はないだろう。

 どれほど考えても理由はわからない。
 現時点では、わからなくても仕方ない。
 
 今、重要なことは、遺体が森の中にある理由ではない。
 遺体が白骨化していたということだ。
 白骨化していたということは、長い間放置されていたことになる。
 長い間が、どれほどの期間なのかはわからない。
 しかし、完全に白骨化していて、腐臭がしなかったことからも、相当な期間が経っているだろう。
 その間、誰にも見つからなかったことになる。
 
 つまり、この場所には、ほとんど人が来ないということだ。
 もしも、自分がここで倒れてしまったら?
 動くことができず、助けも来ず、徐々に弱っていく。
 弱り切ったときか、死んだ後に動物たちに食べられてしまう。
 残った部分は腐敗していき、最終的にあの白骨遺体と同じように地面に転がっている。
 そんな場面を想像してしまい、怖くなった。
 
 あなたは頭を振って、想像を否定する。

 自分は、あの白骨遺体とは違う。
 この森から脱出して、無事に日常生活に戻ることができる。

 あなたは、日常生活を送る自分を想像しながら、ひたすら進んでいった。










 水を飲んでから、しばらくは問題なく進めていた。
 しかし、次第に身体が重く、足が前に進まなくなってきた。
 夜明けから、ほとんど休まずに歩き続けているため、疲労が限界に達しているのだろう。
 それでも、なんとかして前に進もうとするが、木の根につまずいて転んでしまった。
 すぐに立ち上がろうとするが、身体に力が入らない。

 あなたは悩んだ末、少し休むことにする。

 身体を引きずって近くの木まで行き、もたれかかる。
 何時間も歩いた身体的な疲れもあるが、精神的な疲れも大きい。
 目が覚めてから、わからないことや怖いことばかりで、気が張り詰めているから当然だろう。
 早く安心できる場所に行きたい。
 そのためには、この森を脱出しなければならない。

 しかし、このまま進んだところで、脱出できるという保証はどこにもない。
 そのことが一番辛い。
 このまま進めば、確実に脱出できるとわかっていれば、どれほどきつくとも迷うことなく進めるのに。
 だが、望んだところで、わからないものはわからない。
 迷っても、不安でも、このまま進むしかないのだ。



 あなたはしばらく休んだ後、なんとか立ち上がった。

 まだまだ身体は重いが、もうそんなことは言っていられない。
 日が傾き始めている。急がなければならない。

 痛む足を一歩一歩前に出しながら、西へ進む。
 立ち止まらなければ、必ず森の出口に着く。この森から脱出できる。
 そう自分に言い聞かせて進むが、時間は無情に過ぎていった。










 だんだんと影が伸び、辺りがオレンジ色に染まり始めた。
 しかし、同じような景色ばかりで、出口は全く見えてこない。
 それどころか、脱出の手がかりさえ、何も見つからない。
 このままでは本当に、また夜がきてしまう。
 それは絶対に避けたい。

 あなたは、少しでも歩く速度を上げようとする。

 だが、身体がついていかない。
 なんとか立ち止まらずに歩けてはいるが、これ以上早く歩くことは難しそうだ。

 本当に、このまま進み続けて出口に着くことができるのだろうか?
 これほど進んでも出口が見えないのならば、方向を変えるべきではないのか?
 しかし、何もわからないまま方向を変えるのは、リスクが高過ぎる。
 
 方向にこだわらず、脱出の手がかりを探すことも考えた。
 だが、現時点で一つも見つけられていないものを、今から見つけられるとは考えにくい。
 やはり、このまま進むのがよいのかもしれない。

 あなたは、そう考えて進み続ける。

 しかし、少し時間が経てば、また迷う。
 それを繰り返してしまう。

 
 
 太陽が登ってから、辺りがオレンジ色に染まり始めるまでは、不安はあっても「脱出できるだろう」という気持ちのほうが強かった。
 しかし、今は「脱出できないかもしれない」という気持ちのほうが強くなってきた。
 目に見えて夜が迫っているため、不安と焦りが一層募ってきているのだ。

 (もうどんな方法でもよい、誰でもよいから、この森から出してほしい。お願いだから、脱出させてほしい)
 そう心の中で願ったところで、誰に届くわけではない。
 しかし、願わずにはいられなかった。



 バサバサバサバサ。

 突然の音に驚いて、立ち止まる。
 近くの木から、鳥が数羽飛び立ったようだ。
 なんとなく、空へ飛んでいく鳥を見つめてしまう。
 自分もあの鳥のように飛んでいけたら、すぐにこの森から脱出できるのに。
 そう思ったが、そんなことはできない。
 自分の足で、脱出を目指すしかないのだ。
 再び歩きだそうとしたとき、何か聞こえた気がした。

 あなたは耳を澄ます。

 ブォーン……。

 聞き覚えのある音が聞こえる。
 これはおそらく、車の音だ。
 音が聞こえる範囲に車が走っている。
 近くに車道がある可能性が高い。

 どこだ?
 どの方向から聞こえているのか?
 前か、後ろか?
 右か、左か?
 考えているうちに、音はどんどん小さくなっていく。
 車が離れていってしまう。

 (待って。離れていかないで)

 その思いもむなしく、音はついに聞こえなくなってしまった。

 

 どこから音が聞こえたのかはっきりとは、わからなかった。
 また車が通ってくれればよいが、そのときまで待っている時間はない。

 あなたは、音が聞こえたときのことを思い返す。

 音が聞こえていた時間は、20~30秒ほどだった。
 その間に音は大きくなり、ピークを過ぎて、小さくなっていった。
 動いていたため、わかりづらかったが、全体的には左側から聞こえた気がする。
 しかし、漠然と左側というだけでは、範囲が広すぎる。
 もっと方向を絞り込まなければ、どう進めばよいのか、わからない。
 夜になるまでの時間と残りの体力を考えると、この場所から一番近い場所を目指したい。
 そのためには、音がピークになった地点がどの方向にあるのかを知る必要がある。
 
 あなたは、音がピークになった時に焦点を絞り、考える。

 一番音が大きくなった瞬間、どの方向から聞こえたか?
 ここから、まっすぐ左?
 それとも、左前方か後方?
 目を瞑り、何度も思い返す。

 (左斜め前方から聞こえたのかもしれない)

 そう思ったが、確信がもてない。
 もっと考えるべきか?
 しかし、これ以上考えたところで、確信がもてる答えを出せるとは思えない。
 このまま立ち止まって考え続けるよりは、動いたほうが脱出できる可能性は高くなるだろう。

 あなたは目を開けて、辺りを見回す。

 辺り一帯がオレンジ色に染まってしまっている。
 もう時間がない。
 不安だが、今は自分を信じて進むしかない。

 あなたは、左斜め前方を向く。

 この方向は南西だろう。
 東の方向ではないのはよかった。
 暗くなるのが早いからというだけではない。
 だんだんと暗くなっていく方向が前では、気分も暗くなってしまう。
 少しでも長く、光の方を見ていられるだけで、気分が違う。
 あとは、ここから車道を見ることができればよりよいのだが、それは無理なようだ。
 しかし、車の音の大きさからして、車道はこの場所からそれほど離れてはいないはずだ。
 立ち止まらずに進めば、夜になるまでに森から脱出できるかもしれない。

 

 ようやく脱出の手がかりが見つかったことで、希望が湧いてきた。
 相変わらず、身体は重いがまだ歩ける。 
 大丈夫。
 
 あなたは、車道を目指して歩き出した。
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